資料179 国民学校国語教科書『初等科國語三』(本文)



 

  『初等科國語 三』


もくろく
一   朝の海べ
二   潮干狩
三   日本武尊
四   君が代少年
五   靖國神社
六   光明皇后
七   苗代のころ
八   地鎭祭
九   笛の名人
十   機械
十一  出航
十二  千早城
十三  錦の御旗
十四  國旗掲揚臺
十五  夏
十六  兵營だより
十七  油蝉の一生
十八  とびこみ臺
十九  母馬子馬
二十  東郷元帥
二十一 くものす
二十二 夕日
二十三 秋の空
二十四 濱田彌兵衛


 

 

 

    一 朝の海べ   

  朝の潮風あびながら、
  弟と二人、海べをかける。
  しめつた砂をけりながら、
  波うちぎはを、どんどんかける。

  明かるい海だ、どこまでも。
  地平線は銀色で、
  空と海とがとけあつて、
  明かるい海だ、どこまでも。

  ぼくらは石を投げてみた、
  「一二の三。」で投げてみた。
  弟の石が海に落ち、
  つづいてぼくのが海に落ち。

  かもめが五六羽とんで來て、
  波にゆられて浮かんでる。
  水にもぐつてひよいと出て、
  ひよいと浮かんでまたもぐる。

  風に向かつてぼくたちは、
  兩手をあげて息を吸ふ。
  朝の海べはもう春で、
  みんな樂しい、新しい。

  
    二 潮干狩

 海岸は、一面に潮が引いてゐて、もう大勢の人たちが、潮干狩をしてゐました。
  先生は、私たち四年生の人員をお調べになつてから、次のやうにおつしやいました。
「これから潮干狩をするのですが、いつものやうに、四人づつ一組になつて、仲よ
 く貝をお取りなさい。さうして、海には、どんな生きものがゐるかを、よく氣を
 つけて見るやうになさい。」
 勇さんと、正男さんと、花子さんと、私と、四人が一組になつて、ほり始めました。小さな熊手
(くまで)で砂をかくと、かちりとさはるものがあります。三センチぐらゐのあさりでした。あさりは、こんな淺いところに、もぐつてゐるのかなと思ひながら、むちゆうになつてほつて行きました。おもしろいほど、たくさん出て來ました。
 ほつたあとに水がしみ出て、まはりの砂が、少しづつくづれて行くので、手ですくつて、かい出しました。すると、小石のやうなものが、手にさはりました。砂を拂つてよく見ると、大きなはまぐりでした。はまぐりは、あさりよりも、少し深いところにゐることがわかりました。
「おや、こんな貝が出た。」
と、正男さんが、六七センチもある細長い貝を、みんなの前へ出しました。みんなは、
「何といふ貝だらう。」 
といつて、いろいろ、貝の名前を思ひ出してみましたが、だれにもわかりません。
「先生に聞きに行きませう。」
と、花子さんは、その貝を持つて、先生のところへ走つて行きました。先生は、
「これは、いいものを見つけましたね。まてがひといふ貝ですよ。持つて歸つて、
 みんなで標本を作つてごらんなさい。」
とおつしやいました。
 私たちは、波うちぎはを、ぱちやぱちや歩きながら、子牛がねてゐるやうな岩の方へ行きました。
 ひやりと、足にさはるものがありました。拾つて見ると、ぬらぬらした、花色な海藻
(かいさう)でした。はばの廣いひものやうな形をしてゐます。
「おや、春枝さんは、わかめを拾ひましたね。」
と、花子さんがいひました。私は、これがあの、おわんの中に浮いてゐるわかめかと思ひました。
「ぼく、こんなおもしろいものを見つけたよ。」
とうれしさうに笑いひながら、勇さが走つて來ました。手には、葉の根もとにまるい玉のやうな袋のついてゐる、茶色な海藻を持つてゐました。
「おい、きみたち、このまるい玉を、みんなで持ちたまへ。いいかい。さあ、指で
 勢よくつぶすのだよ。」
と、勇さんがいつたので、私たちは、みんな指先に力を入れました。「パチン。」と音がして、まるい玉がはじけました。
「おもしろいなあ。もう一ぺんやらう。」
と、みんなで、「パチン、パチン。」とつぶしました。
 先生がごらんになつて、
「おもしろいことをしてゐますね。
 その海藻は、何だか知つてゐますか。」
とおたづねになりましたが、だれも知りません。
「ほんだはらといふものです。こんぶといつしよに、お正月のおかざりにするでせ
 う。」
と、先生がおつしやいました。
 私たちは、先生といつしよに、岩のそばへ行きました。岩の間のすきとほつた水の中で、きれいな、六七センチばかりの魚が、からだをくねらせて、岩に生えた海藻の間を上手に泳いでゐました。べらといふ魚ださうです。
 何とかしてべらを取りたいと思ひました。先生にお願ひしますと、先生は、たもで勢よく、さつとおすくひになりました。べらが、たもの中でぴちぴちとはねました。
 海岸で、晝のおべんたうをたべました。
 そのころから、潮がだんだんさして來て、私たちの歸る時には、あのあさりをほつたところも、海藻を拾つた波うちぎはも、もうすつかり、海の水でかくされてゐました。


    三 日本武尊
(やまとたけるのみこと)

      川上
(かはかみ)たける
 熊襲
(くまそ)のかしら川上たけるは、力のあるにまかせて、四方に勢を張り、のちには朝廷の仰せにも從ひませんでした。
「西の國で、自分より強い者はない。」と思ふと、たけるは、だんだん増長して來ました。「ひとつ、りつぱな宮殿を建て、たくさんの兵士に守らせて、大いにいばつてやらう。」と考へました。
 いよいよ、家もできあがつたので、ある日、お祝ひをすることになりました。
 その日は、朝から、大勢の人が出はいりしました。手下の者はいふまでもなく、手傳ひのために、たくさんの男や女が集つて來ました。
 そのうちに、一人の美しい少女がまじつて、かひがひしく働いてゐました。酒もりが始ると、この少女も座敷へ出て、酒をついでまはりました。
 だんだん夜がふけて來ました。客も、しだいに歸つて行きました。たけるは、もうねようといふので、酒によつてよろよろしながら、奥の間へ行かうとしました。
 この時でした。今まで、やさしくお給仕をしてゐた少女は、すつくと立ちあがつて、
「たける、待て。」
といふが早いか、ふところにかくしてゐた劒を拔いて、たけるの胸を突きました。
「あつ。」とさけんで、たけるは倒れました。ふり返ると、少女は、いかにも尊いゐげんに滿ちて、立つてをります。たけるは、思はずぶるぶると身ぶるひをして、
「お待ちください。これほどに強いあなたは、ただの人ではない。いつたい、どう
 いふお方ですか。」
と、苦しい息の下からたづねました。
「自分は女ではない。天皇の御子、やまとをぐな。汝、おそれ多くも、朝廷の仰せ
 に從ひまつらぬによつて、汝を討てとの勅をかうむり、ここへ來たのである。」
「なるほど、さういふお方でいらつしやいましたか。西の國では、私より強い者は
 ないので、たけると申してをりました。失禮ながら、ただ今、お名をさしあげま
 せう。日本でいちばんお強いあなたは、日本武皇子
(やまとたけるのみこ)と仰せられ
 ますやうに。」
といひ終つて、たけるは息が絶えました。
 景行
(けいかう)天皇の御子、やまとをぐなの皇子(みこ)は、御年十六、かうしてただお一人で、熊襲をおほろぼしになりました。さうして、これからのち、日本武尊と申しあげることになりました。

      草薙劒
(くさなぎのつるぎ) 
 熊襲を討つて、都へお歸りになつた日本武尊は、そののち、東の國のわる者を平げよといふ勅をお受けになりました。尊は、わづかの供人をつれて御出發になりました。
 途中、まづ伊勢
(いせ)の皇大神宮に參つて、御武運をお祈りになりました。皇大神宮に仕へておいでになつた、尊の御おば倭姫命(やまとひめのみこと)は、尊が二度の大任をお受けになつたのを、勇ましくも、また、いたはしくお思ひになつたのでせう、特に、大切な天叢雲劒(あめのむらくものつるぎ)を尊にお授けになりました。また、一つの小さな袋をお渡しになつて、
「もしものことがあつたら、忘れずに、この袋の口をおあけなさい。」
とおつしやいました。
 尊は、東へ東へと進んで、駿河
(するが)の國にお着きになりました。この國にゐたわる者のかしらは、かねて、尊の御武勇を聞き傳へて知つてゐましたので、一通りではとても勝てない、だまし討ちにするほかはないと思ひました。
 そこで、尊をうやうやしく迎へて、いろいろおもてなしをしながら申しました。
「この國の野原には、大きな鹿
(しか)がたくさんをります。おなぐさみに、狩をな
 さつてはいかがでございます。」
 尊は、「それはおもしろからう。」とおつしやつて、野原へお出になりました。身の丈にもあまる草を分けて、だんだん奥へはいつていらつしやいました。すると、かねてから、この野原をかこんで待ちかまへてゐたわる者どもは、一度に草に火をつけました。火は、ものすごい勢でもえて來ます。
「さては、だましたのか。」
と、尊はしばらく考へていらつしやいましたが、ふと御心に浮かんだのは、御をば倭姫命のおことばです。急いで袋の口をおあけになると、中に火打石がありました。
 尊は、すぐに、おさとりになりました。天叢雲劒を拔いて、手早くあたりの草をなぎ拂ひ、火打石で火をきつて、その草におつけになりました。すると、ふしぎにも、今までもえせまつて來た火は、急に方向をかへて、向かふへ向かふへと、もえ移つて行きました。
 あわてたのは、わる者どもです。火に追はれて、逃げようとするまもなく、かたはしから燒きたてられ、燒き殺されてしまひました。
 あやふい御いのちをお助りになつた尊は、生き殘つたわる者どもを平げて、なほも東へお進みになりました。
 この時から、この御劒を、草薙劒と申しあげることになりました。熱田
(あつた)神宮におまつりしてあるのが、この御劒であります。


       四 君が代少年

 昭和十年四月二十一日の朝、臺灣
(たいわん)で大きな地震がありました。
 公學校の三年生であつた坤
(とくこん)といふ少年は、けさも目がさめると、顔を洗つてから、うやうやしく神だなに向かつて、拜禮をしました。神だなには、皇大神宮の大麻がおまつりしてあるのです。
 それから、まもなく朝の御飯になるので、少年は、その時外へ出てゐた父を呼びに行きました。
 家を出て少し行つた時、「ゴー。」と恐しい音がして、地面も、まはりの家も、ぐらぐらと動きました。「地震だ。」と、少年は思ひました。そのとたん、少年のからだの上へ、そばの建物の土角
(どかく)がくづれて來ました。土角といふのは、粘土(ねんど)を固めて作つた煉瓦(れんぐわ)のやうなものです。
 父や、近所の人たちがかけつけた時、少年は、頭と足に大けがをして、道ばたに倒れてゐました。それでも父の姿を見ると、少年は、自分の苦しいことは一口もいはないで、
 「おかあさんは、大丈夫でせうね。」
といひました。
  少年の傷は思つたよりも重く、その日の午後、かりに作られた治療所(ちれうじよ)で手術を受けました。このつらい手當の最中にも、少年は、決して臺灣語を口に出しませんでした。日本人は國語を使ふものだと、學校で海悗蕕譴討ら、坤は、どんなに不自由でも、國語を使ひ通して來たのです。
 坤は、しきりに學校のことをいひました。先生の名を呼びました。また、友だちの名を呼びました。
 ちやうどそのころ、學校には、何百人といふけが人が運ばれて、先生たちは、目がまはるほどいそがしかつたのですが、坤が重いけがをしたと聞かれて、代りあつて見まひに來られました。
 坤は、涙を流して喜びました。
「先生、ぼく、早くなほつて、學校へ行きたいのです。」
と、坤はいひました。
「さうだ。早く元氣になつて、學校へ出るのですよ。」
と、先生もはげますやうにいはれましたが、しかし、この重い傷ではどうなるであらうかと、先生は、坤がかはいさうでたまりませんでした。
 少年は、あくる日の晝ごろ、父と、母と、受持の先生にまもられて、遠くの町にある醫院
(いゐん)へ送られて行きました。
  その夜、つかれて、うとうとしてゐた坤が、夜明近くなつて、ぱつちりと目をあけました。さうして、そばにゐた父に、
「おとうさん、先生はいらつしやらないの。もう一度、先生におあひしたいなあ。」
といひました。これつきり、自分は、遠いところへ行くのだと感じたのかも知れません。
 それからしばらくして、少年はいひました。
「おとうさん、ぼく、君が代を歌ひます。」
 少年は、ちよつと目をつぶつて、何か考へてゐるやうでしたが、やがて息を深く吸つて、靜かに歌ひだしました。
  きみがよは
  ちよに
  やちよに
坤が心をこめて歌ふ聲は、同じ病室にゐる人たちの心に、しみこむやうに聞えました。
  さざれ
  いしの
小さいながら、はつきりと歌はつづいて行きます。あちこちに、すすり泣きの聲が起りました。
  いはほとなりて
  こけの
  むすまで
終りに近くなると、聲はだんだん細くなりました。でも、最後まで、りつぱに歌ひ通しました。
 君が代を歌ひ終つた坤は、その朝、父と、母と、人々の涙にみまもられながら、やすらかに長い眠りにつきました。


       五 靖國
(やすくに)神社

  春は九段のお社に、
  櫻が咲いてをりました。

  日本一の大鳥居、
  かねの鳥居がありました。

  とびらは金の御紋章、
  御門を通つて行きました。

  かしは手うてばこうこうと、
  心の底までひびきます。

  櫻の花の遺族章、
  女の人も見えました。

  遊就館
(いうしうくわん)の入口に、
  人が並んでをりました。



       六 光明
(くわうみやう)皇后

 聖武
(しやうむ)天皇の皇后を、光明皇后と申しあげます。
 そのころ、都は奈良
(なら)にありました。野も、山も、木立も、みどりにかがやく奈良の都には、赤くぬつた宮殿や、お寺のお堂が、あちらこちらに見えてゐました。その中に、光明皇后のお建てになつた、せやく院といふ病院が立つてゐました。
 せやく院には、大勢の病人がおしかけて、病氣をみてもらつたり、藥をいただいたりしてゐました。
「この子は、ひどい目の病で、ものが見えなくなりはしないかと心配しましたが、
 毎日、かうして藥をいただいてゐるおかげで、たいそうよくなりました。」
と、うれしさうにいふ母親もありました。
「私は、おなかの病氣で、長い間寝てゐましたが、このごろは、おかげでだいぶよ
 くなりました。これも、みんな皇后樣のお惠みでございます。」
と涙をこぼして、ありがたがるおばあさんもありました。
 光明皇后は、ときどき、この病院へおいでになつて、病人たちをお見まひになりました。やさしいお言葉を、たまはることさへありました。
 このやうに、しんせつにしていただくので、どんな重い病氣でも、きつとなほるといふうはさが、いつのまにか日本中にひろがりました。
 光明皇后は、手足の痛む病人や、傷の痛みがなほらないやうな者のために、藥の風呂
(ふろ)を作つておやりになりました。この風呂には、いつもあたたかい藥の湯が、あふれてゐました。
「皇后樣が、御自分で、病人のせわをなさるといふことだが、ほんたうだらうか。」
「こんなにしんせつにしていただいてゐれば、皇后樣におせわをしていただくのと、
 同じことではないか。」
「まつたくその通りだ。うはさに聞けば、皇后樣は、千人の病人のせわをなさると
 いふ大願を、お立てになつたさうだ。ほんたうに、もつたいないことだ。」
このやうな話をしながら、藥の風呂にはいる病人が、いつも絶えませんでした。
 光明皇后は、この藥の風呂へもおいでになつて、一人一人をおせわなさいました。さうして、千人めの病人のおせわをなさつた時、急に病人のからだから光がさし出て、あたりが金色にかがやき渡つたといふことです。


       七 苗代のころ

 春の少し暖い晩、「くく、くく。」と、蛙の鳴く聲がします。
 そのころから、晝間は、廣いたんぼの一部で、もう苗代の仕事が始ります。遒さ蹐、ゆつくりと引いて行くからすきのあとには、ほり返された新しい土が、暖い日光に照らされます。
 土がほり返され、くれ打ちがすむと、田に水がなみなみと張られます。今度は、牛がまぐはを引いて、泥水の中を、行つたり來たりします。かうして、田の土は、だんだんこまかく耕されて行きます。
 夜、遠くの田で鳴く蛙の聲が、「ころころ、ころころ。」と、にぎやかに聞え始めます。
 種まきがすんで十日あまりたつたころ、淺い水の上に、二センチか三センチぐらゐの、若々しいみどりの苗が出そろつて行くのは、見ただけでも氣持のよいものです。ちやうど、たんざく形のみどりの敷物を、きちんと間を置いて、敷き並べたやうです。
 苗が、二十センチぐらゐにのびて、葉先が、朝風にかるくゆれるやうになると、廣いたんぼは、しだいににぎやかになります。そろそろ、汗ばむくらゐ暑い日ざしを受けて、男も、女も、牛も、泥田の中で働きます。ここの田も、あそこの田も、ほり返した土のかたまりの間には、もうひたひたと、水がたたへられてゐます。
 蛙のすみかが、かうして、たんぼいつぱいにひろがるのです。晝間は、働く人や、牛にゑんりよをするやうに、聲をひそめてゐますが、夕方から夜になると、さも自分たちの世界だといふやうに、さわぎたてます。家の前も、後も、横も、まるで夕立の降るやうに、蛙の聲でいつぱいです。靜かだといふゐなかの夜も、このころは、雨戸をしめてから、始めてほつとするほどです。
 もうまもなく、田植が始まります。


       八 地鎭
(ぢちん)

 私たちの學校では、新しい講堂が立つことになりました。今日は、その地鎭祭がありました。
 講堂は、東側の骸爾慮紊卜ちます。午前十時に、四年以上の生徒が、そこに集合しました。
 校長先生が、地鎭祭といふのは、新しく家が立つ土地の神樣に申しあげて、その家を、いつまでも守つていただくやうに、お願をするだいじな儀式だと、お話なさいました。
 敷地の中ほどに、せいの高い竹が四本立ててあつて、それにしめなはが張つてありした。
 そこへ神主さんが、三人お見えになりました。三人ともまつ白な着物を着て、えぼしをかぶつて、しやくを持つて、木のくつをはいてゐられました。
「氣をつけ。」
と、山田先生が號令を掛けられると、校長先生が、
「今から、地鎭祭が始ります。」
といはれました。
 神主さんは、大麻をふつて、みんなのおはらひをしてくださいました。それから、「オー。」と聲を高くあげて、神樣のおいでになる先拂ひをなさいました。
 次に、お供へものをいろいろと、白木の机の上に運ばれました。お米や、お酒や、お餅や、魚・大根・にんじん、おしまひに、いちご・バナナなどを、それぞれ三方にのせて供へられました。
 明かるい日光をあびて、祭壇
(さいだん)が、美しく、にぎやかに見えました。
 神主さんが、のりとを讀まれました。私たちに、その意味はよくわかりませんが、おちついた聲で、うやうやしく讀まれました。
 それから、地面のおはらひをして、うがちぞめがありました。うがちぞめといふのは、鍬で土をほる儀式であります。
 校長先生が、先生がたを代表して、玉ぐしをあげて拜まれました。次に、高等科の人が、全校の生徒を代表して玉ぐしをあげて拜みました。
 終りに、お供へしたものをみんなさげてから、神樣のお歸りになる先拂ひがとなへられました。
「休め。」
山田先生の聲がしました。三人の神主さんが、靜かに、私たちの前を通つて歸られました。その時、あの白い着物が、ほんたうに美しいと思ひました。
 山田先生が、
「これで、地鎭祭はすみました。今日は、學校として、記念すべきおめでたい日で
  すから、みんなで元氣よく、校歌を歌ひませう。」
といはれました。
 私たちは、聲をそろへて校歌を歌ひました。歌ひながら、このあき地に、講堂がりつぱに立つた時のことを思ひ、新しいその講堂に、全校の先生も、生徒も、いつしよに集つて並んだ時のことを思つて、うれしさでいつぱいになりました。


       九 笛の名人

 笛の名人用光
(もちみつ)は、ある年の夏、土佐(とさ)の國から京都へのぼらうとして、船に乘つた。
 船が、ある港にとまつた夜のことであつた。どこからかあやしい船が現れて、用光の船に近づいたと思ふと、恐しい海賊が、どやどやと乘り移つて來て、用光をとり圍んでしまつた。
 用光は、逃げようにも逃げられず、戰はうにも武器がなかつた。とても助らぬと覺悟をきめた。ただ、自分は樂人であるから、一生の思ひ出に、心殘りなく笛を吹いてから死にたいと思つた。それで、海賊どもに向かつて、
「かうなつては、おまへたちには、とてもかなはない。私も覺悟をした。私は樂人
  である。今ここで、命を取られるのだから、この世の別れに、一曲だけ吹かせて
 もらひたい。さうして、こんなこともあつたと、世の中に傳へてもらひたい。」
といつて、笛を取り出した。海賊どもは、顔を見合はせて、
「おもしろい。まあ、ひとつ聞かうではないか。」
といつた。
 これが、名人といはれた自分の最後の曲だと思つて、用光は、靜かに吹き始めた。曲の進むにつれて、用光は、自分の笛の音によつたやうに、ただ一心に吹いた。
 雲もない空には、月が美しくかがやいてゐた。笛の音は、高く低く、波を越えてひびいた。海賊どもは、じつと耳を傾けて聞いた。目には涙さへ浮かべてゐた。
 やがて曲は終つた。
「だめだ。あの笛を聞いたら、わるいことなんかできなくなつた。」
海賊どもは、そのまま、船をこいで歸つて行つた。


       十 機械

  工場だ、
  機械だ。
   鐵だよ、音だよ。
   どどどん、どどどん。

  ピストン、
  腕だよ。
   あつちへ、こつちへ、
   がたとん、がたとん。

  車だ、
  車輪だ。
   ぐるぐる まはるよ。
   ぐるぐる、ぐるぐる。

  車輪と
  車輪に、
   皮おび すべるよ。
   するする、するする。

  齒車、
  齒車、
   齒と齒とかみ合ひ、
   ぎりぎり、ぎりぎり。

  動くよ、
  音だよ、
   鐵だよ、ぐるぐる、
   がたとん、どどどん。


      十一 出航

 今日、みなさんは、一萬トンの汽船に乘つて、神戸
(かうべ)の港をたつのだと考へてください。
 みなさんを乘せる船は、今さかんに起重機を動かして、荷物を積んでゐます。
 みなさんといつしよに、あとからあとから、乘客が乘ります。船の出る前は、ほんたうに景氣のいいものです。
 甲板
(かんぱん)に出て並びませう。向かふは上屋(うはや)で、見送りの人が、いつぱい並んでゐます。みなさんのおとうさんや、おかあさんも、ゐられるはずです。
 あ、けたたましいどらの音がします。まもなく出航です。見送りの人や、積荷をしてゐた人たちは、これを合圖に、船からおりて行くのです。
 勇ましい樂隊の音樂が聞えますね。軍艦マーチが聞えます。愛國行進曲が聞えます。さあ、私たちも、いつしよに歌はうではありませんか。
 いよいよ出航です。あの、うなるやうに大きな汽笛の音を、お聞きなさい。
 船は、靜かに岸壁
(がんぺき)をはなれて行きます。
 上屋の人たちが、一生けんめいで、ハンケチや帽子を振つてゐます。さあ、みなさんもお振りなさい。大きな聲で、「おとうさん、行つてまゐります。」「おかあさん、行つてまゐります。」といつておあげなさい。
 船が港を出る時は、途中まで、あの小さな汽船に、引つぱられて行くのです。ちよつと、妙なかつかうでせう。ちやうど、子犬が、象
(ざう)でも引つぱつて行くやうですね。
 もう、上屋の人は、だれがだれだか、はつきりわからなくなりました。それでも、みんな合圖をしてゐます。ごらんなさい。だれか女の人が、赤い日がさを振つてゐるではありませんか。
 いよいよ、小さな汽船からはなれて、私たちの船は、ひとりで走り始めました。さあ、これから、だんだん早くなりますよ。もう、上屋の人は、たいてい歸つて行きました。
 右の方に、林のやうに見える起重機──あれは造船所です。今、新しい船を何ざうか、こしらへてゐるのが見えるでせう。
 港内には、ずゐぶん船がゐますね。何ざうあるでせう。ちよつと數へきれませんね。大きいのは、滿洲や、支那や、南洋などへ行く船です。みんな、貨物船のやうです。
 さあ、港の口の防波堤へ來ました。あれを越すと、きれいな瀬戸
(せと)内海へ出ます。
 ごらんなさい。神戸の市街が、まるで繪のやうに美しく見えるではありませんか。
 この船は、あすの朝門司
(もじ)へ着いて、正午ごろ門司を出航します。
 それから先は、どこへ行くのでせうか。みなさんは、どこへ行きたいと思ひますか。


      十二 千早城

 楠木正成
(くすのきまさしげ)がたてこもつた千早城は、けはしい金剛山(こんがうさん)にあるが、まことに小さな城で、軍勢もわづか千人ばかり。これを圍んだ賊は、百萬といふ大軍で、城の附近いつたいは、すつかり人や馬でうづまつた。
 こんな山城一つ、何ほどのことがあるものかと、賊が城の門まで攻めのぼると、城のやぐらから大きな石を投げ落して、賊のさわぐところを、さんざんに射た。賊は、坂からころげ落ちて、たちまち五六千人も死んだ。
 これにこりて、賊は、城の水をたやして、苦しめようとはかつた。
 まづ、谷川のほとりに、三千人の番兵を置いて、城兵が汲みに來られないやうにした。城中には、十分水の用意がしてあつた。二日たつても、三日たつても、汲みに來ない。番兵がゆだんをしてゐると、城兵が切りこんで來て、旗をうばつて引きあげた。正成は、この旗を城門に立てて、さんざんに賊のわる口をいはせた。賊が、これを聞いて、くやしがつて攻め寄せると、正成は、高いがけの上から大木を落させた。さうして、これをよけようとして、賊のさわぐところを射させて、五千人餘りも殺した。
 この上は、ひやうらう攻めにしようとして、賊は、攻め寄せないことにした。
 ある朝まだ暗いうちに、城中から討つて出て、どつとときの聲をあげた。賊は、「それ、敵が出た。一人ものがすな。」と押し寄せた。城兵はさつと引きあげたが、二三十人だけはふみとどまつた。賊が、四方からこれをめがけて押し寄せると、城から大きな石を四五十、一度に落したので、また何百人か殺された。ふみとどまつてゐたのは、みんなわら人形であつた。
 もうこの上は、何でもかでも攻め落してしまへといふので、賊は、大きなはしごを作り、これを城の前の谷に渡して橋にした。幅が一丈五尺、長さが二十丈、その上を賊はわれ先にと渡つた。今度こそは、千早城も危く見えた。すると、正成は、いつのまに用意しておいたものか、たくさんのたいまつを出して、これに火をつけて、橋の上に投げさせた。さうして、その上へ油を注がせた。橋は、まん中からもえ切れて、谷底へどうと落ちた。賊は何千人か死傷した。
 賊が、千早城一つをもてあましてゐると、方々で、官軍が、ひやうらうの道をふさいだので、賊はすつかり弱つた。百人逃げ二百人逃げして、初め百萬といつた賊も、しまひには十萬ばかりになつた。それが前後から官軍に討たれて、ちりぢりに逃げてしまつた。



      十三 錦の御旗

 大塔宮
(だいたふのみや)は、北條(ほうでう)高時征伐のため、兵をお集めにならうとして、大和(やまと)の十津川(とつがは)から高野(かうや)の方へお向かひになつた。お供の者は、わづかに九人であつた。
 途中には、敵方の者が多かつた。中にも、芋瀬
(いもせ)の莊司(しやうじ)は、宮のお通りになることを知つて、道に手下の者を配つてゐた。
 宮は、どうしても、そこをお通りにならなければならなかつた。
 お供の中に、村上彦四郎
(ひこしらう)義光(よしてる)といふ人がゐた。このへんの敵のやうすを探るために、思はず時を過して、宮のおあとから急ぎ足に道をたどつて來たが、ふと見ると、向かふに、日月を金銀で現した錦の御旗を、おし立ててゐる者がある。義光は、ふしんの眉(まゆ)をひそめた。あれこそは、大塔宮の御旗である。もしや、宮の御身に、何事か起つたのではなからうか。義光は、胸をとどろかした。
 急いで近寄ると、芋瀬の莊司が、家來の大男に宮の御旗を持たせて、さもとくいさうに、何か聲高く話してゐるのに出あつた。
 義光は大聲に、
「見れば尊い錦の御旗、どうしてそれを手に入れたのか。」
とつめ寄つた。
 莊司は、わうへいに答へた。
「大塔宮を御道筋に待ち受け申し、この御旗を、この莊司が手に入れたのだ。」
 義光は、かつと怒つた。
「それはけしからぬ。おそれ多くも宮の御道筋をふさいだ上に、錦の御旗をけがしたてまつるとは。」
と叫んで、御旗をうばひ取るが早いか、かの男をひつつかんで、まりのやうに投げつけた。
 錦の御旗を肩にかけ、相手をにらみつけながら、おちつきはらつて、その場をたち去つた義光は、やがて宮に追ひつきたてまつつた。
 大塔宮は、義光の忠義を心からお喜びになつた。

 

      十四 國旗掲揚
(けいやう)
  
      一
    
國旗掲揚臺のそばに、勇さんと、正男さんと、春枝さんの三人が集つて
    ゐる。三人とも、旗竿を見あげてゐる。
 「ずゐぶん、高いなあ。」
正男「どのくらゐあると思ふ。」
 「さあ、十四メートルぐらゐかな。」
正男「ぼくは、十三メートルないと思ふ。」
勇 「春枝さんは、どのくらゐ。」
春枝「さうね。十メートルぐらゐかしら。」
    
そこへ花子さんが來る。
花子「みんな、ここで何をしてゐるのですか。」
春枝「あの國旗掲揚臺の高さを、あててゐるのです。
   
花子さんも、旗竿の先を見あげる。
春枝「花子さんは、どのくらゐと思ひますか。」
花子「十一メートルはあると思ひます。」
春枝「あら、みんなちがひますね。だれが、いちばん正しいでせう。」
正男「何とかして、きちんと高さを計れないものかな。」
      二
   
それから、三日ばかりたつたある日、正男さんが、自分のかげを見なが
    ら考へこんでゐる。
正男「けさは、ぼくのかげが、ずつと長くのびてゐたのに、今見ると、こんなに
   短くなつてゐる。ぼくのせいの高さに變りはないのに、かげだけが、あん
   なにのびたりちぢんだりするのだな。」
    
正男さんは、あちらこちらと歩きながら考へる。しばらくして、
正男「待てよ、かげがのびたりちぢんだりしてゐる間に、ぼくのせいの高さと同
   じ長さになる時が、あるにちがひない。いや、きつとあるはずだ。」
    
歩くのをやめて、立ち止まる。急に思ひついたらしく、手をうつて、
正男「さうだ、さうだかうすればいいんだ。いい考へが浮かんだ。」
    
さもうれしさうに、にこにこする。
      三
    
國旗掲揚臺の前に、みんな集つてゐる。
勇 「正男くん、わかつたつて、ほんたうにわかつたのか。」
正男「わかつた、ほんたうにわかつた。」
春枝「どうすればいいのですか。」
正男「まづ、ぼくのかげを計るのです。」
花子「かげを。」
正男「さう。」
勇 「きみのかげを計るんぢやないよ。あの國旗掲揚臺の高さを計るんだよ。」
正男「まあ、待ちたまへ。かういふわけなんだ。
    
正男さんは、巻尺を勇さんに手渡して、
  
これで、ぼくのかげの長さを計つてくれたまへ。」
    
勇さんたちは、正男さんのかげを計る。
勇 「百二十八センチあるよ。」
花子「正男さんのかげを計つてから、どうしますの。」
正男「今、ぼくのかげが、百二十八センチあるでせう。ところが、ぼくのせいの
   高さは、百二十四センチなんです。あとしばらくで、かげが百二十四セン
   チにちぢんで、ぼくのせいと同じ長さになります。」
勇 「わかつた、やつとわかつた。」
春枝「どうなるのですか。」
勇 「正男くんのせいと、かげの長さと同じになつた時刻は、あの國旗掲揚臺の
   高さと、かげの長さが同じになるといふわけだらう。」
正男「さう、さう。」
春枝「それで、その時刻に、あの國旗掲揚臺のかげの長さを計るのですね。」
正男「そのとほりです。」
勇 「うまいところに氣がついたな。」
花子「ほんたうですね。」
      四
 
正男さ、勇くん、ぼくが『ようし。』といつたら、國旗掲揚臺のかげの端に、
   しるしをつけてくれたまへ。
    
勇さんは國旗掲揚臺のかげのところへ行つて、しるしをつける用意
    をする。
  
春枝さんと、花子さんは、ぼくのかげが百二十四センチになつた時、知ら
   せてください。」
    
二人は、巻尺を張つて見つめてゐる。まもなく、
春枝
花子
「今、百二十四センチになりました。」
    
正男さんは「ようし。」と叫ぶ。勇さんはしるしをつける。
勇 「さ、みんなで、いつしよに計つてみよう。」
    
みんな、「一メートル、二メートル、三メートル。」と聲を出して數へ
    る。
みんな「十メートル、十一メートル、十二メートル。」
勇  「ちやうど十二メートル。」
みんな「あれが十二メートルの高さかな。」
    
といつて、國旗掲揚臺の先を見あげる。



      十五 夏

  じりじりと、
  照りつける太陽。
  ごみつぽいでこぼこの道を、
  トラックが通る。

  「カーン、カーン、カーン。」
  けたたましい響きだ、
  鐵工場の前。
  その庭に、日まはりが咲いてゐる。

  くろぐろと、
  茂つた夏草。木立には、
  蝉
(せみ)が、
  油を煮るやうに鳴きたてる。

  びつしよりと、
  軍服を汗ににじませて、
  兵隊さんが通る、
  一中隊ばかり。

  「暑いなあ。」
  だれもがさういふ。しかし、
  夏ほど明かるくて、
  さかんなものはあるまい。



      十六 兵營だより

 武男くん、お手紙ありがたう。班長殿に呼ばれて、きみから來た手紙を渡された時は、ほんたうにうれしく思ひました。
 をぢさんや、をばさんも、お變りないさうで、何よりです。ぼくも、入營以來ずつと元氣です。このごろは、もうすつかり入營生活になれて、毎日樂しい日を送つてゐます。
 朝、起床ラッパが鳴ると、いつせいにはね起きます。すばやく寝床をかたづけて、かわいた手拭で、からだが赤くなるほどこすります。それから、兵舎の前に並んで、點呼を受けるのです。點呼がすむと、きれいな朝の空氣を胸いつぱい吸つて、「一、二、三、四。」と、掛聲勇ましく體操をしますが、その時は、何ともいへないよい氣持です。
 確は、午前と午後にあります。「氣をつけ。」の姿勢をきちんとしたり、大きな目を見はつて、くわつぱつに手をあげて敬禮をしたり、背嚢
(はいなう)と銃を肩に、歩調を合はせて勇ましく行進したり、「をりしけ。」や、「ふせ。」の姿勢で、小銃を撃つけいこをしたりします。
 時には、朝早くから、遠くへ演習に出かけることもあります。斥候
(せきこう)になつて森や林の中をかけまはつたり、「パンパン、パンパン。」と、小銃や機關銃を撃つたり、相手の陣地に、「わあつ。」と大聲をあげて、はげしく突撃したりします。このやうに、野原や山を一日中かけまはつて、夕方おなかをぺこぺこにして、なつかしい兵營へ歸つて來るのです。すぐに兵器の手入れをして、夕飯をたべますが、そのおいしいことは、またかくべつです。大きなアルミニュームの食器に、山もりにした御飯を、見るまに平げてしまひます。
 夕食後は、ぼくらの最も樂しい時間で、お風呂
(ふろ)へはいつたり、軍歌の練習をしたり、お汁粉や、大福餅をたべながら、お國じまんの話に花を咲かせたりします。
 午後八時には、夜の點呼があるので、めいめいの部屋で整列して、週番士官殿の來られるのを待ちます。週番士官殿が見えると、班長殿は、
「第一班、總員三十名。事故なし。」
と、人員の報告をされます。それから、ぼくたちに向かつて、
「番號。」
といはれます。ぼくたちは、「今日も、おかげで無事に終りました。」といふ心持で、「一、二、三、四、五、六。」と、大きな聲で、次々に番號を送つて行きます。
 點呼が終ると、みんな聲をそろへて、おごそかな氣持で、軍人勅諭
(ちよくゆ)を奉讀します。靜かな夜の兵營のどの室からも、力強い奉讀の聲が聞えて來るのは、この時です。
 勅諭の奉讀がすむと、班長殿から、いろいろな命令や注意などを受けます。
 九時には、「みんなおやすみなさい。」と、消燈ラッパが鳴り渡るので、その前に、日記をつけたり、手紙を書いたりします。
 ぼくらが、朝夕寝起きする室の壁ぎはには、銃を立て掛けておくところがあつて、手入れのよくとどいた小銃が、行儀よく並んでゐます。兩側には寝臺があつて、寝臺の後には、めいめいの持物を置くたながあります。その上に、ていねいにたたんだ軍服や、背嚢などが、きちんと置いてあります。室のすみからすみまで、よくせいとんがしてありますから、いざといふ場合には、暗がりでも、すぐ武装
(ぶさう)することができます。
 晝のつかれで、みんなすやすやと眠つてゐると、夜中に、
「武装して、兵舎の前に集れ。」
と、急に命令がくだることがあります。その時は、大急ぎで武装して、まつ暗な兵舎の前に整列します。
 入營當初は、寒い風が吹きまくる營庭で、確をしたり、つめたい水で食器を洗つたり、せんたくをしたり、なかなか骨がをれましたが、だんだんなれて來ると、日々の仕事がおもしろく、ゆくわいになります。
 兵營は、いはば一つの大きな家庭で、中隊長殿を始め、上官のかたがたは、ぼくらを、自分の弟か子のやうにしんせつにしてくださいます。それで、みんなは仲よくはげましあつて、毎日、確をしたり勉強したりして、軍人としてのりつぱな与世鰺椶弔胴圓のです。
 武男くんたちも、やがては、かういふ兵營生活をするやうになるのですから、今のうちから、しつかりやるやうにしてください。
 手紙を書いてゐる間に、いつのまにか九時前になりました。ぢき消燈ラッパが鳴りますから、これでやめます。みなさんによろしく。さやうなら。
  年 月 日                        新 一
 武男くん



      十七 油蝉
(あぶらぜみ)の一生

 油蝉の子は、土の中に住んでゐます。前足が丈夫ですから、けらや、もぐらのやうに、土の中を上手にもぐつて行きます。たいていは、木の細い根をぢくにして、まるい穴をほり、その中にはいつてゐます。油蝉の子の口には、針のやうな管がありますから、その管を木の根にさしこんで、汁を吸つて生きてゐます。
 それにしても、この油蝉の子は、いつ、どこで生まれたのでせうか。
 夏の末になると、親蝉は、木の皮にきずをつけて、その中に卵を生みます。卵は、そのままで冬を越して、あくる年の夏かへるのですが、その時は、二ミリぐらゐの小さな、白いうじのやうなものです。この小さな虫が、やがて木をおりて、いつのまにか、柔かい土の中にもぐりこんでしまひます。
 最初は、淺いところにゐますが、年を取るにつれて、だんだん深いところへはいつて行きます。からだも大きくなり、形も色も、しだいに變つて、丈夫さうになります。
 土の中へもぐつてから七年めに、やつと長い地下の生活が終るのです。そこで、油蝉の子は、深いところから、だんだん淺いところへ移つて、地上へ出る日の來るのを待つてゐます。
 天氣のよい夏の夕方、油蝉の子は、今日こそと穴から地上へはひ出します。もう鳥などはたいてい寝てゐますが、それでも油蝉の子は用心して、急いで安全な場所をさがします。木とか、草とかにのぼつて、安心だと思ふと、前足のつめで、しつかりとそれにしがみつきます。すると、ふしぎにも、前足は堅くその場所にくつついて、動かなくなります。
 そのうちに、堅いせなかの皮が縱に割れて、中からみづみづしいからだが現れます。すぐにせなかが出る。頭が出る。つづいて足が出て來ます。もう殘つたところは、腹の下の方だけです。
 そこで、おもしろい運動を始めます。ぐつとそりかへるやうにして、頭を後へさげます。しばらくは、そのままで、じつと動かないでゐますが、やがて起き直つたと思ふと、からだは完全に拔け出します。しわくちやになつてゐた羽が、みるみる延びて來ます。
 もう、蝉の子ではありません。色はまだ愬鬚て、弱々しさうですが、形はりつぱな親蝉です。
 夜風に當り、朝日に當ると、すつかり色が變つて、見るからに丈夫さうな油蝉になります。さうして、天氣のよい夏の日を、樂しさうに飛びまはり、鳴きたてます。
 油蝉は、それから二三週間生きてゐます。滿六年といふ長い地下生活にくらべて、なんといふ短い地上の命でせう。ところで、この六年でさへ長いと思はれるのに、外國には、十何年も、土の中にもぐつてゐる蝉があるといふことです。



      十八 とびこみ臺

「向かふのとびこみ臺へ、泳いで行かう。」
といつて、本田くんといつしよに、肩を並べて泳いで行きました。
 とびこみ臺の中段へあがつて、そこから、二人ともとびこみの練習をしましたが、本田くんの方が上手でした。
 上のいちばん高い段からは、五年生の山本くんがとんでゐました。からだをぴんとのばして、臺の上から、まつさかさまに、水の中へずぶりとはいつて行くのは、いかにも愉快さうでした。
「わたなべくん、上の段からとばうよ。」
と、本田くんがいひましたので、いちばん上の段へのぼつて行きました。とばうと思つて下を見ると、何だかこはいやうな氣持がしました。
 頭の上では、夏の太陽が、かんかんと照つてゐます。悗で箸呂らきらと光つて、目が痛いやうです。
「おい、早くとびたまへ。きみがとばなければ、ぼくがとべないぢやないか。」
と、本田くんがいひました。
「よし。」
といつて、ちよつと下を見ると、足がぴつたり板について、離れないやうな氣がします。
 空では、大きな入道雲が笑つてゐます。
「弱虫、早くとびたまへ。」
と、山本くんがいつたので、今度は、下を見ないで、向かふの山をじつと見つめました。
「えいつ。」
といひながら、思ひきつて、兩足で臺をけりました。
「あつ。」
と思つたその時、空と水がひつくり返つて、からだはもう水の中へもぐつてゐました。
 水の上へ顔を出すと、本田くんと山本くんが、臺の上で笑つてゐました。
「おうい、ぼくのとび方は、どうだつたい。」
と聞きますと、二人は、
「よかつた、よかつた。うまかつたよ。」
とほめてくれました。
 ぼくは、とびこみ臺の方へ泳いで行きました。



      十九 母馬子馬

   母馬子馬、
  沼
(ぬま)の岸、
  夏のゆふべの柳かげ。

  母が番して、
  子の馬は、
  ゆつくりゆつくり水を飲む。

  まるくひろがる
  水の輪が、
  いくつも出ては消えるたび、

  水にうつつた
  三日月が、
  ゆらゆら見えたりかくれたり。

   母馬子馬、
  沼の岸、
  柳のかげが暮れて行く。 


      二十 東郷元帥
(とうがうげんすゐ)

 關東大震災の時であつた。  
「ドド
。」といふ、ものすごい地響きとともに、東京の何千萬の家は、一度に震動した。瓦(かはら)が落ちる、窓ガラスが飛ぶ、石垣がくづれる。傾く家、めちやめちやにつぶれる家もずゐぶん多かつた。
 市民は、まつたく生きた氣持もなかつた。命からがら逃げ出した者も、しばらくは、つづいて起る餘震におどろいて、ただ「あれよ、あれよ。」といふばかり。まして、けがをした者や、つぶれた家の下敷きになつた者は、どんな氣持であつたらう。
 東郷元帥の家は、質素な、古い木造建であつた。はげしい震動に、この家も、たちまち壁はくづれ、屋根瓦はたいてい落ちてしまつた。
 ちやうど、お晝の食事中であつた元帥は、家の人々といつしよに庭へ出たが、はげしい震動がひとまづ過ぎると、すぐに居間へとつて返した。たんすをあけて、みづから軍服を取り出し、手早く着かへた。さうして、胸には、うやうやしく勳章
(くんしやう)をつけた。
「どうなさるのでございますか。」
といふ家人の問に對して、元帥はおごそかに、
「赤坂離宮
(りきゆう)へ。」
と答へた。
 ひきつづき起る餘震に、家は震ひ、地はゆれ、市民があわてふためいてゐる中を、七十七歳の老元帥は、赤坂離宮へと急いだ。
 當時、大正天皇は、日光にいらせられた。元帥は、赤坂離宮に、攝政
(せつしやう)殿下をお見まひ申しあげたのである。
 攝政殿下の御無事でいらつしやるのを拜した元帥は、胸をなでおろしながら、三時ごろおいとまを申しあげて、自宅へ歸つた。
 そのころ、東京市中は、いたるところに火災が起つてゐた。
 歸るとすぐ、元帥は家の人に、
「陛下のお寫眞を、庭へお移し申せ。」
と命じた。
 お寫眞は、庭の中央に安置された。
やがて、火は近くの家に起つた。元帥の家の人々は、手傳ひに、その方へかけつけて行つた。
 ところが、火はたちまち元帥の家をおそつた。まづ、自動車小屋が見るまに燒けた。
 元帥は、家に殘つてゐた人々を指圖しながら、みづから防火につとめた。
「あぶなうございます。どうぞ、おたちのきください。」
と、人々がすすめても、元帥は、
「なに、大丈夫。もう少し。」
といつて、聞き入れなかつた。自分の家を燒くのは、近所の家々へ、めいわくをかけることになる。守られるだけは、守らなければならないといふのが、元帥の心であつた。
 火は前後二回おそつたが、元帥の指圖と、集つて來た人々の働きによつて、消しとめられた。かうして、家は最後まで無事であつた。


      二十一 くものす

 二階の窓から見てゐると、大きなくもが一匹、すうつと、私の目の前へぶらさがつて來ました。私は、びつくりしました。
 見ると、くもは、雨どひのところから、糸を引いておりて來たのです。さうして、そのまま、じつとして動かうともしません。これから、いつたい、何をしようとするのかと思ふと、私は、急におもしろくなつて來ました。
 くもは、やがて後の方の足を動かして、おしりのところから、たくさんの細い糸を引き出し始めました。糸は、一センチ、二センチと、見るまに延びて、二メートルぐらゐになりました。何十本とも知れない細い、白い糸が、夕風にゆられながら、ふはふはと空中にただよつてゐるのは、ほんたうにきれいでした。
 そのうちに、このたくさんの糸の中の一本が、向かふの柿の木の枝にくつつきました。くもには、それがすぐわかるものとみえて、しきりにこの糸を引つぱつたり動かしたりしてゐましたが、やがてそれを傳つて、向かふへ渡り始めました。さうして、風にゆられながら、やつと柿の木にたどり着きました。くもは、ほつと一安心したやうでした。
 今度は、前の方の足をしきりに動かして、この糸を自分の方へたぐり始めました。すると、今までたるんでゐた糸が、だんだんまつ直になりました。かうして、雨どひと柿の木との間に、一筋の糸が、空中にぴんと張り渡されました。
 くもは、この上を、いそがしさうに行つたり來たりして、すを作る仕事をつづけました。私は、くものりかうなのに、すつかり感心してしまひました。
 晩になつて、また行つて見ますと、そこには、もうりつぱな網ができてゐました。


      二十二 夕日

 赤い大きな夕日が、今、西の遠い、遠い地平線に落ちて行くところです。
 燒けきつた鐵のやうにまつかです。たらひほどに見える大きな圓の中には、何かとろとろと、とけた物が動いてゐるやうに見えます。
 地上のみどりのあざやかなこと、美しいこと。遠くの木立や、家や、煙突が、くつきりと夕空に浮き出してゐます。
 日は、ぐんぐんと落ちて行きます。一センチ、二センチと刻んで行くやうに、動くのがはつきりと見えます。もう、圓の下の端は、地平線にかかりました。
 ずんずん、沈んで行きます。
 圓は、しだいに半圓となりました。櫛
(くし)ほどになりました。あ、とうとうかくれてしまひました。
 日が落ちたあとの空は、なんといふ美しさでせう。今、日が沈んだばかりのところから、さし出たいく百筋のこまかい金の矢が、夕空を染めて、空は赤から金に、金からうす悗法△椶しあげたやうです。
 あちらこちらに、眞綿を引き延したやうな雲が、金色に、くれなゐに、色づき始めます。
 美しい空です。はなやかな空です。



      二十三 秋の空

  どこまでも
  高い空だ。
   煙突やアンテナが、
   せいのびをしてゐる。

  どこまでも
  悗ざだ。
   電柱の碍子
(がいし)が、
   くつきりと白い。

  どこまでも
  さえた空だ。
   たたけば、かんかん
   音のする空だ。



      二十四 濱田彌兵衛
(はまだやひやうゑ)

 末次船(すゑつぐぶね)の船長濱田彌兵衛は、臺灣(たいわん)のオランダの長官ノイツの不法な仕打に、腹が立つて腹が立つて、たまりませんでした。
 臺灣は、明治以來日本の領土になりましたが、今から三百二十年ぐらゐ前までは、まだどこの國のものともきまつてゐませんでした。今日、高砂
(たかさご)族といつてゐる島の人が、未開の生活をしてゐるだけでありました。
 その以前から、日本人は、さかんに南方へ船で出かけ、南支那から、今のフィリピンや、佛印
(ふついん)や、タイや、ジャワ・スマトラあたりまで進出して、貿易(ぼうえき)をしてゐました。したがつて、その途中にある臺灣へも、早くから往來して、そこで島の人や、南支那から來る船と貿易をしたり、そこからさらに南支那へ渡つたりしてゐました。臺灣に住んでゐる日本人も、たくさんありました。
 濱田彌兵衛は、長崎
(ながさき)の貿易商末次平藏(へいざう)の船の船長として、いつも臺灣から南支那へ通つてゐました。
 ところで、そのころ、ひよつこりと臺灣へ現れたのが、オランダ人です。かれらは、兵力を以て臺灣の港を占領し、そこに城を築きました。さうして、日本船や支那船が、貿易するのをさまたげるために、一割といふ高い關税を拂ふことを命じました。
 いはば、新參者のオランダ人が、古參の日本人をじやまあつかひにしたのです。そこで、日本人は、なかなか承知しませんでした。そこでオランダの長官は、たびたび日本船を取り調べたり荷物を沒收
(ぼつしう)したりして、さんざんいやがらせをしました。
 彌兵衛が、末次船二さうを仕立て、荷物や武器を積んで、臺灣に着いた時、オランダの長官ノイツは、すぐ役人に命じてその船を調べさせ、一時、彌兵衛を一室にとぢこめておいて、武器や船具を沒收させてしまひました。彌兵衛が腹を立てたのは、それがためであります。
 しかし、彌兵衛は、なにもオランダ人と、けんくわをしようといふのではありませんから、できるだけおだやかに出て、武器や船具を返してくれるやうに、たびたびかけ合ひました。ノイツは、
「何のために、武器を積んで來たのか。」
と彌兵衛を責めます。
「海賊にそなへるためです。」
と、彌兵衛は答へました。そのころ、南支那の海上に海賊の一團がゐて、彌兵衛も、これまでずゐぶん苦しんだことがあります。しかしノイツは、
「もうこのへんに、海賊はゐないはずだ。」
としらばくれて、武器を返さうといひません。
 かういふかけ合いをしてゐる間に、むなしく月日が過ぎて行きました。ノイツは、武器や船具を返さないばかりか、日本船に水さへもくれません。しかも、そのやうすがすこぶるわうへいで、高い椅子
(いす)にふんぞり返りながら、足をもう一つの椅子の背にのせたままで、彌兵衛に面會したこともありました。オランダ人の足が、日本人の頭の上にあるといふことが、どれほど彌兵衛たちを怒らせたかわかりません。
 彌兵衛は、もうこの上がまんして、日本の恥を臺灣にさらしたくありませんでした。何とかして、日本へ歸りたいと思ひました。もし歸れないなら、むしろオランダ人と戰つて、死んだ方がましだとさへ思ひました。
 彌兵衛は、部下の者といつしよに、ノイツに最後の面會を求めました。その時、ノイツは城外の別館にゐましたが、通譯
(つうやく)や、そのほか數人の者がそばにゐました。
 彌兵衛は、まづおだやかに申し出ました。
「私どもは、日本へ歸らうと思ひますから、ぜひ、出航を許可していただきたうございます。」 
 ノイツは、だまつてゐました。
「それで、このさい、船具や武器のお引き渡しを願ひたいと思ひます。」
ノイツは、まだ返事をしません。
「風の都合もありますし、どうか今日はぜひとも。」
するとノイツは、
「歸ることは許さん。」
と、いつものやうにわうへいに答へました。
「どうしても許さないといはれるなら、今日は覺悟がありますぞ。」
と、彌兵衛は、少しつめ寄つていひました。
 このやうすを見て、そばにゐたオランダ人たちが、びつくりしました。
 ノイツも、氣味わるく思つたやうですが、わざと平氣な顔で、
「そんなに歸りたければ、歸れ。」
と吐き出すやうにいつたあとで、
「だが、荷物は全部置いて行くのだぞ。」
とつけ加へました。
 彌兵衛は、じつとノイツを見つめました。もう、がまんも何もあつたものではないと思ひました。
「ようし。」
と叫ぶが早いか、すばやくノイツに組みつきました。
 彌兵衛は、かた手にノイツの胸ぐらをつかんで引きすゑ、かた手に短刀を拔いて、その胸に突きつけました。
 彌兵衛の部下も、刀を拔きました。
 その室にゐたオランダ人が、逃げ出して急を知らせました。
 たちまち、城内にラッパが鳴り響きました。オランダ兵士が、彈をこめた銃を持つてかけつけて來ました。
「ドドン。」
兵士たちは、屋内へ向かつて撃ちこみました。
 彌兵衛は、ノイツの首に刀を突きつけたまま、
「撃つなら撃て。その代り、長官の命はないぞ。」
といつて、きつとあたりをにらみました。
「いや、撃つな。撃つなといへ。」
目を白遒気擦覆ら、ノイツは、かけつけて來たオランダ人にいひました。
 兵士は、仕方なく撃つことをやめました。
 それから彌兵衛は、ノイツをしばりあげたままで、長い間だんぱんをつづけました。
 とうとうノイツは、これまでたびたび沒收してゐた荷物や、武器・船具、そのほかすべての物を返すことを約束しました。
 數日ののち、彌兵衛を船長とする二さうの日本船は、受け取つた荷物をいつぱい積み、おまけにオランダ船一さうを引きつれて、堂々と臺灣の港を出航しました。
「ヤヒョーエドノ」といふ名が、そののち、オランダ人の間に響き渡りました。





    潮 銀 狩 調 拂 標 廷 從 祝 座 奥 給
  汝 討 勅 失 絶 祈 任 特 丈 震 麻 固
  傷 術 當 櫻 遺 族 配 寝 湯 照 泥 耕
  講 式 鍬 等 科 全 現 賊 圍 覺 悟 低
  越 輪 齒 航 景 振 妙 造 堤 市 街 附
  坂 汲 餘 幅 尺 危 油 注 錦 伐 探 筋
  怒 叫 計 變 刻 端 響 煮 活 拭 練 敬
  整 總 故 報 告 奉 燈 壁 諭〕棔ヾ鼻)
  柔 縱 割 直 完 愉 快 離 柳 暮 災 垣
  民 質 素 對 老 宅 央 圓 法 領 未 往
  商 占 税 具 責 背 恥 求 可 吐 約 


 

 

 

       (注) 1. 『初等科國語 三』の教科書は、昭和17年2月16日発行、昭和17年3月25日翻刻発行。
        著作兼発行者 文部省。発行所 日本書籍株式会社。
          これは、『複刻 国定教科書(国民学校期)』(ほるぷ出版刊、昭和57年2月1日)により
        ました。原本所蔵は、信濃教育博物館です。

        2.  
教科書巻末の漢字表の漢字には、「潮(4) 銀(4) 狩(6) ……」のように、漢字の下
        に頁数が表記されていますが、ここでは省略しました。
          なお、教科書本文の挿絵も、省略しました。
       3. 『初等科國語 三』の教科書は、国民学校4年生前期用の教科書です。
       4. 「九 笛の名人」の用光の話が、『十訓抄』や『古今著聞集』にも出ていますので、次に引
        いておきます。
            『十訓抄』 (第10 可庶幾才能・藝業事   27 和邇部用光の篳篥)
          わにべのもちみつといふがく人有けり。土佐の御ふねあそびといふことにくだりて、後本
          國へのぼりけるに、あきの國何がしのとまりにて、かいぞくをしよせたりけり。ゆみやの
          ゆくゑしらねば、防戰に力なし。今はうたがひなく、ころされなんずと思ひて、ひちりきを
          取出して、やかたのうへにゐて、「あの黨や。いまは、さたにおよばず。なにをもとりたま
          へ。たゞし年比おもひしめたる、ひちりきのこでうしといふきよく吹て、きかせ申さん。さる
          ことこそありしかと、後の物がたりにもし給へ。」と云ければ、むねとあるもの大なるこゑ
          して、「ぬしたちしばしまて。かくいふことなり。物きかむ。」といひければ、舟をゝさへて、
          をのをのしづまりたれば、今ばかりとおぼえければ、涙ながして、めでたき聲を吹出して、
          心すましたりけり。折からにや、そのしらべ浪の上にひゞきわたりて、かのじんやうの江
          のほとりにひゞきし、むかしがたりにことならず。かいぞく、しづまりていふ事なし。よくよ
          くきゝて、きよくをはるほどに、さきのこゑにていはく、「君が舟に心をかけてきたりつれ
          ども、此曲に涙おちて、かたよりぬ。」とてこぎよりにけり。たけきもののふのこゝろをな
          だむる事、わかにはかぎらざりけり。是はみな管絃のとくなり。またこのことは、鬼辰
          所感にあらねども、命をたすくる嚴重によりて、次にしるす。
              (岩波文庫『十訓抄』
(昭和17年9月25日第1刷発行、昭和32年9月5日第2刷発行)による)

            『古今著聞集』 (巻第12 偸盗第19)
               篳篥師用光臨調子を吹き海賊感涙の事
          又篳篥師用光、南海道に發向のとき、海賊にあひにけり。用光をすでにころさんとする
          時、海賊に向
(むかひ)ていはく、「我ひさしく篳篥をもて朝につかへ、世にゆるされたり。
          今いふかひなく、賊徒のために害されんとす。これ宿業のしからしむるなり。しばらくの
          命をえさせよ。一曲の雅聲をふかん」といへば、海賊ぬける太刀をおさへてふかせけり。
          用光、最後のつとめと思
(おもひ)て、泣々(なくなく)臨調子を吹(ふき)にけり。其(その)時、な
          さけなき群賊も感涙をたれて、用光をゆるしてけり。あまさへ、淡路の南浦までおくりて、
          おろしをきけり。諸道に長
(たけ)ぬるは、かくのごとくのを、かならずあらはす事也。末
          代なをしかある事共
(ども)多かり。
                   (日本古典文学大系『古今著聞集』
(昭和41年3月10日第1刷発行)による)
            
なお、「用光」について、日本古典文学大系『古今著聞集』の頭注には、「拾芥抄は茂光。続教
            訓鈔にも茂光と海賊との説も載せる。「和爾部用光<ワニベモチテル>」(教訓)。十訓抄・今鏡は
            用光とする。」とあります。引用文中に(教訓)とあるのは、「教訓抄」のことです。

       5.   資料105に 『ヨミカタ 一』の本文(全文) があります。
                     資料106に 『ヨミカタ 二』の本文(全文) があります。
             資料144に 『よみかた 三』の本文(全文) があります。
                     資料146に 『よみかた 四』の本文(全文) があります。
             資料154に 『初等科國語 一』の本文(全文) があります。
           資料156に 『初等科國語 二』の本文(全文) があります。
           資料186に 『初等科國語 四』の本文(全文) があります。
              資料189に 『初等科國語 五』の本文(全文) があります。
                    資料196に 『初等科國語 六』の本文(全文) があります。
           資料199に 『初等科國語 七』の本文(全文) があります。 
                     資料210に 『初等科國語 八』の本文(全文) があります。




 

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