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鎌田さんの指定席
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6 一木支隊の帰還

 昭和18520日参謀本部編纂の「南太平洋方面作戦概要」には、ガダルカナルへの一木支隊の上陸人員は1.885名で、戦死1.485名(79%の損害)、残り400名のうち戦闘に耐えられるもの約60名と記録されている。

 歩兵第28連隊に帰還命令が出されたのは、昭和18618であった。

旭川にたどり着いたのは約200名とされているが、詳細は不明である。

 一木支隊の全滅は、固く軍の機密とされ、師団の各部隊は外出禁止にされ、郵便物の検閲も厳重を極めたと言われている。

 昭和17年の秋、ちょうど一木支隊が全滅した直後、旭川の駐屯地や官舎地区ではちょっとした異変が起きた。

 深夜、完全武装した一隊の兵士が営門に近づいてくる。

軍靴の音が響き「歩調とれーっ」と鋭い号令が飛ぶ。歩哨の衛兵は反射的に捧げ銃の敬礼をした。一隊は歩兵第28連隊の空き兵舎の前で止まると、兵士たちは我先に空き兵舎に入っていった。歩哨から報告を受けた衛兵司令が不審に思って兵舎を見に行くと、そこに人の気配はなくシンと静まり返っていた。

また、毎晩、深夜に連隊の屋根瓦がカタカタと音を立てる。官舎地区では、軍馬のいななきと砲車を引く音が鳴り響いたという。

この話は旭川市民の口から口へ密かに語り伝えられ、旭川市民は南に征った一木支隊将兵の身を案じたという。

このことは広く出版物にも紹介され、ある作家は「ここで私たちを涙ぐませるのは、これらの兵士たちは自身の家に帰るよりも、まず、郷土の部隊に帰還したことである。つまり彼らは迎えられて凱旋したかったのだ。その上で我が家へ戻りたかったのである。兵隊はいつの時も、そのような素朴な心情で故郷を出て行き、多くは英霊となって帰ってきたのである。」と述べている。

ガダルカナルで奉焼した歩兵第28連隊の軍旗は、昭和19131日、宮中て新たに親授され、同年4月、北辺の警備に当たるため新たに編成された歩兵28連隊と共に北海道北見市に進出して終戦を迎える。

それから65年、旭川護国神社境内の片隅に「一木支隊 鎮魂碑」と書かれた石碑がひっそりと佇んでいる。中央の大きな石碑に向って右側に碑文を、左側にガダルカナルでの行動図を刻んだ石碑が建てられている。

碑文には次のように刻まれており、少し長いが全文を紹介したい。

「太平洋戦争初期の昭和十七年五月 敵の前進基地ミッドウェイ島攻略のため旭川第七師団において歩兵第二十八聯隊を基幹とし工兵及び輜重兵第七聯隊の各一個中隊と独立速射砲第八中隊を付した一支隊が動員され聯隊長一木清直大佐の名を冠して一木支隊と称した

編成人員は二千三百余名

支隊は大本営直轄となり勇躍征途に就いたが作戦変更となりグアム島に転進同島の警備に当たっていたが八月七日原隊復帰の命により航行中 南太平洋ソロモン群島ガダルカナル島で飛行場建設中の我が海軍部隊を駆逐し上陸してきた米海兵第一師団約二万に対し攻撃奪回を命ぜられた 急遽反転した支隊第一梯団九百余名は月明下同島に上陸 八月二十日夜半より中川付近の敵陣地を攻撃十数時間に及ぶ突撃を反覆したが敵の堅陣を破れず支隊の損害甚大 ついに軍旗を奉焼して支隊長以下八百余名は壮烈な戦死を遂げた

第二梯団は水野鋭士少佐指揮し第一梯団の残余を併せ熊大隊と称し九月十三

十四日川口支隊の右翼隊となり総攻撃に参加 敵戦車群に壊滅的打撃を与える等多大の戦果を挙げたが全般の作戦は成功せず 大隊長以下多数の戦死者を出すに至った 以後支隊は不撓(ふとう)不屈(ふくつ)の精神をもって間断なく攻撃を続行あるいは陣地の確保に当たったほか敵の猛砲爆撃下物資(ならび)に患者の輸送に任ずる等半歳に亘り克く困難な作戦に耐え志気些かも衰えることなく任務を全うし北鎮健児の真髄を遺憾なく発揮した ガ島は赤道直下炎熱瘴癘(しょうれい)(南方の山川に発生する毒気にあてられておこる病気、マラリヤなど)の地に加えて食料弾薬医薬は殆んど枯渇 その苦戦は言語に絶し翌十八年二月の撤退まで更に多数の戦死者を生じた 

 茲に戦友遺族相はかり懐しの故郷に鎮魂碑を建立し一木支隊二千余柱の戦没英霊安かれと祈り併せて支隊苦闘の戦歴と武勲を永く伝え遺さんとするものである」

         昭和五十六年八月二十日

            一木支隊戦友と遺族の会  一木会

 碑文は以上であるが、遺族及び生き残りの将兵たちの心情を汲んで、推敲に推敲を重ねたうえ、一木支隊の出陣から最後までが細かに表されている。

 しかし、一木支隊全滅の内容が明らかになり、我が父や夫、子息を送り出した遺族は、この事実を知ったときの心情いかばかりかと思うと言葉を失う。

時代は変わり現在、鎮魂碑を訪れる人は少なく、こうした悲しい歴史も風化されて人々の記憶から忘れられていくものであろう。

 過ぎ去った過去は何百万の言葉を尽くしても戻るものではないが、何故このような結果になったのか、改めて考えてみたいものである。


参考資料



つづく