「砕啄同時」

文の意味は、「ヒナが出ようとして内側から殻をつつくのに合わせて
親鳥が外側から殻をつつく」 ということであり

禅宗で使っている 「今まさに悟りを得ようとしている弟子と、それを導く師家
の教えが絶妙に呼応すること」 というのは元の意味から 敷衍(ふえん)して
使ったものだと思います。

私が、残念に思うことは、仕事においては社長と社員ですね。

茶道においては、師匠と弟子に当たるわけですが、先日、こんなお話が、弊社の

社長より、お話しがありました。
「道楽人本部長、身体を考えていただきたい。」いわゆる、リストラですね。
それは、それで良いとして、問題になるところは一般社員の扱いについてです。
これは、私がそうさせてしまったので、社長を攻めるわけには、いかないのですが、
一昨年、定例会議において、人事評価の中に業績評価を採用したのです。
いわゆる、会社に対して、各人が如何に利益を出しているかです。
本来は、業績評価は各部、各課を対象に行うもので、個人のプライバシーと言われる
人事評価では、してはならないのです。

本来は、如何に社に対して貢献度があるか、いわゆる、精神論を第一として、
その、後に業績評価となるわけですが、誰しも、お金には、興味があり、
それだけに、なってしまいます。
いわゆる、業に犯されてしまうのです。

利益は、上昇し、新展示場の建設、あらゆる面で業績は伸びてきたものの、
やはり、社長と言えど一人の人間であることは、間違いの無い事実であるのです。

仏法を学び、茶道を学んでいる、私が一人の人間を導くことが、
出来ない事実を知りました。
いままで、思いやりのあるやさしい社長を修羅の道に引き込んでしまったのは、
間違いなく私なのです。

であるとすれば、それは全て私の責任です。

もちろん、お金が全てではありませんが、
あれば、便利なのは、お金です。
ないよりは、あったほうが良いです。
しかし、そればかりでは、ちょっと寂しいですね。

「砕啄同時」を旨とする、私にとって、
自分に対する、怒り、悲しみ、寂しさを感じ取りました。
ゆえに、その感情が芽生えることが、
「強くない。」と言うことなのです。

あれから、一週間経ちましたが、現在、社長と私とは、
何事も無かったかのように、会話をし、
仕事に、励んでいます。