ただいまー!
夢の舞台から帰って来ました。
本当にたくさんの御声援、どうもありがとうございました。
元気にスタート地点に立てた事の喜び、鳥肌が立つような高揚感、笑顔でゴールにたどりつく事が出来なかった悔しさ
シドニー後の4年間に、自分が得た物、失った物・・・
一言では表せない色々な事を感じた五輪でした。
でも、皆さんの応援をパワーに、今持っている力は出し切ってきました。
そして、この大会は私の人生の中の一つの大きな財産となると思います。
そしてこの、私だけしか出来なかった経験を、私自身はもちろん、MTB界や多くの方々にフィードバックする使命を得たと思っています。
ここからがまた新たなスタート。
今後とも、御指導、御声援のほど、どうぞよろしくお願いします。


アテネオリンピック、やはりというか、想像以上でした。
なかなか、簡単には言い表せないのですが、本当に貴重な体験が出来ました。
MTBの世界選手権は毎年行われ、出場人数はオリンピックより断然多く、レースだけの規模も大きいのですが、とにかく世間の注目度がまるで違います。
全世界が一つ、そこを向いているという大会で、世界中の注目をあびて走れるのはやはりオリンピックしかありません。

オリンピック出場が決った時点から出場まで、本当に多くの方々から励ましの御言葉や、お気持ちを頂き、改めて、こんなに応援していただけて幸せだと感じました。
そしてオリンピック選手としての活動がスタートしたのです。


●決定から出発まで

私の場合、特に出場が決ったのが遅かったので、本番まで2ヶ月もなかった。
その中でレースに備えて、限られた期間の中で自分を最高の状態に持って行く。それだけでも大変な事なのにレースだけが与えられたわけではない。
様々な手続きから始まり、びっくりする程多くの取材への対応や催し
おまけにこの時期のペンションは、一年の内でも最も忙しい時期でもある。
MTBを少しでも多くの一般の方々にも知ってもらい、興味を持って頂く為の絶好のチャンスではあるけれど、それだけにとらわれていては、とても良いコンディション作りなど出来る状態ではない。
チームやクラブの皆や、多くの方々に助けてもらえなかったら、とてもこの期間をやり過ごす事は出来なかったと思う。

●いざ出発

周りの協力を得ながら、出来るだけの準備をし、いよいよ出発。
その日その日を送るのが精一杯で、色々考える暇もなく緊張感もない。
成田空港で、ついにここまで来たんだな、という思いになり、そこからは1つ1つの物事が、無事である事にほっとしている自分がいた。
とにかく、まずはきちんとスタートラインに立つために、1つ1つをクリヤーしていかなければならない。
フランクフルトの空港、アテネ空港、そして選手村。無事到着する度に、ついにここまで来たんだな、と思っていた。 
世界のトップアスリート達が一同に集結し、オリンピックファミリーとして迎え入れられた選手村で自分がこれから向かう競技にだけ集中して過ごす。そんな場にいられた事は選手としてとても幸せだった。
選手村に入ってから、レースの日まで、4回の夜を過ごす。
何事もなく、体の何処にも異常がなく、目覚められる事にほっとする日々
選手村には、普段はテレビでしか拝めないような顔がたくさんあり、街中を歩いていたら、すぐに握手やサイン攻めに合ってしまうような人達が、普通に歩いている。
日本選手団は皆、すれ違うと挨拶をかわすので、そう言った人達から挨拶されるような事もある。それでも選手一人一人が自分の競技に集中している為に、以外とオリンピックという雰囲気がしない。
日本では一日中オリンピックのテレビが流れ、新聞も一面を飾り、オリンピックムード一色といった感じであったが、「灯台下暗し」ではないが、現地に入ってからは、日本選手の活躍の情報が流れる程度で、意外とオリンピックムードを感じない。

●レースコース

本番までにレースコースを走れたのは3日間。
一番、手こずったのがアテネの土質。「バフバフ」この言葉に尽きる。
コースレイアウト的にはテクニカルな所も殆どなく、単純でおもしろみのないコースなのだが、グリップしない土で、ブレーキも利きづらく、スピードを出して走るのが怖い。
路面も重く、パワーが重要視されるコースだ。
タイヤに関しては、あらかじめの情報で用意してもらえたので、良かったが、コース状況はここに来るまで殆ど情報がない。
準備の中でもレース成績に大きく関わってくる物と、さほど影響のない物があると思うが、1度、走っているかいないか、情報があるかないかは大きな問題の一つだと思った。
そのコースを想定したトレーニングというのは必要不可欠な事
そうは言っても、今回はそういう状態でここに来てしまったので3日間で少しでも慣れて、その中でベストを尽くすしかない。


●レース当日

そしてレース当日、何の異変もなく気持ち良く目覚められた事に感謝し、いつものレースに向かう手順で準備をし、会場に入る。
アップでスタートループを走っている時、初めてこれからオリンピックを走るんだという高揚感に包まれた。
ジーンとくるようなバックミュージックが流れていて、涙が溢れ出そうになる。
そして、名前をコールされてスタートラインに着く時、この時が一番オリンピックを感じた瞬間だった。
ついにここまで来た。万全の状態でスタートラインに立てた事に感謝し、あとは走るだけ。

●レース

今持っている力はフルに発揮し、精一杯走った。
5周回のレースで1周を終えた時点でのトップとのタイム差に愕然とした。
2度の転倒があったとはいえ、このままではとても完走出来るタイム差ではない。
少しでも長く走りたい。1人でも多く選手を抜きたい。
苦しく、暑く、乾いてしんどいレースであったが、とにかくゴールまで行きたかった。
思いもむなしく、最終周に入る直前で道がふさがれた。
終わってしまった。私の進む道はゴールラインではなくJAPANのチームテントにつながっていた。


●4年間たって

4年前のシドニーオリンピック。
4回目のオリンピック挑戦であったが、選考会で破れ、競技中心の生活、世界を目指して走るスタンスにピリオドを打つ事を決意した。
出来るだけの事はやったし、やり残した事はないと思った。
レースもやめてしまおうかと思ったが、好きなレースをやめてしまう事は出来ずに、新しいチームを結成して新たなスタートをきった。
競技中心の生活ではなくなったが、改めて、自転車に乗る事の喜び、レースに出れる事の喜び、仲間と同じ目標に向かって進んでいく喜びなどを感じる事が出来た。
活動自体を楽しめた。
もちろん、レースに出るからには、勝ちたいし常に上を目指している。

2年前のアジア大会で銀メダルを取り、たくさんの方々に喜んでもらえた。
その後の祝勝会で、ある方に「アテネを目指しますか?」と質問され、「その時に目指せる立場にあれば」というような応え方をしたが、その頃から頭のすみにはやはり、目指してみたいという思いはあった。
それでも、今の生活スタイルを変える気持ちはなかったし、競技は生活の一部としてやっていくものであった。
10年前にMTBの世界戦に初出場した事が、私をMTBにどっぷりとはまらせるきっかけとなった。
場所はドイツ・キルヒザルテン。
日本では考えられないほどの観客の多さ。シングルトラックでは観客が何重にも重なり合って、後の方を走っている私にさえ、大きな声援や様々応援グッズで音を鳴らし、応援してくれている。そんな中を鳥肌を立てながら走っていた。トップからは30分近く離され、同じレースをしている感覚はまるでなかった。
あー、こんな大観衆の中で同じレースがしたい、世界の中で戦いたいと強く思った。

遠回りしながらも、シドニーオリンピックの年には、世界のトップと戦えはしないが、同じレースを走っているという感じにまではなった。それが世界を目指して走ってきた結果であった。
あれから4年がたち、アテネのレースは初めて出た世界戦の感覚に近いものであった。
世界を相手に戦うレベルでのトレーニングは出来ていなかったし、世界はそんなに甘いものではない。
ただ、競技に対して、自分の選んだ環境の中で自分の出来る精一杯の事はしてきたので、その事に対して全く悔いはないし、どこかからやり直したいという気持ちもない。
この4年間で、確かに自分が失った物はあるけれど、得た物はもっともっと本当に大きい。
4年前にレースをやめてしまわなくて本当に良かったと心から思える。


●帰国後

「オリンピックどうだった?」と聞かれて簡単に答えることが出来ない。
まとめようと思ってもどこから手をつけたら良いのかわからない。
「貴重な体験をした」事は確か。色々な事を思ったし、この体験を今後に生かさなければならないと強く感じた。
私だけでなく、これから続いてくる人達にはもちろん、多くの人達に何か伝えなければならないし、今回学んだ
事を経験として、次に生かさなければならない・・・

オリンピックは重たい。
でも、本当に参加できて良かったです。

御支援、御声援、本当にどうもありがとうございました。
選手として走るのは私自身であっても、その為に本当に大勢の方々に支えられ、そして今自分がここまで来たのだと改めて実感させられる大会でした。
そして、これからまた、新たな気持ちでスタートします。
どういうスタンスでこれから活動していくかは、まだはっきりと見えていませんが、前に進む事は確かです。
今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。


team SY-Nak SPECIALIZED 中込 由香里



アテネより、無事帰国しました。
色々な意味で、恐るべしオリンピックでした。
数々の国際大会の中でも、やはりオリンピックは全くの別物です。
今年の日本のメダルラッシュを考えると、今回のMTBの結果は、「なーんだ」って思われる所もあるかも知れませんが、男女2人とも本当に良く頑張ったと思います。
今の日本の実力は、ライオンの群れに、シマウマが一頭で立ち向かっていく様なものですが、それであそこまで戦えたんだから、もう「良く頑張った、ご苦労さん!」と言う意外掛ける言葉がありません。
今回のコースは、数日前に山火事があった事によるコースのショートカットと言うのは、日本人にとってはかなり厳しいものとなってしまいました。
1周が短くなる事により、80%ルールに掛かってしまう率が、かなり高くなってしまい、特に男子は一周の距離が短くなった上に、一周増えているから、どう良く考えた所で、完走するのは不可能な状況でした。
その中を、限界を超えたペースで走る竹ちゃんの走りは、正に応援しているこちら側も、鳥肌を立てながらタイム差を告げていました。
前半は、予想タイムより、1分近く速いハイペースで走っていたのですが、最終回もギリギリの状態で追い込みすぎた事で崖に滑落などあり、残念ながら2人共もう少しの所で最終ラップに入る事ができませんでした。
由香里も1周目の2回の落車、竹ちゃんも、最終回の滑落がなければ・・・タラレバを言ったら切がないですが、本当に惜しかった。
でも、日本では全く体験できないようなコースコンディションの中で、良く走れたもんだなぁという気がします。
唯一心残りではあるのは、同じ順位であったとしても、あの大観衆の中に最終ラップをゴールさせて上げられなかった事が、つくづく悔やまれます。
その為には、自分にももっと何か出来る事がなかったのか・・・・・と自問し、胸が締め付けられる思いになります。
でも、何度も言いますが、男女2人とも本当によく頑張ったと思います。
結果や順位はどうであれ、これまでの頑張りや努力は、メダルを取った選手達にも負けてないはずです。
今回の結果が、いつの日か日本の金メダル獲得への道に、少しでも繋がって欲しいと思うし、そうしなければいけないと思います。
やはり、あの場で君が代を聞きたい。
泣いちゃうんだろうなぁ・・・・・きっと

応援していただいた皆さん、本当にありがとうございました。

team SY-Nak SPECIALIZED 中込 辰吾 

●MTBクロスカントリー女子 2004/8/27

順位 選手 国名 記録
ガンリタ・ダール ノルウェーノルウェー 1時間56分51秒
銀メダル マリエレーヌ・プレモン カナダカナダ 1時間57分50秒
銅メダル ザビナ・シュピッツ ドイツドイツ 1時間59分21秒
22 中込由香里 日本日本

●MTBクロスカントリー男子 2004/8/28

順位 選手 国名 記録
ジュリアン・アプサロン フランスフランス 2時間15分02秒
銀メダル ホセアントニオ・へルミダ スペインスペイン 2時間16分02秒
銅メダル バート・ブレントチェンス オランダオランダ 2時間17分05秒
38 竹谷賢二 日本日本


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裏アテネ

男子の優勝候補にも上げられたライダー・ヘシャダルだったが、スタート直後の接触により、あっけなくメダルの夢は潰えた。
全てをこの日にかけていた筈だが、僅か5分で涙を流しながらコースを後にする事となってしまった。



今回僕は、NHKの解説を担当
解説と言えば、会場に隣接したガラス張りの解説席を想像するかも知れないけれど、ここは会場から30km程離れた真っ暗なメディアセンターの中の一室
オリンピックともなると、メディアセンターだけでも大型百貨店並み
外は40℃近い気温だけど、この中は15℃程
寒さに声が震え、途中で毛布を頂きました。

レース翌日の夜、初めてアテネの街に出る。
後にライトアップされているのは、アテネの象徴パルテノン神殿
オリンピック期間中の平均的なホテルの相場が、なんと通常の10倍の1泊8万円だったけれど、後半我々の見つけた宿は、キャンプ場のコテージ(小屋)で、なんと1泊2000円弱
しかもエーゲ海のプライベートビーチ隣接の好立地



ヤギで道が通れない。
一歩街を抜けると、こんなのどかな光景も

帰りのアテネ⇒東京は、この方とご一緒に
すっかり有名なこのおじさん、単なる目立ちたがり屋ではないんです。
応援がどれだけ大切かと言う事を、つくづく教えて頂きました。
4つの企業の社長さんでもある。