養護教諭という職
~学校内におけるその位置と専門性の検討〜
(『名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要』第51巻第1号、2004年、75-86ページ) 杉村 直美
はじめに
「いじめ」「不登校」といった問題が社会現象として注目をあびはじめるのと同時期に、「学校のオアシス」「成績評価をしない唯一の教員」などとして、養護教諭に脚光があたりはじめた。実際、養護教諭をとりまく法改正は、ここ10年めざましいものがある。1995年には、学校教育法改正によって、養護教諭が「保健主事」に登用されることが可能になり、管理職への道が開かれた。1997年には、養護教諭に対してカウンセリング能力を求める答申[1]がだされ、翌1998年には養成カリキュラムも改正[2]された。同年に、「いじめ、登校拒否、薬物乱用、性の逸脱行動の問題に適切に対応するため」養護教諭が保健の授業を担当することが可能となった[3]。複数配置も進んでいる。養護教諭なら「子どもの心によりそい理解できるはず」とのイメージも定着しつつあるようである。
しかし実際の教育現場では、養護教諭は常に子どもの側に立ち続けられているわけではない。筆者が過去におこなった二つの調査[4]からは、教員と生徒が対立する問題でその板ばさみとなり、結果的に他の教員の言うとおりに動いてしまったことについて罪悪感をもつケースや、生徒の側に最後まで立てなかったことを「自分たちには不可侵な」家庭環境に起因する問題だとあきらめているケース、生徒自身の傷よりも自分の立場を守ることに関心が傾いてしまうケースなどが散見された。これらは、筆者の調査報告を読んだ人々に、子どもがなおざりにされているという印象を与え、養護教諭の職に対して否定的なイメージを抱かせるかもしれない。しかし、こうした現象は一部の養護教諭のパーソナリティーや資質に起因する問題ではなく、まさに現行の養護教諭職そのものの性質、あるいは学校内におけるその位置に起因する現象だと筆者は分析している。養護教諭という職制が制定されて約60年が経過した。その間、養護教諭は自らの「専門性」とは何かという問題にむきあいつづけ、自らの職業アイデンティティを問い直している。その過程で教師集団への同一化をはかりながら、同時に差異化を余儀なくされる存在として、つねに不安定な立場におかれてきた。
一方、行政の側でも「養護教諭に期待する」としつつも、1947年暫定的に設けられたにすぎないはずの学校教育法第103条「当分の間、養護教諭は、これをおかないことができる」を削除しないままである。その上、2004年には「高等学校設置基準の全部を改正する省令」が通知され、その9条において「高等学校には,相当数の養護教諭その他の生徒の養護をつかさどる職員を置くよう努めなければならない」とされた。配置が義務づけではなくなったことと、学校看護師やスクールカウンセラー、栄養教諭などからの選択制への移行準備とも受け取れるとし、現場では大きな動揺がおこっている。
本稿では、まず養護教諭という職の特殊性を明確にするため、それがたどってきた史的経緯を示し、それに付随する問題として、学校におけるその位置と職務の専門性をめぐる先行研究をもとに、現在の養護教諭が直面している問題を解決するための糸口を探ることを目的とする。
1905年、当時蔓延していたトラホーム対策のため、岐阜県の小学校が看護婦を雇い入れて[5]から学校看護婦は徐々に学校に根付き、1941年には「国民学校令」制定とともに養護訓導に、1947年には「学校教育法」が公布され養護教諭となった。しかし、名称が変化しても、養護教諭という職はつねに学校教育において、最近までほぼ一貫して周辺的なものとして扱われてきた。以下、具体的な証言や調査結果から、学校内での養護教諭の位置の変遷を概観する。
養護教諭制度50周年記念誌編集委員会(1991)が作成した記念誌には、学校看護婦であった1920年代、「登校を途中待ち受け(ママ)父兄の罵倒しばしばあり、又投石すら行われた(p.16)」「校内で余計なことをするなという非難攻撃を浴びせたり、中傷する教員もいる中でも、児童のために身を粉にして働き、自分の給与すら薬代として使用していた(p.17)」という逸話が語られ、差別的な処遇をうけつつも、学校看護婦は子どもたちのために奔走している様子がうかがわれる。
1940年代に入って養護訓導となっても差別的な状況はなくなっていなかったようである。安藤(1992,pp.32-34)は当時のことを、職員室に席はなく、職員会議にも出席が許されなかったこと、便所、痰壺の掃除、吐しゃ物の始末などすべて「看護婦さん」の仕事であり、掃除婦として処遇されていたこと、児童の健康観察のため校舎内を巡視していると「校長のまねをするのは、やめてくれ」などの反発がかなりあったことを記録している。
養護教諭となり、30年以上経過したのちも、学校内における位置は周辺的なものであった。例えば仙台養護教諭教育部会(1990)が仙台市内の養護教諭におこなった「養護教諭の悩みに関する一考察」という調査においては、1980年代、出勤簿や名簿、靴箱が最後である、配布物を忘れられることがよくあるなどという理由で、養護教諭の位置が低いと感じている養護教諭が多く、「職種が正当に理解されない」は53.3%、「他教諭から対等と考えられていないと思っている」は76.7%であり、その理由として「会議の時、職員室の留守番をさせられる」「入学式で紹介してもらえない」「行事、校務分掌など、つけたしにされており、補助員としかみられてない」ことなどが調査結果として挙げられている。
1989年には、小倉(1989)が「養護教諭の満足・不満要因について−16年前の調査結果との比較を中心に」という調査をおこなっているが、16年前とかわらず、学校保健に対する理解のなさ、教職員の養護教諭職に対する理解のなさを養護教諭がもつ不満としてあげており、他の教諭との扱いで差別感をもっているようだと記している。
伊藤(1997)は「相談活動を期待される養護教諭の役割認知とその悩みに関する一研究」という調査において、相談活動において養護教諭は教員との関係や孤独感など、学校組織との関係で悩みをもっているものが多く、とくに管理職との関係は大きく作用するという結果を報告している。さらに、養護教諭として「やりがい感」をもつ者は「専門的知識・技術」の習得や「教員の保健理解」を求めており、「やりがい感」のない者に、学内での地位や孤独感という学校組織内での人間関係に悩むものが多かったと報告している。伊藤はこの結果に対し他者との連携技術を磨くとともに、自らの専門性に自信をもち、学校全体の理解協力につなげていこうという積極的な姿勢が必要だと結論づけた。
鈴木ら(1999)は、「学校経営と養護教諭の職務」という調査において、「経験年数を積んだ養護教諭の方が教職員からの信頼も得られ、自身の児童生徒に対する指導に関する悩みが少なく、信念に自信があり、満足度も高い」が、これは、経験年数の若い養護教諭と比較した結果であり、信頼や満足度の悩みの程度をうかがい知ることはできないと論じる。たとえば「同僚教師との関わりでは、経験年数30年以上の養護教諭の8割以上が理解・信頼を得ていると答えて」いるが、同時に「連携の困難感を見てみると、困難を感じないものは約2~3割である」としおり、このことから、むしろ経験年数を積んだ「信頼を得ている養護教諭でさえも、職務上の連携を行う際には、葛藤を抱いていることが推測される」としている。また「学校組織と関連して経験年数による差異がほとんど見られない項目は、職場の連携体制、管理職のリーダーシップや教職員の雰囲気に対する認識である。養護教諭の職務に密接に関わる場面においても、教職員からの相談活動の理解、生徒の心に関する共通理解の獲得についても差異はみられない。これらの内容については、養護教諭自身のキャリア以上に、学校組織そのものの実態が大きく影響しているのではないかと予想される」と結んでいる。
早坂(2001)は「養護教諭の職務認識による行動の類型化」という調査をおこなっているが、「養護教諭と教諭・管理職の養護教諭への期待との比較から、養護教諭は保健指導や心に問題をもつ児童・生徒の個々の問題に関わることも職務として認識しているが、周囲の教諭の期待は救急処置であり、管理職はその立場上からも環境衛生や学校保健計画の立案といった全体的・管理的な職務も期待していることがわかった」「役割遂行上の問題点では、校内体制の不十分さや差別感・職務無理解・孤独感などがあげられた」と報告している。
これらの研究成果からも明らかなように、養護教諭は現在も学校看護婦だった時代と具体的な内容の差はあれ、教職員間における職務の無理解(もしくは「職務理解のズレ」)、被差別感(もしくは「教師との距離」)に心を悩ませている。それに対して、研究者たちは概して「養護教諭自身の力量の向上、対人関係スキルを磨くことで職場での位置を確保できる」と説いてきた[6]。個々の養護教諭だけに原因を帰して解決のための行動を求めるのではなく、学校組織のあり方そのものを問うているのは、散見するところ鈴木ら(1999)のみである。
現在まで、養護教諭の多くは研究者らが示唆するように「自分たちが仕事をしっかりすれば認められるはずだ」としゃにむに働き、周囲にも「納得させてみろ」と圧力をかけられ、その屈辱感をばねに勤務し、運動を展開してきた。現場の養護教諭たちの運動母体ともいえる「全国養護教諭連盟」は、学校内での立場強化のために「一般教諭と同じように養護教諭養成も4年制大学で」「専修免許も取得を」「保健の授業を担当できるように」「管理職への途をあけろ」「複数配置にせよ」と運動してきており[7]、そこには「一般教員と同じ立場をえる」ことへの強いこだわりがみられる。しかしその一方、「一般教員」に同化することによって「アイデンティティ」「専門性」がゆらぐのではないかという不安感も高まったのである。
1980年代の「非行」「登校拒否」といった問題がマスコミで取り上げられるようになるのと同時に、養護教諭は「学校のオアシス」「かけこみ寺」などとして脚光をあび、その存在を認知されるようになる。以後、学校でみられる現象、「いじめ」「薬物乱用」「性的逸脱」「生活習慣病」などが社会問題として注目をあびるのと比例し、養護教諭への期待が高まり、それを後追いする形で法改正も行われた。
まず1993年に、養護教諭の職制確立後初めて複数配置の途が開かれた[8]。1995年、学校教育法第22条の4で「保健主事は教諭又は養護教諭をもってこれに充てる」との法改正がなされた。1997年には保健体育審議会答申にて、養護教諭の新たな役割としてヘルスカウンセリング(健康相談活動)が挙げられ、その重要性が明示された。この答申に呼応し、1997年12月、教育職員養成審議会答申及び報告において「養護教諭の養成カリキュラムの在り方について(報告)」が示され、「健康相談活動の理論と方法」が新たな大学養成課程の科目として新設され、生徒指導や教育相談の単位が増設された。同時に、「いじめ、登校拒否、薬物乱用、性の逸脱行動等の問題に適切に対応するため、3年以上の教職経験を有する現職の養護教諭が、その勤務する学校において保健の授業を担当する教諭又は講師となることを可能とすること」という報告がなされた。これによって、1998年には教育職員免許法の一部を改正する法律等の公布がなされ、「養護教諭の免許状を有し3年以上の勤務経験がある者で、現に養護教諭として勤務している者は、当分の間、その勤務する学校において保健の教科の領域に係る事項の教授を担任する教諭又は講師となることができることとすること」(新法附則第18項及び新規則附則第33項関係)となった。
養護教諭の運動の成果もあり、養護教諭に関する法はこのように改正されていった。しかし、これらの変化によって養護教諭自身のアイデンティティはいっそうあいまいになった。1980年代は「非行」「登校拒否」が社会現象となったが、全国で3万人を超える養護教諭は、学校内にその存在が定着しつつあったこともあり、「相談機能をもつ教員」として一般教員との差異化を図りはじめた。養護教諭の現職研修にも「心の相談」「ヘルスカウンセリング」といった内容が盛り込まれるようになる。ところが、1995年に文部省がスクールカウンセラーを試験的に学校に導入しはじめると、養護教諭は「カウンセラー」との差異をアピールしなければならなくなった。「カウンセリング」と弁別する目的で「健康相談活動」という言葉を使用、普及させようという動きもみられる[9]。一方で、「学校内で唯一、医療に通じた存在であることアピールしよう」と「救急処置」や「医療知識」の習得(「救急救命士」資格取得など)へ回帰しようという傾向もある。養護学校を中心に都市圏では「学校看護師」が臨時に導入されていたが、2003年文部科学省がその試験的導入を全都道府県に拡大し、さらに長野県では看護師免許をもつ養護教諭に医療的ケアを行わせる試みがなされたことにより、養護教諭にとって看護師免許の必要性の有無を問う議論が再燃した[10]。これによって、再び「教育者」としての養護教諭の存在を強調しようとする動きもみられる[11]。管理職からは、「学校保健に関する組織活動」の円滑化に力を注ぐことも求められている[12]。さらに、子どもの心身の健康保持のため、学校組織内での「連携」の重要さが説かれ、保護者や地域社会、関連組織との連携を円滑に進めることも養護教諭に必要な属性とされている[13]。
全国の学校に各1冊配布されている『保健室における相談活動の手引き』(日本学校保健会1995)によれば、養護教諭は、子どもと保護者、教員、地域をつなぐ「パイプ役」、かつ子どもの健康問題における「コーディネーター」であらねばならないとされている[14]。養護教諭とは学校内において、「教師」「カウンセラー」「看護師」「ソーシャルワーカー」「コーディネーター」役割をすべて引き受けることを期待されているのであり、それを受け入れるなら日々職務は拡大していかざるをえない。それにともなって現場の養護教諭が「不安感」を高め、「アイデンティティ」の拡散を感じ、「専門性」を見失うのは当然の帰結のように思われる。しかし、指導者的立場にある養護教諭や養護教諭養成に関わる人々は容赦なく養護教諭を駆り立てているのである。
たとえば、『日本養護教諭教育学会誌』には養護教諭の「力量形成」「研究能力」への強いこだわりみられるが、これらの主張の背後には、すべての養護教諭は「研究能力」をもつべきであり、そのことによって職場における地位向上が達成できるという考えがある[15]。それに加えて、「養護教諭の研究が積み重ねられることによって、『養護とは何か』『養護教諭の独自の役割とは何か』が明確になってくる。そして、このことが養護教諭の活動の拠り所となる養護学の確立に大きく貢献すると考えられる」(後藤2001,p.6)という言葉にみられるように、養護教諭養成に関わる人々にとっても養護教諭の明確な職務理解が得られておらず、そのことに起因する「役割不安」が「立場の強化」へのこだわりを生み出しているのである。このこだわりはまた、「養護」という言葉に対する極端なこだわりにも表れている。同誌の創刊号には、岡田(1998,pp.69-75)が「養護教諭教育に関連する言葉の問題」の中で、1995年に健康教育世界会議が行なわれたおりには、養護教諭の英語訳の統一がなされず混乱をまねいたこと、言葉と文化の関係をのべたうえで、仮に「Yogo teacher」として、そのTermを説明する概念の構築を必要とする考えを述べている。たしかに、看護師免許をもつ養護教諭が半数を下回っている[16]現在、養護教諭の英訳を「School nurse teacher」とすることに違和感はあろう。しかし、表記を「Yogo teacher」に統一し普及させようという欲求の表出をその違和感だけで説明するのは困難である。同学会は2001年度には英訳ワーキンググループを発足した。そして2003年8月、日本学校保健学会「学校保健用語集刊行委員会」委員長宛に同学会理事長から「Yogo teacher」という英訳に統一することを要望書として送付した[17]。同年11月に開催された日本学校保健学会においては、鎌田(2003,p.63)によって、「学校保健用語集」にYOGO/Yogo teacherを採用し、その語句の説明として「養護教諭とは、『学校におけるすべての教育活動を通して、ヘルスプロモーションの理念に基づいて健康教育と健康管理によって、子ども(児童生徒)の発育・発達の支援を行なう特別な免許を持つ職員である[18]』を用いることを「養護教諭の職業的・学術的アイデンティティにかけてお願いする」としている。この語へのこだわりは、もはや研究から乖離した運動となっているというのが筆者の考えである。
用語へのこだわりにみられるこうした強迫的な態度は、複数配置に対する法律が公布された2001年、養護教諭の複数配置に関する大規模な調査が愛知県で行われたおりにも見られた。研修会の壇上で養護教諭の指導者が「複数配置のデメリットは絶対に口にしないでください。つぶされます。メリットだけPRしましょう」と発言しているのを筆者は目撃した。もちろん、少数意見が運動の障害となることは理解できる。しかし、初めての複数配置で職務分担や人間関係など多くのトラブルに悩んでいた養護教諭たちがこの発言によって「追いつめられた」と感想をもらしていたのも聞いている。養護教諭の指導的立場にあるものが「学校内の地位」を高めるために勝ち得た「複数配置」だっただけに、それを「死守」しようとする姿には、やはり指導者たちが感じてきた養護教諭としての立脚点の不安定さが垣間見られたようであった[19]。
これは、学校内で被差別者的な立場から逃れえないことに起因するのであろうか。あるいは、他者からもわかりやすい職業アイデンティティが単に欠如しているだけのことであろうか。鈴木ら(1999)が指摘するように、今後は「養護教諭の実践努力」という視点からだけではなく、「養護教諭を周辺人として位置付ける学校組織」という観点からも研究がおこなわれるべきであろう。
行政面では、1947年に暫定的に設けられたにすぎないはずの学校教育法第103条の撤廃問題がある。その直後から養護教諭は103条の撤廃を申し入れ続けているが、1998年度に中等教育学校制度が採用された際も、「小学校、中学校及び中等教育学校には、第28条及び第51条の8の規定にかかわらず、当分の間、養護教諭は、これを置かないことができる」との内容が削除されないまま残された(旧規定は「小学校、中学校には、第28条及び第51条の8の規定にかかわらず、当分の間、養護教諭は、これを置かないことができる」)。これは、有資格者が少なかった時期にやむを得ず追加された条文であるとされている。戦後、「健康復興にもっとも寄与する職員として」養護訓導に期待し、「『養護訓導試験検定臨時措置ニ関スル件』の通知によって「あらゆるものに先んじて」試験検定を復活させたが、それでも「大増員」にはつながらなかった(文部省監修1972,pp.427-429)という。加えて、養護訓導を教育職員とみなす文部省に対し、アメリカ流のスクールナース、パブリックヘルスナースとみなすGHQが、養護訓導は保健婦の指導を受け学校保健は厚生省に属するべきであると主張し、看護婦免許を義務づけたため、看護婦養成に依存せざるをえず、計画養成が不可能になったとことも、有資格者が増員されない原因であった(前掲書pp.430-432)。そこで、1949年には養護助教諭制が設けられ、看護婦免許状を有するものならばだれでも「養護助教諭養成講習会」を受講できるようになった。これによって、養護助教諭はこの年1713名、1950年には1998名、1951年には2200名に達した。これは本来、有資格者を短期間で増員させる目的で行った、旧制度による資格取得見込み者の免許切り替えのための暫定的な制度であった(前掲書p.428f.)にもかかわらず、文部科学省『平成13年度学校教員統計調査報告書』によると、2001年現在に到ってもなお、全国で623名(養護教諭の1.6%)の養護助教諭が存在する。そこには年齢が20-30代のものも含まれており、養護教諭とは異なる給与体系をとることによって、給与も低くおさえられている。これらの養護助教諭のうち、約16%が臨時免許、約8%が無免許で勤務している。多くの養成機関があり、有資格者があふれているに現在であっても、103条が削除されず、また現在も養護助教諭を新規採用し続けているのは不可解といわざるをえない。これは、教育行政において養護教諭が置かれている位置や、政策担当者のいわば「養護教諭観」を知る鍵となる問題である。
2.養護教諭はなぜ「専門性」を求めるのか
(1)「専門性」をめぐる議論
養護教諭の位置が不安定になったり、その職業アイデンティティに揺らぎが生じたりするたびに問題となるのが、「専門性の追求[20]」である。では、養護教諭の「専門性」とはいったい何であろうか。まず、現在まで行なわれてきた議論を概観する。
数見(1994)によれば、1950年代には養護教諭自身による「職務研究」がさかんになされるようになったが、当初はただ行っている執務の実態調査や分析に過ぎず、それを公表しても現実は動いていかなかっという。不満や愚痴をこぼしあい、養護教諭という名称から「保健」の「教諭」へという動きがみられた[21]。1960年代に入ると、現状の職務の問題や、子どもの健康課題に対してのアプローチ方法など、問題意識をもって創造的に仕事に取り組もうとする動きがみられ、各地で自主的なサークルが作られはじめた。数見は後者の研究態度を「実践研究」として評価している。
これに対して、小倉(1970)がその著書のまえがきに「養護教諭とはなにか、(中略)現職養護教諭相互間や一般教員、学校保健研究者のあいだに共通認識として成立してはいないように思う。本書は(中略)養護教諭の専門性という側面に焦点をしぼっている」と書いたように、養護教諭養成従事者の側から養護教諭の専門性が論じられはじめた。このとき、小倉は専門職化の三層構造として(1)学校救急看護の機能 (2)集団の保健管理の機能 (3)教育保健における独自の機能を示した[22]。
1982年には、日本学校保健学会において「養護教諭養成教育のあり方をめぐって」という要望課題が設定され、3年連続で討論がなされた。1985年からは同じ主題のもとに共同研究班が組織され、3年間共同研究がなされている。そこでは、養護教諭の資質と果たすべき役割に、時代の変化に即応する変容・向上が求められているととらえられながらも、養護教諭を養成する側から何を専門として教えるべきかの模索がなされた。研究班は、養成にかかわる21名の大学教員と9名の現職養護教諭によって構成されていた。ここで出された研究成果は、日本学校保健学会『養護教諭の養成教育のあり方』共同研究班(1994,pp.41-43)として発表されている。「養護教諭の機能と役割(pp.41-43)」において、学校教育法第28条における「児童(生徒)の養護を掌る」の解釈はまちまちであり「養護教諭とは何か」という問いに対する統一的・共通的回答(ママ)を求める欲求は、現職養護教諭にも大学関係者にも存在すること、したがってまず「望ましい養護教諭像」を明らかにした上で、それに対応する職務内容について共通に確認することが必要であり、その際「養護教諭は専門職である」ことを前提として、その独自な専門性が明確にされる必要があることを論じている[23]。さらに「『養護教諭の機能を内容面で明らかにし、専門職として必要な資質について理解する』をあげ、具体的には『養護の目的を、学校保健の目的ならびに学校保健を含む学校教育全体の目的との関連からとらえ、説明できる』(認知領域)、『養護教諭をめざす学生自身が、望ましい養護教諭像について考え、養護教諭とは何か、養護の本質は何かという問いかけができる』(情意領域)、『専門的機能の維持・向上のために、絶えず研修を行っていくことができる』(行動領域)の3領域にわたって行動目標を設定した」と目標を掲げているが、結局「専門性を自分で考えるべき」という以上のことは、何ら敷衍されていない。
森(1991)もまた、その著書の中で「求められる養護教諭像」「プロフェッションとしての養護教諭」について言及しているが、「求められる養護教諭像」という章では、養護教諭の歴史的背景をふりかえったうえで、「その職務が技術的体系に支えられているかどうかによって、養護教諭の専門性が決定されるといえます」とし、その「打開の方向性」として、「教師が取り組んでいる教授活動・学級経営をよく認識してほしい」「差別されているととらえず、ともに教育現場における第一線の実践者としての共通性を自覚し、一般教員との連携を強めてほしい」「養護実践に含まれている専門的技術が子どもの成長・発達に対してもつ法則性を吟味し、それを基礎として職務の内容を質的に明らかにする努力(実践研究)を続けてほしい」としている。また、「プロフェッションとしての養護教諭」では、プロフェッションとしての課題・養護教諭という仕事の特質・養護教諭と看護婦の違い・養護教諭と教諭の違い・「あいまい」性と責任などを述べたうえで、「養護教諭としての力量の形成と、それを支える理論の形成に努める必要がある」と結論づけているにすぎない。ここから、森のイメージする養護教諭の専門性を読み取ることも困難である。
2001年には養護教諭むけの雑誌『健康教室』に「養護教諭のアイデンティティ」という特集が組まれており、9人の大学教員・現職養護教諭として指導的立場にある者が寄稿しているが、それらは、養護教諭のアイデンティティを確立することの必要性を説くことに力点がおいており、養護教諭のアイデンティティを示せるには至っていない[24]。
藤田(1999,p.26)が「職務確立」の課題に答えるためにその理念を「守り育てる」とし、その役割を「(1)子どもの健康を守る機能 (2)健康について教える機能 (3)保健的能力を育てる機能 のないあわせ(ママ)である」とし、その枠組みを「(1)子どもの実態をとらえ (2)子どもの働きかけ (3)活動の基盤・条件をつくる (4)家庭や地域とつながる ことで保健活動の渦をつくる」と定義しているのが、もっとも「専門性」「役割」という問いに正面から答えていると言えるだろう。
以上のように、「養護教諭の専門性」とは実態に乏しいものであり、それだけに養護教諭の養成者たちや現職の指導的立場にあるものが「専門性」を追い求める姿には、悲壮感すら漂っている。
エスノメソドロジーの立場から保健室のありようを研究している秋葉(1998,p.266 )は「生徒の身体的な処置が、養護教諭の役割として課されており、それを前提として生徒との間にさまざまな話題が展開するしくみが用意されている」「悩んではいない生徒の日常生活を把握すること。子ども自身がはっきりと問題を自覚しない状況で子どもの生活を事細かに尋ねる正当性を持ちうるのは、保健室だけだとも考えられる。たとえばちょっとした怪我の背後に、ここ数日の寝不足の原因、いらいらしていることの原因を尋ねられるのも、子どもたちの身体的症状に対処するのが仕事である養護教諭ならではといえよう」と記している。また秋葉(2003,p.211)は「生徒の悩みごとへの双方の志向を互いに確認し合っていき、問題を在庫知識の断片を利用しつつ枠付けたり整理したりしながら解決策を模索していた」とし、この「やりとりの対称性」にカウンセリングとの差異があるとしている。まさにこの「子どもたちの身体的症状に対処する」「悩んではいない生徒の日常生活を把握する」「悩みを共有する」ことが養護教諭の職務であり、このことを起点として独自性ある役割(専門性)が得られるのではないだろうか。ここでは、「救急処置」と「健康相談活動」「健康教育」は不即不離の関係になっている。児童生徒のニーズを考えた場合、彼らは心身になんらかの症状があって/あることにして、それを理由に保健室にくる。いわば保健室を訪れるすべての児童生徒は「救急処置」を求めてやってきており、それを「健康相談活動」や「健康教育」へとつなげていくのが養護教諭の役割であると考えられる。
真野(2002)は、摂食障害の生徒と関わるときに困難なことは保護者や本人に病識がない場合があることだと述べている。そのうえで、こうした生徒に対しては現在抱えている身体的な問題点を把握し、それを受診につなげるとともに、摂食障害という病気についての知識を与えることが必要であるとしている。また、一般生徒に対しては予防のための教育が必要だとしている。病識がない児童生徒を相手に、病識をもたせるべく奮闘することは、養護教諭にとって日常的なことである。これは、病識をもって訪れる病院やカウンセリングともっとも異なる点である。養護教諭が対応すべき問題は疾病だけではない。「いじめ」「虐待」などにも関与せざるをえず、またこうしたことに関わっている児童生徒にその当事者であるという意識がないことはおうおうにしてみられる。この場合もやはりその状態を「名づけ」「指摘」するのではなく、本人が「気づく」ようなんらかのはたらきかけをする必要がある。ここに専門的教育スキルが必要とされる素地がみいだせる。
秋葉、真野の研究結果から、養護教諭の役割を「健康問題に関して当事者意識/病識のある児童生徒に対してはもちろん、当事者意識/病識のない児童生徒に対しては、その当事者性に気づかせるべくはたらきかけたうえで、当事者としての選択肢をともに模索すること」と捉えることも可能である。ここから導かれる「専門性」とは以下の点を満たすことにある。
(1) 何をもって「当事者」として自覚させるべきかを見極めるための知識と情報
(2) 当事者意識のない児童生徒に対し「名づけ」「指摘」するのではなく、その状態に「気づかせる」はたらきかけとその技術
(3)「当事者」自らが(健康)問題を解決できるための選択肢に関する知識と情報
まず、(1)に関しては、その役割の始まりがすべて「救急(応急)処置」であり、児童生徒が「なんらかの身体的苦痛」をもって現れるという観点からは、やはり「看護」もしくは「医学」的知識は必要である。ただし「病者」もまた、社会的に構築された者である。「医学」にもみられる欺瞞性には十分配慮し、子どもの状態を簡単に病理化しないという態度は不可欠である。こうした視点をもつためにも、やはり「医学」を批判的に摂取・評価できるだけの素養をもつべきであろう[25]。
(2)の「いかに気づかせるか」で必要になるのは、「教諭」としての教えるスキルではない。なぜなら、「教える」とは「名づけ」「指摘」し、その理由を説明することになりがちだからである。また、「カウンセリング」のスキルでもない。中島(1995,pp.57-60)はカウンセリングを「内面の問題へと切り替える技術」と呼び、「学校や家、地域といった複雑な環境の中で生じてきた生徒の疑問・問題を生徒の内面の問題として処理すること、生徒の疑問を学校やその他の問題とのかかわりで考えていくのではなく、その生徒の心の内部の問題として捉えていくことなのだ」と説明している[26]。もちろん、自己の内面を見つめ直し、反省するというプロセスは成長にはかかせない。しかしまた、心身症や暴力、不登校などの行動によってしか援助を必要としていることを表現できない場合もある。「当事者性に気づかせる」とは、「言葉にできない問題を意識化・言語化できるようサポートする」ということである。ここでは、「生徒の状態を『病理』としてみない」「『わたしのほうが、あなたにとって必要なことをよくわかっている』というパターナリズムにもとづく態度で接しない」という態度が肝要になる。ここで何よりも必要とされるスキルは、当事者のおかれている状況を理解するコミュニケーション能力である。
(3)は、利用可能な社会資源[27]に関する情報量を多くもつことである。これは、(1)の判断を誤ると問題をこじらせる危険性があることに注意すべきである。
しかし、これらの提言も矛盾を内包していることは否定できない。例えば、(2)の「気づかせる」という行為すら、やはりパターナリスティックな本質からのがれきれず、「名づけ」批判に矛盾するという指摘をうけるかもしれない。また「専門性」のアピールとは、自らの知の体系を権威あるサービス商品として社会に認知させ、ブランド化するということである。「子どもの側にたつ」ことを標榜してきた養護教諭が、そうした「専門性」を身にまとってしまった場合、「子どもの側に立」ち続けられるのかという疑問も残る。「何のため」「誰のため」の「専門性の確立」かという問題は改めて考えられてよいだろう。「学校内での位置の強化」「養護教諭としてのアイデンティティの確立」「養護教諭の専門性の確立」を急ぐ前に、もう一度「養護教諭という職」について検討する時期にきていると考えられる。
まとめと今後の課題
以上、養護教諭の位置は社会変化に連動しており、不安定に揺れ動いてきた様を具体的な証言や調査に基づき明らかにしてきた。養護教諭自身が、その不安定さに敏感であるがゆえに、つねに学校内での自らの位置を推し量り、職業アイデンティティを問い直し、「専門性」とは何かにむきあってきたのであるし、また同様の理由で、教師との同一化をはかるとともに差異化を余儀なくされてきた。
こうした現象を「養護教諭という職が、時代につねに敏感であり子どもたちのニーズをくみとってきたからこそである」と評価することもできるが、一方「確固たる専門性が希薄だったがために柔軟性があった。そのために近代学校の枠組みからはずれる子どもたちの卑近な問題を一手にひきうけてきた/ひきうけさせられてきた」と言うことも可能である。従来の養護教諭研究のほとんどが、その存在を自明のものとし、「存在証明」を行うという半ば運動的な研究が一般的であった。そのため「ゆるぎない教育目標にむけての養護教諭の実践」を評価するスタンスをとっており、その研究視角は養護教諭の「力量形成」「資質の向上」という点に重点がおかれてきた。しかしそれは養護教諭が学校組織内でおかれている周辺的な立場を変化させえず、また「専門性」の確立にも寄与しえていない。したがって養護教諭が不利な状況におかれたとしても反駁できるだけの理論は成立していないと考えられる。その主要な原因の一つに、ジェンダー構造や学校組織内のヒエラルキーといった問題があることに、養護教諭自身が無自覚であることがあげられるが、本稿では明らかにしきれなかった。今後はこの問題を視野にいれたうえで、「養護教諭の存在の自明性を強固にする」という運動的スタンスから離れ、教育職として養護教諭の果たした役割を検討し、その使命として、「専門性」を追求することに妥当性があるのか、養護教諭に必要な基礎知識とは何かなどから考察していくことが必要であると考える。
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[1] 平成9年保健体育審議会答申「養護教諭の新たな役割」による。
[2] 教育職員免許法の一部を改正する法律等の公布について(通達)(文教教第234号 平成10月6月25日)による。
[3] 注2に同じ。
[4] 杉村(2003a,b)参照。
[5] 近藤(2003,p.3)による。
[6] 「力量形成」は養護教諭に関する研究テーマとしても頻出している。たとえば、『日本養護教諭教育学会誌』において、「力量形成」という言葉は2~6巻まで毎号、論文の題に見出せる。また「連携」に関しては、「相談活動」「組織活動」「学校保健」といったテーマのもとで、必ずふれられている(養護教諭養成課程で教科書として使用されている『養護学概説』東山書房、『養護概説』ぎょうせい等)。注11も参照。
[7] 全国養護教諭連絡協議会(2003,pp231-240)参照。
[8] 第6次定数改善計画によって、養護教諭は、3学級以上の学校については全校配置、30学級以上の学校には複数配置を行うことが制定された。2001年には「公立学校義務教育諸学校の学級編成及び教職員の標準に関する法律等の一部を改正する法律」が公布され、小学校では児童851人以上の学校に1人、中学校・高等学校は801人以上の学校に1人、特殊教育諸学校では61人に1人の増員を決定した。また、特別指導(ヘルスカウンセリングなど)を必要とする学校には特別加算がなされることが決定した。
[9] 例えば、埼玉県では「健康相談活動」のマニュアル本を作成しており、そのなかで、養護教諭の独自の機能として、手でふれる、毛布を使うなど身体接触を用いた相談活動の方法が示されている。
[10]鈴木(発表年不明)によれば、日本学校保健学会において1972年より8年連続「学校看護をめぐる自由集会」が企画され、養護と看護について集中的に議論が行なわれた。そこでは「学校看護とは」「養護教諭にとって必要な看護能力とは」といったテーマで検討が行なわれたとされている。これを1期とすると、2期としては2001年頃より『学校保健研究』において医療的ケアに関する特集がくまれ、それと同時に看護師免許と養護教諭の関係も議論されている。杉本(2002)、全国養護教諭連絡協議会会報45(2002)・46(2003)号参照。
[11]たとえば、森田(2001,p377)は「養護教諭・教諭が医療行為を行ったとしても、これらはあくまでも教育活動の一環であり、教育の範囲に含まれる事項である」「医療的ケアのうち、どこまでを教育と考え教師が行うか」明らかにすべきとしている。
[12] 全国養護教諭連絡協議会(2003,pp.76-78)が3275名の管理職におこなった調査によれば、9割前後が「校内の体制づくり」や「学校保健委員会の活性化」を養護教諭に期待しているという結果がでた。
[13] 前掲の調査でにおいて、「家庭との連携」「地域社会や関連機関との連携」を養護教諭に求めている管理職はやはり9割前後であった。
[14] 同様の見解を提示している文献に以下のものがある。徳山(1995年pp.22-29)、森田他(1999年pp.39-45)、森泉他(2000年pp.96-106)。
[15]『日本養護教諭教育学会誌』は、1998年に創刊され、以後年間1冊のペースで2003年現在6巻まで発行されている。学会誌としては現場の養護教諭にも比較的親しまれているものである。創刊号には大谷(1998)が「養護教諭教育学会における研究の方向性について−関連職種の教育学会における研究動向を踏まえて−」において、「学問体系があって、その研究方法が確立したので学会が設立したものではなく、その確立が必要で現実に事態を改善する必要があるからの出発(ママ)である」と記しており、教育・医師・看護系の教育学会の動向から今後の研究の方向性を見出そうとしているという点で、養成に関わるもの自身の不安感がはからずも表出してしまっている。また「研究能力」に関しては第3巻で特集として取り上げられており、関連論文も3本掲載されている。第4巻の特集は「養護教諭の実践と研究」である。もっとも、森昭三は養護教諭向けの雑誌『健』の1977年5月号に「実践研究のあり方」を、1981年10月号に「養護教諭の力量形成」という文章を掲載している。その後も数見隆生、藤田達也ら多くの養護教諭養成に関わる大学教員が「力量形成」「実践研究」といった視点から多くの提言を行っていることも事実である。しかし、課題として広く認知・議論されるようになったのは近年のことである。注6も参照。
[16] 筆者が2000年に行った調査においては、看護師免許をもつものは40.4% であった。
[17] 日本養護教諭教育学会『ハーモニー』第33号2003年12月10日発行による。
[18] なお英訳は次のとおりである。A Yogo teacher is an educator with a special license permitting the support of children’s growth and development through health education, health and nursing management in all area of school educational activities based on an idea of health promotion.
[19] もちろん「立場強化」のためだけではなく、「保健室登校」や「健康相談活動」などの対処におわれ到底1人ではこなしきれないという現実の反映でもあり、政府の期待どおりに職務遂行しようと奮闘している養護教諭にとっては「複数配置」は当然の要求でもある。
[20] ただし、現場の養護教諭たちすべてが「専門性」の追及が必要だと思っているとは考えられない。筆者の周囲では「なぜ、こんなにがんばれと言い続けられるのかわからない」「今でも十分仕事はしている。これ以上、何をしたらよいのだ」といった声がきかれる。
[21]安藤(1992,pp.398-402,557-568)によれば、1975年ごろより養護教諭が「保健」の教科をもつことの重要性を説き、養護教諭ではなく「保健」の「教諭」にすることを主張し、全国養護教員研究大会や、養護教諭向けの雑誌における発表、臨時教育審議会や総理大臣への要望書という形で運動してきた。養護教諭が「保健」の授業をもつことは多くの養護教諭の賛同を得、全国養護教諭連盟などもこれを実現させるために運動してきたが、養護教諭を保健教諭にするという案は、「養護学」を確立し、「養護教諭」を英語で「Yogo teacher」としか訳せないような固有名詞として広めようとする意見と対立、難航している。現在は、小林が「保健」の「教諭」であることにこだわり、日本学校保健学会や日本養護教諭教育学会にてたびたび提案している(2003,p.70f., p.230f.)
[22] 1974年に小倉は自身の説を改良、4層構造とし、(4)人間形成の教育(教職)の機能を付け加えた。以後、この構造図は他の研究者からも数多く引用され、とくに石原(2002,p.30)は高度に発展させている。
[23] 「望ましい養護教諭像」に関しては、pp.23-27において詳しく述べられており、(1)教育の意義や学校教育の役割を常に問いかけながら、養護教諭は自らの役割を追及する姿勢を持っている。 (2)健康の概念を多面的にとらえられ、自らの健康観を確立しており、望ましい姿に向けて努力しようとする信念をもっている。また、健康にいきていく力を子どもに培っている。 (3)子どもの健康問題を早期に発見し、その問題の背景要因を学校、家庭、社会の中で全体的に構造的にとらえて判断している。健康問題をもつ子どもに対しては、問題の解決を図るために必要な身体的・精神的援助を行うとともに、保健科学的認識を育て、また、子ども自身の変容を促し、人格の成長を目標とした支援を行っている。 (4)子どもの健康問題の共通化を図るために組織的な取り組みを行い、周囲への必要な働きかけそ行っている。 (5)専門性を深めるために自らの実践を分析し、研究の課題を把握して実践を問い直している。教師集団や他の専門家と交流しながら、絶えず学ぶ態度がある。 (6)温かい人間性や幅広い教養があり、子どもや他者の立場にたてる。また、仕事を誠実に行い、専門的職業人としての責任感が強く、社会に貢献している。の6項目があげられている。理想像としては、理解できるが、ここから「養護教諭の専門性」を伺い知ることは困難だと思われる。
[24] ここでの題は「養護実践の中から実証的研究を」「養護教諭に必要な能力」「『養護』の原点に立って、自らの実践を省察することから」「養護診断の開発とヘルスプロモーター」「今こそ、子どもの心に向き合うとき」「いままでもこれからも~本質を捉え、柔軟に~」「養護教諭のアイデンティティを問い直す」「21世紀を生きる養護教諭像~『職』としてのアイデンティティの確立を~」「職業的アイデンティティの確立をめざして~専門性を自覚し、その理論と技を磨く~」である。
[25]河野(2003,p.8)は、アメリカ精神医学会の「精神障害診断の分類と診断の手引き(DSM)」を批判する論考の中には、ありふれた困りごとを病気だと診断する傾向を「日常のふるまいの病気化」と名づけ、この「病気化」する背景には、アメリカ精神学会と当事者団体、製薬会社や健康保険会社のお互いの利害を抱えたすさまじい闘争があることを指摘するものが多いと書いている。また、上杉(2002)は、「自分が健康かどうかを考えるとき、この良好な状態とは何かを考えざるをえず、これは結果的に異常のない状態のことをさすことになる。そして、人々は異常のない状態であるべく駆り立てられる。しかし、予防医学の誕生により自覚症状がなくても異常が発見されるようになり、また各種の検査によって健康状態が数値化(しかもこの正常か異常かを決定する数値の決められ方もあくまで恣意的である)されるようになったことによって、まったく異常のない人が存在する可能性は激減している。その上、従来の成人病が生活習慣病という名に改変され、その予防のために模範的な生活習慣が奨励されるようになった。このことにより、病因は個人に還元され、小学校段階で『子どもの頃からの生活習慣が将来の生活習慣病にはねかえる』と心配を強制的に先取りさせられる」と書いている。
[26] ここでは、文部省生徒指導集資料第八集「中学校におけるカウンセリングの進め方」の中の「教師に対して不信感をもつ生徒」の事例をひき、生徒の言葉を信じずいきなり怒鳴る教師の態度は非常に問題があると思われるにもかかわらず、生徒の「くやしかった」「わかってほしかった」という気持ちに「受容」「共感」としての「くやしかったのですね」「わかってほしかったのですね」という言葉を返すことによって、会話はその生徒の心のありようにずれていき、焦点はその生徒の「内面」の問題と化し、教師の態度は不問にふされるという例をあげている。