お父さんの想い

’05・11・06

仰向けで寝る

三ヶ月前からフリット(ミニチュアダックス)が我が家の仲間になりました。
生後三ヶ月のフリットは、よく眠る子でした。
それも人のように仰向けで寝ます。
安心だと仰向けで寝るそうですが、トイレシートケースの角を枕にして愉快な格好で寝ます。
今は、六ヶ月目に入り仰向けで寝ることは無くなりました。
仰向けで眠られる事は、幸せな事です。
人は、だいたい仰向けで寝ます。
安心して寝ていると言うことでしょうか?
何時までも仰向けで眠りたい物です。

’04・1・13

成人式

世の中が、不景気で将来に希望が持てない。
成人式で、暴れる新成人
なぜ?そんなに他力本願、何ですか?
世間が良くなるように自分で何かしたんですか!
どうにもならないと思いつつも、世の中の為になることを
自分の意志でやった事が有りますか?
誰も助けてくれません
自分で生きるより無いんです。
世間や親のせいにして、納得の行く答えが出るんですか?

最後の最後、清々しい気持ちで
人生を振りかえる事が出来るよう生きよう。

’03・2・5

「自分で考えて生きる」

映画の中で親子のセリフ
子供「お父さん、針仕事は上手になれば他から仕事が来て
お金になるけど、学問は何になるの?」
お父さん「そうだな、これからは世の中もかわる、女の子でも学問は必要だ
学問は、自分で考える事が出きるようになる、これからは、自分で考えて
生きる時代だ」少しセリフが違うかも知れませんがこの様な事だったと思います。
自分で考えて生きる結構大変な事です、自分はただただ時に流されて生きてきたようです。
50才になりましてが何事も何時初めても遅いことは無いと思います。
「自分で考えて生きる」
たまには頭を使って見ましょうか!?

’02・12・11

2000台販売

車の営業も17年6ヶ月になり先月生涯販売累計2000台突破しました。
営業8年目で1000台販売しました、販売台数の事は、正直あまり考えていませんでした。
一番にあったのはやはり家族の生活です。
何とか良い家内と巡り会い良い子供が出来、精一杯生きて来られました。
これからが、本当の挑戦になります。
「無理しなくて良いよ」と聞こえてきますが、まだまだ出来ます。
3000台は果てしなく遠く感じますが、必ず達成出来ると信じて行きます。
慌てず、騒がず前だけを見てゆっくりと行きます。

’02・09・06



父親と別れてから
涙が遠くなり
その後はほとんど泣くことは
無くなりました。
母が亡くなってからは
悲しい話や
歌を聞いても
涙が出てしまいます

無理に止めることは無いと思います
涙が出るときは出して

日々楽しいことを探して
笑って
行きたい(生きたい)

’02・06・27

幸せ

ここの所幸せです
父の日にはティシャツと海パンをもらい
先日は、ETSUからボーナスが出たからと言って小遣いを
もらいました。
内の子供達も
少し出きるようになったと思い
幸せになりました。

’02・05・30

仕事

私の記憶なのでさだかでは有りませんが確かトムソーヤの冒険の中で
トムソーヤが伯母さんに塀のペンキ塗りを頼まれ最初はイヤイヤやっていましたが
どうせやるなら楽しくやろうと元気いっぱい楽しそうにペンキを塗って居たら
仲間がやってきてあまりにも楽しそうなので「俺にも塗らせろ」と仲間のみんなが言いだし
トムソーヤは
仲間の持っていたお菓子やオモチャと交換に
ペンキ塗りをさせてあげたと言うお話しです。
イヤイヤ一人でやるより
楽しく仲間とやった方が良いですね。

今の時代そんなうまい話はなかなか無いと思いますが
どうせやるなら
楽しいと思い元気いっぱいやった方が
良いことが有るかも

楽しくやりましょう、行って来ます。

’02・04・25

作文嫌い

小学校低学年の頃
父さんは、内地(本州おもに東京方面)出稼ぎにでていました。
母さんに言われ父さんに手紙を書いていましたが
お土産を買って帰ってきた父さんが、一言「手紙をもらっても読めなかった」
それ以来書くのが苦手になりました。
と言っても
父さんが悪いわけでは有りません
全て私の言い訳です。

’02・03・07



中学生の頃特に訳もなく話をしなくなった事があります、
何がいやだとか気に入らないとかでは無く
話さなくても、食べなくても
別になんでもなかった
ある日
母さんが
花見に行こうと誘ってくれました
何も話さず何も欲しがらない
私を見て
母さんが泣き出し
突然のことに
「ごめんなさい」
の一言しか出ず
家に帰る道すがら
なにかとんでもないことをしていた気がしました。
その時に理屈では無く
親を泣かしてはいけないと感じたのを覚えています。

今思うと何も出来ない自分が
気に入らなかったのだと思います。
その後は?

’02・02・21

49年振り返って

今年で49才になりました
速かったような?そうでもないような?
不思議なことにあまり悲しい思いでは少ない
と言うより
人間の本能でつらいことは、はやく忘れる様に
出来ているのかも知れない(私だけ?)
ですから
若い内はおおいに悩み苦しみ
自分とたたかい
生きていた方が素晴らしいと思います。
何時までも自分と向かい合い逃げずに生きた方が良い!

実体は
失敗したり、どうにもならない事を嘆いたり、些細なことでくよくよしたり
だと思います

でまた、何十年かして
同じ事を言って居る
事でしょう。

自分を大切に!

’02・02・14

嬉しかった話(お年玉話ー2)

一番上の姉に甥が出来たとき可愛くてよく遊びに行きました
18才の時でした、その後私は東京へ就職
社内旅行で観光地へ行ったときちょうど5月小さな兜がありました
甥二人に買い送りました
その後はクリスマスにはお菓子の長靴とお年玉、旅行があるとお土産など
時々送っていました。
時が過ぎ
甥も千葉へ就職
1年目のお正月
遊びに来て
年もあまり変わらない内の子供に
お年玉をくれました。
「叔父ちゃんには小さいとき色々送ってもらったから」
私はとうに忘れていました
思い起こすと
18才で何も解らず上京
誰かになにかをしてあげている事が自分の支えだったように思います
自分の為にしていたのです。
今思うとお礼を言いたいのは私の方です。

もの凄く嬉しかった事です。


’02・01・30

一月も終わりなのに正月の話ですいません。

子供も働き始めたので
お年玉も上げなくて良くなり
今年は同居のお爺ちゃんお婆ちゃん(義父、義母)に
お年玉を上げようと思いました。

お爺ちゃんお婆ちゃんも私からもらうより
孫からもらった方が嬉しいのではと思い
子供を呼んで
「働き始めたので今年からお年玉を上げるので元気で長生きしてね」
と言ってお年玉を渡してくれと小遣いを渡しました
子供達もその様なことなら私が、お金を出すと言いましたが
今回はお父さんが出すからと渡しました。

子供達が、お爺ちゃんお婆ちゃん
にお年玉を渡したとき
凄く喜んでもらったらしく

渡して良かったと感激して居ました。

人に喜んでもらえる事を
する事は楽しい事です。

是非皆様も

お年玉の中身はお話出来ないほど
少しのお金です
それでも本当に喜んでもらいました。

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