砂防の父 富樫兼治郎氏


¶庄内砂丘の防砂林¶

    庄内砂丘には、1,420ヘクタールにもおよぶ黒松の防砂林が続き、
白砂青松の美しい絵のような風景が広がっています。この美しい黒松は、
厳冬の強い季節風で肌に突き刺さる飛砂と氷雪の混じった風
から集落と田畑を護り、人々の暮らしの 盾として役立っています。
    防砂林は、飛砂防止だけでなく潮風や濃霧から農作物の害を防ぎ、
住宅や多くの施設の砂害、風害、塩害をも防いでくれています。
昔製塩で焼き尽くした木を砂丘に蘇らせるには大変な苦労でした。
砂丘地に植林が本格的に始まったのは、江戸時代中期です。
この植林に携わった先人の偉大な業績を忘れてはなりません。
佐藤藤左衛門・藤蔵父子、  本間四郎三郎(光丘)、佐藤太郎右衛門、
曽根原一族、来生一族、近代では富樫兼治郎の活躍です。
   防砂林の役目は、多義にわたります。
なぎさに近い所に生えている海浜植物が砂を押さえ、
防砂林までの間にも、 砂子斜面にスノコを張り付けたり、
竹で編んだ柵を数段にわたり建てたり、
飛砂を防ぐ対策はその場所の自然環境に
  あわせたものでなければならないのです。

NHKで放映された「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で富樫兼治郎のことが取り上げられています。(2.12.21)
詳しくは下記のページを開いてください。ちょうど中程です。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/4329/mebaru-3.htm

襟裳治山事業所開設
(途中略)事実、前年に林野庁調査団の一員として襟裳を視察した砂防界の権威、富樫兼治郎などは、
「襟裳砂漠」を一目見て、「ここを緑化することができたら・・・・日本一の砂防の権威になるでしょう」
と言ったくらいであった(富樫は、米川の前任地、酒田営林署の署長であり、
この仕事に米川を推してくれた人物でもある)。

 

「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」

チーフプロデユーサー 今井 彰




富樫兼治郎氏の一生

明治二十九年   鶴岡の宝町に生まれる。

大正四年

荘内中学校を卒業した。
大正十年  東京帝国大学農学部林学実科卒業した。農商務省山林技手として秋田大林区署に勤務した。

昭和十二年 

秋田営林局に勤務。「日本海北部沿岸地方における砂防造林」を出版した。
昭和十三年 林学会より白沢賞を受賞した。
昭和十五年 満州国(現在の中国)林野局に転任した。
昭和十八年 農林省に帰り、扇田営林署長を勤めた。
昭和二十三年     秋田営林局経営部長、林業試験場秋田支場長になった。
昭和二十五年  酒田営林署長になった。昭和二十九年三月退職。
昭和三十年 河北新聞社より河北文化賞を受賞した。
昭和四十年 六十九才で死亡。大晶寺に葬られた。
昭和四十一年 酒田市住吉町に顕彰碑が建てられた。

 

  

                    酒田市住吉町の顕彰碑                   

 東京大学林学実科を卒業すると、となりの秋田県の営林署(国の森・林の育成や管理をするところ)につとめました。そして、砂防のための松林が、冬の季節風や、波によって、大きな損害を受けることを知り、砂の動きを安定させて防御をう(打撃けぬよう防ぐこと)する新しい方法を考えだしました。山形県・秋田県の砂丘地の砂防植林に、偉大な業績を残して、我が国の海岸砂防の父と言われました。その功績をたたえて、酒田市住吉町に顕彰碑(功績を世間に知らせること)が立てられています。    (林学  富樫兼治郎)  

鶴岡市教育委員会発行  大宝館展示人物集より            

  

表彰式に秋田県能代市を訪れて(中央の人)