【2】





「ところどころ、骨折の痕がありますね。自然治癒してますが・・・」

州立病院に、ルーシーとアントニオが居た。薬品の刺激臭が微かに鼻をつく。
レントゲン写真を見ながら、医師が言った。
「この子、一言も喋らないんです」
「この子は甥子さんとか」
「はい。昨日妹が連れてきました」
眼鏡をかけた温和そうな中年の医師の前に座っているルーシーと、隣にちょこんと俯いているアントニオが居た。
「こんにちは。お名前を言ってくれるかな?」
アントニオはただ医者を、魚の死んだような生気のない目を向けるだけであった。その目は虐待児が持つ、全てを諦めたような独特の瞳である。
「大丈夫、怒ったりしないから・・・。私はレナードと言うのだよ。お名前は?」
アントニオは反応を示さなかった。医師は少し困ったように、笑んだ。
「声帯には何の支障もありません。脳波・MRIも異常は見当たりませんでした。虐待によるものでしょう。口をきけば、叩かれていたのでしょう」
大体の虐待する親は、子供が何かを話そうとすると「煩い!!」と暴力を振るうのが常である。医師の言葉に、ルーシーは唇を噛んだ。
「喋れるようになりますか?」
懇願する目で、身を乗り出して医師を見る。
「愛情を持って、接して上げて下さい」
「どうしたら、いいんでしょう?」
ルーシーは困惑気味である。子供など育てた事などない。膝に置いていた手が無意識にきつく握り拳を作る。
「サザーランドさん」
医師が静かに言った。
「はい」
ルーシーは医師の言葉を待ち受ける。
「血は繋がっていますが、貴方にその子を育てる義務はありませんよ?」
思いも寄らない言葉に、ルーシーは驚く。
「こういう虐待を受けた子は、普通の子と違って、育てにくいものです。心許すまで時間がかかります。―――――大変難しいです。それでも、育てられますか?」
医師の真摯な眼差しに、ルーシーは、身体が震えた。
確かに、そうである。
自分の子も持っていない自分に、果たして、この子の世話が出来るのか?不安だけしかなかった。
が、
頷いた。
あの、小さな小さな手を、見捨てる事が出来なかった。
医師はにっこりとして
「スキンシップして下さい。抱きしめて、この子の目線に添って、目を見ながら話し掛けて下さい。時間は掛かるかもしれませんが、ゆっくりゆっくりでいいんです。ですが、絶対に叩いたりしないで下さい。暴力を振るうと、この子はずうっとこのままです」
「はい・・・」
きゅ・・・と握り拳に力が入る。
「子育ては大変です。気分が滅入りそうなら何時でも来て下さい。貴方が虐待してしまう可能性が出てきます」
―――――――虐待
その言葉に、ルーシーはドキンとした。
自分はそんな事、微塵にも思っていない。親は誰しも生まれてきた我が子に暴力を振るおうなど、決して思わない。だが、いつの間にか、子供に暴力を振るう。そんな親が後を絶たないのも、現実である。
「カウンセラーがどんな事でも相談に乗りますから・・・。児童福祉所に連絡にしますので、暫く待合室でお待ち下さい。後ほど行って頂きます」


児童福祉施設に行き、色々と手続きを済ませる。その間、ソーシャルワーカーがアントニオに色々と優しく丁寧に問いただすが、全くの無反応であった。どうやら、アントニオは学校へも通わせてもらえなかったようである。
「定期的に来て下さい。もし、育てるのが難しいと感じたら、何時でもいらして下さい」
朝から、夜までかかった。ルーシーはヘトヘトであった。

 

次の日、
アントニオが通う事となった小学校へと行く。事前に福祉課からの連絡を受けた校長と養護教師、幼児精神科医が出迎えてくれた。知能障害、アントニオと同じように虐待を受けた子を専門に取り扱うクラスの教師達である。その教師、医師が色々とアントニオに質問するが、アントニオは無反応である。
医師は深い深い溜息をついた。アントニオの頭を撫でる。
「どうなんでしょうか?」
教師は、さきほど行った知能テストの結果を見た。
「そうですね。テストの結果からすらば、4歳児くらいの能力しかありません。ですが、まだ幼い事もあり、脳はまだまだ活発です。努力次第で普通の子と同じような学力を身につける可能性はあります。・・・ただ、並大抵の努力では無理ですよ」
――――――自分に出来るだろうか・・・?
黒い不安が、ルーシーの背後からゆっくりと迫ってくる。
ルーシーはパイプ椅子に座って、膝に置いている両手を握り締めた。
「大丈夫ですよ。希望を持ってください。ここにいる先生方はベテランぞろいです。任せて下さい。・・・ただ、サザーランドさんにもご協力をして頂かなくてはなりません」
ルーシーは、医師の目を見て、頷いた。その目は潤んでいた。
「そう、硬く深刻にならないで下さい。貴方の方が参ってしまいます。気持ちが沈んだら、いつでもご相談して下さい。決して溜め込まないで下さい。子供はそういったのに、案外敏感なのですから・・・」


ルーシーは、人々が行き交う歩道をアントニオの手を繋いで、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせて元気欲歩く。アントニオは、俯いて歩く。少しの不安もアントニオに気づかれはいけない。そう決心しても、胸中は、暗い暗い空間の、果ての見えない底なし沼にいるようであった。
―――――果たして、自分にこの子を育てる事が出来るのだろうか?
―――――両親がまだ生きていてくれたなら・・・
直に、心が沈む。それを払いのけようと、首を振る。
帰り、ショッピングモールでアントニオの物を色々と買い揃える。アントニオを玩具屋に連れて行く。機械仕掛けの鳴く犬や猫を見ても無反応。ロボットの玩具を見ても反応なし。ルーシーは溜息をつく。アントニオに積み木やブロックを買う。何時になく重い足取りで家路へと向う。家の近所で、ガレージセールをやっていたので、覗く。アントニオの手を握って色々回る。子供達が、自分で作ったジュースを売っていた。
「飲む?」
アントニオは無反応である。
「二つ頂戴」
「有難う」
その一つをアントニオに渡す。アントニオはルーシーを見つめる。ルーシーは頷く。アントニオはそれを飲んだ。ルーシーも飲んだ。
「美味しい?」
アントニオは頷いた。
夕食はのテーブルにスーパーで買った出来合い物を電子レンジで暖められ、並んだ。
―――――――料理できるようにならないとな・・・
アントニオはルーシーを見る。自分の前に自分用の食事が用意されている事に、戸惑っているようである。
「さあ、食べましょう」
するとアントニオはフォークとナイフを使わずに、手で食べ始めた。
「あ、待って!」
慌てて掛けより、背後から、
「こう持ってね、こうするの」
と自分の両手を添えて、フォークとナイフを使わせる。アントニオは苛立ちを顔に表した。
「最初は大変だと思うけど、慣れなきゃ駄目なのよ?」
と何回も何回もフォークとナイフの練習をさす。アントニオは終いには、俯いてしまった。
――――――行き成り、駄目か・・・・
根負けしたルーシーが、とりあえず、口に入る程度に料理を切った。
「はい、後はフォークで刺して食べなさい」
とアントニオに促す。アントニオは心細そうな顔をして、フォークを持つというよりも掴んで、刺して食べ始めた。又そのスピードも早い。
「駄目、ゆっくり食べなさい」
ルーシーが注意する。すると動作はゆっくりになるが、直に早くなる。ルーシーは何回も何回も注意をする。聞き分けのないアントニオに、思わず、手が出そうになるが、
――――――駄目!!我慢!我慢!!この子は今までちゃんと躾られてなかったのよ!!
自分自身に言い聞かせる。

 

夜になると、
アントニオはうめいた。横に眠っていたルーシーは飛び起きる。夢で魘されているのである。昼間は無表情の顔が、恐怖で引きつり、額は汗だく、涙が流れていた。両手を庇うように頭の上で抵抗するように激しく動かす。その手を握って
「アントニオ!大丈夫よ!起きなさい!」
口を動かすが、声は「あーーーーー」「うーーーーーー」と呻き声だけであった。
「アントニオ!!」
その声に、やっとアントニオは目を開けた。だが、怯えきった目がギョロついて泳ぎ捲くっていた。
「大丈夫よ!夢だから夢だからね!」
アントニオをきつく抱きしめた。アントニオは暫く呆然として、
「ぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・」
と声を殺して泣いた。そして、ルーシーにしがみ付いた。昼間は抱きつこうとしないのに、夜は行動が逆であった。
「大丈夫だからね、大丈夫だからね」
そのアントニオの頭と背中を優しく摩った。





【2    終】




09.07.19





INDEX
 

後書き
 ↓






















全部が全部ではないと思いますが、虐待を受けた子供は死んだように眠るらしいです。(参考資料にて)少しでも騒がしくしたら、叩かれるからです。ここでのシーンは小説の為に、業とアントニオには夢で魘されてもらいました。