資料428 与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(詩歌集『鉄幹子』による)




 


 

〇明治34年3月15日発行の『鉄幹子』による本文 
 

      人を戀ふる歌                 
           
(三十年八月京城に於て作る)

 

 

 

 妻(つま)をめどらば才たけて
 顔うるはしくなさけある
 友をえらばば書を讀んで
 六分の俠氣四分の熱

 戀のいのちをたづぬれば
 名を惜むかなをとこゆゑ
 友のなさけをたづぬれば
 義のあるところ火をも踏む

 くめやうま酒うたひめに
 をとめの知らぬ意氣地あり
 簿記
(ぼき)の筆とるわかものに
 まことのをのこ君を見る

 あゝわれコレッヂの奇才なく
 バイロン、ハイネの熱なきも
 石をいだきて野にうたふ
 芭蕉のさびをよろこばず

 人やわらはん業平
(なりひら)
 小野の山ざと雪を分け
 夢かと泣きて齒がみせし
 むかしを慕ふむらごころ

 見よ西北
(にしきた)にバルガンの
 それにも似たる國のさま
 あやふからずや雲裂けて
 天火
(てんくわ)ひとたび降(ふ)らん時

 妻子
(つまこ)をわすれ家をすて
 義のため耻をしのぶとや
 遠くのがれて腕
(うで)を摩す
 ガリバルヂ
や今いかん

 玉をかざれる大官
(たいくわん)
 みな北道
(ほくどう)の訛音(なまり)あり
 慷慨
(かうがい)よく飲む三南(さんなん)
 健兒
(けんじ)は散じて影もなし

 四たび玄海の浪をこえ
 韓
(から)のみやこに來てみれば
 秋の日かなし王城や
 むかしにかはる雲の色

 あゝわれ如何にふところの
 劍
(つるぎ)は鳴(なり)をしのぶとも
 むせぶ涙を手にうけて
 かなしき歌の無からんや

 わが歌ごゑの高ければ
 酒に狂ふと人は云へ
 われに過ぎたる希望
(のぞみ)をば
 君ならではた誰か知る

「あやまらずやは眞ごころを
 君が詩いたくあらはなる
 むねんなるかな燃
(も)ゆる血の
 價すくなきすゑの世や

 おのづからなる天地
(あめつち)
 戀ふるなさけは洩すとも
 人を罵り世をいかる
 はげしき歌を秘めよかし

 口をひらけば嫉みあり
 筆をにぎれば譏りあり
 友を諌めに泣かせても
 猶ゆくべきや絞首臺
(かうしゆだい)

 おなじ憂ひの世にすめば
 千里のそらも一つ家
 おのが袂と云ふなかれ
 やがて二人
(ふたり)のなみだぞや」

 はるばる寄せしますらをの
 うれしき文
(ふみ)を袖にして
 けふ北漢の山のうへ
 駒たてて見る日の出づる方
(かた)


       ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


〇明治38年7月6日発行の『鉄幹子』による本文 
                                        

      人を戀ふる歌                
           
(三十年八月京城に於て作る)

 

 

 

 妻(つま)をめとらば才たけて
 顔うるはしくなさけある
 友をえらばば書を讀んで
 六分の俠氣四分の熱

 戀のいのちをたづぬれば
 名を惜むかなをとこゆゑ
 友のなさけをたづぬれば
 義のあるところ火をも踏む

 くめやうま酒うたひめに
 をとめの知らぬ意氣地あり
 簿記
(ぼき)の筆とるわかものに
 まことのをのこ君を見る

 あゝわれコレリッヂの奇才なく
 バイロン、ハイネの熱なきも
 石をいだきて野にうたふ
 芭蕉のさびをよろこばず

 人はわらへな業平
(なりひら)
 小野の山ざと雪を分け
 夢かと泣きて齒がみせし
 むかしを慕ふむらごころ

 見よ西北
(にしきた)にバルガンの
 それにも似たる國のさま
 あやふからずや雲裂けて
 天火
(てんくわ)ひとたび降(ふ)らん時

 妻子
(つまこ)をわすれ家をすて
 義のため耻をしのぶとや
 遠くのがれて腕
(うで)を摩す
 ガリバルヂ
や今いかん

 玉をかざれる大官
(たいくわん)
 みな北道
(ほくどう)の訛音(なまり)あり
 慷慨
(かうがい)よく飲む三南(さんなん)
 健兒
(けんじ)は散じて影もなし

 四たび玄海の浪をこえ
 韓
(から)のみやこに來てみれば
 秋の日かなし王城や
 むかしにかはる雲の色

 あゝわれ如何にふところの
 劍
(つるぎ)は鳴(なり)をしのぶとも
 むせぶ涙を手にうけて
 かなしき歌の無からんや

 わが歌ごゑの高ければ
 酒に狂ふと人は云へ
 われに過ぎたる希望
(のぞみ)をば
 君ならではた誰か知る

「あやまらずやは眞ごころを
 君が詩いたくあらはなる
 むねんなるかな燃
(も)ゆる血の
 價すくなきすゑの世や

 おのづからなる天地
(あめつち)
 戀ふるなさけは洩すとも
 人を罵り世をいかる
 はげしき歌を秘めよかし

 口をひらけば嫉みあり
 筆をにぎれば譏りあり
 友を諌めに泣かせても
 猶ゆくべきか絞首臺
(かうしゆだい)

 おなじ憂ひの世にすめば
 千里のそらも一つ家
 おのが袂と云ふなかれ
 やがて二人
(ふたり)のなみだぞや」

 はるばる寄せしますらをの
 うれしき文
(ふみ)を袖にして
 けふ北漢の山のうへ
 駒たてて見る日の出づる方
(かた)
 

 

 

 

       (注) 1. 上記の「友を戀ふる歌」の本文は、明治34年3月15日発行の『鐵幹子』(与謝野
           鉄幹著、矢島誠進堂書店)と、明治38年7月6日発行の『鐵幹子』(同)によりました。
          2.  詩中のふりがな(ルビ)は、ここでは括弧に入れて示しました。
          3. 明治34年3月15日発行の『鐵幹子』の冒頭にある「妻をめどらば才たけて」の「め
           どらば」は、巻末の附録(正誤)には出ていませんが、明治38年発行の『鐵幹子』に
           は「めとらば」となっていますから、「めとらば」の誤植だと思われます。
          4.  明治34年3月15日発行の『鐵幹子』は、国立国会図書館の『近代デジタルライ
           ブラリー』と国文学研究資料館の『電子資料館』に収録されていて、それぞれ画像
           で見ることができます。(
国文学研究資料館の『電子資料館』の画像のほうが、鮮明です。)
             (1) 『近代デジタルライブラリー』 → 『鐵幹子』(明治34年発行)  

             (2) 『国文学研究資料館』 → 『電子資料館』
                                      → 『鐵幹子』(明治34年発行) 
                                       → 「人を戀ふる歌」
          5. 上の明治34年発行の『鐵幹子』よりも後に出版された、明治38年7月6日発行
           の『鐵幹子』は、早稲田大学の『古典籍総合データベース』で、画像で見ることがで
           きます。
               『古典籍総合データベース』 → 『鐵幹子』(明治38年発行)
          6. 明治34年発行の『鐵幹子』と、明治38年発行の『鐵幹子』との「友を戀ふる歌」の
           本文の異同を、次に示しておきます。
                 明治34年発行の『鐵幹子』)   (明治38年発行の『鐵幹子』)
                  妻をめどらば才たけて         妻をめとらば才たけて
                  あゝわれコレッヂの奇才なく      あゝわれコレリッヂの奇才なく
                  人やわらはん業平が           人はわらへな業平が
                  猶ゆくべきや絞首臺          猶ゆくべきか絞首臺
          7. 雑誌『よしあし草(よし阿志艸)』第23号(明治33年2月20日発行) による「人に恋
           ふる歌」が、資料429にあります。
              → 資料429:与謝野鉄幹 「人に恋ふる歌」(雑誌『よし阿志艸』による)
          8. 講談社文庫『日本の唱歌 〔上〕明治篇』
(金田一春彦・安西愛子編、昭和52年10月15日
            第1刷発行)の「人を恋うるの歌」の解説
に、次のようにあります。
             
 与謝野鉄幹の詩歌集「鉄幹子」(明治34年刊)に収められている歌詞に、明治41年に曲が
              付けられたものという。作曲者が不明なのは残念である。よく歌われる三高の寮歌に、大正2
              年に矢野禾積(かずみ)が作詞した「行春(ぎょうしゅん)哀歌」というのがあって、
                  1 静かに来たれ懐かしき 
                    友よ憂いの手を取らん 
                    曇りて光る汝(な)がまみに 
                    消えゆく若き日は歎く
               という歌詞のものであるが、この曲を借りて歌っている。矢野氏によると、この寮歌にはもともと
              小川という生徒の付けた曲があったが、それが不評でさっぱり歌われない。中学時代の友人片
              岡鉄兵が京都へ来た時にそのことを話したら、おれがいい節を教えてやる、おれたちがいつも
              藤村の酔歌を歌う時の節だと言ってこの曲を教えてくれた、矢野氏がそれを歌って聞かせると一
              同それがいいということになって「行春哀歌」の曲に固定したというのである。この曲はいろいろな
              詩の節として使われたようであるが、たしかにそれにふさわしい節である。(同書、238頁)

          
     引用者注:藤村の「酔歌」とは、『若菜集』所収の詩「酔歌」を指すものと思われま
                    す。次にその「酔歌」を引いておきます。  
  

 

    醉 歌 
          島崎藤村

旅と旅との君や我
君と我とのなかなれば
醉ふて袂(たもと)の歌草(うたぐさ)を
醒めての君に見せばやな

若き命も過ぎぬ間(ま)に
樂しき春は老いやすし
誰(た)が身にもてる寶(たから)ぞや
君くれなゐのかほばせは

君がまなこに涙あり
君が眉には憂愁(うれひ)あり
堅(かた)く結べるその口に
それ聲もなきなげきあり

名もなき道を説くなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより
來りて美(うま)き酒に泣け

光もあらぬ春の日の
獨りさみしきものぐるひ
悲しき味の世の智惠に
老いにけらしな旅人よ

心の春の燭火(ともしび)に
若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば
哀(かな)しからずや君が身は

わきめもふらで急(いそ)ぎ行く
君の行衞はいづこぞや
琴花酒(ことはなさけ)のあるものを
とゞまりたまへ旅人よ
 

 

                ○ 上記の本文は、『若菜集』(春陽堂、明治30年8月29日発行)に
                 よりました。
                ○  第1連の「醉ふて」は、岩波文庫の『藤村詩抄』では、「醉うて」と
                 正されています。       

 

          9. 若井勲夫氏の論文「旧制高校寮歌の言葉と表現」(『京都産業大学論集〔人文科学
           系列〕』第37号
(2007年)所収)に、次のようにあります。
              
この「人を恋する歌」は、「当時著しく一部の諷誦するところとな」り、「さかんに文学青年が感傷
              の表情の間に微吟せられた」(日夏耿之介・前掲書─引用者注『改訂増補明治大正詩史』
〔昭和
                23年〕
のこと)。書生風の熱情は青春の憂愁や悲哀に同調し、高校生にも寮歌に準ずる歌として
              愛好されたことであろう。現在は全16節が3節に縮小されて一般に広がっている。志田延義氏は
              この歌を寮歌史の上で初めて正当に位置付け、晩翠の「星落秋風五丈原」とともに「それ自身長く
              学生間に愛誦せられ、また寮歌の類に一つの時期を画せしめるほどの詩歌として注意すべきであ
              る」と評価する(『続日本歌謡集成』五)。従来、鉄幹の寮歌への作用についてあまり触れられるこ
              とがなかったが、鉄幹の詩は壮士風の「ますらをぶり」で晩翠詩と共通する。しかし、晩翠は硬質
              で上品に整い過ぎて、鉄幹の闊達で自由な、また悲歌的な情熱には及ばないのではないかと思
              われる。(同論集、179頁)  
          10.  『東洋女子短期大学紀要』4巻(1971年9月30日発行)に、丸野弥高氏の「与謝野鉄幹
            作「人を恋ふる歌」について」という論文があります。この論文にこの詩についての詳しい
            考察がなされていますが、これによれば、「人を恋ふる歌」の発表誌は、次のようになっ
            ています。
                 
雑誌『伽羅文庫』第1巻第2号(明治32年12月5日発行) ……本文引用あり
                 雑誌『國文學』第12号(明治32年12月25日発行) ……本文引用あり
                 雑誌『よしあし草』23号(明治33年2月20日発行) ……本文引用あり
                 単行本『紫紅集』(明治33年10月12日発行)
                 単行本『鐵幹子』初版(明治34年3月15日発行) ……本文引用あり
               
『伽羅文庫』の本文も、同論文に出ていますが、題名が「友を戀ふる歌」となってお
             り、長さも16節でなく、13節になっています
(第12節「あやまらずやは真心を…」、第13節
              「おのづからなる天地を…」、第14節「口をひらけば嫉みあり…」がない)
。『國文學』は、『伽羅
            文庫』の僅か20日後の発行ですが、題名は「人を戀ふる歌」となっています。また、
            「六分の俠氣四分の熱」が「八分の俠氣二分の熱」となっており、最後の行は「駒立て
            ゝ觀る、日の出づる方。」となっています。
             この詩の初出について筆者の丸野弥高氏は、「制作年代を31年3月以降と見るに
            しても、その初出原型を「伽羅文庫」本と決定するにはまだ不安が残る」としておられ
            ます。詳しくは同論文を参照してください。

             なお、「石をいだきて野にうたふ芭蕉のさびをよろこばず」について、丸野氏は、「冷
            たい血の気のないものを相手に人の世と離れて野に歌う芭蕉の枯れた世界を退けて、
            憂国慨世という、なまなましい熱血の世界を追求しようというのである」としておられま
            す。
             また、「口をひらけば嫉みあり/筆をにぎれば譏りあり/友を諌めに泣かせても/猶
            ゆくべきや絞首臺」については、「今の世では、何か物を言っても書いても非難される。
            君の表現は激越だ。私がこんなに泣いてもなおやめずに国事犯に問われ絞首台にの
            ぼる気かというのである」としておられます。
             意味の取りにくいところなので、特に引用させていただきました。
 
          11. 近代文学注釈大系『近代詩』(関良一著、有精堂出版・
昭和38年9月10日発行)から、
            「あやまらずやは眞ごころを 君が詩いたくあらはなる」「友を諌めに泣かせても 猶ゆ
            くべきや絞首台」の注をひいておきます。
(同書、103頁)
             
「あやまらずやは眞ごころを 君が詩いたくあらはなる」
               君の詩ははなはだ飾り気がないが、それは君の真情を誤解させ、ひいては君の将来をも危うく
                  しないだろうか。いや、そのおそれが充分にあるのだ。以下親友の作者への忠告の形。「いたく」
                  は、はなはだしく。ひどく。「あらはなる」は、露骨である。

             
「友を諌めに泣かせても 猶ゆくべきや絞首台」
              
 たとい友人をして泣いて諌めるようなことをさせても、やはり絞首台などには行くべきではない。
                 友人としては、義に勇む作者を国事犯として絞首台に送られるようなはめに陥いれたくないと言う
                 のである。「友」はこの便りをしたためている友人自身。
 
          12. 与謝野寛(よさの・ひろし)=詩人・歌人。初め鉄幹と号す。京都生れ。晶子の夫。
                落合直文に学び、浅香社・新詩社の創立、「明星」の刊行に尽力、新派和歌
                運動に貢献。自我の詩を主張。詩歌集「東西南北」「天地玄黄」、歌集「相聞
                
(あいぎこえ)」など。(1873-1935)         (『広辞苑』第6版による。)
         13. 近代文学注釈大系『近代詩』(関良一著、有精堂出版・昭和38年9月10日発行)に、
           「人を恋ふる歌」が取り上げられています。
          14. 参考書を挙げておきます。
             関良一『
近代文学注釈大系 近代詩』(有精堂、昭和38年9月10日発行)
             関良一「人を恋ふる歌(与謝野鉄幹『鉄幹子』)」(一)(『国文学』
解釈と教材の研究
                                  昭和39年2月号、學燈社・昭和39年2月1日発行)
             関良一「人を恋ふる歌(与謝野鉄幹『鉄幹子』)」(二)(『国文学』
解釈と教材の研究
                                  昭和39年3月号、學燈社・昭和39年3月1日発行)
             松村緑「鉄幹詩「人を恋ふる歌」の成立と発表誌について」(『解釈』1968年1月号、
                                                   昭和43年1月1日発行)
             丸野弥高「
与謝野鉄幹作「人を恋ふる歌」について」(『東洋女子短期大学紀要』4巻
                                               所収、1971年9月30日発行)
          15.次に、『伽羅文庫』第1巻第2号の「友を恋ふる歌」の画像を掲げておきます。

          16. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「与謝野鉄幹」の項があります。
          17. 『万葉ジョーク』というサイトに、「人を恋うる歌(作詞 与謝野鉄幹 作曲 不詳)」とい
           うページがあって参考になります。
(なお、補足しておきますと、ここで取り上げている詩はページ
             の筆者が大学時代の寮で歌っていた形だそうで、一部、鉄幹の原作と異なるところがあります。例え
             ば、「ああ我ダンテの詩才なく」としてあるところなど。) 
          18. 資料429 「与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(雑誌『よしあし草』による)」の注に、初出と
           思われる『伽羅文庫』第2号(明治32年12月5日発行)所載の
「友を恋ふる歌」の本文
           
と、国文学雑誌社発行の『国文学』第12号(明治32年12月25日発行)所載の「人を恋ふ
           
る歌」の本文が掲げてあります。  



                                        
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