酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲

創作ノート




連歌師、宗祇の略歴




応永28年(1421) 近江国に生まれる。 1歳
若くして禅門(相国寺)に入り、三十余才から、宗砌、心敬、六角堂頂法寺の専順らに連歌の指導を受け、東常縁、一条兼良、飛鳥井雅親らに和歌と古典を、卜部兼倶に神道を学ぶ。四十才を過ぎてより連歌師としての名が広まる。
永享5年(1433) 10月 宗砌、京都堀川に草庵を建てる。 23歳
文安5年(1448) 5月 蜷川新右衛門親当(智蘊)死す。 28歳
6月 宗砌、宗匠職、連歌会所奉行に任じられる。
宝徳3年(1451) この頃、宗砌に師事し連歌に専念。 31歳
   4年(1452) 宗祇、この頃、相国寺を出て、東山近くの白川辺りに草庵を結び、古典、連歌の修行を積む。 32歳
11月 一条兼良と宗砌で『連歌新式今案』を制定する。
享徳3年(1454) 11月 宗砌、山名宗全と共に但馬に下国。宗祇も後を追う。 34歳
康正元年(1455) 1月16日 宗砌(74)但馬にて死す。 35歳
4月 『宗砌句』の編集を終え、上京し専順に師事する。
閏4月 忍誓、関東に下向する。
7月5日 東常縁の師、常光院堯孝(65)死す。
康正3年(1457) 4月 能阿弥、宗匠となる。 37歳
8月13日 師専順、惟仲、親慶、日晟、青阿、与阿、原春、久茂、正頼、光好、師敏らと『何路百韻』
長禄3年(1459) 心敬の師、清厳正徹(79)死す。 39歳
   4年(1460) この頃より、堺の宗友と交友。 40歳
寛正2年(1461) 正月1日 専順の発句を起句にした独吟『何人百韻』 41歳
9月23日 北畠被官章棟の発句を起句にした独吟『何人百韻』
   3年(1462) 4月 専順らと連歌会に出る。 42歳
   4年(1463) 心敬、郷里紀伊に下向。 43歳
3月 尾張国丹羽郡犬山郷政所にて『何舟百韻』独吟。
5月下旬 『ささめごと』なる。
   5年(1464) 正月1日 専順の発句を起句にした独吟『名所百韻』 44歳
3月 安富盛長主催の『熊野千句』(発句心敬、専順、行助一座)に専順門として参加。
   6年(1465) 正月16日 心教、実中、行助、元説、専順、士阮、宗怡、公範らと『何人百韻』 45歳
4月16日 奈良に下向し、興福寺大乗院に尋尊を訪ねる。
北畠氏を訪ねる。
12月14日 細川勝元、元説、賢盛、通賢、心敬、専順、常安、行助、具忠、世縁、弥太郎、頼宣、光信らと『何船百韻』
文正元年(1466) 正月18日 北野会所月次連歌『何人百韻』に能阿弥(奉行)、賢盛、行助、専順らと同座。 46歳
2月4日 心敬、行助、専順、英仲、元用、弘仲、量阿、清林、宗怡、紹永、士阮、能通、慶俊、政泰、与阿、弘玄、常広らと『何人百韻』
閏2月20日 吉野の花一見の帰途、奈良に寄り、尋尊に対面。
4月以前 細川勝元、盛長、心敬、道賢、行助、賢秀、専順、常安、通賢、元説、宗怡、頼宣、元綱、幸綱、元次、能範らと『熊野法楽千句』
4月 心敬の自選句集『心玉集』なる。
5月18日 北野神社の月次会。住吉神社に参詣し旅行祈願の発句を詠む。
6月 関東に下向。
7月 駿河府中の今川義忠を訪ね、8月、清見潟に月を眺めて連歌一折。
五条安次郎(宗長)と初めて一座。
7月16日 『行助句集』なる。
9月 相模より北上、武蔵越生の太田道真の山家を訪ね、月末に武蔵五十子の陣に着く。
10月 武蔵国五十子の新田家純の陣所にて長尾孫六(景忠?)に指南書、『藻塩草(長六文)』を送り、太田道真、道灌父子の保護を受け、連歌を指導。
応仁元年(1467) 3月 長尾孫四郎(景春?)にあて連歌指導書『吾妻問答』なる。 47歳
4月 心敬、京を離れ伊勢参宮して海路武蔵国品川に下向。
5月10日 『専順五百句』を自選。
7月末 心敬、『藤河題百首和歌』を詠み、相模大山に隠棲。
   2年(1468) 心敬の『ひとり言』なる。 48歳
6月25日 心敬、『救済周阿連歌合』に自ら付句を試みる。
結城氏の招請に日光、白河へ旅立ち『白河紀行』を著す。
10月22日 白川関にて、尹盛、牧林、穆翁、旬阿らと『百韻』
文明元年(1469) 3月 惣持坊行助(65)死す。 49歳
上洛。
8月 『能阿句集』なる。
   2年(1470) 正月1日 武蔵国品川にて、宗祇独吟『名所百韻』 50歳
   3日 宗祇独吟『夕何百韻』
  10日〜
   12日
再び関東に下り太田道真の河越館で、心敬、中雅、印孝、長敏、永祥、義藤、大胡修茂、満助、長刹、興俊、幾弘らと『河越千句』を巻き、連歌指導書『角田川(吾妻問答と内容は同じ)』を執筆。
7月 心敬、会津の興俊に句注『岩橋』を著す。
心敬、白河、会津に下向。兼載、心敬の弟子となる。
   3年(1471) 正月と6月 相模三島の陣所および美濃国群上群篠脇城において、東常縁より、古今集講釈を受ける。 51歳
3月21日〜 23日、三島明神法楽として『三島千句』独吟。
   29日 心敬、太田道真のために連歌作法書『私用抄』を著す。
5月9日 心敬、正徹十三回忌法楽『百首和歌』を詠む。
心敬、相模大山に隠棲する。『老のくり言』なる。
8月 能阿弥、大和長谷寺において没す。
   4年(1472) 関東を発って帰洛。 52歳
7月26日 美濃において聖護院道興、専順、紹永、慶蘭丸らと『何路百韻』
10月6日 遠江の堀江駿河守賢重邸において宗祇両吟『山何百韻』
12月16日〜 21日、斎藤妙椿の革手城にて、専順、紹永、圭祐、慶菊丸、藺仲、梵揚、師阿、守保、経泰、重光、永兼、由阿らと『美濃千句』
12月 奈良にて一条兼良の『花鳥余情』なる。
   5年(1473) 2月4日 連歌作法書『宗祇初心集』なる。 53歳
3月28日 心敬、白河の旬阿あてに『芝草内連歌合』を著す。
5月2日 兼良、奈良を発って美濃の斎藤妙椿を訪ねる。
6月

奈良成就院の兼良の連歌会に参上。25日、兼良、出家する。

8月19日 宗祇、宗元、元用と三吟『何路百韻
秋頃より、飛鳥井雅親邸内(近江柏木)に種玉庵を営み、連歌と古典研究に没頭。
   6年(1474) 正月5日 宗祇、元盛と両吟、『何木百韻』 54歳
2月 第一句集『萱草(わすれぐさ)』を編む。
関東滞在中の詠歌とそれ以前の伊勢国司北畠関係の句が中心に編まれる。
春(発句69、付句91)、夏(発句34、付句40)、秋(発句54、付句89)、冬(発句42、付句59)、恋(112)、雑(365)の六巻に発句200、付句764、奥に前将軍足利義政の跋文あり。
6月 心敬、太田道灌主催の『江戸歌合』に合点する。
11月 専順の発句に独吟『何船百韻』
   7年(1475) 4月16日 相模大山において心敬(70)没す。 55歳
9月25日 是観、宗珍、賢林、杲船、春海、証了、一覚、快宿、良深、重阿、可済らと『○○千句』
12月 源氏物語解釈『種玉編次抄』なる。
夢庵肖柏に初めて『古今和歌集』を講義。
   8年(1476) 正月28日 宗祇、初めて将軍家の連歌会の連衆に加わる。 56歳
正月 長尾にあてて連歌指導書『連歌心付之事』なる。
2月11日 春日末社法楽『何路百韻』独吟。
3月6日 美濃国河瀬にて、専順、紹永、甚昭、俊重、清玉、氏忠、正玄、承世、重阿、猿若、玄初、続家、実永らと『十花千句』
   20日 美濃にて専順(66)死す。
4月23日 畠山政長、賢盛、長興宿禰、長則、祥盛、国久、周木、栄阿、賢林、世縁、盛春、立阿、木阿らと『何船百韻』
5月 先師7人の佳句を集めて『竹林抄』を編み、一条兼良に序文を依頼。
肖柏、宗祇の源氏物語聞書『弄花抄』なる。
   9年(1477) 正月22日 京にて、『何船百韻』を大内政弘、杉美作守重道、光知、日与、弘朝、伊訓、弘相、国規、武道、利玄、房行、正任、弘実、日顕、立承、基佐、宗親と一座する。 57歳
7月 種玉庵において、源氏を講す。
11月 京洛における戦乱終焉。
12月17日 兼良、帰洛する。
肖柏の『伊勢物語肖聞抄』が成立。
名声高くなり、幕府貴顕の連歌会に招かれる事が多くなる。
   10年(1478) 3月下旬 宗祇、宗観(宗長)を伴い、上杉房定を頼って越後に下向。 58歳
4月18日 宗観にあて『百人一首注』を書く。越後にて越年。
   11年(1479) 2月 宗観の伊勢物語講釈『宗観聞書』なる。 59歳
3月 越前一乗谷において朝倉弾正(孝景)あて連歌指導書『老のすさみ』を著す。
宗祇、帰洛する。
12月 卜部兼倶、宗祇あて『大嘗会之事』なる。
   12年(1480) 3月 夢庵肖柏、兼良に源氏有職の事を質疑する。 60歳
5月 宗観、宗作、宗雅を伴い、大内政弘を頼って周防山口に下向。
さらに博多まで至り、10月、『筑紫道記』が成る。
8月 宗観、宗作、宗雅の前で『何路百韻』独吟。
9月8日 長門国豊浦宮司武内忠国宅にて、忠国、宗賀、良性、宗作、桂舜、宗観、興泰、千代丸、乗盛、宗親と『何人百韻』
9月28日 博多竜宮寺にて、空吟、弘相、朝酉、英誉、岸孝、宗観、宗賀、良本、永賀、眼阿、鶴寿と『何木百韻』
この年、杉原伊賀守賢盛、出家(宗伊)。
肖柏の『肖聞抄』なる。
   13年(1481) 2月24日 俊賀、直珍、正任、心田介、宗作、唯阿、宗観、良性、安利、能孝、宗親、光永らと『何路百韻』。 61歳
3月 肥後国八代の城主相良小次郎長敏あて指導書『宗祇発句判詞』なる。
4月2日 一条兼良(覚恵)死す(80歳)。
宗祇、帰洛する。ついで第二句集『老葉(わくらば)』自撰し、注釈して大内政弘に贈る。
7月26日 朝倉孝景(54)死す。
8月 種玉庵で夢庵肖柏に『古今集』を講じる。翌年正月に終わる。
11月21日 一休宗純死す(88)。
   14年(1482) 2月2日 政種、宗伊、信重、堯珍、正兼、肖柏、宗文、正存、正親、正能、秀王番、正誠、正貞、寿隆、正時、春海、種家、正信らと『何人百韻』 62歳
2月25日 摂津湯山において、宗伊、宗祇両吟『何路百韻』
3月7日 守穆、正善、政宣、世縁、宗船、玄清、宗観らと『薄何百韻』
   20日 長谷前大僧正通興坊において、聖、実、旨宗、中納言入道、道空、宗伊、頼宣、芸阿、調阿、徳阿、政孝らと『何人百韻』
7月 『雪の烟』(竹林抄注釈)なる。
10月 弟子宗観、基佐らと、大原十如院において前句付を試む『大原三吟』
   15年(1483) 正月16日 下京において、盛家、泰言甚、基佐、顕乗、宗観、盛安、恵淳らと『何人百韻』 63歳
3月末 関東下向、越年、越後(上杉氏)を回って翌16年晩秋帰洛。
   17年(1485) 3月 能勢頼則、『住吉法楽千句』を張行。 65歳
3月27日 宗伊、盛郷、明鏡、頼連、宗作、光信、世縁、顕乗、政宣、智璞らと『何路百韻』
閏3月 三条西実隆に『源氏物語』『伊勢物語』を講釈、翌18年6月に終わる
7月 『帚木別注』を著し、実隆に贈る。
8月 第二連歌集『老葉』を再編する。
付句に春(118内宗春11)、夏(54内宗春8)、秋(102内宗春)、冬(66内宗春8)、恋上(106内宗春15)、恋下(97内宗春10)、旅(102内宗春19)、雑上(164内宗春15)、雑下(116内宗春11)、発句(116内宗春12)の十巻からなり、さらに宗春(兼載)の句を切り出し、さらに若干句を取り捨てする。宗祇の代表的句集として後世持て囃される。
8月30日 仏陀寺会にて、明鏡、肖柏、盛郷、顕乗、是観、世縁、智璞、祖通、元用らと『何人百韻』
11月28日 宗伊(賢盛)没す(68)。
   18年(1486) 2月6日 白洲亭にて、浄誉、氏昭、宗昭、頼重、宗友、則直、宗作、良珠、周賢、明賢、恵林らと『何人百韻』 66歳
   25日 将軍義尚、細川政元、政国、政春、具忠、慶琳、元平、光清、恵俊、元長、景有、通秀、弥阿、世縁、賢盛、頼連、賢家、宗春、元用らと『千句三物』
3月27日 賢仲、盛郷、頼連、肖柏、光信、世縁、長久、玄清、恵俊、宗作、宗悦らと『何船百韻』
6月 宗春、『百句連歌』を後土御門院に進じ、兼載と名を改める。
7月4日 朝倉氏景、死す。宗祇、弔意のため越前に下向し、9月14日上洛。
9月30日 孝清、日与、肖柏、頼連、賢仲、泰言甚、証了、宗長、政宣、恵俊、玄清、宗鈍らと『山何百韻』
12月 清水寺において、宗祇独吟『名所百韻』
長享元年(1487) 4月12日 三条西実隆に古今集講釈を始める。 67歳
10月9日 種玉庵において、泰言甚、宗悦、宗友、宗船、恵俊、宗長、玄清、宗怒、肖柏、恵林、盛安、重阿、眼阿らと『葉守千句』始行。
11月10日 宗般、玄清、宗怒、宗長、宗悦、泰言甚、宗友、肖柏、恵俊、恵林、盛安、重阿らと『何木百韻』
閏11月 伏見宮邦高親王第において『伊勢物語』を講義。聴衆には勝仁親王(後柏原天皇)、邦高親王、菊亭公興、庭田雅行ら。
   2年(1488) 正月1日 宗長と『何木百韻』を両吟。 68歳
   上旬 兼載、古市澄胤あて『心敬僧都庭訓』なる。
   22日 肖柏、宗長と『水無瀬三吟百韻』を巻く。
3月 能勢頼則、細川政元、肖柏、正存、正時、正純、宗長、宗鑑、堯珍、正頼、実任、正種、宗般らと『千句三物』
   28日 宗祇、北野会所奉行(宗匠)となる。
4月5日 連歌会所開きの『何路百韻』 あらぬ名をかるや天びこ時鳥
4月 近江国鈎の陣所において、足利義尚のために伊勢物語を講ずる。
4月 正善、肖柏、紹宣、光信、宗長、守穆、正玄、玄清、周寅、恵俊、宝球、光釈、重阿らと『朝何百韻』
4月25日 政春、禅予、寿官、政信、肖柏、賢仲、政宣、光信、臨招、堯珍、盛郷、恵俊、本阿、宗長、珍海、成衡、全藤らと連歌会開きの『何路百韻』
5月9日 越後に下向。
7月 宗長独吟『大神宮法楽千句』の加点する。
9月30日 越前より上洛。
10月 八代の相良長敏あて『分葉』なる。
延徳元年(1489) 3月 畠山政長あて『連秘抄』なる。 68歳
3月末 周防に下向し『山口抄(伊勢講)』なる。
5月11日 宗元と『何路百韻』を両吟。
8月 『会席廿五禁』なる。
9月半ば 帰洛する。
9月27日 賢家、肖柏、元秀、盛能、一覚、重長朝臣、基佐、盛郷、臨招、玄清、秀王番、恵俊、与一、蓮阿、道祖鶴丸らと『夢想百韻』
12月18日 宗祇、宗匠職を兼載に譲る。
   26日 政誠、貞仍、玄宣、丹三位、禅予、寿官、兼載、恵俊、臨招、康慶、経安、木阿、全藤、政宣、俊成らと『○○千句』
   2年(1490) 正月5日 兼載、会所開き、連歌会張行。 70歳
   11日 宗祇宅にて、賢仲、兼載、玄清、宗作、経安、恵俊、賢胤、宗純、重阿らと『何人百韻』
2月25日 行二、兼載、忠胤、肖柏、一覚、政宣、泰綱、宗長、恵俊、玄清、尚行、蓮阿らと『何人百韻』
3月5日 政宣、基佐、宗長、有孝、兼載、肖柏、松丸らと『何船百韻』
3月9日 賢仲、肖柏、兼載、玄清、宗長、恵俊、宗作、賢久、派一、匡久らと『何人百韻』
4月 兼載、周防に下向。越年する。
8月 本能寺日与法印坊において、肖柏、宗長、基佐、玄清、宗作、日与の7人の弟子の前句付に加点をした『七人付句判詞』なる。
9月 住吉参籠の時、『夢想百韻』独吟。
   20日 秀順、肖柏、長澄、宗友、宗般、日順、国家、宗益、重順、平弁、良珠、長長、玄清らと『山何百韻』
12月22日 保護者の飛鳥井雅親(栄雅)が74才で亡くなったため、種玉庵を室町の花の御所近くの三時智恩寺(尼御所入江殿)の隣の竹林に移す。
兼載、大内政弘あての『延徳抄』なる。
   3年(1491) 2月 『兼載鼻紙』なる。 71歳
3月24日 種玉庵において、人麿影供三十首和歌張行。
5月2日 宗祇、越後(上杉氏)に下向。
6月16日 兼載、山口より帰洛。
10月3日 若狭より帰洛。
   15日 正種、肖柏、宗益、宗長、玄清、猿丸らと『何木百韻』
   20日 有馬の湯において肖柏、宗祇、宗長三吟『湯山三吟』
明応元年(1492) 正月22日 兼載、其阿、基佐、玄清、宗長、一覚、阿弥、宗覚、仙覚、但阿、領重、恵俊、宗益、竹阿らと『何路百韻』 72歳
   23日 秀文、宗長、兼載、玄清、快乗、恵俊、宗祐、宗益、宗牧、眼阿、武員らと『何路百韻』
2月8日 日増、兼載、日顕、基佐、宗長、証了、玄清、乗厳、領重、恵俊、弘茂、宗益、恵顕、貞顕らと『何人百韻』
3月19日 七条道場にて、兼載、基俊、玄清、弥阿、一覚、恵俊、宗覚、弘覚、領重、但阿らと『山何百韻』
4月8日 兼載、肖柏、盛次、宗長、玄清、恵俊、宗益、眼阿らと『何船百韻』
6月25日 紀州小松原において『何路百韻』独吟。
8月 兼載、細川成之のために『薄花桜』なる。
11月15日 三条西実隆第において源氏物語論義行なわれる。
12月7日 宗祇、実隆に未来記雨中吟を講ずる。
12月 兼載、『連歌本式目』を清水寺に奉納。
   2年(1493) 3月25日 基定、宗巧、基佐、宗長、玄清、慶祐、宗益、盛安、浄阿、泰言甚、正宗らと『何船百韻』 73歳
第三の句集『下草(初編)』なる。
閏4月5日 越後に下向。
   3年(1494) 2月10日 兼載独吟『聖廟法楽千句』 74歳
3月

上洛。

   9日 清水寺坂本坊において、快勝、兼載、行二、肖柏、泰言甚、宗長、玄清、正孝、宗益、基佐、行時、鎮秀らと本式連歌『何人百韻』
3月末 兼載、堯恵の古今集講釈を聞く。
4月11日 笠岡友竹宅にて、宗知、友竹、宗藤、宗作、元通、宗歓、高安、安真、茂椿、宗貞らと『薄何百韻』
10月30日 正種、宗般、康正、肖柏、正盛、寿安、堯珍、正存、宗忍、仲徳、正時、寿椿、頼則、専海、為俊、弥太郎、正頼、建知、公胤らと『何路百韻』
   4年(1495) 正月6日 北野会所において、聴雪、兼載、玄宣、玄清、友興、長泰、宗長、恵俊、宗忍、宗忠、慶卜、正佐、宗坡、盛郷らと新撰菟玖波集成就祈念連歌の『何人百韻』 75歳
3月 連歌指導書『淀の渡』なる。
3月 『新撰菟玖波集』のため夢庵肖柏、摂津より上洛。
4月6日 兼載、阿波の細川成之の元より帰洛。
6月2日 『新撰菟玖波集』全二十巻の草稿なる。
大内政弘の奏請により、宗祇、兼載を中心に、夢庵、宗長、二階堂行二、一条冬良、三条西実隆が参加する。
   21日 冬良の最終的校閲を経、その清書を姉小路基綱に依頼する。
7月4日 京の大火に基綱屋敷も類焼し撰集の中書も用紙も焼失。
   18日 東素純に古今伝授する。
8月25日 兼載、山口に下向。大内政弘の病を見舞う。越年。
9月18日 大内政弘(50)没す。兼載の政弘追悼『あしたの雲』なる。
   26日 『新撰菟玖波集』を後柏原天皇日奏覧。
長門、紀伊、越後、近江と旅をし、帰洛の間に三条西、姉小路、近衛家等で『古今集』『百人一首』『詠歌大概』等を講義。
   5年(1496) 正月9日 清水寺にて『何人百韻』独吟。 76歳
2月13日 兼載、安富匠作あて『延徳抄』なる。
3月23日 『新撰菟玖波集』撰集報賽のため、長門国にて『住吉社法楽百首和歌』奉納する。
兼載、帰洛。
6月7日 護道、兼載、広秀、恵俊、玄清、宗長、宗哲、宗仲、寿慶、宗坡らと『何人百韻』
8月5日 桜井宅にて、重宗、兼載、宗長、秀隣、光信、玄清、恵俊、宗仲、宗親、宗坡、寿慶らと『何路百韻』
   15日 兼載、正善、玄宣、護道、紹宣、光信、守穆、玄清、恵俊、宗仲、真存、寿慶らと『山何百韻』
   21日 後土御門院の下問に嫌物五十二ケ条を進ず。
10月 『源氏不審抄出』なる。
11月18日 『下草』再編す。
春(94)、夏(35)、秋(79)、冬(40)、旅(57)、恋上(67)、恋下(72)、雑上(95)、雑下(104)の付句643に、発句205の十巻。
   6年(1497) 5月 赤松政則の死去と義村の跡目相続の祝賀に播磨に行く。 77歳
6月 上杉房能の跡目相続の祝賀に越後下向。
9月4日 帰洛する。ついで、摂津辺りに下向。
11月19日 近衛尚通(26)のため、宗祇、古今集を講ず。
   7年(1498) 正月27日 寺井邸にて、知清、宗宣、宗長、宗鈍、玄清、宗徳、宗作、宗因、恵俊、匡久、珠全、宗坡、宗哲、宗碩、公春、守元らと『山何百韻』 78歳
2月5日 尚通あての古今集講釈(伝授)終わる。
兼載、関東下向。越年。
5月18日 斎藤利綱に古今集講義する。
種玉庵において、源氏物語を講ず。
閏10月6日 相国寺にて、集料、玄宣、正善、宗作、紹宣、宗長、政宣、玄清、宗碩、宗坡、守穆、寿慶らと『何人百韻』
11月4日 日泰、基佐、泰言甚、証了、玄清、日城、宗長、慶祐、宗碩、宗坡、為貞、宗哲、理円、匡久、寿慶、敏定らと『何木百韻』
11月 近衛邸にて百人一首、詠歌大概、伊勢物語を講ず。
   8年(1499) 正月4日 種玉庵において、宗長、玄清、宗鈍、頼茂、宗仲、匡久、宗碩、宗哲、宗恵、公春、宗坡、恵俊、昌綱、盛安、幸千代と共に『何人百韻』 79歳
2月19日 清水寺にて、願阿、肖柏、泰言甚、宗長、統秋、国清、玄清、宗作、宗哲、心海、領重、宗碩、宗中、公春、寿慶らと『何水百韻』
   25日 細川政元、政賢、右馬助義高、玄宣、高国、三好元長、肖柏、宗長、宗哲、恵俊、泰言甚、宗作、日顕、盛郷らと『千句三物』
3月15日 実隆邸において、宗祇、宗長、玄清ら俳諧云捨。
6月23日 小倉実澄に新撰菟玖波集奥書を講義。
兼載、越後、越前を迂回して帰洛。
3月〜7月 弟子への遺誡として宗祇独吟『何人百韻』
7月6日 赤沢邸にて、政定、兼載、政宣、玄清、承意、心海、昭仙、宗仲、宗碩、吉成、国行、寿慶、盛安、左柏、阿茶丸らと『何船百韻』
自撰発句集『宗良葉(うらば)』自撰する。
春(150)、夏(86)、秋(103)、冬(89)の計428の発句を集める。
   9年(1500) 4月9日 慶千代丸、兼載、玄清、宗仲、宗碩、宗坡、匡久、正運、周安、鶴松丸らと『山何百韻』 80歳
5月7日 近衛政家、前関白、勧中、左衛門督、玄清、兼載、民部卿、慶乗、周清、長泰朝臣、実治朝臣、宗仲、済継朝臣、忠綱、光継、寿慶らと『何路百韻』
7月7日 匡久、肖柏、泰言甚、基佐、慶千代丸、玄清、心海、宗仲、宗碩、宗全、宗坂、寿慶らと『何人百韻』
   11日 寺井兵衛尉亭にて、知清、肖柏、国高、泰言甚、宗純、玄清、等順、等順、寿慶、宗仲、匡久、宗碩、家清らと『何人百韻』
   16日 宗祇、宗碩を伴い越後の旅に出立。
   28日 種玉庵焼失。
8月 越智久通あて連歌作法書『浅茅』なる。
8月 某に古今伝授。
文亀元年(1501) 6月〜9月 越後の自然斎旅宿で、宗碩に古今集講釈し『十口抄』なる。 81歳
宗祇、越後において、病に倒れる。
6月 宗長、駿河を立って、越後に下向。
6月 肖柏の『連歌新式今案等』なる。
9月 古今相伝文書を実隆に送る。
   2年(1502) 2月末 宗長と宗碩を伴い、越後を立ち関東に向かう。 82歳
4月25日 伊香保の湯にて、宗祇、宗碩、宗坡三吟『何衣百韻』
7月30日 箱根湯本において、宗祇、客舎で病没。
駿河桃園の定輪寺に葬られる。
宗長の『宗祇終焉記』なる。




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