資料414  敦盛の最期(『平家物語』巻第九より)

 



       敦 盛 の 最 期      『平家物語』巻第九より  

 いくさやぶれにければ、熊谷次郎直實
(くまがへのじらうなをざね)、「平家の君達(きんだち)たすけ船にのらんと、汀(みぎは)の方(かた)へぞおち給(たまふ)らん。あはれ、よからう大將軍(たいしやうぐん)にくまばや」とて、磯の方(かた)へあゆまするところに、ねりぬきに鶴ぬうたる直垂(ひたたれ)に、萌黄の匂(にほひ)の鎧きて、くはがたう(ツ)たる甲(かぶと)の緒(を)しめ、こがねづくりの太刀をはき、きりうの矢おひ、しげ藤(どう)の弓も(ツ)て、連錢葦毛(れんぜなしげ)なる馬に黄覆輪(き(ン)ぶくりん)の鞍をいての(ツ)たる武者一騎、沖なる舟にめをかけて、海へざ(ツ)とうちいれ、五六段ばかりおよがせたるを、熊谷(くまがへ)「あれは大將軍(たいしやうぐん)とこそ見まいらせ候へ。まさなうも敵(かたき)にうしろをみせさせ給ふものかな。かへさせ給へ」と扇(あふぎ)をあげてまねきければ、招かれてと(ツ)てかへす。汀にうちあがらむとするところに、おしならべてむずとくんでどうどおち、と(ツ)ておさへて頸をかゝんと甲をおしあふのけて見ければ、年十六七ばかりなるが、うすげしやうしてかねぐろ也。我子の小次郎がよはひ程にて容顔まことに美麗也。ければ、いづくに刀を立(たつ)べしともおぼえず。「抑(そもそも)いかなる人にてましまし候ぞ。なのらせ給へ、たすけまいらせん」と申せば、「汝はたそ」ととひ給ふ。「物そのもので候はね共、武藏國住人(むさしのくにのぢうにん)、熊谷次郎直實(くまがへのじらうなをざね)と名のり申(まうす)。「さては、なんぢにあふてはなのるまじゐぞ、なんぢがためにはよい敵(かたき)ぞ。名のらずとも頸をと(ツ)て人にとへ。みしらふずるぞ」とぞの給ひける。熊谷(くまがへ)「あ(ツ)ぱれ大將軍(たいしやうぐん)や、此人(このひと)一人(いちにん)うちたてまたり共、まくべきいくさに勝(かつ)べき樣(やう)もなし。又うちたてまつらず共、勝べきいくさにまくることよもあらじ。小次郎がうす手負(をひ)たるをだに、直実は心ぐるしうこそおもふに、此殿の父、うたれぬときいて、いかばかりかなげき給はんずらん、あはれ、たすけたてまつらばや」と思ひて、うしろをき(ツ)とみければ、土肥(とい)・梶原五十騎ばかりでつゞいたり。熊谷(くまがへ)涙をおさへて申けるは、「たすけまいらせんとは存候へ共、御方(みかた)の軍兵(ぐんびやう)雲霞(うんか)の如く候。よものがれさせ給はじ。人手にかけまいらせんより、同(おなじ)くは直實が手にかけまいらせて、後の御孝養(おんけうやう)をこそ仕候はめ」と申ければ、「たゞとくとく頸をとれ」とぞの給ひける。熊谷(くまがへ)あまりにいとおしくて、いづくに刀をたつべしともおぼえず、めもくれ心もきえはてて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべき事ならねば、泣々(なくなく)頸をぞかいて(ン)げる。「あはれ、弓矢とる身ほど口惜(くちおし)かりけるものはなし。武藝の家に生れずは、何(なに)とてかゝるうき目をばみるべき。なさけなうもうちたてまつる物かな」とかきくどき、袖をかほにおしあててさめざめとぞ泣(なき)ゐたる。良(やゝ)(ひさし)うあ(ツ)て、さてもあるべきならねば、よろい直垂(びたたれ)をと(ツ)て、頸をつゝまんとしけるに、錦の袋にいれたる笛をぞ腰にさゝれたる。「あないとおし、この曉城(じやう)のうちにて管絃し給ひつるは、この人々にておはしけり。當時みかたに東國の勢(せい)なん万騎かあるらめども、いくさの陣へ笛もつ人はよもあらじ。上﨟(じやうらう)は猶もやさしかりけり」とて、九郎御曹司の見參(げんざん)に入(いれ)たりければ、是をみる人涙をながさずといふ事なし。後にきけば、修理大夫(しゆりのだゆう)經盛(つねもり)の子息に大夫(たゆふ)敦盛とて、生年(しやうねん)十七にぞなられける。それよりしてこそ熊谷(くまがへ)涙が發心(ほつしん)のおもひはすゝみけれ。件(くだん)の笛はおほぢ忠盛笛の上手にて、鳥羽院(とばのゐん)より給はられたりけるとぞ聞えし。經盛相傳(さうでん)せられたりしを、敦盛器量たるによ(ツ)て、もたれたりけるとかや。名をばさ枝とぞ申ける。狂言綺語(きやうげんきぎよ)のことはりといひながら、遂に讚佛乘(さんぶつぜう)の因となるこそ哀(あはれ)なれ。

 

 

                 

 


        (注) 1. 上記の「敦盛の最期」の本文は、日本古典文学大系33『平家物語 下』(高木市之
         助ほか校注、岩波書店・
昭和35年11月5日第1刷発行、昭和38年10月30日第3刷発行
           
によりました。ただし、「敦盛の最期」は本文には「敦盛最期(あつもりのさいご)」とあるのを、
         引用者が「敦盛の最期」と表記しました。
        2. 底本その他について、凡例に次のようにあります。
           本文は龍谷大学図書館所蔵の平家物語を底本とし、章節を分ち、段落を区切り、
            句読点の類を施し、傍らに漢字・仮名を振り、清濁を区別し、文字を若干改めた。
             校合には主として高良神社本と寂光院本とを用い、東京大学文学部国語研究室
             所蔵の高野辰之氏旧蔵本を参考し、西教寺文庫本・龍門文庫本(巻一を除く)、さら
             に屋代本・流布本(元和7年刊本)に及んだ場合もある。
           濁音符・半濁音符 は校注者の判断によって施した。
           底本に表記されていない促音・撥音・長音の類は、片仮名に( )を付けて本行中に
           補った。
           底清濁その他発音の決定については、東京大学文学部国語研究室に所蔵される
           岡正武書写の前田流「平家正節」によることがもっとも大きかった。 

          なお、詳しくは、古典大系本の「凡例」をご参照ください。
        3. 本文中の平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の漢字と仮名に直し
         てあります。(「ましまし候」「とくとく」、振り仮名の「そもそも」など)
         4. 平敦盛(たいらのあつもり)=平安末期の武将。参議経盛の子。従五位下の位階をもつ
               が官職がなく、世に無官の大夫と称。一谷に戦で熊谷直実(なおざね)に討たれ
               た。(1169-1184)
          熊谷直実(くまがいなおざね)=鎌倉初期の武士。武蔵熊谷の人。初め平知盛に仕え、
               のち源頼朝に降り、平家追討に功。久下直光と地を争い、敗れて京に走り仏門
               に法然に師事、蓮生坊と称す。一谷の戦に平敦盛を討ったことは平家物語で名
               高く、謡曲・幸若・浄瑠璃・歌舞伎に作られる。(1141-1208)   → 一谷嫩軍
               記
(いちにたにふたばぐんき) 
          一谷嫩軍記(いちにたにふたばぐんき)=浄瑠璃。並木宗輔ほか合作の時代物。1751
               年(宝暦1)初演。一谷の戦に、熊谷次郎直実が平敦盛を討って遁世し、また、岡
                     部六弥太が平忠度を討ったことを脚色。「熊谷陣屋」の段が有名。後に歌舞伎化。
                                             
(以上、『広辞苑』第6版による。)
          5. 国立国会図書館の『デジタル化資料「古典籍資料(貴重書等)」』で、慶長年間に出版さ
         れた『平家物語』が、画像で見られます。

               『国立国会図書館のデジタル化資料「古典籍資料(貴重書等)」』で、「詳細検索へ→」
                  をクリック  →  「平家物語」と入力して検索  →   『平家物語』(巻1~巻12)
                                             (「敦盛」は巻九の 75~79 / 98
          
6. 『平家物語』の本文は、『J-TEXTS』(日本文学電子図書館)で読むことができます。 
           7. 『風のきた道─清盛慕情─』というサイトがあって、ここに平家物語の解説や全文の現代
         語訳、その他があって参考になります。
(現在、リンクが繋がらないようです。2012年6月16日)
             
 「平家物語全文現代語訳」「平氏系図」「平清盛年表」「平家物語登場人物総覧」
              「平家物語和歌総覧」 その他
         
8. 『樹陰読書』(…平家物語と中世日本を眺める處…)というサイトがあります。
                 (現在、リンクが繋がらないようです。2017年10月28日)
         
9. 資料196 「初等科国語六」の「十四 源氏と平家」に、国民学校六年生用に分かりやすく
         書いた文語体の「敦盛の最期」があります。
         10. 平敦盛のことは、「青葉の笛」という唱歌の1番の歌詞でよく知られていますが、金田一春
         彦・安西愛子編『日本の唱歌〔上〕 明治篇』(講談社文庫。昭和52年10月15日第1刷発行)
         によれば、この歌は明治39年(1906年)7月、田村虎蔵・納所弁次郎・佐々木吉三郎編の
         『尋常小学唱歌』の四学年用に、「敦盛と忠度」という題で掲載されたのが最初だそうです。
         作詞:大和田建樹、作曲:田村虎蔵。1番に敦盛を、2番に忠度を歌っています。
          同文庫には、昭和2年、田村虎蔵編の『検定唱歌集』に「青葉の笛」という題で再び掲載さ
         れた、とあります。
                     
※ 上記の明治39年7月発行「『尋常小学唱歌』の四学年用」については、 『d-score』には、
              「明治39年(1906年)7月版 『尋常小学唱歌 第四学年 上』 とあります。
       11. 資料241に、「忠度の最期」(『平家物語』巻第九より)があります。
       
12. YouTubeに、「青葉の笛」の、篠笛による演奏があります。
               → 篠笛「青葉の笛」
         13. 同じく YouTubeに、安西愛子の歌唱による「青葉の笛」があります。
               → 
安西愛子の「青葉の笛」
          
(残念ながら著作権の関係で聞くことができないそうです。2017年10月28日現在)
           14『d-score』というサイトに、「青葉の笛」のページがあります。

           15. 歌詞を写しておきます。(仮名遣いは歴史的仮名遣いにしてあります。)

                 
敦盛と忠度
                             大和田建樹
           一 一の谷の 軍
(いくさ)破れ
              討たれし平家の 公達
(きんだち)あはれ
              曉寒き 須磨の嵐に
              聞えしはこれか 靑葉の笛

           二 更くる夜半
(よは)に 門(かど)を敲(たた)
              わが師に託せし 言
(こと)の葉あはれ 
              今はの際
(きは)まで 持ちし箙(えびら)
              殘れるは「花や 今宵」の歌 
         16. 『Zaco's Page』というサイトに、「国語の先生の為のテキストファイル集」と 
         いうページがあり、そこに『平家物語』の本文が入っています。
                                      
(20012年5月25日付記)  
  
          『Zaco's Page』 → 「国語の先生の為のテキストファイル集」



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