
― 素もぐり、5ポンドの海老、失敗談など ―
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スクーバダイビングはライセンスは25年も前に取っていたが、ここに来て時間ができたので、2005年から近所で伊勢海老とりをはじめた。
はじめは、みつけられれば簡単に取れるだろうと思っていたのが、とんでもない。手を伸ばすと相手はあの大きな尻尾を使ってロケットのように後ろ向きに飛んでいく。心してすばやくやらないとなかなかつかまるものではない。
イールグラスという細い糸のような海草が、えびさんは好きらしくて、岩場でその海草のあるところを狙っていろいろ探すのだ。(この辺の感じはニュージーランドでのフライフィシングでの鱒釣りに似ている)波があると視界が悪く、サージもきついと、海老とりはゴミ箱でなくしたものをさがしているような感じにさえ似ている。
でも、苦労してとったときの感じは、なかなかなもの。サイズをチェックしてバックにいれ、次の獲物を狙うというわけだ。
そんなこんなで最初のシーズンは22匹、2006年は53匹と、マリブのダイバーショップの人もおどろくくらい、とれるようになった。器具は2006年のシーズン(9月末―3月末)の初めに中古をしいれたが、重いタンクとウエイトを担ぐのがいやなので、私は昼間、フリーダイブ(素もぐり)をするのが気に入っている。普通、海老は夜行性のため、夜間にスクーバダイブをするのが一般だが、私は風変わりなのかもしれない。
ここにはいろいろある体験談からいくつかを載せておくこととする。
洲崎清記
(2007年10月10日)

昼間の12時ごろ、波がすこしあるのでサーフィンしようかなと思ったが、おもいなおして以前フリーダイブで明け方に6匹捕まえたところの逆の方向が未開拓なのでそっちをチェックしにいくことにした。今回もフリーダイブ(素もぐり)。
あっちこっち調べたあと、さらに暫く行くと深さ3〜4Mのところにいい感じの岩とイールグラスが見えてきた。潜ってみると、突然現れた2ポンド近いのを一匹をあせって逃がしてしまう(残念!)。その後、慎重に岩の周りをまわり、岩の横からイールグラスの中のほうを調べる。岩の付近はサージが結構あるが、岩にしがみつきながら調べる事は出来る。暫く行くと、なんとなく、海老がいそうな気配がしてきた。そこでさらに丁寧にイールグラスをかきわけて調べると、30〜40センチぐらい先のイールグラスのなかにかろうじて海老の胴体がみえる。
(いたいた。。。)
大きさはわからないが、どうやら海老はむこうむきのようで、こっちには気づいていないらしい。私の息はまだ大丈夫。この海老の下の岩はどちらかというと平ら。まわりのイールグラスが邪魔だが、すばやく海老の胴体を岩に押し付ければ、何とかなるだろうと判断。自分の体の位置を確認し、腕をぱっと伸ばす方向をきめて。。。
えい!(と、右手をすばやく伸ばし、胴体を押さえつける)
ばたばたばた、、、くくく。。。
さらにすばやく左手をあわせイールグラスごと、胴体をつかむ。
なにか大きな感じが手から伝わってくるが、全体は見えない。
イールグラスが糸のように海老の胴体に絡まってひっぱってもとれない。
というまもなく私はサージで頭を下に、体がひっくり返って舞い上がる。
だが、海老とイールグラスをそのまま両手でがっしりつかみ、にがさないよう一生懸命。
うううう。
体にはかまわず、少しずつイールグラスをほどき、
岩に足をふまえて、体を伸ばしイールグラスごと海老をもちあげる。。
ああああ うまくいった。。。
おおきい!
全体はみえないが手に伝わってくる胴体の感じと目の前にみえる足の大きいのがわかる。
慎重に左手で海老を胸に押し付けて、もう逃げないことを確認し、水面に向かって上がりながら、ゆっくり右手でバッグのフックを開ける。
(ここまでくれば何も急ぐことはないのだ)
バッグにいれようとすると、海老の大きな足がネットに引っかかってなかなかはいらないが、もう一息。。。
ああああー
どこからか喜びがわきでてくる。
わああああ。
ネットに引っかかった足を丁寧にはずし、海老をバッグに押し込み、フックを閉め、確認する!
やったあー
周りに誰もいない水の中、ひとり興奮で体がふるえる。呼吸が速い。
こんなことってあるのだろうか?!
何となく今年は大きいのが取れそうな予感がしていたけど、フリーダイブでとは?!?!
(時々、ネットの中に海老がいるのを確認しながら、意気揚々岸にむかっていったのです。)
後で重さを量ってみたら五ポンド。
不思議なことってあるんだね!
今期11匹目、海老取りキャリア三年目の快挙でした。
いえにかえって写真をとった後、隣の奥さんにみせたら、チャイニーズのスーパーで海老の生きてるのを一ポンドあたり$12,99ドルで売っていたとの事です。
へ〜。
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(2007年9月30日)
伊勢海老取りシーズンの初日(といっても真夜中)、海老がなかなか見つからないので海草の林の中をあっちに行ったり、こっちに行ったり。時々水面に上がって位置を確認したり、違った方向、深さ、をチェックしたり、しょうがないから貝柱を取ったりしていたら、やっとリーガルサイズらしい海老がいた。捕まえていざバッグに入れようとしたら、海草に引っ張られてフックではめこむメカニズムが外れたのだろう、バッグをどこかに落としてしまった。いろいろ探したが、見当たらず、海老がリーガルかどうか、長さをチェックするゲージもバッグと一緒に落としたので、(ゲージを持ってないでつかまると罰金をくらうので)海老は逃がして、初日ゼロで帰ってきた。
伊勢海老取りはこれが3シーズン目。これで1,2,3シーズンともに初日はゼロという事になってしまった。前にも波にマスクを取られたり、ナイフを落としたり、幸い大きな事故はないが、今回、帰りの車でいろいろ反省することがあった。以下はそのまとめ。
生きるということは苦(一切皆苦)。生きるということは失敗しつつありながら、それを乗越える創造性を上手く働かすということ、と同義といえる。
目標をもって何かをするということは、、、、生きるに通じる。。。
失敗を恐れてはいられない。すべての知覚を働かせ(六動)、状況を良く、見、聞き、そして良くわかり、強く忍耐し、反省し、強い願いを持って、突き進むべし。
もしその結果あまりに失敗が多いなら、その方向への努力をやめてもいいだろう、もし他の道が見出されるのなら、、、
全機現をめざし、その人のすき、好み、技量などに合わせて目標を選ぶというのは中道の・バランスした見方につながるだろう。
というのも、もともと生きるということは簡単にはやめられない(ようになっている)のだろうから。
サーフィンをしていて、いつも落ちつつあるというなかでのバランスの取り方というものを考えた。是は歩く時も同じだろう。一歩一歩ある意味でバランスを崩しながら前に動くのだ。ころびながら歩むという感じでもある。
進歩とか発明、あるいはその道の名人になること、はたくさんの「失敗」にうらずけられている。(だからいわゆる失敗はない)
そのつど反省し、学び、智慧を使って(→戒定慧)すすめばよい!むしろそれのできるのが名人と言うものだろう。
是は煩悩の対処にも同じ。煩悩にいちいちこだわっていたら、発展(→生き生きと生きる、全機)がない。
とはいえ、「同じ」失敗をし続けるという事、失敗を「智慧を使わずに」そのまま何度も繰り返すのは馬鹿だ。
くふうをするのだ。失敗はいろいろあるのだ!だから、それから学び、生成発展する智慧の構造・働きを身につけ(これはもともとあるのだ)、はたらかせる(つまり自ずから働くように工夫する)のだ。
体に傷が付けば痛い。やることができなくなる。いたいのは体に注意信号を発生しているようなもの。
猫なら、(われわれも、)怪我したらじっとする。傷をいじくらないで自己組織性をまつ。
おなじようにこころに問題(傷・歪)があるなら、(例:何かをなくすなど)じっとおとなしくして、そこで何が行われているかを見(内観)ればちゃんと智慧が発現するようになっている。
そのことに関して何もできないなら、あたかも自然に傷が治るように、その体験はそれなりに痛くないような思い出となるのだ。そして我々は前に進む!
だいたいにおいて生きているということ、こっちのほうが不思議だ。何にもできない所で生命が生まれ、空を飛ぶ鳥、土の中のモグラ、波に遊ぶいるか、月夜のこおろぎ、花の蜜を吸うハミングバード、頭を使っていろいろと改善し、お互いが助け合うことのできる人間、というようないろいろなものがこの世に生まれてきたのだ!
一切皆苦。これを直視して、とらわれることなく知慧を使って、道を進もう!
というのも、気が付けば、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、がそこにあるのだから。
つまり、おのずから、すべてはそのままでまったく正しい法のありかたとしてととのっているのだから。
要は、この宇宙の根本原理を確認し、智慧を使って進むべき道を選ぼう、進もう、と言うことだ。
ところで溶けた心(沢庵)について:
心が溶けてないと、目の前の問題に心がとらわれて(こころがとまる)、「すべきこと」をないがしろにしてしまう。
たとえば、傷に気をとらわれて、車の運転がおかしくなる。
あるいは、なくしたものに気をとらわれて、心身の健康を忘れてしまう、といったぐあい。
そういうこころのバランスをちゃんとチェックするためにも、静中の工夫、動中の工夫。つまり戒定慧は法の道を歩くものとして、身につけてないといけない。
此処のバランスを崩すと、、、それは全体のバランスをくずすということとなる。
問題を問題として(素直に)対処するのでなく、問題が問題を引き起こし、又別の問題に絡みついて発展するというのこそが「問題」と知るべきだろう。
同じことが悩みに付いてもいえる。大事なので、いくら言っても(自分に言い聞かせても)いいと思う:つまり、悩みが問題なのではなく悩みを悩むのが問題と言うわけだ。
道元いわく「迷いを大悟するは諸仏なり。悟に大迷なるは衆生なり。。。迷中また迷の漢あり」である。
ご用心、ご用心!
(2007年10月29日)
朝暗いなか、目がさめる。
さあ何処に行こう?と脳みそに記憶した情報をスキャンする。
すると、インスピレーション!
HさんがいっていたSに行ってみようか。
このところ波が少なくなったので、ヴィジビリティーも段段よくなっているはず。
一緒に、と話しをしていたので、その下見をしてもいいだろう。
なんとなくうすら寒いので、ガレージでウエットスーツをきる。
家から5−6分で現場に着く。マリブはいろいろやったけど、ここは家から最短のパリセーズの海。サーフィンをやりにくるところだけどダイブは初めて。
エントリーは楽。波も大してない。ヴィジビリティーもOK。サージがちょっとあるけど、岸から離れればたいした事はない。
しばらくうろうろすると2匹海老さんがいる。小さいけど、一応ためし捕りをする。
そのあとなかなか海老さんが見つからない。ジグザグジグザグ、時々頭を上に出して場所を確認。あらかじめグーグル・アースで見て作戦を立てていたとうり、しらみつぶしに調べるが、どうも海老さんがいる感じがしない。
この一週間ほど波が高かったから、深間に行っちゃったのかな?でも水温はまだ高いし、、とにかく、感じが悪いので、ジグザグのペースを速めて、さらに広範囲を調べるように作戦変更。10-20フィート、それより深い所は砂なので、あまりチェックしないようにする。
水面は朝日が当たって明るくなってきた。そうこうするうちに残り500PSIになる。なんか悪い予感。でも前にも何度か500PSIから何匹もとったことがある。。。。ぶつぶつ。。。
その時、例のイールグラスがだんだん濃くなってきた。なんとなくいい感じ。と思うまもなく、海老さんおはよう!夜の間中食べていて、もう、おなかいっぱいかな?
でも、いくつか捕まえても、みんなショート。でもあせらず丹念に!すると、3匹のリーガルサイズがイールグラスの間で仲良くしている。ムッと力を入れて、手を伸ばすが、体の向きが悪かったのか、肩の入れ方が悪かったのか、はい、さようなら!うーん。
とはいえ、がっかりする閑なぞないのだ!なんとなく場所はいい感じ、そこで、「気を入れて」徹底的に周りを調べる。
閑話休題。結局2ポンドぐらいの海老さんを3匹捕まえました(一匹はおなかいっぱいだったのか眠そうな顔していました。)残り空気は100PSI。連中は、私のなじみのイールグラスの中、しかも10フィートの浅瀬、結構サージのきつい所にいました。
ということで、ひさびさの3匹。新しい、近所のダイブポイントの開拓。私はウエットスーツをきたままで車に乗り、早くからでてきたサーファーを横目に、すきとおった青い空のもと、Elise Reginaの歌を聴きながら家にかえりました。
どうも私は朝駆けが好きなようです。
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