7江戸時代の文化〜元禄文化・化政文化〜

1:元禄文化&化政文化の特徴

江戸時代には、士農工商という身分制度がしかれ、人々は それぞれの身分にそって生活をすることになった。 当然、文化も身分によって異なる文化を育んでいった。
元禄文化化政文化も、町人(工−職人、商−商人のふたつの身分)が 育んだ文化であった。
町人は「えた」「ひにん」を除く身分の中でもっとも身分がひくく、多くの不満を抱えていた。 彼らはその不満を文学や舞台に反映させたのだった。

2:江戸時代の文化の作品

〜元禄文化〜5代将軍徳川綱吉の時代〜

元禄文化は5代将軍の徳川綱吉に、平安時代以降の都であり、室町時代の文化の発展地であった、 芸術の都市、京都と、経済の中心地であった大阪の2つの都市(上方)を中心におこった町人文化である。

@ 文学作品

江戸時代には、印刷技術も発展して多くの本が出版された。
とくに、当時の世の中をありのままに描いた浮世草子という小説のジャンルがはやった。


<例>

井原西鶴 ← 浮世草子の作家。
井原西鶴は、当時の身分差別によって苦しむ人間を主人公にしたり、生き生きした町人の姿 を描いた、浮世草子という小説のジャンルを多く書いた。

松尾芭蕉(まつおばしょう)← 俳諧(はいかい)を大成
5・7・5・7・7の短歌よりももっと短い、5・7・5の17音のみで構成される俳諧(俳 句の基礎)を、松尾芭蕉が完成させた。松尾芭蕉は諸国を歩き回り、自然の美しさを俳諧 で表わした紀行文である『奥の細道』を書いた。

A 舞台演劇


管理人画 歌舞伎「石橋」

<例>

歌舞伎(かぶき)& 人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)  / 近松門左衛門
室町時代に完成された能楽は、武士のみが行う文化に江戸時代は設定された。
能楽という舞台演劇を見ることも演ずることもできなくなった町人たちの間で、 別に成立した舞台演劇が歌舞伎だった。
歌舞伎は、桃山時代に出雲阿国(いずものおくに)という女性によってはじめられた、 かぶき踊りという踊りを起源とし、元禄時代には、歌舞伎という名前になって、町人の娯楽となった。 人形浄瑠璃は、人形を使った舞台演劇。人形浄瑠璃・歌舞伎で演じられる作品の有名な脚本家に、 近松門左衛門がいた。

B絵画

江戸時代には装飾(そうしょくが)が発達した。
装飾画とは、装飾性に富む絵画のことで俵屋宗達・尾形光琳 たちが始めたものである。簡単に言うと、屏風(びょうぶ)やふすまなどの家具に描く絵のこと。 家具にきれいな絵を描くことで家具の芸術性が増すのである。

また、浮世絵という版画(印刷画)が出来た。浮世絵は元々、本の挿絵(さしえ)だったのだが、その絵を 1枚の絵として売り出した。その売り出しを始めたのは菱川師宣であった。


<例>

『風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)』・俵屋宗達 鼓(つづみ)を持った雷神と袋をもった風神を描いた。豪華で美しい。(

〜化政文化〜

化政文化は、18世紀末あたりから始まった文化で、松平定信の寛政の改革という、最も町人に対して姿勢 が厳しかった時代だった。
しかし、江戸(東京)を中心に、当時の社会情勢を皮肉ったシャレや文学作品 が多く残された。
@ 文学作品


管理人画 犬
(とくに意味はない)

 元禄文化の作品には上品さがあり、勉強をしないと読解がやや難しい作品が多かった。
しかし、化政文化の文学作品は、当時の社会情勢を批判しながらも面白おかしい、楽しい作品が多く描かれた。


<例>

『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』 /  十返舎一九(じっぺんしゃいっく)
東海道という五街道の1つを旅する二人の人物を中心に、コメディタッチで描いた作品。

『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』/ 滝沢馬琴(たきざわばきん)
勧善懲悪(かんぜんちょうあく:悪いものを正義が倒す。)で、8つの玉を持った犬の戦士 が、滅びてしまった里見家の再興に向けて戦う。(今で言うと、レンジャー戦隊ものとアニ メ『ドラゴンボール(初期)』のような冒険アドベンチャーがまざった感じか?)

狂歌・川柳(きょうか・せんりゅう)
狂歌は和歌の形式(5・7・5・7・7)を、川柳は俳諧の形式(5・7・5)をかりて、 当時の政治や社会を皮肉ったジャンル。
田沼意次のわいろ政治を皮肉った 川柳「役人の子はにぎにぎをよく覚え」や、寛政の改革を皮肉った狂歌 「白河の清きに魚もすみかねてもとのにごりの田沼恋しき」が有名。

A 絵画
出版技術が発展した江戸時代は、本だけでなく絵も多く印刷され、多くの町人がよろこんで その印刷された絵を買った。


<例>

浮世絵 / 錦絵
江戸時代に印刷された絵のこと。錦絵は浮世絵がパワーアップしたもので、より多くの色が塗られた。

『東海道五十三次』/ 安藤広重(歌川広重)
東海道でのたびの風景を描いた浮世絵。

『富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)』/ 葛飾北斎(かつしかほくさい)
全国から見た各地の富士山をテーマにした浮世絵。 (左絵参照)

B その他

化政文化になると、学問も進んで学ばれるようになった。

蘭学(らんがく)&国学(こくがく)
鎖国をしていた日本(幕府)を批判し、オランダが日本にもたらした外国の著書を研究した蘭学と、 儒教や仏教に没頭している日本(幕府)を批判して、儒教や仏教の影響をうける以前の日本を研究する 国学が生まれた。
蘭学者の代表者に、オランダ語のドイツの医学書である 『ターヘル=アナトミア』を 日本訳した『解体新書』の作成者の杉田玄白・前野良沢がいる。
国学者の代表者には、『古事記伝』 を書いた本居宣長がいる。

〜コラムその6 江戸時代〜

江戸文化にびっくりしたヨーロッパ人

右の絵を見てください。
どちらの絵も、雨が降っているときに橋を渡っている人々、を描いていますね。

しかし、この2つの絵、描いている人も違えば、その人の国も違うのです。

実は左側が安藤広重、右がヨーロッパの有名画家ゴッホの作品なのです。

ヨーロッパの絵というのは、人物を中心に描き、背景はあくまでおまけ!そして 余白を残さないという絵 が正しい絵と考えられてきました。
ゴッホは、この安藤広重の絵を見てびっくりしたなのです。 「余白も多く背景が絵の主役だなんて。しかもなんと赤色と藍色が使われた美しい色彩なんだ!!」と。

安藤広重の絵に心を奪われたゴッホは、この絵を模写(まねた)をしたのでした。

ゴッホはフランスで活躍した画家ですが、フランス人は日本の文化をよく好むと言います。
自分たちとまったく違う芸術性が日本にあるのです。フランス人は文化が大好きなのですね。