癈資料69 偕楽園記(原文)

              

   
             偕 樂 園 記
 

 

偕樂園記
天有日月地有山川曲成萬物而不遺禽獸艸木各保其性命者以一陰
壹陽成其道弌寒弌暑得其宜也譬諸弓馬焉弓有弌張弌弛而恒勁馬
有弌馳壹息而恒健弓無弌弛則必撓馬无壹息則必殪是自然之勢也
夫人者萬物之靈而其所以或爲君子或爲小人者何也在其心之存與
不存焉耳語曰性相近習相遠習於善則爲君子習於不善則爲小人今
以善者言之擴充四端以脩其德優游六藝以勤其業是其習則相遠者
也然而其氣禀或不能齊是以屈伸緩急相待而全其性命者與夫萬物
何以異哉故存心脩德養其與萬物異者所以率其性而安形怡神養其
與萬物同者所以保其命也弍者皆中其卩可謂善養故曰苟得其養無
物不長苟失其養无物不消是亦自然之勢也然則人亦不可無弛息也
固矣嗚呼孔子之與曾點孟軻之稱夏諺良有以也果繇此道則其弛熄
而安形怡神將何時而可邪必其吟咏華晨飲醼月夕者學文之餘也放
鷹田埜驅獸山谷者講武之暇也余嘗就吾藩跋渉山川周視原野直城
西有闓豁之西望筑峯南臨僊湖凡城南之勝景皆集弌瞬之閒遠巒
遙峰尺寸千里攢翠疊白四瞻如弌而山以發育動植水以馴擾飛潛洵
可謂知仁弌趣之樂郊也於是藝梅樹數千株以表魁春之又作弍亭
曰好文曰一遊非啻以供他日茇愒之所蓋亦欲使國中之人有所優游
存養焉國中之人苟體吾心夙夜匪懈既能脩其德又能勤其業時有餘
暇也乃親戚相携朋友相伴悠然逍遙于弍亭之間或倡酬詩歌或弄撫
管弦或展紙揮毫或坐石點茶或傾瓢尊於華前或投竹竿於湖上唯从
意之所適而弛張乃得其宜矣是余與衆同樂之意也因命之曰偕樂園
天保十年歳次己亥夏五月建 景山撰并書及題額


(碑陰)

 禁條
凡遊園亭者不許先
卯而入後亥而去  
男女之別宜正不許
雜沓以亂威儀
沈醉謔暴及俗樂亦
宜禁
園中不許折梅枝采
梅實
園中不許無病者乘
  

漁獵有禁不許踰制
 

          

 

 

 

 


 ☆ 上記の本文の「弌」「弍」「」「从」などの文字を、「一」「二」「節」「從」に直し
  た、
一般的な表記を用いた「偕楽園記」の本文は、下の(注)15. にあります。





     (注) 1.   「偕楽園記」は、好文亭の東側にある碑に刻まれています。上記の通り、漢文で
           偕楽園創設の趣旨を記したものです。
       2. 上記の資料69 「偕楽園記」の本文は、「禁條」を含めて、碑文の通りに改行してあ
         ります。    
       3. 碑は縦2.5m、横2.4mほどの自然石で、烈公の撰文揮毫になる碑文が篆書で
        刻まれています。
         碑文を囲む左右の梅樹の図柄は、水戸藩士で画家の萩谷
(はぎのや・せんきょう)
          
の筆によるものの由です(「 せん」=僊-イ)。
                    *
 の漢字は、島根県立大学の “e漢字フォント” を利用させていただきました。                      
       4. 「偕楽園記」の字数は、題字が4字、本文が1行28字、全21行で本文の字数は588
        字、年月と撰者名等が1行で20字、従って上部の縦書きの題額「偕楽園記」の4文字
        を除いた碑文の表の総字数は612字(4+588+20)になります。
       5. 碑陰は、縦約45cm、横約77cmのところに、1行8字分で本文が11行に書かれてい
        ます。「禁條」の1行を含めて12行です。碑陰の字数は、「禁條」の2字を含めて68字。
        箇条書の「一」は、上記の通り、碑文には書かれていません。        
          6. 上記の 「偕楽園記」の本文は、次の7種類の 「偕楽園記」の本文を参照して、記載
          してあります。
           (1) 茨城県偕楽園事務所好文亭料金所で頂いたプリントの本文  (【偕】)
           (2) 水戸市役所観光課で頂いたプリントの本文  (【市】)
           (3) 『水戸藩史料 別記上』(吉川弘文館発行)所収の本文  (【藩】)
           (4) 『新編常陸国誌』(宮崎報恩会版)所収の本文  (【常】)
           (5) 『水府精華』(茨城県教育会発行)所収の本文  (【精】)
           (6) 『金石文化の研究 第九集』(本山桂川編著)の本山氏の読み  (【金】)
           (7) 「偕楽園記」の拓本の本文  (【拓】)
          7. 「禁條」はどちらのプリントにも出ていないので、『水戸藩史料 別記上』
(吉川弘文館、
         昭和45年12月25日発行)
によりました。 ただし、碑文によって、箇条書の「一」を省き、「不
        許雜踏亂威儀」を「不許雜踏以亂威儀」と「以」を補い、「採梅實」の「採」を「采」に改め
        ました。
         8. 本文の文字について、依拠した本文を示します。

          
(1) 1行目の「艸」…【偕】【市】【金】【拓】 (「草」…【藩】【常】【精】)
         (2) 2行目・3行目の「壹」…【拓】 (他の本文は、すべて「一」)
         (3) 2行目・3行目・14行目・15行目・16行目の「弌」…【拓】 (他の本文は、「一」)
         (4) 6行目と8行目及び18行目の「脩」…【拓】 (他の本文は、「修」)
         (5) 9行目・16行目・19行目の「弍」…【拓】 (他の本文は、「二」)
         (6) 9行目の「卩」……【拓】 (他の本文は、「節」)
         (7) 同じく9行目一番下の「無」…【市】【常】【金】【拓】 (「莫」…【偕】【藩】【精】)
         (8) 11行目「果繇此道」の「繇」…【拓】 (他の本文は、「由」)
         (9) 同じく11行目一番下の「熄」…【拓】 (他の本文は、「息」)
         (10) 13行目「放鷹田埜」の「埜」…【市】【拓】 (「野」…【偕】【藩】【常】【精】【金】)
         (11) 14行目「闓豁之」と16行目「魁春之」の「
」は、音、チ;「地」の大篆。
                            …【金】【拓】 (「地」…【偕】【市】【藩】【常】【精】) 
           
<上記の「 」の漢字は、島根県立大学 “e漢字フォント” を使用しました。>   
           (12) 同じく14行目「筑峯」の「峯」…【金】【拓】 (「峰」…【偕】【市】【藩】【常】【精】)
          (13) 同じく14行目「僊湖」の「」…【偕】【市】【金】【拓】 (「仙」…【藩】【常】【精】)
          (14) 15行目「水以馴擾飛」の「水」…【市】【常】【拓】  (「川」…【偕】【藩】【精】【金】)
          (15) 18行目「苟體吾心」の「苟」…【偕】【市】【常】【精】【金】 (「如」…【藩】)
          (16) 20行目「傾瓢尊」の「尊」…【藩】【市】【精】【拓】 (「樽」…【偕】【常】【金】)
                                   (注、「尊」は「樽」と同意。)
          (17) 同じ20行目の「華」…【金】【拓】 (「花」…【偕】【市】【藩】【常】【精】)
         (18) 同じ20行目の最後の字「从」…【拓】 (他の本文は、「從」)
         (19) 本文最終行「弛張乃得其宜矣」の「矣」…【藩】【常】【金】【拓】 
                                                                 (「焉」…【偕】【市】【精】)
                                   
         《 なお、8行目と12行目の「神」は、拓本では「鬼」+「申」という字に似た字で、音は、
       シン・ジン、「神」と同意です。また、9行目の最後の字「無」は、拓本では「無」の本字
       が使われています。13行目の「原」は、拓本では「辶」の右に「夂+田+彔」の字(音
        は、ゲン・ガン)で、「原」と同意です。16行目の「表」は、拓本では「衣」偏に「鹿」の下
       に「火」の字で、「火」は「灬」として『廣漢和辞典』に出ています。音はヒョウで、「表」と
       同意です。

          注 : 18行目の「苟體吾心」の「苟」は、『水戸藩史料 別記上』の本文には「如」と
           なっていますが、他の本文はすべて「苟」になっているので、やはり、「苟」なので
          しょうか。》

          
(上に示した本文は、読みやすさよりは正確な表示を心がけて示してあります。従って、拓本の篆書
            の文字を、なるべくその文字の漢字に表示するよう心掛けましたが、うまく漢字に直せないところも
            あり、まだ不十分なところがあります。徐々に正確なものにしていきたいと考えていますので、お気
             づきの点を教えて頂ければ幸いです。)

               
※ 一般的な表記による「偕楽園記」の本文は、注の15.にあります。

          
  『水戸藩史料 別記上』や宮崎報恩会版『新編常陸国誌』(常陸書房、昭和44年11月
           3日初版発行・昭和56年10月1日再版発行)
に出ている本文と照合すると、この二書の本
         文には、文字の異同や脱字と思われる箇所が数箇所見られます。
       9. 茨城県立図書館で、本山桂川編著『金石文化の研究 第九集』
(金石文化研究所、
          昭和26年7月15日発行)
という、謄写版刷りの、本山氏が手書きで篆書の「偕楽園記」
        を写し取った本を紹介していただきました。大いに参考にさせていただきました。  
       10. 偕楽園の創設者は、水戸藩9代藩主・徳川斉昭公です。 「偕楽園記」の碑は天保
        10(1839)年に建てた、と碑文にありますが、碑は偕楽園の造成に先立って建てられ
        たので、偕楽園の開園は天保13(1842)年7月1日、同月27日から公開されたそうで
        す(『水戸市史』中巻
(三)(水戸市役所、昭和51年2月25日発行)による)。
        11. 「偕楽園」の名前は、『孟子』の梁恵王上(二)にある「古之人與民偕樂故能樂也」
        (古の人は民と偕に樂しむ。故に能く樂しむなり。)に由来するといわれています。
        (資料87に『孟子』梁恵王上(『孟子』冒頭部分)があります。)
      12. 偕楽園のこの碑の脇に、「偕楽園記の碑」という解説板が立っています。
            「偕楽園の由来や造園の趣旨などについて記されています。
            碑文は、自然の仕組みを重んじて人は仁義礼智の道をひろげ、
            常に礼法、音楽、書道などを学ぶことが大切であること、また、
            このすぐれた景勝地を選び梅を植え、好文亭、一遊亭の二亭
            を建てたが、この公園は自分ひとりのものではなく領内の人々
            が学問や武芸を学んだあとで余暇を利用して休息し、心身を養
            うところであることを明らかにしています。」
       13. 「偕楽園記」の拓本は、水戸市役所1階のロビーで、壁面に掲示してあるものを見
         ることができます。この拓本は建碑の際に手拓されたものだそうで、左右に彫られ
         ている梅樹とともに、鮮明な文字の見られる立派なものです。
           なお、原文・書き下し文・現代語訳のついた「偕楽園記」のプリントが観光課で貰
         えると思います。(ただし、プリント「原文」の本文8行目と12行目の「魂」は、「神」と
         すべきではないでしょうか。拓本は「鬼」+「申」に似た字で、「神」と同意。)
    14. 「國中之人苟體吾心夙夜匪懈既能脩其德又能勤其業時有餘暇也乃親戚相
       携朋友相伴悠然逍遙于二亭之間或倡酬詩歌或弄撫管弦或展紙揮毫或坐石
      點茶或傾瓢樽於華前或投竹竿於湖上唯從意之所適而弛張乃得其宜矣
」の
     
読みについて。

           ここのところは、普通、「国中の人、苟
(いやしく)も吾が心を体し、夙夜(しゅくや)
                                (おこた)
らず、既に能く其の徳を脩め、又能く其の業を勤め、時に余暇有るや、乃
          ち親戚相携へ、朋友相伴ひ、悠然として二亭の間に逍遙し、或 いは詩歌を倡酬
          し、或は管弦を弄撫し、或は紙を展
(の)べて毫(ふで)を揮ひ、或いは石に坐して茶
          を點じ、或いは瓢樽を華前に傾け、或いは竹竿を湖上に投じ、唯意の適する所に
          從ひ、而して弛張乃ち其の宜しきを得ん。」と読んでいるようです。
          
           しかし、「苟」はここは仮定の意に用いられていると思われるので、どこかで
           「……せば」と、仮定条件にして読むべきではないでしょうか。

           市役所で頂いたプリントでは、「或は竹竿を湖上に投ず。」と、一旦ここで切っ
          て、次を、「唯意の適する所に從ひて弛張せば、」と仮定に読んでいま
          す。つまり、「国中の人、苟
(いやしく)も吾が心を体し、……或は竹竿を湖上に投ず。
          唯意の適する所に從ひて弛張せば、乃ち其の宜しきを得ん。」と読んでいるわけ  
          です。

            ここは、「国中の人、
(いやしく)吾が心を体し、……或は竹竿を湖上に投じ、
          唯意の適する所に從ひて弛張せば、乃ち其の宜しきを得ん。」 と読むべきでは
          ないかと思うのですが、いかがでしょうか。

            「苟體吾心」の「苟」が、『水戸藩史料 別記上』の本文では「如」となっているの
          で、これによれば、「国中の人、如
(も)し吾が心を体し、……或は竹竿を湖上に投じ、
          唯意の適する所に從ひて弛張せば、乃ち其の宜しきを得ん。」と読むことになるで
          しょうか。しかし、「苟體吾心」の「苟」は、拓本では、やはり「苟」と読むのではない
          かと思われます。

            「苟(いやしく)も……弛張せば、」の読みに関しては、なお、検討してみます。
    

        15. 参考までに、次に一般的な表記を用いた「偕楽園記」の本文を示してみます。
           

 

 

偕樂園記
天有日月地有山川曲成萬物而不遺禽獸艸木各保其性命者以一陰
一陽成其道一寒一暑得其宜也譬諸弓馬焉弓有一張一弛而恒勁馬
有一馳一息而恒健弓無一弛則必撓馬無一息則必殪是自然之勢也
夫人者萬物之靈而其所以或爲君子或爲小人者何也在其心之存與
不存焉耳語曰性相近習相遠習於善則爲君子習於不善則爲小人今
以善者言之擴充四端以脩其德優游六藝以勤其業是其習則相遠者
也然而其氣禀或不能齊是以屈伸緩急相待而全其性命者與夫萬物
何以異哉故存心脩德養其與萬物異者所以率其性而安形怡神養其
與萬物同者所以保其命也二者皆中其節可謂善養故曰苟得其養無
物不長苟失其養無物不消是亦自然之勢也然則人亦不可無弛息也
固矣嗚呼孔子之與曾點孟軻之稱夏諺良有以也果從此道則其弛息
而安形怡神將何時而可邪必其吟詠華晨飲醼月夕者學文之餘也放
鷹田野驅獸山谷者講武之暇也余嘗就吾藩跋渉山川周視原野直城
西有闓豁之地西望筑峯南臨僊湖凡城南之勝景皆集一瞬之間遠巒
遙峰尺寸千里攢翠疊白四瞻如一而山以發育動植水以馴擾飛潛洵
可謂知仁一趣之樂郊也於是藝梅樹數千株以表魁春之地又作二亭
曰好文曰一遊非啻以供他日茇憩之所蓋亦欲使國中之人有所優游
存養焉國中之人苟體吾心夙夜非懈既能脩其德又能勤其業時有餘
暇也乃親戚相携朋友相伴悠然逍遙于二亭之間或倡酬詩歌或弄撫
管弦或展紙揮毫或坐石點茶或傾瓢樽於華前或投竹竿於湖上唯從
意之所適而弛張乃得其宜矣是余與衆同樂之意也因命之曰偕樂園
天保十年歳次己亥夏五月建 景山撰并書及題額

(碑陰)

 禁條
凡遊園亭者不許先
卯而入後亥而去  
男女之別宜正不許
雜沓以亂威儀
沈醉謔暴及俗樂亦
宜禁
園中不許折梅枝采
梅實
園中不許無病者乘

漁獵有禁不許踰制

 


      16. 一般的な表記を用いた「偕楽園記」の本文によって、書き下し文を書いて
        みます。
漢字は新字体を用い、読み仮名は現代仮名遣いによりました。 

 

 


偕楽園記 書き下し文

天に日月有り、地に山川有り、万物を曲成して遺(のこ)さず。禽獣草木、各々其の性命を保つ者は、一陰一陽其の道を成し、一寒一暑其の宜しきを得(う)るを以てなり。諸(これ)を弓馬に譬ふ。弓に一張一弛(いっちょういっし)有りて恒(つね)に勁(つよ)く、馬に一馳一息(いっちいっそく)有りて恒に健(すこや)かなり。弓に一弛無ければ則ち必ず撓(たわ)み、馬に一息無ければ則ち必ず殪(たお)る。是れ自然の勢ひなり。夫(そ)れ人は万物の霊にして、其の或いは君子と為(な)り、或いは小人と為る所以(ゆえん)の者は何ぞや。其の心の存すると存せざるとに在るのみ。語に曰く、「性相(あい)近く、習ひ相遠し」と。善に習へば則ち君子と為り、不善に習へば則ち小人と為る。今善なる者を以て之(これ)を言はば、四端を拡充して以て其の徳を修め、六芸(りくげい)に優游して以て其の業に勤(つと)む。是れ其の習ひは則ち相遠き者なり。然(しか)り而(しこう)して其の気稟(きひん)或いは斉(ひと)しきこと能はず。是(ここ)を以て屈伸緩急相待ちて其の性命を全うする者は、夫(か)の万物と何を以て異ならんや。故に心を存して徳を修め、其の万物と異なる者を養ふは、其の性に率(したが)ふ所以にして、形を安んじ神を怡(よろこ)ばしめ、其の万物と同じき者を養ふは、其の命を保つ所以なり。二者皆其の節に中(あた)るを、善く養ふと謂ふべし。故に曰く、「苟(いやし)くも其の養を得ば、物として長ぜざるはなく、苟くも其の養を失はば、物として消せざるはなし」と。是れも亦自然の勢ひなり。然れば則ち人も亦弛息(しそく)なかるべからざるや固(もと)よりなり。嗚呼(ああ)、孔子の曾点に与(くみ)し、孟軻(もうか)の夏諺(かげん)を称する、良(まこと)に以(ゆえ)あるなり。果たして此の道に従(よ)れば、則ち其の弛息して形を安んじ神を怡(よろこ)ばしむること、将(はた)(いず)れの時にして可ならんや。必ず其の華晨(かしん)に吟詠し、月夕に飲(いんえん)する者は、文を学ぶの余なり。鷹を田野(でんや)に放ち、獣を山谷に駆る者は、武を講ずるの暇(いとま)なり。余嘗て吾が藩に就き、山川を跋渉(ばっしょう)し、原野を周視するに、城西に直(あた)りて闓豁(かいかつ)の地有り。西は筑を望み、南は湖に臨む。凡(およ)そ城南の勝景、皆一瞬の間(かん)に集まる。遠巒遙峰(えんらんようほう)、尺寸千里(せきすんせんり)、翠(みどり)を攅(あつ)め白を畳み、四(しせん)(いつ)の如し。而(しこう)して山は以て動植を発育し、水は以て飛潜を馴擾(じゅんじょう)す。洵(まこと)に知仁一趣の楽郊と謂ふべきなり。是(ここ)に於て梅樹数千株を芸(う)ゑ、以て魁春(かいしゅん)の地を表す。又二亭を作り、好文と曰ひ、一遊と曰ふ。啻(ただ)に以て他日(ばっけい)の所に供するのみに非(あら)ず。蓋(けだ)し亦国中の人をして、優游存養する所有らしめんと欲す。国中の人、苟(いやし)くも吾が心を体し、夙夜(しゅくや)(おこた)らず、既に能く其の徳を修め、又能く其の業を勤め、時に余暇有るや、乃ち親戚相携へ、朋友相伴ひ、悠然として二亭の間に逍遙し、或いは詩歌を倡酬(しょうしゅう)し、或いは管弦を弄撫(ろうぶ)し、或いは紙を展(の)べて毫(ふで)を揮(ふる)ひ、或いは石に坐して茶を点じ、或いは瓢樽(ひょうそん)を華前に傾け、或いは竹竿を湖上に投じ、唯(ただ)意の適する所に従ひて弛張せば、乃ち其の宜しきを得ん。是れ余が衆と楽しみを同じくするの意なり。因りて之に命じて偕楽園と曰ふ。
天保十年、歳
(とし)己亥に次(やど)る夏五月、建つ。 景山撰
(なら)びに書及び題額。

禁条
凡そ園亭に遊ぶ者、卯に先だちて入
(い)り、亥(い)に後れて去るを許さず。
男女の別、宜しく正すべし。雑沓以て威儀を乱すを許さず。
沈酔謔暴及び俗楽も亦宜しく禁ずべし。
園中、梅枝を折り梅実を采
(と)るを許さず。
園中、病無き者の轎
(かご)に乗るを許さず。  
漁猟禁有り、制を踰
(こ)ゆるを許さず。

 

 

 

 

 

○ 補注
   1.漢字   飲醼=飲※(酉+燕) 
(いんえん)
 
                闓豁=※(門+豈)豁 (かいかつ) 
                    
茇憩=※(草冠+跋-足)憩 (ばっけい) 
   2.書き下し文中の「国中の人、苟(いやし)くも吾が心を体し、……唯(ただ)
      意の適する所に従ひて弛張せば、乃ち其の宜しきを得ん。」の読み方は、
         通常の読み方と違っています。 これについては、(注)14.をご参照くだ
    さい。

 

       17. 水戸の碑文シリーズ5「水戸斉昭の『偕楽園記』碑文」(安見隆雄著、水戸史学会 平成
         18年7月10日発行、錦正社発売)が出ました。「偕楽園記」の参考書は殆んどないに等し
         いので、貴重な参考書といえます。 
       18. 上記の「偕楽園記」について、お気づきの点をご教示いただければ幸いです。 
       19.
『国立国会図書館デジタルコレクション』『常磐公園攬勝図誌』(松平俊雄編述、明治
        18年(1885)発行)があり、本文を映像で見ることができます。
       20. 梅のことを好文木と言うことについては、水戸藩の儒者人見卜幽(名、壱)の著書『東見
        記』に、「晋起居注」にある故事として、晋の武帝が文を好めば梅が開き、学を廃すれば梅
        が開かなかった、という記述があります。
            
梅云好文木故事在晉起居注 晉武好文則梅開廢學則梅不開云云
        
            (返り点と部分的な送り仮名がついていますが、これを省略しました。)
         『東見記』の本文は、茨城県立歴史館所蔵本によりました。

         なお、これは武帝ではなく哀帝のことだとする本(『謠古抄』)もあるそうです。
           この好文木の話は、『十訓抄』にも出ています。
       21. 資料230に「「好文木」について」があります。
       22. 『速報偕楽園』というサイトがあり、偕楽園の写真が見られます。
       23. 『くろばね商店会』 というサイトでも、 偕楽園の写真(「写真で見る『偕楽園』」)を見るこ
        とができます。
          
『くろばね商店会』 のTOPページの下方にある「目次」の中の『写真で見る観光と施設』」をクリック
                     →  『偕楽園』をクリック  →  「写真で見る『偕楽園』」 
       
24. 茨城県教育委員会のホームページの中に、国指定文化財・名勝 「常磐公園」(偕楽園)
         の解説のページがあります。

             
茨城県教育委員会のホームページTOPページの「芸術文化・スポーツ」をクリック
                      「芸術文化」 の「いばらきの文化財 国指定文化財一覧へ」をクリック
                           →  記念物の中の「名勝」 →  「常磐公園 」をクリック  →  常磐公園


 

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