当サイトは、稀代の宗教家、出口王仁三郎が遺した最大の書籍、
         
【霊界物語】を研鑽するサイトです。


王仁三郎はあらゆる宗教の垣根を越え、【諸教同根】【神儒佛耶同根】を提唱し、霊界は現界と密接に連結しているという【霊主体従】の概念を訴える。この教理はエマニュエル・スウェーデンボルグにも共通。王仁三郎はさらなる真解を追求し、平易に物語に記載する。

綾部の大本内部では王仁三郎に対する役員信者たちの執拗な反発があり、それによる霊界物語の一部改竄。政府当局、官憲による激しい大本教弾圧による霊界物語の発禁処分など、苦難に満ちた霊界物語の口述の経緯。

真理と誤謬、真実と疑惑が交錯し、隠される王仁三郎の意思。絶え間なく繰り返される真偽錯綜する。果たして出口王仁三郎の真実とは?


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  奈良県有数の神社。『大神神社』です。三輪山をご神体とするこの霊山は大物主神を神霊とし、日本最古の神社として崇敬されています。大物主神は素盞嗚尊の息子とされる饒速日命ではないかとされる説があり、三輪山とはこの饒速日の墓ではないかと考えられています。饒速日命は日本書紀にも登場する神ですが、主には偽書とされた先代旧事本紀に登場します。王仁三郎はこの先代旧事本紀は偽書ではないといい、霊界物語天祥地瑞には先代旧事本紀に記された神名が記載されます。饒速日命が大阪交野からこの奈良に移転した経緯は定かではありませんが、この奈良の地には素盞嗚を崇敬する神社は数多く、饒速日命がこの地で活動していたその名残ではないかと推測されます。                                             

 【おおばけもの】と批評された出口王仁三郎。彼に興味を抱き、王仁三郎に関する書籍を執筆しようとされた文学者の一人にかの有名な故司馬遼太郎氏がいます。しかしながら、彼は出口王仁三郎を【書けない・・・。】と言い、筆をおきました。王仁三郎を調べれば調べるほど、その具体的な象が浮かび上がってこないというのです。そのような人物が出口王仁三郎でした。
 
 出口王仁三郎は明治4年旧7月12日に京都府亀岡の穴太、父、上田吉松、母、上田よねの間に長男として生を受けます。(当時は上田喜三郎)王仁三郎の祖母、うのは言霊学の権威、
【中村孝道】の妹にあたり、言霊学の真髄を王仁三郎幼少のころから伝授していたといいます。その影響からか彼は幼いころから【神童】とも呼ばれ、少年期においては学校の成績は抜群。他の生徒らを圧倒する勢いで進級していきます。現在ではそのような進級はありえませんが、当時はそのような優遇措置もあったようです。王仁三郎はさらには学校の都合上により、わずか12歳の年齢にして代用教員として一時期活躍するほどでした。
 
 そのような王仁三郎でしたが、様々な青春時代を経て、重労働と貧困による労苦と、父吉松の死が原因となり、精神的にも肉体的にも限界に達し、心魂共に疲弊しきった若き王仁三郎は亀岡穴太の産土神社
【小幡神社に深夜参詣します。その際、王仁三郎は神からの直接の天啓を受けることになります。それが、
                             
  
【三大学則】です。
 
 深夜の小幡神社で受けた神の啓示は王仁三郎にとっては人生の転換期でした。 ここから暫らくして出口王仁三郎は
【天教山、木の花咲耶姫の眷属、松岡芙蓉仙人】に導かれ、明治31年3月1日【高熊山】において一週間の修行を開始。旧二月という寒風吹きすさぶ中、襦袢一枚、一切、飲まず食わずで正座を維持。幽体離脱して神に導かれ、現幽神三界の深遠微妙の世界を探検し、宇宙の真相を体得。そして、ついには救世の使命を自覚し、【顕真実】に到達します。

 王仁三郎は明治31年旧8月23日、綾部、大本教の開祖、
【出口直】と運命の初会を果たします。しかし、綾部滞在わずか3日間で帰途につきます。王仁三郎は翌年明治32年に再度、参綾。そして、開祖出口直と合流します。開祖に神懸りする神【艮の金神】の筆先による神示によって開祖の末娘、出口澄と結婚。新たな転機が訪れるのです。
 
 艮の金神による筆先に命じられるまま、王仁三郎は神の経綸に参加。先に開祖出口直の信徒であった草創期の役員信徒たちから執拗な迫害を受けながらも王仁三郎は瑞霊として独り、孤軍奮闘します。
 様々な人間模様が展開され、王仁三郎の運命は思いもよらぬ方向に動いていきます。全ては艮の金神の筆先のままに・・・。冠島、沓島参拝。出雲の火の御用。元伊勢水の御用、王仁三郎と直との確執。三代直日の誕生。火水の戦い、神島参拝。開祖昇天。大正日日新聞社の買収。浅野和三郎、第一次大本事件、入蒙、第二次大本事件。太平洋戦争。そして、霊界物語の口述筆記。激動の時代に生きた出口王仁三郎の人生は波乱万丈でした。
 王仁三郎の代表的な著作には【道の栞】【本教創世記】【筆のしずく】【道の大本】【霊の礎】そして、最大の著書、【霊界物語】があります。王仁三郎の著書の中には大本草創期時代、彼に対して反発する役員信者たちによって火に焼かれたものの中から現存する貴重なものもあります。それらの文書は、当初、五六七冊あったといいます。このような悲劇的な出来事から王仁三郎は霊界物語を新たな【教典】として執筆します。
 さらには【王仁文庫】【伊都能売神諭】【裏の神諭】、歌集【東の光】【浪の音】【百千鳥】【山と海】【白童子】【彗星】【霧の奥】【花明山】【公孫樹】と数々の歌集があります。 
  

道の栞
 この道の栞が執筆された明治三十八年の大本草創期、この時期、開祖出口直と王仁三郎は霊的に激しく衝突していました。これを後世の人々は
【火水の戦い】と呼んでおり、開祖のお筆先に傾倒する役員信徒たちは王仁三郎に迫害を加えます。王仁三郎の書く書物を外国のやり方と批判し、彼の書物に対しても深い敵愾心を持ちます。王仁三郎は無理解な役員信者たちに見つからないよう秘密裏に文書を執筆。(夜、布団の中で独り執筆していたといいます。)そうして出来上がった文書が【道の栞】でした。道の栞には【スサノオこそが贖い主】であり、真の救い主だとする理念が強い論調で書き記され、当時の明治時代のアマテラス思想とは相反する理念を提唱しています。この精神は後の霊界物語にもそのまま、継承されて口述筆記されています。

五六 人を罵る口を持ちて、人を誉め称ゆベし。人は神の御子なれば、人を罵るものは神を罵るが如し。災禍の酬ひ忽ち至らん。恐れ慎むべきなり。

五七 誠の道にある者。誠の道を学ばんとする者よ。必ず人を嫉む勿れ、罵る勿れ、漫りに人を審判く勿れ。人の身を悪しき様に云いなすものは、其身の悪しきと暗きとを、自ら人の前に自白するが如きものなり。

五八 地上に於ける善悪は神の御国の善悪に比して雲泥の相違あり。至善の道は只神を愛し、神の為に天国の発展を期するより外に絶対の善なし。而して善は愛善なるべし。愛悪は邪神の所為なり。

五九 神の道は人を偏り見るべからず。口には如何なる善言を吐くと云へども、其の行状に偏頗あるときは、是即ち正しき誠の道に非ずして悪魔の行くべき道なり。

六〇 誠の花咲きて、誠の実を結ぶは、常に誠の木を培ひ養ふにあり。取次たるもの、心を配りて善し悪しと、理非の分別を培ひ養ふべし。

六一 取次の行状は野山を焼く処の炎の如きものなり。極めて小さき炎のはしくれも忽ちにして大いなる火となる如く、取次の言葉や行状は、一つと雖も、世界を動かすものなれば、慎まざるベからず。

六二 今の世の中の人と和らぎ、共に行かんとすれば、即ち清き神の御心に叶はず。神の清き大御心に叶ふものは、濁れる世の中の人と合はず。故に第一に荒魂と和魂の入用が起るものなり。

六三 口に誠を称へ、心に誠を積むと雖も、之を行ふの勇気なければ、それこそ死にたる誠なるべし。生きたる誠は、神の最も好み給ふ所にして、死せる誠は、神の最も忌み嫌ひ給ふ所なり。

六四 何程誠の行状を為さんと思ひて、心にわずらうとも、其時廻り合はせの悪しき為めに、行ひ能はざるものは、神是を知り給ふ。故に暫時、是れを許し給ふべし。

六五 故に廻り合せ能くなりし時、直ちに行はざるべからざるなり。

六六 口先のみの誠は仮面なり、偽りなり。神は之を知る。故に束の間も許し給ふ事無し。


 
本教創世記
  この本教創世記は明治37年11月1日に執筆。同時期に執筆されたもので、内容は王仁三郎個人の回顧談に始まり、高熊山での修行の出来事が記されてあります。また、
【余が人生観】と題された章には、【罪】に対する王仁三郎の観念が記述されています。
 
 【神にすがりてその罪を謝するはよし。されど今迄のおかしたる道義的、精神的の罪悪は、謝罪によりて赦さるること得ざるを如何せん。ただ、天下公共のために善を尽くして、もって吾が成りきたし罪悪を贖うのにあるのみ。】

 とあります。また、幽斎修行の際での審神者(さにわ)の情景が描写され、霊というものに対してはよくよく注意して、その真偽と正邪を見分ける必要があることを説示しています。

【神界に感合するの道は、至尊至貴にして、神秘に属し、濫(みだ)りに語るべきものではないのである。吾が朝延の古典、就中(なかんずく)『古事記』『日本書紀』等に、往々其の実蹟を載せあるといえども、中つ御代に仏教が到来してから、我が国粋たる祭祀の大道なるものが追々に衰えて来て、共の実を失える事、既に久しき事があったが、天運循環して、神伝により、其の古代の法術に復帰するの機運が出て来たのである。是れ即ち玄理の窮極であって、皇祖の以て皇孫に伝え給える治国の大本であって、祭祀の蘊奥である。蓋(けだ)し幽斎の法なるものは、至厳至重なる術であるから、深く戒慎し、其人に非ざればみだりに行うべからざるものがある。濫(みだ)りに伝授すべからざるの意は、茲(ここ)に存する次第である。然りと難も、其の精神にして、千艱万難に撓む事なくして、自ら彊(や)めて止まざるに於ては、竟(つい)に能く神人感合の妙境に達する事を得らるるに到る者もある。後の此伝を受けんとする行者は、右の理由を宜く諒察せねばならぬのである。幽冥に通ずるの道は、唯其の専修するにあるのであるが、茲に其の法を示さんと思う。

一、身体衣服を清潔にする事。
二、幽すいの地、閑静の家を撰ぶ事。
三、身躰を整え、瞑目静座する事。
四、一切の妄想を除去する事。
五、感覚を蕩尽して、意念を断滅する事。
六、心神を澄清にして、感触の為めに擾(みだ)れざるを務む可き事。
七、一意専心に、吾霊魂の天御中主大神の御許に至る事を、黙念すべき事。

 右の七章は、自修の要件を明示せしものであるが、凡て幽斎の研究なるものは、世務を棄却して、
以て大死一番の境に至らねば、妙域に到達する事は出来ないのである。
 幽斎の法は、至貴至厳なる神術であって、宇宙の主宰に感合し、親しく八百万の神に接するの道である。故に幽斎を修し得らるるに至っては、至大無外、至小無内、無遠近、無大小、無広狭、無明暗、過去と現在と未来とを間わず、一つも通ぜざるはないのである。是れ即ち惟神の妙法である。修行者たるものは、常に服ようし置くべき者があるから、茲に其概略を挙げて置く次第である。

一、霊魂は神界の賦与にして、即ち分霊なれば、自ら之を尊重し、妖魅なぞの為めに誑かさるる事勿(なか)れ。
二、正邪理非の分別を明にすべし。
三、常に神典を誦読し、神徳を記憶すべし。
四、幽冥に正神界と邪神界とある事を了得すべし。
五、正神に百八十一の階級あり。妖魅又之に同じ。
六、精神正しければ、即ち正神に感合し、邪なれば乃ち邪神に感合すべし。吾精神の正邪と賢愚ただちは、直に幽冥に応ず。最も戒慎すべし。
七、正神界と邪神界とは、正邪の別、尊卑の差あり。其異なる、又天淵の遠あるを知るべし。

以上は、只其概(あらまし)を掲ぐると難も、幽冥の事たるや深遠霊妙にして、其の至る所は、之を言詞の尽す能わざるものがある。只、其の人の修行の上に存するものである。】


 
伊都能売神諭
 この伊都能売神諭は大本開祖出口直が昇天した後、直にかかっていた神
【艮の金神】が王仁三郎に神懸りして、書かせたものであるとされた文書です。しかしながら、その内容はこれまでの筆先の内容とは質が違い、一つの謎の文献として現在でも現存します。 
 現代の研鑽者の中にはこの文献は艮の金神がかかったものではなく、完全に王仁三郎自身による創作ではないかとの声も多数あります。

 
霊の礎
 
この霊の礎には、神霊界と現界の密接な関係が記されてあり、王仁三郎が訴える霊主体従の理念が凝縮されています。現界で人が持つ意思想念は死後、霊界に行った後にも反映する。それも外分という肉体の殻が剥がれ落ち、内分という人の持つ、意思想念の魂の本質が明らかとなるとされています。

 この理念はスウェーデンの学者、
エマニュエル・スウェーデンボルグの著書、【天界と地獄】にほぼ共通します。
 
 【一、高天原の天国に上るものは、地上にある時其身内に愛と信との天国を開設し置かなければ、死後に於て身外の天国を摂受することは不可能である。
一、人間として、其身内に天国を有し無かつたならば身外に在る天国は決して其人に流れ来るものでは無い。又之を摂受することが出来ぬものである。要するに人は現実界にある間に、自ら心身内に天国を造りおく必要がある。而して天国を自ら造り且つ開くのは、神を愛し神を信じ無限絶対と合一しておかねば成らぬ。人は何うしても、この無限絶対の一断片である以上は、何処までも無限絶対、無始無終の真神を信愛せなくては霊肉共に安静を保つことは出来ぬものである。】

 
 荒修行をして悟りを開こうとする人々に対する警鐘ともとれる王仁三郎の言葉があります。

【死後高天原に安住せむとして霊的生涯を送ると云ふことは、非常に難事と信ずるものがある。世を捨てその身肉に属せる所謂情慾なるものを一切脱離せなくては成らないからだと言ふ人がある。此の如き考への人は主として冨貴より成れる世間的事物を斥け、神、仏、救ひ、永遠の生命と云ふことに関して、絶えず敬虔な想念を凝らし祈願を励み教典を読誦して功徳を積み世を捨て肉を離れて霊に住めるものと思つて居るのである。然るに天国は此の如くにして上り得るものでは無い。世を捨て霊に住み肉を離れようと努むるものは却て一種悲哀の生涯を修得し高天原の歓楽を摂受する事は到底出来るものではない。何ンとなれば人は各自の生涯が死後にも猶留存するものなるが故である。高天原に上りて歓楽の生涯を永遠に受むと思はば現世に於て世間的の業務を採りその職掌を尽し道徳的民文的生涯を送り、かくして後始めて霊的生涯を受けねばならぬのである。これを外にしては霊的生涯を為し、その心霊をして高天原に上るの準備を完ふし得べき途は無いのである。内的生涯を清く送ると同時に外的生涯を営まないものは砂上の楼閣の如きものである。或は次第に陥没し或は壁落ち床破れ崩壊し顛覆する如きものである。アヽ惟神霊幸倍坐世。】

 この【霊の礎】は重要な執筆であるとされ、王仁三郎最大の書籍、【霊界物語】にも掲載されます。 


信仰は異なるとも  
 宗教は芸術を生み、芸術は又宗教を生む。芸術は入生の花である。人生に宗教及び芸術無き時は、世の中は実に寂寥な、そして無味乾燥なものである。そして、変愛と信仰とは人生に欠くべからざる真実の果実である。
 神仏や其他の宗教を信仰すると云ふのも、要するに恋愛を拡大したものであつて、字宙の元霊たる独一真神を親愛するのを信仰と云ひ、個人を愛するを恋愛と云ふ。ゆえに、恋愛と信仰とは其の根底を同じうし、ただ大小の区別があるのみである。いづれの宗教も、社会人心の改良とか人類愛の実行とか、霊肉の救治とか、天国の楽園を地上に建設するとか云ふ趣旨の他に出づるものでない。ゆえに、古往今来、幾多の宗教が現はれても、人生に光明を与ふるを以て目的とせないものはない。期する所は同一の目的に向つて流れて居るものである。『あめあられ雪や氷と隔つれど解くればおなじ谷川の水』と古人が歌つたのは至言だと思ふ。いづれかの宗教を信じ、一つの信仰をもつて居る人は、どこともなく物優しく懐しみがあり、そして一種の光明に包まれて居るやうな感じがするものである。
 それゆえ、自分は、宗教の宣伝使をもって自認して居るが、同じ宇宙唯一の大神霊に向つて、同じ神霊の愛に浴せむとする目的を以て居る宗教である以上は、眼目点さへ同じければ、枝葉にわたる宗教的儀式や説き方などは次の次である。宗派および信仰を異にする人々と対立した場合の自分の心持は、春の花見に行つた時、一方には上戸が居つて酒に浸り、『酒無くば何んの己がさくらかな』と云うて一日の歓楽を尽す人と、竹の皮の握り飯を開いて食つて居る人や、芸者などの手を引いて花の下で他愛なく戯れて居る人があるやうに、いづれも目的は花見にあるのである。その人々の嗜好によつて、千種万様の自由自在の歓楽を尽して居るやうなもので、その目的さへ一つであれば、別にいやな感じもせず、春風駘蕩として、面をやはらかに吹くやうな感じがする。また、同じ共同風呂に入つて、温かなゆつたりとした気分に浸り、一人は詩吟をやり、一人は浪花節を唸り、一人は浄瑠璃を語り一人は端歌を唄つて居る。いづれも同じ風呂の中でありながら、思ひ/\の事を云つてゐる。しかし、人々の嗜好は変つて居つても、温かい風呂に浴し、身体の垢を落し、爽快の気分を味はふ点においては一つである。また詩吟、浪花節、浄瑠璃、端歌など何を聞いても余り気分の悪いもので無い、其の時の様な感じを自分はいつも持つて居る。
 宗教を持たず信仰の無い人に接した時は、たとへ自分の兄弟であらうが、親であらうが、妻であらうが、また、子であらうが、何とも云へぬ淋しみがあり、また、自分との間に薄い幕が張られて居るやうな気分のするものである。
大正一四、五、二五号神の国誌 
 
「神の国」、大正十五年五月号
 
人類愛善会という会を起し、名称を附しましたに就て、人類愛善と云う意味が未だ徹底せず、浅く考えて居る人があるように思います。又解って居る人もあろうと思いますが、一寸それを説明して置きます。
 一寸聞くと人類愛善会というのは、総ての人間を人間が愛するように聞こえて居ります。総ての人類は同じ神の子であるから、総て愛せねばならぬという意味になって居りますが、それはそれに違いないけれども、人類という字を使ったのは、下に「愛善」がありますから、上の「人類」の意味が変って来る。単に「人類」と丈謂えば世界一般の人類或は人間の事であり、色々の人種を総称して人類というのである。併し日本の言霊の上から謂えば、「人」は「ヒト」と読みて、ヒは霊であり、トは止るという事である。そうして「人」という宇は左を上に右を下にして、霊主体従、陰と陽とが一つになって居る。神というものは無形のものであるが、併し神様が地上に降って総ての経綸を地上の人類に伝える時には、止まる処の肉体が必要であります。それで神の直接内流を受る処の予言者とか総てそういう機関が必要なのでありまして、此の霊(神)の止まるのが人(ヒト)である。それは神の顕現・神の表現として釈迦とかキリストとか、そういう聖人が現われて来て居る。人間というものは、善悪混淆した普通のものであるが、人というと神の止まる者、神の代表者である。それに類するというのであるから、それに倣うのである。
 神は善と愛としかない。理性も理智もない。愛という事にかかったら、理性も理智も何もなく、どれ程極道息子でも愛の方から謂えば、只可愛い一方である。天国の神の世界には、愛と善とより外にはない。愛は即ち善であり、善は即ち愛である。

 神の愛善は何ういうものであるかというと、総ての脅喝的ー今の既成宗教のように戒律とか云うもので脅喝しない。今は戒律で人間を怖がらし、天国とか地獄とかを拵え、善を為せば天国へ行く、悪を為せば冥官が厳めしい顔をして裁くというように、今の教は脅喝的に出来て居る。併し神には脅喝というものはない。只愛する一方です。泥棒のようなものでも、又どんな悪人でも、こちらから親切にしむけて行くと、其の人は恩を覚えて居り、どんな善人でもあまりこちらから強う行くと恨んで来る。併しそれはお互に同じ人間の事であるが、神の愛というと、敵でも何でも本当に心の中から憎いという心が起って来ない。其処が本当に純なる神の愛なのです。今日の人間の作った不完全な現行刑法でも、親が泥棒をしたとか、親が罪を犯したとかいうて、其の息子なり孫なり妻君までを懲役に引っ張って行って刑を科するというような事はないのです。
 況して至仁至愛の神様が、先祖が罪を造ったから其の子孫を罰する、それを恕して貰うというような事は、今日の不完全な法律よりも徹底しない教であって、決して神の伝えた教ではないのであります。
 神は、善人であるから愛するとか、悪人であるから罰するというような事はない。総て愛と善とで向われる。此の愛と善とを取って了ったならば、神の神格というものが無くなる。
 
 人間も愛と善とが無かったら、人間でない。形は人間でも、矢張り獣になって了う。神様も其の通りであります。神様は色々の方法を用いて、総ての機関をお造りになり、そして神の意志を、地上の愛する処の人間一般にお伝えになる。之は昔から時代々々に依って色々の神のお使いが現われて、世の中に伝達して居りますが、
 併しそれを聞く人が皆間違って居って、本当の神の意志をよう取って居らぬ丈のものである。それが為に今日の既成宗教というものが、輪郭丈けは極立派にありますし、また言うて居る事もなかなか立派にある。善悪正邪に因果応報だとか、其の区別とかいう事は立派にありまするが、実行は出来ない。そういう戒律づくめで、愛と善との徹底しない宗教を信仰して居ると、信仰すれば信仰する程不安の念が漂うて来る。
 
信仰しなければ何ともないものが、信仰した為に、今日までああいう悪があった、こういう事があったと、臆病風が起って来る。神は愛と善とが本体である以上は、一切の悪は恕して呉れる。又元より恕す恕さぬというような事もない。恕される恕されないというような事は、自分の魂の持方一つによって、いろいろと感じられるだけの事である。
 一体人類愛善というものは、神の聖霊に充された処の予言者、或は伝達者に類する処の心になり、そうして愛善を行う。善人だから愛する、悪人だから憎むというような事ならば、それは本当の愛ではないのであります。
 愛という事になって来れば、善悪正邪の判断がつかないものである。つくものならば愛というものは、千里程向うに行って了って居る。又神様が罰するとか戒めるとかいうような事があれば、神其のものの御神格というものは、千里程向うに脱出して了っているのである。
 此の世の中は愛と善とで固まって居る世の中でありますから、何事も総て愛善の神様に任して、そうして取り越し苦労をしないよう、過ぎこし苦労をしないよう1過ぎこし苦労というものは、済んで了ってからの事である。彼奴はああいう事を言いよったとか、彼奴の讐をとらんならんとか、ああせなんだら、今まで大分財産も出来て居ったのにというような事で、又取り越し苦労をして、明日の事を、明日は何うしようかと考えて居っても仕方がない。千里の路を行くのにも、左の足から右の足という風に出して行けばよい。行く処は東京なら東京と決めて置いて、一足々々を注意して行く。積極的刹那心を以て進んで行く。そうすれば、影が形に伴う如く、愛善の心が起って来る。取り越し苦労と過ぎ越し苦労を忘れて来たら、一切の慾も起って来ぬ。怨恨も忘れて来る。又妙な慾望もなくなる。大本の方から謂うと、それが惟神の精神である。
 大本の方は神様の神勅によって宣伝使を拵えて居りますが、愛善会の方は宣伝使というものはありませんけれども、自然に愛善の徳が出来て来たら、其の人の身体から光明が出て来る。そうすると、独りでに其の人の光明に照されて、世界が愛善になる。愛善を売りに歩いても、売りに行ったものは効果がない。又自分が愛善をやって居るとか、自分が善をやって居るとかいうような時には、自己愛が其の中に這入って居って、本当の愛善になって居らない。世の為め社会の為と皆考えて居りますが、其考えがある間はなって居らぬ。凡て何も彼もなく、無になって了う。無になった時に、愛善が身体に這入って来る。愛善会には、あまり小六ケ敷い演説もなければ話も出来ない。
 私は初めの時に愛と善との事を謂うて置きましたが、あまり細かく分析して謂う事は出来ない。愛善というようなものは、非常に大きなものであって、謂うに謂われず説くに説かれず、丁度ボタ餅が何ういう味であるかという事を説明して見ようというても、食ってみなければわからぬ。各自に食って見て初めて其のうまさが解るので、愛善もそれと同じことで、到底人間の力で分析して説く事は出来ない。
 それは其の人の徳相応の光明に依って味われるものであると思います。

 
   
霊界物語第21巻 総説  
 霊界は想念の世界であって、無限に広大なる精霊世界である。現実世界は全て神霊世界の移写であり、また縮図である。霊界の真心(かたち)をうつしたのが、現界、すなはち自然界である。ゆゑに現界を称してウツシ世といふのである。たとへば一万三千尺の大富士山をわづか二寸四方くらゐの写真にうつしたやうなもので、その写真がいはゆる現界すなはちウツシ世である。写真の不ニ山はきはめて小さいものだが、その実物は世人の知るごとく、駿、甲、武三国にまたがった大高山であるがごとく、神霊界は到底現界人の夢想だになし得ざる広大なものである。
 わづか一間四方くらゐの神社の内陣でも、霊界にではほとんど現界人の眼で見る十里四方くらゐはあるのである。すべて現実界の事物は、いづれも神霊界の移写であるからである。わづかに一尺足らずの小さい祭壇にも、八百万の神々やまたは祖先の神霊があまり狭隘を感じたまはずして鎮まり給ふのは、すべて神霊は情動想念の世界なるがゆゑに、自由自在に想念の延長を為し得るがゆゑである。三尺四方くらゐの祠を建てておいて、下津岩根に大宮柱太布立、高天原に千木高知りて云々と祝詞を奏上するのも、少しばかりの供物を献じて、横山の如く八足(やたり)の机代(つくえしろ)に置足らはして奉るとある祝詞の意義も、決して虚偽ではない。すべて現界はカタすなはち形の世界であるから、その祠も供物も前に述べた不二山の写真に比すべきものであって、神霊界にあっては極めて立派な祠が建てられ、また八百万の神々が知食(きこしめ)しても不足を告げないほどの供物となってゐるのである。
 すべて世界は霊界が主で現界すなはち形体界が従である。一切万事が霊主体従的に組織されであるのが、宇宙の真相で大神の御経綸である。現実界より外に神霊界の厳然として存在することを知らない人が、こんな説を聞いたならば定めて一笑に付して顧みないでありませう。無限絶対・無始無終の霊界の事象は、極限された現界に住む人間の智力では、到底会得することは出来ないでせう。
 この物語は、現、幽、神、三界を一貫し、過去と現在未来を透徹したるがゆゑに、読む人々によって種々と批評が出るでせうが、須(すべから)く現実界を従とし、神霊界を主として御熟読あらば、幾分かその真相をつかむことが出来るであらうと思びます。
 惟神霊幸倍坐世。
大正十一年五月廿一日 於松雲閣王仁


 
王仁三郎はさらに人類愛善新聞において下記のように霊主体従を訴えます。



「人類愛善新聞」昭和10年11月3日
 
人間が母の体内にはじめて受胎した時は、頭もなく四肢もわからず、混沌としてあたかも鶏子のごときものであつて、宇宙創造、天地剖判の姿そのままなのである。ところが三月たち五月すぎて、だんだんと人間としての肉体を備え、かくて十か月にして、すでに母体の保護をうけずともよい状態までに発育すると、産声とともにこの地上に産まれてくるのである。
 しかしこの世界にはじめて、人間として産まれてでた時には、 もちろん肉体そのものも不完全ではあるが、とくにその意思想念すなわち霊魂の働きは、まだ混沌として鶏子のごときものである。そこにはなんら独立した個性というものがなく、それは大自然そのままの肉体であり、造化の神自体の魂の働きであるとみることができるのである。
 かくて五年、十年の歳月を経るにしたがつて、その精神も肉体もしだいに発達し、ここに意思想念すなわち霊魂に個性を生じ、独立性を有するようになる。五十年の人生は、ちようど十か月間にわたる胎児の母体内の生活と同様に、われわれの霊魂をその肉体内に保護するとともに、その独立的個性を養育する過程なのである。ままならぬ社会制度や、生活のための労苦や、向上のための勉学、その他肉体におきる病気までも、ことごとく外界にあらわれる諸事象は、人間の霊魂を保護し練磨する母体に相応しているのである。しかして人の霊魂が完全に発育して、肉体の保護や補助をうけなくとも独立独往できる状態になつて、その肉体を離れ現象の世界を去つて、無限の実在界に更生することを「大往生」というのである。
 それで古の聖賢は、すべて我欲を去れと説き、執着を断てと教えたが、それは人間の心が、いつまでも肉体に支配されていることは、ちようど発育不良な胎児が、母体の保護をうけることができなくなつた時に死んでしまうのと同様に、いつまでも物欲にとらわれている霊魂は、ついに永遠の生命に更生することができずして、流産してしまうことをいましめたものなのである。人として真の生命に住することは、物欲にとらわれぬ霊主体従の大道を体得する以外に途はないのである。
 仏教ではこの消息を、無明より来る流転の生といつているが、今日の人間界のありさまを見るのに、哀れにもすべての生民が永劫の流転の妄念にとらわれ、発育不良のたくさんな胎児が、神さまから「お出直し」を宣言されて、流産、死産の悲境にある。おそらく宇宙創造人類発生以来、今日ほどこの地上が、かかる多くの妄者によつて埋められた時はないであろう。しかしそれも唯物思想にとらわれ神霊を否定した盲人が、国家社会の指導者となつて、大衆を泥溝に手引きしてきたのであるから、かくなることは当然の結果である。
 
 人間が個性を有するということは、じつに尊いことである。この大宇宙の発達進展は、万有がますますその個性を強く発揮することによつてえられるものである。しかし人が個性を発揮するということは、けつして個我にとらわれて不統一になることではない。枝葉がいよいよ栄えるということは、幹から切れることではない。
 霊主体従の精神は、すべてのものがますますその個性を発揮するとともに、いよいよ固く元に帰向し統一される途なのである。そこにこそ永遠に栄えゆく世界が開かれるのである。
 結局、この世界もすべての国家も神の御心に帰向して、しかもその個性を縦横に発揮し、霊主体従の大精神に立脚して諸々の制度を確立するまでは、なんどもなんども戦争と革命の惨事をくりかえさねばならないであろう。ゆえにわれわれは、大宇宙および人生を一貫する活生命を十分に体得して、そして永遠に栄えてゆく正しき国家社会の基礎を樹立し、また人間生活の基調を確立しなくてはならないのである。


 王仁三郎は芸術、書画、和歌にも精通しており、彼の芸術の中には【ようわん】という楽焼茶碗があります。合計で約7200個余りが製作されたといわれ、現在では、一個が最低でも300万円前後、また、高いものでは1000万円前後もするという高値が付けらています。王仁三郎この【ようわん】を妻、出口澄に

【この楽焼一つ造るのにも、二千遍のかんながらのことたまを込め、火と水と土と、それにわしの霊の力が入って出来たんや。そやから、これがほんまの玉やで、いまのお前らわろうとるが、いまに宝になるのや。】

と話されたという逸話もあります。王仁三郎の和歌も膨大な量であり、その数は数十万首にも及びます。その美的センスは専門家も認めています。書画、短冊なども数多くあり、そのスピードは尋常なものではなかったということです。
 王仁三郎は通説でいわれている
【宗教は芸術の母】という表現を彼独特の表現に言い換え、これとは逆に【芸術は宗教の母である】と訴えています。そして、彼の著書、霊界物語には、【宗教と芸術は姉妹のようなものである。】という王仁三郎独特の大論文を展開し、その重要性を示唆しています。
   

霊界物語第36巻 序文
 
現代の学者は、『宗教は芸術の母なり』とか、『宗教が芸術を生むのだ』と謂つて居るさうである。私はそれと反対に『芸術は宗教の母なり、芸術は宗教を生む』と主張するものである。
 洪大無辺の大宇宙を創造したる神は、大芸術者でなければならぬ。天地創造の原動力、之れ大芸術の萌芽である。宗教なるものは神の創造力や、その無限の意志の僅かに一端を、具体的に人の手を通し口を徹して現はされたものに過ぎない。さうでなくては、宗教が神や仏を仮想の下に描いたことになつて了ふ。ソンナ根拠の薄弱なる神又は仏なりとすれば、吾々は朝夕之に礼拝し奉仕する心がどうしても湧いて来ない道理だ。然るに天地の間には、何物か絶対力の存在する如く心中深く思惟さるるのは、要するにこの宇宙に人間以上の霊力者の儼存するものたる事を、朧気ながらも感知し得らるるからである。如何なる無神論者でも、地震、雷鳴、大洪水等の災厄に遭遇した時は、不知不識の間に合掌し、何ものかの救ひを求むるのは自然の人情である。裏の神諭に曰ふ
『雷鳴の烈しき時、地震の強く揺る時は、神を祈らぬものはなし。その時の心を以て、平常に神を求めよ祈れよ』
とある。どうしても宇宙には大芸術者たる神が儼存し玉ひて、万有一切を保護し給ふことは争はれぬ事実である。現代の人は神と云ふのを愧ぢて、自然とか天然力とかの雅号にかくれて、神と唱ふることを避けようとして居るものが多いのは、実に残念な事である。

水鏡
 私は絵を画くにしても、岩を画いていると上から落ちてくるような気がするので、左手で押し上げておるようにして画く。滝を描く場合は、サッと滝の落ちる速力と同様に筆をはこぶのである。ゆっくり画けば綺麗にかけるが、絵が死んでしまう。私は猫などの生物を画く時は、さっと形をかくと、すぐ一番に鼻を描く、早く呼吸をさしてやらねば死んでしまうような気がするからである。

 
水鏡
 
風は七五三の律動で吹くものである。したがって浪もその通り七五三とうつものである。この消息を知らないで絵を描くと絵が死んでしまうし、この原則にのっとって画くと、私などはさながら樹が動いているような感じをおこすもので、これを絵が生きているというのである。

 
名人の絵にも上の松ケ枝は右に動き、下に立つて居る人物の衣の袖は左に靡て居る様なのがある、これは嘘の絵だと云ふ事がすぐ分る。風の心になつて描けば風が吹いて居るやうにかけ、浪の心になつて描けば浪が打つて居るやうに見える、皆天地自然の道理だ。

 日本人は閑静を愛する心強く、世俗に交わりて世事に狂奔するかたわら、風雅の別天地に遊ばんとする国民性がある。その別天地の事物には自ら雅到があり、風雅があって、その趣味またいうべからざるものがある。ゆえに世事のかたわら、その趣味に生くるものを風流と称して文人墨客等は詩歌ともなし書画ともなし、調度器物ともなしてその情を慰むるものである。かの桜狩一夜を花下に宿らんとし、紅葉見に鹿の遠音に憧憬れ、沢の蛍にわが魂のたぐえるかと思い、秋野の虫の声を聞きては我を呼ぶかとと思うなどは、風流思想の充たざる限りその境地には入り難きものである。しかしながら我が国の人には、この趣味を愛する人おおく、個人においてもっとも濃厚であった。
 
月鏡 宗教より芸術へ
 私はかつて、芸術は宗教の母なりと謂つた事がある。併しその芸術と云ふのは、今日の社会に行はるる如きものを謂つたのでは無い。造化の偉大なる力によつて造られたる、天地間の森羅万象を含む神の大芸術を云ふのである。私は子たる宗教を育てんが為めに、永年微力を盡したが、子はどうやら育ち上つたらしいので、この方面は子に譲り、昭和三年三月三日から、親たる芸術を育てんと努力しつつあるのである。明光社を設けて、歌道を奨励し、大衆芸術たる冠句を高調し、絵を描き文字を書き、楽焼をなし、時に高座に上つて浄瑠璃を語り、盆踊の音頭をさへも自らとつて居るのである。神の真の芸術を斯土の上に樹立することが、私の大いなる仕事の一つである。

  
霊界物語第65巻 総説  
 芸術と宗教とは、兄弟姉妹の如く、親子の如く、夫婦の如きもので、二つながら人心の至情に根底を固め、共に霊最深の要求を充たしつつ、人をして神の温懐に立ち遷らしむる、人生の大導師である。地獄的苦悶の生活より、天国浄土の生活に旅立たしむる嚮導者である。故に吾々は左手を芸術に曳かせ、右手を宗教に委ねて、人生の逆旅を楽しく幸多く、辿り行かしめむと欲するのである。矛盾多く憂患繁き人生の旅路をして、さながら鳥謳ひ花笑ふ楽園の観あらしむるものは、実にこの美はしき姉妹、即ち芸術と宗教の好伴侶を有するがゆゑである。もしもこの二つのものが無かつたならば、いかに淋しく味気なき憂世なるか、想像出来がたきものであらうと思ふ。人生に離れ難き趣味を抱かしむるものは、ただこの二つの姉妹の存在するが故である。
そもそも此の二つのものは、共に人生の導師たる点においては、相一致してゐる。しかしながら芸術は一向に美の門より、人間を天国に導かむとするもの、宗教は真と善との門より、人間を神の御許に到らしめむとする点において、少しく其の立場に相異があるのである。形、色、声、香などいふ自然美の媒介を用ひて、吾人をして天国の得ならぬ風光を偲ばしむるものは芸術である。
 宗教は即ち然らず、霊性内観の一種神秘的なる洞察力に由りて、直ちに人をして神の生命に接触せしむるものである。故に必ずしも顕象界の事相を媒介と為さず、いはゆる神智、霊覚、交感、孚応の一境に在つて、目未だ見ず耳未だ聞かず、人の心未だ想はざる、霊界の真相を捕捉せしめむとするのは、宗教本来の面目である。 芸術の対象は美そのものであり、而も美は神の姿にして、その心では無い。その衣であつて、その身体では無い。『神は霊なれば之を拝するものも亦、霊と真とを以て之を拝すべし』と言つたキリストの言葉は万古不易の断案である。
 美を対象とする芸術は、よく人をして神の御姿を打ち眺めしむる事を得るも、未だ以て其の心を知り、その霊と交はり、神と共にあり、神と共に動き、神と共に活きる、の妙境に達せしむることは出来得ない。
 たとへば僅かに神の裳裾に触らしめることは出来得るも、その温き胸に抱かれ、その生命の動悸に触れしむることは、到底望まれない。
 芸術の極致は、自然美の賞翫悦楽により、現実界の制縛を脱離して、恍として吾を忘るるの一境にあるのである。それゆゑ、その悦楽はホンの一時的で、永久的のものではないのである。其の悠遊の世界は、想像の世界に止まつて、現実の活動世界でなく、一切の労力と奮闘とを放れたる夢幻界の悦楽に没入して、陶然として酔へるが如きは、即ちこれ審美的状態の真相である。
 もしそれ宗教の極致に至つては、はるかにこれとは超越せるものがある。宗教的生活の渇仰憧憬して已まざるところのものは、自然美の悦楽ではなく、精神美の実現である。その憧憬の対象は形体美ではなくて人格美である。神の衷に存する真と善とを吾が身に体現して、永遠無窮に神と共に活き、神と共に動かむと欲する、霊的活動の向上発展は、即ちこれ宗教的生活の真相であらうと思ふ。芸術家が、美の賞翫もしくは創造に依つて、一時人生の憂苦を忘るるが如き、軽薄なものではない。飽くまでも現実世界を聖化し、自我の霊能を発揮して、清く気高き人格優美を、吾と吾が身に活現せなくては止まないのが即ち宗教家の日夜不断の努力奮闘であり、向上精進である。
 宗教家の悦楽は、単に神の美はしき御姿を拝する而已でなく、その聖善の美と合体し、契合し、融化せむと欲して進みゆく途上の、向上的努力にあるのである。死せるカンバスや冷たき大理石を材料とせず、活ける温かき自己の霊性を材料として、神の御姿を吾が霊魂中に認めむとする、偉大なる真の芸術家である。。ゆゑに宗教家の悦楽は、時々刻々一歩一歩神の栄光に近づきつつ進み行く、永久の活動そのものである。故にその生命のあらむ限りは、その悦楽は常住不変のもので、その慰安もまた空想の世界より来たるに非ず。最も真実なる神の実在の世界より来たるものである。
『我が与ふる平安は、世の与ふるところの如きに非ず。爾曹心に憂ふる勿れ、また懼るる勿れ』とは正しく這般の消息を伝ふるものである。美の理想を実現するには、まづ美の源泉を探らねばならぬ。その源泉に到着し、之と共に活き、之と共に動くのでなければ実現するものでは無い。而して其の実現たるや、現代人のいはゆる芸術のごとく、形体の上に現はるる一時的の悦楽に非ず、内面的にその人格の上に、その生活の上に活現せなくてはならないのである。真の芸術なるものは生命あり、活力あり、永遠無窮の悦楽あるものでなくてはならぬ。
 
 瑞月はかつて芸術は宗教の母なりと謂つたことがある。しかし其の芸術とは、今日の社会に行はるる如きものを謂つたのではない。造化の偉大なる力に依りて造られたる、天地間の森羅万象は、何れも皆神の芸術的産物である。この大芸術者、即ち造物主の内面的真態に触れ、神と共に悦楽し、神と共に生き、神と共に動かむとするのが、真の宗教でなければならぬ。瑞月が霊界物語を口述したのも、真の芸術と宗教とを一致せしめ、以て両者共に完全なる生命を与へて、以て天下の同胞をして、真の天国に永久に楽しく遊ばしめんとするの微意より出でたものである。そして宗教と芸術とは、双方一致すべき運命の途にあることを覚り、本書を出版するに至つたのである。
大正十二年七月十七日

   
 俳道は天地剖判の以前から流れている。森羅万象はことごとく俳的表現である。釈迦が女性醜と人間醜に中毒の結果は、ヒマラヤ山という小さい茶室に逃げ込んだ茶人であった。「ソロモンの栄華も要らず百合の花」だの「陽炎や土にもの書く男あり」だのと発句っていた耶蘇も、ある意味における俳諧師である。
 天地はそのままにして茶室である。自然の詠嘆はそのままにして天国の福音である。しかし、クリスチャンに耶蘇がわからないように、茶人は茶を知らず、俳人は俳道がわかっていない。耶蘇教はソヴィエトもこれを見限ってしまった。マホメット教も本場のトルコに捨てられた。日本の神道も仏教も、とうの昔に国民から捨てられているか、これをしらないものは、神道家と仏の僧侶ばかりである。
 すべての人々はいずれも皆宗教家である。否宗教が人をもっているのである。そして、宗教に見放されているものは宗教家である。今日の俳人と称するものもも、皆俳道から俳亡者である。そして日本俳壇の中興は、戦国争覇の頂点に対峙して旗鼓相衝つた機山、不識庵の連中であった、信玄が城をもたず、謙信は甲冑をまとわなかった。自分が入蒙戦争の際にも銃剣を持たなかった。それは、いわゆる山川を城となしているからであり、敵中を行くあたかも無人の平野を行くがごとくであったからである。また、かの謙信は一生涯刀を抜かなかった。大事な軍(いくさ)ほど人数を減らし、川中島で信玄に迫ったときはひとりであった。恋にはつれが邪魔になるごとく思ったのだ。信玄、謙信は相思相愛の恋仲のような態度をもっていた。恋というものは、殺したり殺されるはずのものだからで、殺しもせず殺されもしないのは恋ではない。信玄が死んだと聞いて茶碗をほって慟哭した謙信の心は、いじらしい恋であったのだ。「乾坤破壊の時如何」「紅瀘一点雪」この両者のラヴレターに徹ししても、彼等が自然に対する恋の深さをうかがうことができる。「数行の過雁三更の月」これ彼等が全世界を手に入れたよりもまさった法悦であった。これ俳道の猛者にあらずして何ぞやである。
 それに、かの信玄の後裔だという武野紹鴎の弟子といわるる千利休のごとき俳人はね水呑百姓までは天下を奪わんと猛り狂っている真っ只中に、落葉の響き霜の声に耳を傾けて、四畳半裡に大宇宙を包み、欠け茶碗に天地の幽寂を味わって、英雄の心事をあわれんでいた十里の長城、否、土居をめぐらして帝都を復興し、聚楽邸を築いて花洛と共に花も月も己れ一人の所有となし、桃山城を建造して天下の美人を宣伝し、嬌奢と栄華に耽溺し陶酔した豊臣氏に、荒壁造りの茅舎を見せびらかして飛びつかせ、茶杓で丸木柱に踏ん締ってしまった利休は、俳諧史上の逸品である。外面的には、利休は終に豊公に殺されたが、内部的精神的にみれば、豊公は利休に殺されたのである。ときめく天下の関白が利休のために四畳半裡にひきずりこまれて以来の豊公は、もはや以前の豊公ではない。豊公は内部的に利休に殺されて、英雄の分際からただの凡翁にたちかえって、未見の世界が見られたのは、小不幸中の大幸福だったのである。また利休は豊公に殺されたお蔭で、永遠の生命を獲得したのだった。
 この一挙両得の中に、有声に無声を見、無色に有色を聞く俳道の真髄がある。意図のかけ足らぬ琴に、有りあまる琴の音色を聞くほどの人間でなければ、俳道は到底わかるものではない。

  
日月日記  
 裏表四十八手を叩き折る隻手の聞こえる人間でなければ茶道の真髄はわからない。茶事は即ち禅の具体化、俳味の生活化で、そこに俳茶一味の響きが味えるのである。東漸して来た仏教が民族的体験、人格的発揮によって原型を破壊し、新しい生命を生み出したのであって、宗教であると共に芸術であり、また科学ともみられる。形の上からみて茶道と呼び、内容に聞いて俳味と称うが、究竟すれば同根で、日本文化の洗練されたる紅白二種の色である。
 
 維摩の方丈と月宮殿の宝座に大千世界を観ずるの人は、四畳半裡の閑寂を破る風炉の音に、天地の夫音母音を聞く人である。一句一家にして江山万里を聞く人である。一句一歌にして江山万里を髣髴せしむる大詩客である。紹鴎や利休は一代の詩客であり、躬恒や西行は一世の茶人である。大威神力は凡て孤寂の相に潜んでいるものだ。弧節瓢然として、鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮に寂寥を歌った西行は、北面随一の荒武者宗清であったではなかったか。無言の言に天皇を跪かした国師大燈は、橋下塵上の流を枯木叫風と観じたる乞食である。豊公が撥乱反正の深謀秘策も、利休の四畳半から叩き出したというのも不思議ではない。東風一度び荒野を撫すれば、千紫万紅一時に匂えど、九句の春過ぐれば青一色で、只一月の天半にあって然するのである。千億万を知るよりも、此究意の一時に参徹すれば足る。水泳は鱗族と競い泳ぐためではない。牛馬と駢馳して、その健脚を誇ってはならぬ。
 
 人世を茶化して一個半個を説得せんがために、茶を鬻(ひさ)ぎつつ御経の文句を書いていた売茶翁の行為も、あまり徹底したとはいえないが、死に臨んでまず茶器を茶毘に附した風懐や、十徳幇(ほう)間とはいえ「浄らけき布巾だにあらば茶は飲めるものに候」と茶器を購い呉れと茶藩主から送ってきた三百金に添えて返した利休の風流にも、また一願の価値はあると思う。西行や芭蕉の蓑立相に捉えられてその残糟を啜る徒や、達摩の不識白隠の毒を喫するの輩や、道具好みに浮身をやつす成金茶客、みな形式に堕し言筌(げんせん)に弄ばれるの徒輩である。故にこうして捨てることが掴むことであり、亡びるは得たと思う刹那と気注(きづか)うものぞ。栂尾の明恵が茶を造って弟子に飲ましたのは、千八百則の公案よりも一服の茶が正眼を開かしめたからである。栄西の「喫茶養生記」の方が禅味があるようである。
 
 反省一番、真の俳味を復活せんとして瑞月は茶器を造り、茶道を奨励し、俳句、和歌、詩等を弘通し、花壇、温室等を開いて真の宗教即ち俳道、茶道、芸術を専心唱導する所以である。


社会の影と闇には憎悪と憤怒が共生し、理智と打算は野心となって複雑に絡み合う。混迷と迷走は複合体となって走り出し、悪徳と頽廃を練り上げて現世の社会情勢をより漆黒の色に染め上げていく・・・。
 悟りえざる人々の魂は、安寧と平穏を得ることなく、無明とも思える事象の中で輪廻転生を繰り返し、それはただ、流転するというのか。しかし、その原因は一人一人の心の中にある。
 全世界、あらゆる社会問題が浮上してくる中、何が解決をもたらし、何が昇華させうるというのか。

大日本帝国の時代、政府当局の弾圧と大本役員らの反発にさらされながら、王仁三郎は決死の覚悟で救世主、【素盞嗚(スサノオ)】を明示した。彌勒、仁愛、贖罪の宿命を一身に背負ったこの神は、太古より神話へと化した星霜の後、燦然としてこの現代へと蘇る。悪神の汚名を甘んじて受け続けた素盞嗚の魂は、赫奕たる愛善信真の瑠璃光を開け放ち、冷然とした暗黒の闇夜を照破する。
 
【大本経綸】始動する。霊・力・体、宇宙の根源たる【神】とシンクロした王仁三郎。第二次世界大戦の末期、日ソ不可侵条約を無視して侵攻するソ連軍の動向は既に霊界物語に記され、原爆投下とともに敗北する日本の情勢をも察知する。戦後、後世の大本は混迷の度をさらに深め、それは新世紀と共に次の世代へと移行する。彼の予言が悉く的中していく中、間断なく進行する神の経綸。【世界経綸の一大神書】たる霊界物語には、神の鼓動が木霊する。

●王仁三郎没後、彼は後の大本を【激烈なるべし】と予言した。日本の雛形とされた【型の大本】。彼が見つめる遥か彼方の先には何があったというのか。王仁三郎が見た世界と日本の未来とは? 
 

 
・・・初段が終わり、二段目は通過した・・・。
        いずれ到来するであろう新たな激動の時代は幕開けする。

                                    そして、
【三段目】へ・・・。
                      

聖書の【聖言】、エマニュエル・スウェーデンボルグが示した天界の【秘儀(アルカナ)】、列子の【道(タオ)】、孔子の【仁】、仏陀の【解脱】、古神道、【言霊学】の本田親徳、大石凝眞素美。親鸞の歎異抄、【地獄一条】、そして、我が日本国の神典、【古事記】【日本書紀】


    遥かなる悠久の時を経て、世界に息づく思想と宗派の潮流は、     
                         
                    今、この
【霊界物語】に収斂される


 人が生きる真の目的とは?

 人生の意義とは。

 出口王仁三郎はその問いに答えてくれるでしょう。
 

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