資料31.1 二宮尊徳 『二宮翁夜話』 (巻之一〜巻之五)                                トップページ(目次)    

     

 

二宮尊徳 『二宮翁夜話』  目 次
 

 

 

資料31 二宮翁夜話 (巻之一)  「巻之一」 は目次の下にあります。
資料75 二宮翁夜話 (巻之ニ) 
資料76 二宮翁夜話 (巻之三
資料77 二宮翁夜話 (巻之四
資料78 二宮翁夜話 (巻之五) 

    
資料74  二宮翁夜話 (巻之一)  [ 旧字・旧仮名 ] 
        
資料299  二宮翁夜話 続篇

 

 

 

 

 

 

        二宮翁夜話 巻之一          福住正兄筆記 

 

 

 

 

 

 
  翁 曰(いわく) (それ)誠の道は、学ばずしておのづから知り、習はずしておのづから覚へ、書籍(シヨジヤク)もなく記録もなく、師匠もなく、而して人々自得して忘れず、是(コレ)ぞ誠の道の本体なる、 渇して飲み飢(ウヘ)て食(クラ)ひ、労(ツカ)れていねさめて起く、皆此(コノ)(ルイ)なり、古歌に「水鳥(ミヅトリ)のゆくもかへるも跡たえてされども道は忘れざりけり」といへるが如し、夫(ソレ)記録もなく、書籍(シヨジヤク)もなく、学ばず習はずして、明らかなる道にあらざれば誠の道にあらざるなり、夫(それ)我教(ワガオシヘ)は書籍を尊まず、故に天地(テンチ)を以て経文とす、予(ワ)が歌に「音もなくかもなく常に天地(アメツチ)は書かざる経をくりかへしつ ゝ」とよめり、 此(カク)のごとく日々、繰返し繰返してしめさるゝ、天地の経文に誠の道は明らかなり、掛(カカ)る尊き天地の経文を外(ホカ)にして、書籍の上に道を求(モトム)る、学者輩(ハイ)の論説は取らざるなり、能(ヨク)々目を開(ヒラキ)て、天地の経文を拝見し、之を誠にするの道を尋ぬべきなり、夫(それ)世界横の平(タイラ)は水面を至れりとす、竪(タテ)の直(スグ)は、垂針(サゲブリ)を至れりとす、凡(およそ)(かく)の如き万古動かぬ物あればこそ、地球の測量も出来るなれ、 是を外にして測量の術(ジユツ)あらむや、 暦道の表(ヒヨウ)を立てゝ景(カゲ)を測るの法、 算術の九々の如き、 皆自然の規(ノリ)にして万古不易(エキ)の物なり、此物によりてこそ、天文も考ふべく 暦法をも算すべけれ、此物を外にせばいかなる智者といへども、 術を施すに方なからん、 夫(それ)我道も又然(シカ)り、天言(モノ)いはず、而して、四時(しいじ)行はれ百物成る処の、 不書の経文、不言の教戒、則(スナハチ)米を蒔けば米がはえ、麦を蒔けば麦の実法(ミノ)るが如き、万古不易の道理により、誠の道に基きて之を誠にするの勤(ツトメ)をなすべきなり

 

 

 

   翁 曰(いわく) 、夫 (それ) 世界は旋転してやまず、寒往けば暑来り、暑往けば寒来り、夜明(あく)れば昼となり、昼になれば夜となり、 又万物生ずれば滅し、滅すれば生ず、譬へば銭を遣(ヤ)れば品が来り、品を遣(ヤ)れば銭が来るに同じ、寝ても醒(サメ)ても、居ても歩行(アルイ)ても、昨日は今日になり今日は明日になる、 田畑も海山も皆その通り、 爰(コヽ)にて薪をたきへらすほどは、山林にて生木(セイボク)し、爰で喰(クヒ)へらす丈(だけ)の穀物は、田畑にて生育す、野菜にても魚類にても、 世の中にて減るほどは、 田畑河海山林にて、生育し、 生れたる子は、時々刻々年がより、築(ツキ)たる堤は時々刻々に崩れ、掘(ホリ)たる堀は日々夜々に埋(ウヅマ)り、葺(ふき)たる屋根は日々夜々に腐る、是(コレ)(スナハチ)天理の常なり、然(シカ)るに人道は、是と異也、 如何(イカン)となれば、風雨定めなく、寒暑往来する此世界に、毛羽なく鱗介(リンカイ)なく、裸体(ハダカ)にて生れ出(イデ)、家がなければ雨露(アメツユ)が凌がれず、衣服がなければ寒暑が凌がれず、 爰(ココ)に於て、人道と云(いう)物を立て、米を善とし、莠(ハグサ)を悪とし、家を造るを善とし、破るを悪とす、皆人の為に立(タテ)たる道なり、依て人道と云、天理より見る時は善悪はなし、其証には、天理に任する時は、皆荒地となりて、開闢(カイビャク)のむかしに帰る也、如何となれば、是(これ)(すなわち)天理自然の道なれば也、 夫(それ)天に善悪なし、故に稲と莠(ハグサ)とを分(ワカ)たず、種ある者は皆生育せしめ、生気ある者は皆発生せしむ、 人道はその天理に順(シタガフ)といへども、其内に各区別をなし、稗(ひえ)(はぐさ)を悪とし、米麦を善とするが如き、皆人身に便利なるを善とし、不便なるを悪となす、爰に到(イタリ)ては天理と異なり、如何となれば、人道は人の立(たつ)る処なれば也、 人道は譬(タトヘ)ば料理物の如く、 三倍酢の如く、 歴代の聖主賢臣料理し塩梅 (アンバイ)して拵らへたる物也、 されば、ともすれば破れんとす、故に政(マツリゴト)を立(タテ)、教(オシヘ)を立、刑法を定め、礼法を制し、 やかましくうるさく、世話をやきて、 漸(ヤウヤ) く人道は立(たつ)なり、然(シカル)を天理自然の道と思ふは、大なる誤也、能(ヨク)思ふべし

 

 

 

 三  翁曰(いわく)、夫(それ)人道は譬(タトヘ)ば、水車(ミヅグルマ)の如し、其形半分は水流に順(シタガ)ひ、半分は水流に逆(さか)ふて輪廻す、丸に水中に入れば廻らずして流るべし、又水を離るれば廻る事あるべからず、夫(それ)仏家に所謂(イワユル)知識の如く、世を離れ欲を捨(ステ)たるは、譬(タトヘ)ば水車の水を離れたるが如し、又凡俗の教義も聞(キカ)ず義務もしらず、私欲一偏に着
(ヂヤク)するは、水車を丸に水中に沈めたるが如し、共に社会の用をなさず、 故に人道は中庸を尊む、水車の中庸は、宜(ヨロシ)き程に水中に入て、半分は水に順(シタガ)ひ、半分は流水に逆昇りて、運転滞らざるにあり、人の道もその如く天理に順ひて種を蒔き、 天理に逆(サカ)ふて草を取り、欲に随(シタガヒ)て家業を励み、欲を制して義務を思ふべきなり

 

 

 

 四  翁曰(いわく)、夫(それ)人道は人造なり、されば自然に行はるゝ処の天理とは格別なり、 天理とは、春は生じ秋は枯れ、 火は燥(カワ)けるに付(ツキ)、 水は卑(ヒキヽ)に流る、昼夜運動して万古易(カハ)らざる是(コレ)なり、人道は日々夜々人力を尽し、保護(ホウゴ)して成る、故に天道の自然に任(マカ)すれば、忽に廃(スタ)れて行はれず、故に人道は、情欲の侭(マヽ)にする時は、立(たた)ざるなり、譬(タトヘ)ば漫々たる海上道なきが如きも、船道(フナミチ)を定め是によらざれば、 岩にふるゝ也、 道路も同じく、己(オノ)が思ふ侭にゆく時は突当り、言語(ゲンギヨ)も同じく、思ふまゝに言葉を発する時は忽(タチマチ)(アラソヒ)を生ずる也、是に仍(ヨリ)て人道は、欲を押へ情を制し勤め々々て成る物なり、夫(それ)美食美服を欲するは天性の自然、是をため是を忍びて家産の分内(ブンナイ)に随はしむ、 身体(シンタイ)の安逸奢侈を願ふも又同じ、 好む処の酒を扣(ひか)へ、安逸を戒め、欲する処の美食美服を押へ、分限の内を省(ハブイ)て有余を生じ、他に譲り向来に譲るべし、是を人道といふなり

 

 

 

 五  翁曰(いわく)、夫(それ)人の賤(イヤシ)む処の畜道は天理自然の道なり、尊む処の人道は天理に順(シタガ)ふといへども 、 又作為の道にして自然にあらず、 如何となれば、雨にはぬれ日には照られ風には吹(フカ)れ、春は青草を喰(クラ)ひ秋は木の実を喰ひ、有れば飽(アク)まで喰ひ無き時は喰(くらわ)ずに居る、是(これ)自然の道にあらずして何ぞ、 居宅を作りて風雨を凌ぎ、蔵を作(ツクリ)て米粟を貯へ、衣服を製して寒暑を障(サヽ)へ、四時共に米を喰ふが如き、是(これ)作為の道にあらずして何ぞ、自然の道にあらざる明か也、夫(それ)自然の道は、万古廃(スタ)れず、作為の道は怠れば廃る、然るに其(その)人作の道を誤(アヤマツ)て、天理自然の道と思ふが故に、願ふ事成らず思ふ事叶はず、終(ツヒ)に我世は憂世なりなどゝいふに至る、夫(それ)人道は荒(クワウ)々たる原野の内、土地肥饒にして草木茂生する処を田畑となし、是には草の生ぜぬ様(ヤウ)にと願ひ、土性瘠薄(セキハク)にして草木繁茂せざる地を 秣場(マグサバ)となして、 此処(コヽ)には草の繁茂せん事を願ふが如し、是(ここ)を以て、人道は作為の道にして、自然の道にあらず、遠く隔りたる所の理を見るべきなり

 

 

 

六  翁曰、天理と人道との差別を、能(ヨク)弁別する人少し、夫(それ)人身あれば欲あるは則(スナハチ)天理なり、田畑へ草の生ずるに同じ、堤は崩れ堀は埋(ウヅマ)り橋は朽(クチ)る、是(これ)(すなわち)天理なり、然れば、人道は私欲を制するを道とし、田畑の草をさるを道とし、 堤は築立(ツキタテ)、堀はさらひ、橋は掛替(カケカヘ)るを以て道とす、此(かく)の如く、天理と人道とは格別の物なるが故に、天理は万古変ぜず、人道は一日怠れば忽ちに廃す、されば人道は勤(ツトム)るを以て尊(タフト)しとし、自然に任ずるを尊ばず、夫(それ)人道の勤むべきは、己(オノレ)に克(カツ)の教(オシヘ)なり、己は私欲也、私欲は田畑に譬(タトフ)れば草なり、克(カ)つとは、此田畑に生ずる草を取捨(トリスツ)るを云(いう)、己に克つは、 我心の田畑に生ずる草をけづり捨(ステ)、 とり捨て、我心の米麦を、繁茂さする勤(ツトメ)也、是を人道といふ、論語に、己(おのれ)に克(かち)て礼に復(カヘ)る、とあるは此(この)(ツトメ)なり

 

 

 

七 翁常に曰、人界に居て家根(やね)のもるを坐視し、道路の破損を傍観し、橋の朽(クチ)たるをも憂(ウレヘ)ざる者は、則(すなわち)人道の罪人なり     

 

 

 

八   翁曰 、 世の中に誠の大道は只一筋なり、 神(シン)といひ 儒と云(いい)仏といふ、皆同じく大道に入るべき入口の名なり、或は天台といひ真言といひ法華といひ禅と云(いう)も、同じく入口の小路の名なり、 夫(それ)何の教(オシヘ)何の宗旨といふが如きは、譬(タトヘ)ば爰(コヽ)に清水あり、此水にて藍(アイ)を解きて染(ソム)るを、紺やと云ひ、 此水にて紫をときて染(ソム)るを、 紫やといふが如し、其元は一つの清水也、 紫屋にては我(わが)紫の妙なる事、天下の反物染(そむ)る物として、紫ならざるはなしとほこり、 紺屋にては我(わが)藍の徳たる、洪大無辺也、故に一度此瓶(カメ)に入れば、物として紺とならざるはなしと云が如し、夫(それ)が為に染(ソメ)られたる紺や宗の人は、我が宗の藍より外に有難(アリガタキ)物はなしと思ひ、紫宗の者は、我宗の紫ほど尊き物はなしと云に同じ、 是皆所謂(イハユル)三界城内を、躊躇して出る事あたはざる者也、夫(それ)紫も藍も、大地に打こぼす時は、又元の如く、紫も藍も皆脱して、本然の清水に帰る也、そのごとく神儒仏を初(ハジメ)、心学性学等枚挙に暇(イトマ)あらざるも、皆大道の入口の名なり、此(この)入口幾箇(イクツ)あるも至る処は必(かならず)一の誠の道也、是を別々に道ありと思ふは迷ひ也、別々也と教(オシフ)るは邪説也、譬(タトヘ)ば不士山に登るが如し、先達に依て吉田より登るあり、須走(スバシリ)より登るあり、須山より登るあり といへども、其(その)登る処の絶頂に至れば一つ也、 斯(かく)の如くならざれば真(シン)の大道と云べからず、されども誠の道に導くと云て、誠の道に至らず、 無益(ムエキ)の枝道に引入るを、是を、邪教と云、誠の道に入らんとして、邪説に欺(アザムカ)れて枝道に入り、又自ら迷ひて邪路に陥るも、世の中少からず、慎まずばあるべからず        

 

 

 

   越後国の産(モノ)にて、笠井亀蔵と云者あり、故ありて翁の僕(ボク)たり、翁諭(サト)して曰、 汝は越後の産なり、越後は上国と聞けり、 如何(イカ)なれば上国を去(サリ)て、他国に来れるや、亀蔵曰、上国にあらず、田畑高価にして、田徳少し、江戸は大都会なれば、金を得(ウ)る容易(タヤス)からんと思ふて江戸に出づと、 翁曰、 汝過(アヤマ)てり、 夫 (それ)越後は土地沃饒(ヨクジヤウ)なるが故に、食物多し、食物多きが故に、人員多し、人員多きが故に、田畑高価なり、田畑高価なるが故に、薄利なり、然るを田徳少しと云ふ、少きにあらず、田徳の多きなり、田徳多く土徳(ドトク)尊きが故に、田畑高価なるを下国と見て生国を捨(すて)、 他邦に流浪するは、大なる過ちなり、  過ちとしらば、速(スミヤカ)にその過ちを改めて、帰国すべし、越後にひとしき上国は他に少し、然るを下國と見しは過ちなり、是を今日、暑気の時節に譬へば、蚯蚓(ミヽズ)土中の炎熱に堪兼(タヘカネ)て、土中甚(ハナハダ)熱し、土中の外に出(いで)なば涼しき処あるべし、土中に居るは愚(グ)なりと考へ、地上に出(いで)て照り付られ死するに同じ、夫(それ)蚯蚓は土中に居るべき性質にして、土中に居るが天の分なり、 然れば何程熱(アツ)しとも、外を願はず、我本性に随ひ、土中に潜みさへすれば無事安穏なるに、 心得違ひして、地上に出(いで)たるが運のつき、迷(マヨヒ)より禍を招きしなり、 夫(それ)  汝もその如く、越後の上国に生れ、 田徳少し、 江戸に出(いで)なば、 金を得る事いと易からんと、思ひ違ひ、自国を捨(すて)たるが迷の元にして、みづから災を招きしなり、 然れば、今日過ちを改めて速(スミヤカ)に国に帰り、小を積んで大をなすの道を、勤(ツトム)るの外あるべからず、心誠に爰(コヽ)に至らば、おのづから、安堵の地を得る必定なり、 猶(ナホ)(まよい)て江戸に流浪せば、詰(ツマ)りは蚯蚓の、土中をはなれて地上に出(いで)たると同じかるべし、 能(よく)此理を悟り過を悔ひ能(よく)改めて、安堵の地を求めよ、 然らざれば今千金を与ふるとも、無益なるべし、我(わが)言ふ所必ず違(タガ)はじ           

 

 

 

 一〇   翁曰、 親の子における、農の田畑に於る、我道に同じ、 親の子を育(ソダツ)る無頼(ブライ)となるといへども、養育料を如何せん、農の田を作る、凶歳なれば、肥代(コヤシダイ)も仕付料も皆損なり、夫(それ)此道を行はんと欲する者は此理を弁(ワキマ)ふべし、吾始(ハジメ)て、小田原より下野(シモツケ)の物井の陣屋に至る、己が家を潰して、四千石の興復一途(いちず)に身を委(ユダ)ねたり、是則(これすなわち)此道理に基けるなり、 夫(それ)(シヤク)氏は、生者必滅(セウシヤヒツメツ)の理を悟り、 此理を拡充して自ら家を捨(ステ)、妻子を捨て、今日の如き道を弘めたり、只此一理を悟るのみ、夫(それ)人、生れ出(いで)たる以上は死する事のあるは必定(ひつじょう)なり、長生といへども、百年を越(コユ)るは稀なり、限りのしれたる事なり、 夭(ワカジニ)と云(いう)も寿(ナガイキ)と云(いう)も、 実は毛弗の論なり、譬(タトヘ)ば蝋燭に大中小あるに同じ、 大蝋といへども、火の付(つき)たる以上は四時間か五時間なるべし、 然れば人と生れ出(いで)たるうへは、必(かならズ)死する物と覚悟する時は、一日活(イキ)れば則(すなわち)一日の儲(マフケ)、一年活(イキ)れば一年の益也、故に本来我身もなき物、我家もなき物と覚悟すれば跡は百事百般皆儲なり、予が歌に「かりの身を元のあるじに貸渡し民安かれと願ふ此身ぞ」、 夫(それ)此世は、 我(われ)(ひと)ともに僅(ハツカ)の間の仮の世なれば、 此身は、かりの身なる事明らかなり、 元のあるじとは天を云(いう)、このかりの身を我身と思はず、生涯一途(ヅ)に世のため人のためのみを思ひ、 国のため天下の爲に益ある事のみを勤め、一人たりとも一家たりとも一村たりとも、困窮を免(マヌカ)れ富有になり、土地開け道(ミチ)(ハシ)整ひ安穏に渡世の出来るやうにと、夫(それ)のみを日々の勤とし、朝夕願ひ祈りて、おこたらざる我(わが)此身である、といふ心にてよめる也、是(コレ)(ワレ)畢生(ヒツセイ)の覚悟なり、我道(ワガミチ)を行はんと思ふ者はしらずんばあるべからず    
      * 
生者必滅(セウシヤヒツメツ) 
                             = 「
セウシヤヒツメツ」 は, 普通しょうじゃひつめつ」と濁って読んでいる。   
        
 * 毛弗 = わずかな違い。 

 

 

 

 一一  儒学者あり、曰、孟子は易(ヤス)し中庸は難(カタ)しと、翁曰(いわく)、予(ワレ)文字上の事はしらずといへども、 是(これ)を実地正業に移して考ふる時は、孟子は難し中庸は易し、いかんとなれば、夫(それ) 孟子の時道行れず、異端の説盛んなり、 故に其(その)弁明を勤めて道を開(ヒラキ)しのみ、故に仁義を説(トイ)て仁義に遠し、卿等(キミタチ)孟子を易しとし孟子を好むは、己が心に合ふが故なり、 卿等(ケイラ)が学問するの心、仁義を行(おこなわ)んが為に学ぶにあらず、 道を蹈(フマ)んが為に修行せしにあらず、 只書物上の議論に勝(カチ)さへすれば、夫(それ)にて学問の道は足れりとせり、議論達者にして人を言伏(イヒフ)すれば、夫(それ)にて儒者の勤めは立(たつ)と思へり、夫(それ)聖人の道、豈(アニ)然る物ならんや、聖人の道は仁を勤(ツトム)るにあり、五倫五常を行ふにあり、何ぞ弁を以て人に勝つを道とせんや、 人を言伏するを以て勤(ツトメ)とせんや、 孟子は則(スナハチ)(コレ)なり、此(かく)の如きを聖人の道とする時は甚だ難道也、容易になし難し、故に孟子は難しといふ也、夫(それ)中庸は通常平易の道にして、 一歩より二歩三歩とゆくが如く、近きより遠きに及び、卑(ヒキヽ)より高きに登り、小より大に至るの道にして、誠に行ひ易し、 譬へば百石の身代の者、勤倹を勤め五十石にて暮し、五十石を譲りて国益を勤(ツトム)るは、誠に行ひ易し、愚夫愚婦にも出来ざる事なし、此道を行へば、学ばずして、仁なり義なり忠なり孝なり、 神の道、聖人の道、 一挙にして行はるべし、至て行ひ易き道なり、 故に中庸といひしなり、予(われ)人に教ふるに、吾道(わがみち)は分限を守るを以て本とし、分内を譲るを以て仁となすと教ゆ、豈(アニ)中庸にして行ひ易き道にあらずや    

 

 

   

 一二     翁曰(いわく)、道の行はるるや難(カタ)し、道の行れざるや久し、その才ありといへども、その力なき時は行はれず、其才その力ありといへども、其徳なければ又行れず、其徳ありといへども、その位(くらい)なき時は又行れず、然れども是は是大道を国天下に行ふの事なり、 その難き勿論なり、 然れば何ぞ此人なきを憂へんや、何ぞ其位(クラヰ)なきを憂(ウレヘ)んや、茄子(ナス)をならするは茄子作り能(ヨク)すべし、馬を肥(コヤ)すは馬士(マゴ)(よく)すべし、一家を斉(トヽノ)ふるは亭主能(よく)すべし、 或(アルイ)は兄弟親戚 相結んで行ひ、或は朋友同志相結んで行ふべし、人々此道を尽し、家々此道を行ひ、村々此道を行はヾ、豈(アニ)国家興復せざる事あらんや      

 

 

 

一三   翁曰(いわく)、世の中に事なしといへども、変なき事あたはず、是(これ)恐るべきの第一なり、 変ありといへども、是を補ふの道あれば、変なきが如し、変ありて是を補ふ事あたはざれば、大変に至る、古語に、三年の貯蓄(タクハヘ)なければ国にあらず、と云(いえ)り、兵隊ありといへども、武具軍用備らざればすべきやうなし、只国のみにあらず、家も又然り、 夫(それ)(ヨロヅ)の事有余(ユフヨ)(ナケ)れば、必(かならず)差支へ出来(いでき)て家を保つ事能はず、然るをいはんや、国天下をや、人は云ふ、我が教(オシヘ)、倹約を専らにすと、倹約を専らとするにあらず、変に備(ソナヘ)んが爲なり、人は云ふ、我道、積財を勤むと、積財を勤(つとむ)るにあらず、世を救ひ世を開かんが爲なり、 古語に、 飲食を薄うして 孝を鬼神(キジン)に致し、衣服を悪(アシ)うして美を黻冕(フツベン)に致し、宮室を卑(イヤシウ)して力を溝洫(コウイキ<ママ>)に尽すと、 能々(よくよく)此理を玩味せば、吝(リン)か倹か弁を待(また)ずして明かなるべし  
     * 黻冕(フツベン)=礼服の、ひざかけとかんむり。   * 溝洫(コウイキ)=「コウイキ」と
    あるが、漢和辞典によれば、「コウキョク」である。田間のみぞ。<ママ>は引用者が
         付けたもの。  ここに「古語」とあるのは、 『論語』(泰伯篇)にある孔子の言葉。

 

 

 

一四 翁曰(いわく)、大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし、小積りて大となればなり、凡(およそ)小人の常、大なる事を欲して、小さなる事を怠り、出来難き事を憂ひて、 出来易き事を勤めず、夫故(それゆえ)、 終(つい)に大なる事をなす事あたはず、 夫(それ) 大は小の積んで大となる事を知らぬ故なり、 譬(タトヘ)ば 百万石の米と雖(イヘド)も、粒の大なるにあらず、万町の田を耕すも、其(その)(ワザ)は一鍬づゝの功にあり、千里の道も一歩づゝ歩みて至る、山を作るも一簣(ひトモツコ)の土よりなる事を明かに弁へて、励精(レイセイ)小さなる事を勤めば、 大なる事必(かならず)なるべし、 小さなる事を忽(ユルガセ)にする者、大なる事は必(カナラズ)出来ぬものなり   

 

 

 

一五   翁曰、万巻の書物ありといへども、無学の者に詮(セン)なし、隣家に金貸しありといへども、我に借(カ)る力なきを如何せん、向ひに米屋ありといへども、銭なければ買ふ事はならぬ也、されば書物を読(ヨマ)んと思はゞ、いろはより習ひ初(はじ)むべし、家を興さんと思はゞ、小より積(ツミ)初むべし、此外に術はあらざるなり   

 

 

 

 一六    翁曰、多く稼いで、銭を少く遣(ツカ)ひ、多く薪(タキヾ)を取(トツ)て焚く事は少くする、是を富国の大本、富国の達道といふ、然(シカ)るを世の人是(これ)を吝嗇(リンシヨク)といひ、又強欲と云、是(これ)心得違ひなり、夫それ)人道は自然に反して、勤めて立つ処の道なれば貯蓄を尊(タフト)ぶが故なり、夫それ)貯蓄は今年の物を来年に譲る、一つの譲道なり、親の身代を子に譲るも、則(すなわち)貯蓄の法に基(モトヒ)する物なり、人道は言ひもてゆけば貯蓄の一法のみ、故に是を富国の大本、富国の達道と云(いう)なり   

 

 

 

一七  翁曰、米は多く蔵につんで少しづゝ炊き、薪(タキヾ)は多く小屋に積んで焚く事は成る丈少くし、衣服は着らるるやうに扱(コシ)らへて、なる丈着ずして仕舞ひおくこそ、家を富(とま)すの術なれ、則(すなわち)国家経済の根元なり、天下を富有にするの大道も、其実この外にはあらぬなり        

 

 

 

一八  翁宇津氏の邸内に寓す、邸内稲荷(イナリ)社の祭礼(マツリ)に大神楽(カグラ)来りて、建物の戯芸(ギゲイ)をせり、翁是を見て曰、凡(およそ)事此術の如くなさば、 百事成らざる事あらざるべし、  其場に出(いず)るや少しも噪(サワ)がず、 先(まず)体を定めて、両眼を見澄(スマ)して、棹の先に注(チウ)し、脇目も触(フ)らず、一心に見詰め、器械の動揺を心と腰に受け、手は笛を吹き扇を取て舞ひ、足は三番叟(さんバサウ)の拍子を蹈(フム)といへども、  其(その)ゆがみを見留(ミトメ)て腰にて差引す、其術(ジユツ)至れり尽(ツク)せり、手は舞ふといへども、手のみにして体に及ばず、足は蹈(フム)といへども、足のみにして腰に及ばず、舞ふも躍るも両眼は急度(キツト)見詰め、心を鎮め、体(タイ)を定めたる事、大学論語の真理、聖人の秘訣、此一曲の中に備(ソナハ)れり、然るを之を見る者、聖人の道と懸隔すと見て、此大神楽の術(ジユツ)を賤しむ、儒生の如き、何ぞ国家の用に立(タヽ)んや、嗚呼(アヽ)術は恐るべし、綱渡りが綱の上に起臥して落(おち)ざるも又、之に同じ、能(よく)思ふべき事なり 

 

 

 

一九   翁曰、松明(タイマツ)(ツキ)て、手に火の近付(ちかづく)時は速(スミヤカ)に捨(スツ)べし、火事あり、危(アヤウ)き時は荷物は捨(ステ)て逃出べし、大風にて船くつがへらんとせば、上荷を刎(ハヌ)べし、甚しき時は帆柱をも伐るべし、此理を知らざるを至愚といふ    

 

 

 

 二〇  川久保民次郎と云者あり、翁の親戚なれども、貧にして翁の僕(ボク)たり、国に帰らんとして暇(イトマ)を乞ふ、翁曰、夫(それ)空腹なる時、他にゆきて一飯をたまはれ、予庭をはかんと云とも、決して一飯を振舞ふ者あるべからず、空腹をこらへて、まづ庭をはかば或は一飯にありつく事あるべし、是(コレ)己を捨(ステ)て人に随ふの道にして、百事行はれ難き時に立至るも、行はるべき道なり、 我若年初(ハジメ)て家を持(もち)し時、一枚の鍬(クワ)損じたり、隣家に行(ゆき)て鍬をかし呉(クレ)よといふ、隣翁曰、今此畑を耕し菜を蒔かんとする処なり、蒔終らざれば貸し難しといへり、我家に帰るも別に為すべき業(ワザ)なし、予此畑を耕して進ずべしと云て耕し、菜の種を出されよ、序(ツイデ)に蒔(マキ)て進ぜんと云て、耕し且蒔て、後に鍬をかりし事あり、隣翁曰、鍬に限らず何にても差支(サシツカヘ)の事あらば、遠慮なく申されよ、必(カナラズ)用達べしといへる事ありき、斯(カク)の如くすれば、百事差支なきものなり、汝国に帰り、新(アラタ)に一家を持たば、必(カナラズ)此心得あるべし、夫(それ)汝未(いまダ)壮年なり、 終夜(ヨモスガラ)いねざるも障(サハ)りなかるべし、 夜々寝る暇(ヒマ)を励(ハゲマ)し勤(ツトメ)て、草鞋(ワラジ)壱足或は二足を作り、 明日開拓場に持出し、草鞋の切れ破れたる者に与(アタヘ)んに、受(ウク)る人礼せずといへども、 元寝る暇(ヒマ)にて作りたるなれば其分なり、 礼を云人あれば、夫丈(ソレダ)けの徳なり、又一銭半銭を以て応ずる者あれば是又夫丈の益なり、能(よく)此理を感銘し、連日おこたらずば、何ぞ志の貫かざる理あらんや、何事か成ざるの理あらんや、われ幼少の時の勤(ツトメ)此外にあらず、肝に銘じて忘るべからず、又損料を出して、差支の物品を用弁するを甚(ハナハダ)損なりと云人あれど、しからず、夫(それ)は事足る人の上の事なり、新(アラタ)に一家を持つ時は百事差支へあり、皆損料にて用弁すべし、世に損料ほど弁理なる物はなし、且(カツ)安き物はなし、決して損料を高き物、損なる物とおもふ事なかれ

 

 

 

二一  年若きもの数名居れり、翁諭して曰、世の中の人を見よ、一銭の柿を買ふにも、 二銭の梨子(ナシ)を買ふにも、 真頭(シントウ)の 真直(マスグ)なる 瑕(キヅ)のなきを撰(エ)りて取るにあらずや、又茶碗を一つ買ふにも、色の好き形の宜(ヨ)きを撰り撫(ナデ)て見、 鳴(ナラ)して音を聞き、撰りに撰りてとるなり、世人皆然り、柿や梨子は買ふといへども、悪(ア)しくば捨(ステ)て可なり、夫(それ)さへも此(かく)の如し、 然れば人に撰(えらば)れて、聟となり嫁となる者、或は仕官して立身を願ふ者、己が身に瑕ありては人の取らぬは勿論の事、その瑕多き身を以て、上に得られねば、上に眼がなひなどゝ、上を悪(アシ)くいひ、人を咎(トガム)るは大なる間違ひなり、 みづからかへり見よ、必(かならず)おのが身に瑕ある故なるべし、  夫(それ)人身の瑕とは何ぞ、 譬(タトヘ)ば酒が好(すき)だとか、酒の上が悪ひとか、放蕩だとか、 勝負事が好きだとか、 惰弱だとか、無芸(ムゲイ)だとか、何か一つ二つの瑕あるべし、買手のなき勿論なり、是を、柿梨子に譬(タトフ)れば真頭(シントウ)が曲りて渋そふに見ゆるに同じ、されば人の買(カハ)ぬも無理ならず、能(よく)勘考すべきなり、古語に、内に誠あれば必(かならず)外に顕(アラ)はるゝ、とあり、瑕なくして真頭の真直(マスグ)なる柿の売れぬと云事、あるべからず、夫(それ)何ほど草深き中にても薯蕷(ヤマイモ)があれば、人が直(スグ)に見付て捨(ステ)てはおかず、又泥深き水中に潜伏する鰻(ウナギ)(ドジヨウ)も、必(かならず)人の見付て捕へる世の中也、されば内に誠有て、外にあらはれぬ道理あるべからず、此道理を能(よく)心得、身に瑕のなき様に心がくべし   

 

 

 

二二  翁曰、 山芋掘は、山芋の蔓(ツル)を見て芋の善悪(ヨシアシ)を知り、 鰻(ウナギ)釣りは、泥土の様子を見て鰻の居る居らざるを知り、 良農(リヨウノウ)は草の色を見て土の肥痩(コヘヤセ)を知る、みな同じ、所謂(イハユル)至誠神の如しと云物にして、永年刻苦経験して、発明するものなり、技芸に此事多し、侮るべからず  

 

 

 

二三   翁多田某に謂(いい)て曰(いわく)、我(ワレ)東照神君の御遺訓と云(いう)物を見しに、曰、我敵国に生れて、只父祖の仇(アダ)を報ぜん事の願ひのみなりき、 祐誉(ユウヨ)が教(オシヘ)に依(ヨリ)て、国を安んじ民を救ふの、天理なる事を知(しり)てより、今日に至れり、子孫長く此志を継ぐべし、若(もし)相背くに於ては、我(ワガ)子孫にあらず、民は是(これ)国の本なればなりとあり、然(シカレ)ば其許(ソノモト)が、遺言すべき処は、我過(アヤマチ)て新金銀引替御用を勤め、自然増長して驕奢に流れ、御用の種金(タネきん)を遣(ツカ)ひ込み大借に陥り、身代破滅に及ぶべき処、報徳の方法に因(ヨツ)て、莫大の恩恵を受け、 此(かく)の如く安穏に相続する事を得たり、此報恩には、子孫代々驕奢安逸を厳に禁じ、節倹を尽し身代の半(ナカバ)を推譲(オシユヅ)り、世益を心掛け、貧を救ひ、村里を富(トマ)す事を勤むべし、若(もし)此遺言に背く者は、子孫たりといへども、子孫にあらざる故、 速(スミヤカ)に放逐すべし、 婿嫁は速に離縁すべし、我(わガ)家株(カカブ)田畑は、本来報徳法方<ママ>の物なれば也と子孫に遺物(ユイゲン)せば、神君の思召と同一にして、孝なり忠なり仁なり義なり、其子孫、徳川氏の二代公三代公の如く、その遺言を守らば、其(その)功業量るべからず、汝が家の繁昌長久も、又限りあるべからず、能々(よくよく)思考せよ
   
 * 報徳法方<ママ>=<ママ>は引用者が付けたものである。

 

 

 

二四  翁曰、農にても商にても、富家(フカ)の子弟は、業(ギヤウ)として勤むべき事なし、貧家の者は活計の為に、勤めざるを得ず、且(かつ)富を願(ネガ)ふが故に、自ら勉強す、富家の子弟は、譬(タトヘ)ば山の絶頂に居るが如く、登るべき処なく、前後左右皆(みな)眼下なり、是に依て分外の願を起し、士の真似をし、大名の真似をし、増長に増長して、終(ツイ)に滅亡す、天下の富者皆然り、 爰(ココ)に長く富貴を維持し、富貴を保つべきは、只我道(わがみち)推譲の教(オシヘ)あるのみ、富家の子弟、此推譲の道を蹈(フマ)ざれば、千百万の金ありといへども、馬糞茸(バフンダケ)と何ぞ異らん、夫(それ)馬糞茸は季候に依て生じ、幾程もなく腐廃し、世上の用にならず、只徒(イタヅ)らに生じて、徒らに滅するのみ、世に富家と呼ばるゝ者にして、如斯(かくのごとく)なる、豈(アニ)惜しき事ならずや

 

 

 

二五  翁曰、百事決定(ケツジヤウ)と注意とを肝要とす、如何となれば、何事によらず、百事決定と注意とによりて、事はなる物なり、小事たりといへども、決定する事なく、注意する事なければ、百事悉(コトゴト)く破る、夫(それ)一年は十二ヶ月也、然して月々に米実法(ミノ)るにあらず、只初冬一ヶ月のみ米実法りて、十二月米を喰(クラ)ふは、人々しか決定して、しか注意するによる、是によりて是を見れば、二年に一度、三年に一度実法(みの)るとも、人々其通り決定して注意せば、決して差支(サシツカヘ)あるべからず、 凡(およそ)物の不足は、皆覚悟せざる処に出(いず)るなり、されば人々平日の暮し方、大凡(おおよそ)此位の事にすれば、年末に至て余るべしとか、不足すべしとか、しれざる事はなかるべし、是に心付(づか)ず、うかうかと暮して、大晦日に至り始(はじめ)て驚くは、愚の至り不注意の極(キハマリ)なり、ある飯焚(メシタキ)女が曰(いわく)、一日に一度づゝ米櫃の米をかき平均(ナラ)して見る時は、米の俄(ニハカ)に不足すると云事、決してなしといへり、是(これ)飯焚女のよき注意なり、此(この)米櫃をならして見るは、則(すなわち)一家の店卸(タナオロ)しに同じ、能々(よくよく)決定して注意すべし  

 

 

 

二六   翁曰、善悪の論甚(ハナハダ)むづかし、本来を論ずれば、善も無し悪もなし、善と云(いい)て分つ故に、悪と云物出来るなり、  元(もと)人身の私(ワタクシ)より成れる物にて、人道上の物なり、故に人なければ善悪なし、人ありて後に善悪はある也、故に人は荒蕪(アレチ)を開くを善とし、田畑を荒すを悪となせども、(イ)鹿(シカ)の方にては、 開拓を悪とし荒すを善とするなるべし、 世法盗(ヌスビト)を悪とすれども、盗中間(なかま)にては、盗を善とし是を制する者を悪とするならん、然(シカ)れば、如何なる物是(これ)善ぞ、如何なる物是(これ)悪ぞ、此理明弁し難し、此理の尤(モツトモ)見安きは遠近なり、遠近と云(いう)も善悪と云も理は同じ、譬(タトヘ)ば杭(クヒ)二本を作り、一本には遠(トホシ)と記し一本には近(チカシ)と記し、此二本を渡して、此杭を汝が身より遠き所と近き所と、二所に立(たつ)べしと云付(いいつく)る時は、速(スミヤカ)に分る也、予が歌に「見渡せば遠き近きはなかりけりおのれおのれが住処(スミド)にぞある」と、此歌善きもあしきもなかりけりといふ時は、人身に切なる故に分らず、遠近は人身に切ならざるが故によく分る也、工事に曲直を望むも、余り目に近過る時は見えぬ物也、さりとて遠過ても又眼力及ばぬ物なり、 古語に、遠山(トホキヤマ)木なし、遠海(トホキウミ)波なし、といへるが如し、故に我身に疎き遠近に移して諭す也、夫(それ)遠近は己が居処(ヰドコロ)(まず)定りて後に遠近ある也、居処定らざれば遠近必(かならず)なし、大坂遠しといはゞ関東の人なるべし、関東遠しといはゞ上方の人なるべし、禍福吉凶是非得失皆(みな)(これ)に同じ、禍福も一つなり、善悪も一つなり、得失も一つ也、元一つなる物の半(ナカバ)を善とすれば、其半は必(かならず)悪也、然るに其半に悪なからむ事を願ふ、是(これ)成難き事を願ふなり、夫(それ)人生れたるを喜べば、死の悲しみは随(シタガヒ)て離れず、咲(サキ)たる花の必(かならず)ちるに同じ、生じたる草の必(かならず)枯るゝにおなじ、 涅槃経(ネハンギヤウ)に此(この)(タトヘ)あり、 或人の家に容貌(カホカタチ)美麗(ウルハシク) 端正なる婦人 入り来(きた)る、 主人如何なる御人ぞと問(とう)、婦人答て曰、我は功徳天(クドクてん)なり、我至る所、吉祥(キツシヤウ)福徳(フクトクく)無量なり、主人悦んで請(シヤウ)じ入る、 婦人曰、我に随従の婦一人あり、必(かならず)跡より来る、是をも請ずべしと、主人諾(ダク)す、時に一女来る、容貌(カホカタチ)醜陋(シウロウ)にして至て見悪(ニク)し、如何なる人ぞと問、此女答て曰、我は黒闇天(コクアンてん)なり、我至る処、 不詳<ママ>災害ある無限なりと、 主人是を聞(きき)大に怒(イカ)り、速(スミヤカ)に帰り去れといへば、此女曰、 前に来れる功徳天は我(わが)姉なり、暫くも離(ハナル)る事あたはず、 姉を止(トド)めば我をも止(とど)めよ、我をいださば姉をも出(いだ)せと云、 主人暫く考へて、二人ともに出(いだ)しやりければ、二人連れ立(だち)て出(いで)行きけり、と云事ありと聞けり、是(これ)生者必滅会者定離(えしゃジヤウリ)の譬(タトヘ)なり、死生は勿論、禍福吉凶損益得失皆同じ、元(もと)禍と福と同体にして一円なり、吉と凶と兄弟にして一円也、百事皆同じ、只今も其通り、通勤する時は近くてよいといひ、火事だと云(いう)と遠くてよかりしと云也、是を以てしるべし
    *
不詳<ママ><ママ>は引用者が付けたものです。

 

 

 

 

二七 禍福二つあるにあらず、元来一つなり、近く譬ふれば、庖丁を以て茄子(なす)を切り大根を切る時は、福なり、 若(もし)指を切る時は、 禍(ワザハイ)なり、只柄(え)を持て物を切ると、誤(アヤマツ)て指を切るとの違(タガヒ)のみ、夫(それ)柄のみありて刃無ければ、庖丁にあらず、刃ありて柄無ければ、又用をなさず、柄あり刃ありて庖丁なり、柄あり刃あるは庖丁の常なり、然して指を切る時は禍とし、菜を切る時は福とす、されば禍福と云も私物にあらずや、水もまた然り、畦(アゼ)を立(たて)て引(ヒケ)ば、田地を肥(コヤ)して福なり、畦なくして引(ひく)ときは、肥(コヘ)土流れて田地やせ、其禍たるや云べからず、只畦有(ある)と畦なきとの違のみ、元同一水にして、畦あれば福(サイハイ)となり、畦なければ禍(ワザハイ)となる、富は人の欲する処なり、然りといへども、己が爲にするときは禍是に随ひ、世の為にする時は福是に随ふ、財宝も又然り、積(ツン)で散(サン)ずれば福となり、積で散ぜざれば禍となる、是人々知らずんばあるべからざる道理なり

 

 

 

二八  翁曰、 何事にも変通といふ事あり、しらずんばあるべからず、則権道(ケンどう)なり、夫(それ)難きを先にするは、聖人の教なれども、是は先仕事を先にして、而して後に賃金を取れと云が如き教なり、爰(ここ)に農家病人等ありて、耕(タガヤシ)(クサギリ)手後れなどの時、草多き処を先にするは世上の常なれど、右様の時に限りて、草少く至(いたっ)て手易き畑より手入して、至て草多き処は、最後にすべし、是尤も大切の事なり、至て草多く手重(テヲモ)の処を先にする時は、大に手間取れ、其間に草少き畑も、皆一面草になりて、何(イヅ)れも手後れになる物なれば、草多く手重き畑は、五畝や八畝は荒すとも侭(マヽ)よと覚悟して暫く捨置(ステオキ)、草少く手軽なる処より片付(カタヅク)べし、しかせずして手重き処に掛り、時日を費す時は、僅の畝歩の為に、惣体の田畑、順々手入れ後れて、大なる損となるなり、国家を興復するも又此理なり、しらずんばあるべからず、又山林を開拓するに、大なる木の根は、其侭差置て、回りを切り開くべし、而して三四年を経れば、木の根自(オノヅカ)ら朽(クチ)て力を入(いれ)ずして取るゝなり、是を開拓の時一時に掘取らんとする時は労して功少し、百事その如し、村里を興復せんとすれば、必(かならず)抗する者あり、是を処する又此理なり、決して拘(カヽハ)るべからず障(サワ)るべからず、度外に置(オキ)てわが勤を励むべし

 

 

 

二九 翁曰、今日は則冬至なり、夜の長き則天命なり、夜の長きを憂ひて、短くせんと欲(ホリ)すとも、如何ともすべなし、 是を天と云、而して此行灯(アンドン)の皿に、油の一杯ある、是も又天命なり、此一皿の油、此夜の長(ナガキ)を照すにたらず、是又如何ともすべからず、共に天命なれども、人事を以て、灯心を細くする時は、夜半にして消(キユ)べき灯(トモシビ)も、暁に達すべし、是人事の尽(ツク)さゞるべからざる所以なり、譬ば伊勢詣(いせマウデ)する者東京(エド)より伊勢まで、まづ百里として路用拾円なれば、上下廿日として、一日五十銭に当る、是則天命なり、然るを一日に六十銭づゝ遣(ツカ)ふ時は、二円の不足を生ず、是を四十銭づゝ遣ふ時は二円の有余を生ず、是人事を以て天命を伸縮すべき道理の譬(タトヘ)也、夫此世界は自転運動の世界なれば、決して一所に止らず、 人事の勤惰に仍て、天命も伸縮すべし、たとへば今朝焚(タク)べき薪(タキヾ)なきは、是天命なれども、明朝取来れば則あり、今水桶に水の無きも、則差当(サシアタリ)て天命なり、されども汲(クミ)来れば則あり、百事此道理なり

 

 

 

三〇  翁常陸国青木村のために、力を尽されし事は、予が兄大沢勇助が、烏山藩の菅谷某と謀りて、起草し、小田某に托し、漢文にせし、青木村興復起事の通りなれば、今贅(ゼイ)せず、扠(サテ)年を経て翁其近村灰塚(ハイツカ)村の、興復方法を扱れし時、青木村、旧年の報恩の爲にとて、冥加(ミヤウガ)人足と唱へ、毎戸一人づゝ、無賃にて勤む、翁是を検(ケン)して、後に曰、今日来り勤る処の人夫、過半二三男の輩(トモガラ)にして、我往年厚く撫育せし者にあらず、是表に報恩の道を飾るといへども、内情如何(イカン)を知るべからず、されば我此冥加人足を出(いだ)せしを悦ばずと、青木村地頭の用人某(ソレガシ)、是を聞(キヽ)て我能(ヨク)説諭せんと云、翁是を止(トヾ)めて曰、是(これ)道にあらず、縦令(タトヒ)内情如何(イカ)にありとも、彼旧恩を報いん爲とて、無賃にて数十人の人夫を出(いだ)せり、内情の如何を置(オイ)て、称せずばあるべからず、且(かつ)(ウスキ)に応ずるには厚(アツキ)を以てすべし、是則道なりとて人夫を招き、旧恩の冥加として、遠路出来(いできた)り、無賃にて我業を助くる、其(その)奇特(キトク)を懇(コン)々賞し、且(カツ)謝し過分の賃金を投与して、帰村を命ぜらる、 一日を隔(ヘダテ)て村民老若を分たず、皆未明より出来(いでき)て、終日休せずして働き賃金を辞して去る、翁又金若干(ソコバク)を贈られたり

 

 

 

三一  翁曰、一言を聞ても人の勤惰は分る者なり、東京(エド)は水さへ銭が出ると云は、懶惰(ランダ)者なり、水を売(ウリ)ても銭が取れるといふは勉強人なり、夜は未だ九時なるに十時だと云者は、寝たがる奴(ヤツ)なり、未だ九時前也と云は、勉強心のある奴なり、すべての事、下に目を付け、下に比較(ヒカウ)する者は、必下り向の懶惰者也、たとへば碁を打て遊ぶは酒を飲(ノム)よりよろし、酒を呑むは博奕よりよろしと云が如し、上に目を付け上に比較(ヒカウ)する者は、必上り向なり、古語に、一言以て知とし一言以て不知とす、とあり、うべなるかな

 

 

 

三二  翁曰、聖人も聖人にならむとて、聖人になりたるにはあらず、日々夜々天理に随ひ人道を尽して行ふを、他より称して聖人といひしなり、堯舜も一心不乱に、親に仕へ人を憐み、国の為に尽せしのみ、然るを他より其徳を称して聖人といへるなり、諺に、聖人々々といふは誰(タ)が事と思ひしに、おらが隣の丘(キウ)が事か、といへる事あり、 誠にさる事なり、 我昔鳩ヶ谷駅を過し時、同駅にて不士講に名高き三志と云者あれば尋(タヅネ)しに、三志といひては誰(タレ)もしるものなし、能々(よくよく)問尋(といタヅネ)しかば、夫(それ)は横町の手習師匠の庄兵衛が事なるべし、といひし事ありき、是におなじ

 

 

 

三三 下館侯の宝蔵(ハウザウ)火災ありて、重宝(ジユウハウ)天国(アマクニ)の剣(ツルギ)焼けたり、官吏城下の富商中村某(ソレガシ)に謂(イツ)て曰、如其(カク)焼けたりといへども、当家第一の宝物なり、能(よく)研ぎて白鞘(しらサヤ)にし、蔵に納め置(オカ)んと評議せり、如何(イカン)、中村某焼(ヤケ)たる剣(ケン)を見て曰、尤の論なれど無益なり、例令(タトヒ)此剣(ケン)(ヤケ)ずとも、如此(かく)細し、何の用にか立(たた)ん、然る上に如此(かく)(やけ)たるを、今研ぎて何の用にかせん、此侭にて仕舞置べしと云り、 翁声を励(ハゲマ)して曰、 汝大家の子孫に産(ウマ)れ、 祖先の余光に因りて格式を賜り、 人の上に立ちて人に敬せらるゝ、汝にして、右様の事を申すは、大なる過ちなり、汝が人に敬せらるゝは、太平の恩沢なり、今は太平なり、何ぞ剣の用に立(たつ)と立(タヽ)ざるとを論ずる時ならんや、夫(それ)汝自ら省(カヘ)り見よ、汝が身用に立つ者と思ふか、汝はこの天国の焼剣(ヤケミ)と同じく、実は用に立つ者にあらず、只先祖の積徳と、家柄と格式とに仍て、用立(タツ)者の如くに見え、人にも敬せらるゝなり、焼身(ヤケミ)にても細身にても重宝と尊むは、太平の恩沢此剣(ケン)の幸福なり、汝を中村氏と人々敬するは、是又太平の恩徳と先祖の余蔭(ヨイン)なり、 用立(タツ)、用立(タヽ)ざるを論ぜば、汝が如きは捨(ステ)て可なり、仮令(タトヒ)用立(タヽ)ずとも、 当家御先祖の重宝(ジユウハウ)、古代の遺物、是を大切にするは、太平の今日至当の理(リ)なり、我は此剣(ケン)の為に云にあらず、汝がために云なり、能々(よくよく)沈思せよ、往時水府公、寺社の梵鐘(ツリガネ)を取上げて、大砲に鋳(ヰ)替へ玉ひし事あり、 予此時にも、 御処置悪(アシ)きにはあらねども、未だ太平なれば甚(ハナハダ)早し、太平には鐘や手水鉢(テミヅバチ)を鋳て、社寺に納めて、太平を祈らすべし、 事あらば速(スミヤカ)に取て大砲となす、誰(タレ)か異議を云ん、 社寺ともに悦んで捧ぐべし、 斯(カク)して国は保つべきなり、若(モシ)敵を見て大砲を造る、所謂(イハユル)(ヌスビト)を捕へて縄を索(ナ)ふが如しと云んか、然りといへども尋常の敵を防ぐべき備へは、今日足れり、其敵の容易ならざるを見て、我(ワガ)領内の鐘を取て大砲に鋳る、何ぞ遅からんや、 此時日もなき程ならば、大砲ありといへども、必(かならず)防ぐ事あたはざるべし、と云し事ありき、何ぞ太平の時に、乱世の如き論を出(イダ)さんや、斯の如く用立(たた)ざる焼身をも宝とす、況(イハン)や用立べき剣に於てをや、然らば自然宜敷(よろしき)(ケン)も出来(イデキ)たらん、されば能(よく)研ぎあげて白鞘(シラサヤ)にし、元の如く、腹紗(フクサ)に包み二重の箱に納めて、重宝とすべし、是汝に帯刀を許し格式を与ふるに同じ、能々(よくよく)心得べしと、中村某叩頭(コウトウ)して謝す、時九月なり、翌朝(ヨクテウ)中村氏発句(ホツク)を作りて或人に示す、其句「じりじりと照りつけられて実法(ミノ)る秋」と、ある人是を翁に呈す、翁見て悦喜(エツキ)限りなし、曰、我昨夜中村を教戒す、定めて不快の念あらんか、怒気内心に満(ミタ)んかと、ひそかに案じたり、然れども家柄と大家とに懼(オソ)れ、おもねる者のみなれば、しらずしらず増長して、終に家を保つ事覚束(オボツカ)なしと思ひたれば、止むを得ず厳に教戒せるなり、然るに怒気を貯へず、 不快の念もなく、 虚心平気に此句を作る、 其器量按外にして、大度見えたり、此家の主人たるに恥(ハヂ)ず、此家の維持疑ひなし、古語に、 我を非として当る者は我師也とあり、 且大禹(タイウ)は善言を拝すともあり、汝等も肝銘(カンメイ)せよ、夫(それ)富家(フカ)の主人は、何を言ても御尤御尤と錆付(サビツク)者のみにて、礪(ト)に出合て研ぎ磨かるゝ事なき故、慢心生ずる也、 譬(タトヘ)ば、 爰(コヽ)に正宗の刀ありといへども、 研ぐ事なく磨く事なく、錆付(サビツク)物とのみ一処におかば、忽(タチマチ)腐れて紙も切れざるに至るべし、其如く、三味線(サミセン)引や太鼓持などゝのみ交り居て、夫も御尤、是も御尤と、こび諂(ヘツラ)ふを悦んで明し暮し、争友(ソウユウ)一人のなきは、豈あやふからざらんや  

 



 

三四  翁高野某を諭して曰、物各(オノオノ)(メイ)あり数(スウ)あり、猛火の近づくべからざるも、薪(タキヾ)(ツキ)れば火は随(シタガツ)てきゆるなり、矢玉の勢(イキホヒ)、あたる処必(かならず)破り必殺すも、弓勢(ゼイ)つき、薬力(ヤクリヨク)(ツク)れば叢(クサムラ)の間に落ちて、人に拾はるゝにいたる、人も其如し、おのれが勢(イキホヒ)、世に行はるゝとも、己(オノレ)が力と思ふべからず、親先祖より伝へ受けたる位禄(イロク)の力と、 拝命したる官職の威光とによるが故なり、夫(そレ)先祖伝来の位禄の力か、職の威光がなければ、いかなる人も、弓勢の尽(ツキ)たる矢、薬力の尽たる鉄炮玉に異ならず、草間に落て、人に愚弄さるゝに至るべし、思はずばあるべからず

 

 

 

三五  同氏は、相馬領内衆に抽(ヌキ)んでゝ、仕法発業(ホツギヤウ)を懇願せし人なり、仍(ヨツ)て同氏預りの、成田坪田二村に開業也、仕法を行ふ僅(ハツカ)に一年にして、分度(ブンド)外の米、四百拾俵を産出(ウミイダ)せり、同氏蔵を建(タテ)て収め貯へ、凶歳の備へにせんとす、翁曰、村里の興復を謀(ハカ)る者は、米金を蔵に収(オサム)るを尊まず、此米金を村里の為に、遣ひ払ふを以て専務とする也、 此遣ひ方の巧拙に依(ヨツ)て、興復に遅速を生ず、 尤(モツトモ)大切なり、凶荒予備は仕法成就の時の事なり、今卿(キミ)が預りの、村里の仕法、昨年発業(ホツギヨウ)なり、是より一村興復、永世安穏の規模を立(たつ)べきなり、先(まヅ)是こそ、此村に取(トリ)て急務の事業なれと云ふ事を、能々協議して開拓なり、道路橋梁(キヤウリヤウ)なり、窮民撫育なり、尤務むべきの急を先にし、又村里のために、利益多き事に着手し、害ある事を除くの法方に、遣(ツカ)ひ払ふべし、急務の事皆すまば、山林を仕立(シタツ)るもよろし、土性転換もよろし、非常飢疫(キエキ)の予備尤(モツトモ)よろし、卿等(キミラ)能々思考すべし

 

 

 

三六 某氏事をなして、過(スグ)るの癖(ヘキ)あり、翁諭して曰、凡(オヨソ)物毎に度(ド)と云事あり、飯(メシ)を炊くも料理をするも、皆宜しき程こそ肝要なれ、我(わが)法方も又同じ、世話をやかねば行れざるは、勿論なれども、世話もやき過(スギ)ると、 又人に厭(イト)はれ、如何(イカニ)して宜しきや分らず、 先(まヅ)(ステ)おくべしなどゝ、云に至るもの也、古人の句に、「さき過(スギ)て是さへいやし梅の花」とあり、云得て妙なり、百事過たるは及ばざるにおとれり、心得べき事也

 

 

 

三七  浦賀の人、飯高六蔵、多弁の癖(クセ)あり、暇(イトマ)を乞ふて国に帰らんとす、翁諭して云、汝国に帰らば決して人に説く事を止(トヾ)めよ、人に説く事を止めて、おのれが心にて、己が心に異見せよ、己が心にて己が心に異見するは、柯(カ)を取(トリ)て、柯を伐るよりも近し、元(モト)己が心なればなり、夫(そレ)異見する心は、汝が道心なり、異見せらるゝ心は、汝が人心なり、寝ても覚ても坐しても歩行(アルイ)ても、 離るゝ事なき故、行住坐臥油断なく異見すべし、 若(モシ)(おのれ)酒を好まば、多く飲む事を止めよと異見すべし、 速(スミヤカ)に止(ヤ)めばよし、止めざる時は幾度(イクタビ)も異見せよ、其外驕奢の念起る時も、安逸の欲起る時も皆同じ、 百事此(かく)の如くみづから戒めば、是(コレ)無上の工夫なり、 此工夫を積んで、 己が身修(ヲサマ)り家斉(トヽノ)ひなば、是己が心己が心の異見を聞(キヽ)しなり、此時に至らば、人汝が説(セツ)を聞く者あるべし、己修(ヲサマツ)て人に及ぶが故なり、己が心にて己が心を戒しめ、己聞(きか)ずば必(かならず)人に説く事なかれ、且汝家に帰らば、商法に従事するならん、土地柄といひ、累代の家業といひ至当なり、去(サリ)ながら、汝売買(バイバイ)をなすとも、必(かならず)金を設(マフケ)んなどゝ思ふべからず、只商道の本意を勤めよ、 商人たる者、商道の本意を忘るゝ時は、 眼前は利を得(ウ)るとも詰り滅亡を招くべし、能(ヨク)商道の本意を守りて勉強せば、財宝は求(モトメ)ずして集り、富栄繁昌量(ハカ)るべからず、必(カナラズ)忘るゝ事なかれ

 

 

 

三八  嘉永五年正月、翁おのが家の温泉に入浴せらるゝ事数(ス)日、予が兄大沢精一、翁に随(シタガヒ)て入浴す、 翁湯桁(ユゲタ)にゐまして諭して曰、夫(それ) 世の中汝等が如き富者にして、皆足る事を知らず、飽くまでも利を貪(ムサボ)り、不足を唱ふるは、大人(ダイニン)のこの湯船の中に立(たち)て、屈(カヾ)まずして、湯を肩に掛けて、 湯船はなはだ浅し、 膝にだも満たずと、 罵るが如し、若(モシ)湯をして望(ノゾミ)に任せば、小人(シヨウニン)童子(ドウジ)の如きは、入浴する事あたはざるべし、是(コレ)湯船の浅きにはあらずして、己(オノレ)が屈まざるの過(アヤマチ)なり、能(ヨク)此過(アヤマチ)を知りて屈(カヾ)まば、湯忽(タチマチ)肩に満(ミチ)て、おのづから十分ならん、何ぞ他に求(モトム)る事をせん、世間富者の不足を唱(トナフ)る、何ぞ是に異らん、夫(それ)分限(ブンゲン)を守らざれば、千万石といへども不足なり、一度過分の誤を悟(サトリ)て分度を守らば、有余(ユウヨ)おのづから有て、人を救ふに余(アマリ)あらん、夫(それ)湯船は大人(ダイニン)は屈(カヾ)んで肩につき、小人(シヨウニン)は立て肩につくを中庸とす、百石の者は、五十石に屈んで五十石の有余を譲り、千石の者は、五百石に屈んで五百石の有余を譲る、 是を中庸と云べし、 若(モシ) 一郷(いっキヤウ)の内一人、 此道を蹈(フ)む者あらば、 人々皆分(ブン)を越(コユ)るの誤(アヤマリ)を悟らん、人々皆此誤を悟り、分度を守りて克(ヨク)譲らば、一郷富栄にして、和順ならん事疑ひなし、古語に、一家仁なれば一国仁に興(オコ)る、といへり、能(ヨク)思ふべき事なり、夫(そレ)仁は人道の極(キヨク)なり、儒者の説甚(ハナハダ)むづかしくして、用をなさず、 近く譬(タトフ)れば、此湯船の湯の如し、是を手にて己(オノレ)が方に掻けば、湯我が方に来るが如くなれども、皆向ふの方へ流れ帰る也、是を向ふの方へ押す時は、湯向ふの方へ行くが如くなれども、又我方へ流れ帰る、 少(スコシ)く押せば少(スコシ)く帰り、強く押せば強く帰る、是天理なり、 夫(それ)仁と云(いい)義と云(いう)は、向(ムカフ)押す時の名なり、我(ワガ)方へ掻く時は不仁となり不義となる、慎まざるべけんや、古語に、己(オノレ)に克(カツ)て礼に復(カヘ)れば天下仁に帰す、仁をなす己による、人によらんや、とあり、己とは、手の我方(ワガヽタ)へ向く時の名なり、礼とは、我手を先の方に向くる時の名なり、   我方へ向けては、仁を説くも義を演(ノブ)るも、皆無益なり、能(よく)思ふべし、夫(ソレ)人体(ニンタイ)の組立(クミタテ)を見よ、 人の手は、我方(ワガカタ)へ向きて、 我為に弁利に出来(デキ)たれども、 又向ふの方へも向き、向ふへ押すべく出来(デキ)たり、是人道の元(モト)なり、鳥獣(トリケモノ)の手は、是に反して、只我方(ワガカタ)へ向きて、我に弁利なるのみ、されば人たる者は、他(タ)の爲に押すの道あり、然(シカ)るを我が身の方に手を向け、我為に取る事而已(のみ)を勤めて、先(サキ)の方に手を向けて、他の為に押す事を忘るゝは、人にして人にあらず、則(スナハチ)禽獣なり、豈(アニ)恥かしからざらんや、只恥かしきのみならず、天理に違(タガ)ふが故に終(ツイ)に滅亡す、 故に我(われ)常に奪ふに益(エキ)なく譲るに益あり、譲るに益あり奪ふに益なし、是(これ)(すなわち)天理也と教ふ、能々(よくよく)玩味すべし

 

 

 

 

 

 

 

二宮翁夜話 巻之一  終

 

 

 

   

(注)1.本文は、岩波書店刊『日本思想大系52 二宮尊徳・大原幽學』(1973年5月
      30日第1刷発行)
によりました。(『二宮翁夜話』の校注者は、奈良本辰也氏。)
   2.凡例によれば、底本は、神奈川県立文化資料館所蔵の木版本(明治17-
     20年出版)
で、読点はほぼ底本どおりとし多少の訂正を施した、とあります。
   3. 引用に当たって、踊り字(繰返し符号)は、「々」及び「ゝ(ヽ)」「ゞ(ヾ)」
        の他はすべて普通の仮名に改めました。
   4. 本文の片仮名のルビは、( )に入れて文中に示しました。必要ないと
    思われるルビは、引用者の判断で除いてあります。 また、読みにくいと
    思われる語には、( )を付して、本来のルビと区別して平仮名・現代仮名
    遣いで引用者が読みを補いました。
     5.  『二宮翁夜話』は、「巻之五」まであります。岩波文庫には、「続編」48
    段が追加されていますが、思想大系本には、「続編」は収録されていませ
    ん。(「続編」は、福住正兄翁が在世中に推敲を完了しなかったものを、
    岩波文庫版『二宮翁夜話』の校訂者・佐々井信太郎氏が刪修・追加され
    たものということです。)
           『二宮翁夜話』(巻之二は資料75にあります。
      『二宮翁夜話』(巻之三は資料76にあります。
      『二宮翁夜話』(巻之四は資料77にあります。
       『二宮翁夜話』(巻之五は資料78にあります。
   6. 岩波文庫版の『二宮翁夜話』を底本にした「巻之一の本文が、資料74
    にあります。
   7. 岩波文庫版の『二宮翁夜話』を底本にした「続篇の本文が、資料299
    にあります。
   8. 「GAIA」 というホームページに二宮尊徳翁についてのページがあり、
    尊徳翁を理解する上でたいへん参考になります。ぜひご覧ください。
          「GAIA」 の「日記」のページの中に、『報徳要典』(舟越石治、昭和9年
    1月1日発行、非売品)を底本にした「二宮翁夜話」が収めてあり、そこで
    本文と口語訳とを読むことができます。
      また、『報徳記』を原文と口語訳で読むこともできます。
   9. 内村鑑三『代表的日本人』の中の「二宮尊徳」(英文が、資料38にあ
    ります。
   10.宇都宮大学附属図書館所蔵の「二宮尊徳関係資料一覧」 が、同図書
    館のホームページで見られます。
     11. 小田原市のホームページに、栢山にある「小田原市尊徳記念館・二宮尊
    徳生家の案内ページがあります。 
     12. 栃木県真岡市のホームページに、「二宮尊徳資料館へようこそ」のページ
    があります。
   13. 『ぶらり重兵衛の歴史探訪』というサイトの中に、栃木県真岡市物井にある
    「二宮尊徳資料館のページがあります。
   14. 神奈川県小田原市の小田原城址公園内にある『報徳二宮神社』のホー
    ムページがあり、「二宮尊徳翁について」「年表」「報徳訓」「道歌」などのペ
    ージがあります。
   15. 国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』の中に、3種の『二宮翁夜
    話』があって、映像で本文を読むことができます。
       1.二宮翁夜話 / 福住正兄記、報徳社、明治17−2
       2.二宮翁夜話 / 福住正兄記、−14版、報徳学図書館、明治42.4
       3.二宮翁夜話 / 福住正兄記、−8版、報徳学図書館、明治38.4

       
『近代デジタルライブラリー』  → 「二宮翁夜話」と入力して検索 
         → 「1.二宮翁夜話 / 福住正兄記、報徳社、明治17−2」をクリック
           →  「書誌情報」の下の「本文をみる」をクリック  → 『二宮翁夜話』
                (以下、同じ)
 
   16. 同じ『近代デジタルライブラリー』の中に、『二宮翁道歌解』(福住正兄述、
    静岡:報徳学図書舘、明治33年12月25日発行)があって、本文を読むこと
    ができます。
       
『近代デジタルライブラリー』  → 「二宮翁道歌解」と入力して検索 
         → 「1.二宮翁道歌解/福住正兄述、報徳学図書舘、明治33.12」をクリック
           →  「書誌情報」の下の「本文をみる」をクリック  → 『二宮翁道歌解』
   17. 資料397に、「二宮翁道歌」(福住正兄述『二宮翁道歌解』より)がありま
    す。この資料は、『二宮翁道歌解』から、歌だけを引いたものです。
   18. 資料373 に、二宮尊徳『道歌集』があります。

 

           

 


 

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