この時代を振り返ると、日米で世界のGDPの約40%を占め、この2カ国の経済関係が世界に影響を及ぼすと言われていました。両国間で、お互いに強く警戒し、影響を与えあう出来事が多くありました。
 その一つ、プラザ合意で、アメリカは日本の攻勢を弱めようとしましたが、逆にバブル景気へと加熱し、貿易摩擦は続きました。そのためより強力な圧力として推進されたのが日米構造協議でした。1989年にジョージ・ブッシュ(父)大統領が日米首脳会談で宇野宗佑首相に提案しました。もちろん2国間協議なので、日本からアメリカへの要求もあったのですが、主目的は日本の市場開放要求でした。特にアメリカ企業の参入を阻害する非関税障壁を取り除くよう、規制緩和と経済構造の転換を要請してきたのです。

 市場開放圧力として、大きなニュースとなったことのひとつにアメリカの大型玩具店トイザらスの日本進出がありました。当時、大型店は大規模小売店舗法による出店規制がありましたが、日米構造協議の結果、出店調整期間の上限が1年半に短縮される規制緩和が行われました。そして、トイザらスが茨城県や奈良県などの郊外に、次々と出店していきました。ニュースでも、地元のおもちゃ屋などの売上に影響を与える、と大きく報道されました。さらに1994年には、1000平方メートル未満の出店を原則自由とする法改正が続き、その後、トイザらスは2000年に100店舗目を開店するというスピードで、店舗網を拡大していったのです。
 また大店法は2000年に廃止され、郊外の大型量販店の出店ラッシュをもたらしました。そして、地方都市の商店街の衰退を招き、小規模な小売店が軒並み不振に陥り閉店してしまい、「シャッター商店街」といわれるほどの衰退を招く一因となりました。

「外圧」による規制緩和と公共事業
 さらに1990年の海部政権に対する協議では、貿易不均衡を解消するため、日本のさらなる内需拡大が必要であるとし、公共投資10年間で約430兆円(一年でGDPの約1割)支出するよう確約させました。ブッシュ―海部の首脳間で、日本が常にアメリカの顔色を伺い、電話一つで言いなりになるような状況は、「ブッシュホン」と揶揄されることもありました。
 その後、90年代中盤までは公共投資が増額されていき、実施された代表的なものには、関西国際空港の建設や東京湾臨海副都心の開発などがありました。それらが不要な公共事業だということではなく、バブル崩壊後の景気の下支え効果もあったのですが、アメリカが日本にカネの使い道を指図し、時の政府が便乗した形には見えます。
 公共事業予算という利権に自民党政権が飛びつき、土木関連へ予算が集中し、その結果、IT技術の開発が遅れた、という批判も、マスメディアからはあります。確かに90年代前半は、先述したように、アメリカのクリントン政権が「情報スーパーハイウェイ構想」でIT業界を強力にバックアップし始めていた時期と重なります。
 また、この時期の公共事業として、地方都市間を結ぶアクセス道路の整備が進んだということもあります。新雅史氏の『商店街はなぜ滅びるのか』(光文社新書)によると、1990年の「日米構造協議最終報告書」発表後に、財政投融資を原資とし、都市間アクセス道路が数多く造られ、その沿道に大型ショッピングモールが続々と出店されていきました。その結果、地域の商店街の衰退を誘発したということですが、この視点による検証は、先述の書以外には、未だ多くなされておらず、筆者も寡聞にして知りません。
 ですが、今後のインフラ整備の課題として、考えるべき重要なポイントと言えるでしょう。

アメリカの国益のため、「外圧」は続く
  それにしても、「日米構造協議」を契機として、「外圧」とともに様々な内部の事情が絡み合って、社会に大きな変化がもたらされた、というのが現実です。日米構造協議は、商慣習や流通構造の改革という広範囲に及びました。「ジャパンバッシング」ともいえる圧力をかけ、「系列」や「談合」といった日本独特の商慣習が外国企業を差別していると非難し、独占禁止法を強化し公正な競争を監視するよう求め始めたのはこの時期です。
 いずれもアメリカの要求は、自国の問題を日本のせいにした、「内政干渉である」と反発する声も上がりましたが、一方で、「族議員と監督官庁、業界団体による三位一体の不透明で腐敗した構造的な問題をえぐり出した」とし、「アメリカこそ健全な野党である」と、外圧を借りて規制緩和を支持する意見もありました。

 しかしもちろん、アメリカが日本の消費者の利益を優先的に考えて提言したのではありません。あくまで自国の国益のために圧力を加えて、日本の制度や政策の変更を要求したと知っておくべきです。その後さらに、日米構造協議という「日本改造プログラム」は、1993年からは日米包括経済協議という名に変わり、クリントン大統領と宮沢首相、と当事者を変えつつ継承されていきました。さらには、年次改革要望書による要請、そしてTPPという高度な自由貿易協定への参加要求と、「外圧」は連綿と受け継がれていくのです。


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日米構造協議での対日要求項目
英語名:Structural Impediments Initiative
※直訳すると「構造障壁イチシアティブ(主導権)」
分類 内容 狙い
貯蓄・投資パターン 公共投資拡大のため、今後10年間の投資総額として430兆円を計上 日本の内需拡大によりアメリカの対日貿易収支赤字の解消
土地利用 土地の有効活用のため、土地税制の見直し バブル期の日本企業によるアメリカの不動産投資急増を抑えるため、日本国内の地価を低下させ企業が保有する担保価値を減少させる。
流通 大規模小売店舗法の規制緩和 トイザらスの日本進出のため、出店規制を緩和させる。
排他的取引慣行 独占禁止法の厳正化と公正取引委員会の役割強化 アメリカ企業の日本市場への参入障壁を除去、自由競争を徹底させる。
系列 企業の情報開示を改善 競争原理を阻害する非関税障壁として、企業系列間での取引を優先させる慣行の撤廃を要求する。
価格メカニズム 消費者および産業界に対する内外価格差の実態の周知 「談合」など、日本的な取引慣行を廃し、市場原理による価格決定を徹底させる。
※Wikipediaおよび、外務省サイトの外交青書(1990-1992)より加筆。日本が取り上げたアメリカに対する構造問題に関してはこちらに掲載されている。
日本の30年 ~黄金の1980年代~
日米経済交渉「外圧」の歴史
年代 項目 主な内容 日・米政権
1984 日米円ドル委員会
金融の国際化・自由化などで、閉鎖的な市場の開放を要求 中曽根 レーガン
1985 プラザ合意(G5諸国) ドル安・円高誘導
1988-
1999頃
スーパー301条 アメリカにとっての貿易障壁の制裁として高関税実施 竹下
1989-
1992
日米構造協議 大店法改正、公共投資増額で内需拡大しアメリカの貿易赤字解消、商慣習などの改革 宇野・
海部・
宮沢
ブッシュ
(父)
1993-
1999頃
日米包括経済協議 日米構造協議の継承 宮沢・
細川・
羽田
クリントン
1994-
2009
年次改革要望書 後の章で詳述 村山・
橋本・
小渕・
森・
クリントン
小泉・
安倍・
福田
ブッシュ
(子)
麻生・
鳩山
オバマ
2010- TPP(交渉参加協議) 日本市場の聖域なき完全自由化 菅・
野田・
安倍
オバマ
 アメリカによる「日本改造プログラム」日米構造協議
  1989年~93年(平成元年~5年)