酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲

創作ノート




本願寺八代目法主 蓮如兼寿の略歴




年号 西暦 年齢
応永 22 1415 2月 25日 本願寺7世存如の庶長子として誕生。
23 1416 堅田法住ら、再び、本願寺門下となる。存如、堅田に赴く。
27 1420 12月 28日 生母、存如と如円尼(海老名氏)の結婚近きにより、絵師を招いて蓮如の幼像(鹿子の御影)を描かせ、本願寺を去る。
29 1422 異母妹如祐生まれる(生母如円)。
永享 1429 一宗興隆の志を立つ。 15
1431 青蓮院で剃髪し、広橋兼郷の猶子となり、諱を兼寿、法名を蓮如とする。 17
1433 異母弟応玄生まれる(生母如円)。 19
1434 5月 『教行信証延書』『浄土文類聚鈔』を書写。父存如の指示による。 20
1436 8月 『三帖和讃』を書写し、京都金宝寺教俊に下付。 22
巧如、越前大町門徒の浄一(中野専照寺)等を破門。
1437 9月 存如、『三帖和讃』を書写し、加賀木越光徳寺性乗と吉藤専光寺に下付す。 23
10 1438 8月 、『浄土真要鈔』を書写。 24
12月 近江長沢福田寺(坂田郡近江町)王宗俊の求めにより『口伝鈔』を書写して与える。
11 1439 7月 『他力信心聞書』『後世物語』を書写。 25
12 1440 10月 14日 祖父巧如死す。 26
嘉吉 1441 9月 『浄土真要鈔』を書写。 27
1442 下総守平貞信の娘如了を妻とし、この年長男順如生まれる。 28
巧如、越前大町門徒の浄一(中野専照寺)等を破門。
文安 1446 正月 『愚禿鈔』を書写。 32
第2子如慶、第3子蓮乗生まれる。
1447 正月 超勝寺開基頓円鸞芸没。 33
2月 『未燈鈔』を書写。
5月 長沢福田寺王宗俊のために『安心決定鈔』を書写。5月、父と共に東国遊化に旅立つ。
1448 10月 経覚、大谷に来る。 34
第4子見玉生まれる。『還相廻向聞書』を書写。
宝徳 1449 5月 加賀木越光徳寺性乗に『三帖和讃』を書写し付与。 35
8月 父存如と共に北国下向、それより、関東、東北を巡化して奥州松島に至る。
10月 加賀河崎専称寺真光に『御伝抄』書写し付与。
11月 父存如、真光に『親鸞伝絵』四幅を下付。
1450 8月 『教行信証』を書写し性乗に付与。 36
『御伝鈔』2巻を書写し、長沢福田寺王宗俊に与える。
第5子蓮綱生まれる。
1451 7月 『教行信証延書』を書写。 37
8月 前年書写の『教行信証』を存如奥書を付して木越光徳寺性乗に付与。
存如、越前石田に西光寺を建立。加賀波佐谷に松岡寺を建立。
享徳 1453 11月 『三帖和讃』を書写し、近江手原道場に付与。 39
第6子寿尊生まれる。
1454 4月 『往生要集延書』を書写し、近江安養寺浄性に付与。 40
『教行信証延書』を書写し、越前宇坂の明珍に付与。
康正 1455 第7子蓮誓生まれる。 41
9月 周覚死す(64)。
11月 妻如了死す。
1456    奈良大乗院門跡経覚に扇を贈る。 42
長禄 1457 2月 『最要鈔』を、4月、『持名鈔』を書写。 43
6月 18日 父、存如死す。異母弟応玄と本願寺住持職を争い、叔父 如乗の尽力により継職。
1458 2月 京都金宝寺教俊に『三帖和讃』を書写し付与。 44
4月 木越光徳寺性乗に『六要鈔』を書写し付与。
7月 大和興福寺の六方衆蜂起し、一向念仏衆を襲う。
8月 第8子実如生まれる(生母蓮祐)。
順如、薙髪し、日野勝光の猶子となる。
1459 正月 越前の堀江石見守、守護方として、朝倉、甲斐方と戦うため土一揆を率い、豊原を発向せんとす。 45
3月 近江野洲南郡善性門徒の善崇に紺地金泥十字名号を下付。
第9子妙宗生まれる。この年、高田真恵、加賀、越前、近江等を巡化。
寛正 1460 正月 近江野洲南郡山賀道乗(慶先寺)、荒見性妙(聞光寺)に十字名号を下付す。 46
本泉寺如乗死す(49)。
2月 堅田法住(本福寺)に十字名号を下付。
3月 三宅了栖(蓮正寺)に十字名号を下付。
6月 近江野洲郡金森道西(善立寺)の求めにより『正信偈大意』を著す。
10月 大乗院経覚を訪問。
12月 栗太郡野地円実(野路浄泉寺)に十字名号を下付す。
存如の正妻如円尼死す。
第10子妙意生まれる。
高田真恵、伊勢に入る。
1461 正月 堅田法覚に十字名号を下付す。 47
3月 御文を初めて作る(筆始めの御文)。
9月 三河国佐々木上宮寺如光に十字名号を下付す。
10月 親鸞御影(安城御影)を修理す。
12月 『歎徳文』を書写す。法住に連座影像を下付す。
親鸞二百回忌を修す。
1462 2月 近江野洲郡洲本妙実に連座像を下付す。 48
6月 河内顕証寺(八尾市)の本尊に裏書す。
第11子如空生まれる。
1463 9月 摂津柴島法実(万福寺)相伝の連座御影に裏書を加える。 49
凶作のため百万遍念仏をつとむ。
第12子祐心生まれる。
下間丹後玄英に本尊下付す。
1464 3月 大和吉野の善知に本尊を下付す。 50
4月 堅田法住に『親鸞伝絵』を下付す。
5月 赤野井惣門徒(西蓮寺)に『親鸞伝絵』を下付す。
高田専修寺定顕没。真恵、専修寺住持となり、伊勢一身田に移る。
11月 荒見性妙に連座影像を、近江手原門徒道悟(法蔵寺)、栗太郡綣村善妙(西琳寺)に本尊を下付す。近江金森善従に親鸞絵伝を下付す。
第13子蓮淳生まれる。
1465 正月 8日 延暦寺悪僧、祇園社神人、馬借等、本願寺攻撃の牒状を発す。 51
9日 大谷廟堂破壊される。
中旬 親鸞根本影像を金宝寺に移す。
3月 河内久宝寺で『一年二季彼岸事』を書写す。
4月 赤野井荘に無碍光衆終結す。
8月 延暦寺、赤野井門徒を攻撃せんとす。
9月 幕府、延暦寺の赤井荘違乱を停止する。
文正 1466 2月 御文を書く。 52
7月 『教行信証延書』を書写す。
8月 河井ならびに加賀勢、越前安居に押し寄せ、朝倉玖侍者を追い出し一条康俊を還住させる。
9月 『六字名号口伝』を書写す。
11月 金森で報恩講を執行。
第14子了忍生まれる。
応仁 1467 正月 超勝寺如遵死す。 53
応仁の乱。
2月 栗本安養寺より親鸞影像を堅田本福寺に移す。
河内久宝寺の法円(慈願寺)に『口伝鈔』を書写し下付す。
近江栗本安養寺に親鸞影像を移す。
11月 堅田にて報恩講を行う。
第15子了如生まれる。
1468 正月 南都に大乗院経覚を訪ねる。山門、堅田攻撃を評議。 54
2月 堅田の唯賢道場焼失。
3月 実如に譲状をしたたむ。
堅田大責。堅田衆、湖中の沖の島に逃げる。
4月 中旬 御文を作る。
5月 東国に赴く。三河国教誓、恵薫に本尊(紙本六字名号)を下付す。
9月 東国布教の旅から帰る。
10月 吉野高野に旅す。
閏10月 朝倉孝景、越前に下る。
11月 佐々木上宮寺如光死す。
孟冬仲間の御文を作る。
第16子蓮悟生まれる。
文明 1469 2月 大津の道覚の助けにより、三井寺寺内の南別所に近松坊(後の顕証寺)を設立し、祖像を堅田より移す。 55
3月 延暦寺の堅田門徒攻撃始まる。
仏光寺経豪、性善の後を継ぐ。
11月 三河の良存に寿像を下付す。
第17子祐心生まれる。
1470 2月 大和十津河の浄妙相伝の方便法身像を修復、裏書。 56
5月 尾張中島郡船橋の良珍に親鸞影像を下付す。
6月 堺の紺屋道場円浄(慈光寺)に蓮如寿像を下付す。
9月 『教行信証』を書写す。
10月 堺の樫木屋道場道顕(真宗)に『親鸞伝絵』を下付す。
11月 堅田衆、沖の島より堅田へ還住。賠償金を山門に納付。
12月 美濃の河野惣門徒に親鸞影像、善性に『親鸞伝絵』を下付す。
朝倉孝景、大乗院の所領について絶縁を宣言す。
蓮祐尼死す。
1471 2月 第10子妙意、第2子如慶、死す。 57
4月 近松坊を出て、京都を経廻。
5月 朝倉孝景、東軍に寝返り、越前守護となる。
越前国吉崎に赴く。
6月 佐々木上宮寺如順死す。
7月 吉崎道場設立。7月15、16、18日付けの御文を書く。
9月 18日 付けの御文。
12月 18日 付けの御文。
1472 正月 吉崎への諸人群集を禁止。 58
2月 8日 付けの御文。
8月 第4子見玉(25)死す。
朝倉孝景、甲斐八郎を破る。
22日、28日付けの御文。
11月 27日 付けの御文。
12月 加賀の光善に、慶恩坊蓮慶(本光寺)の法名を授ける。
1473 正月 吉崎退去を決意。 59
2月 1、8、9日付けの御文。経覚、越前の料所の年貢収納を蓮如に依頼。
3月 『正信偈』『和讃』四帖を開版す。
4月 25日 付けの御文。
5月 加賀鵜川浄徳寺慶恵に親鸞影像を下付す。
7月 越前の甲斐党、加賀の富樫幸千代と合体し、山之内庄の富樫政親をめて越前に追う。
8月 2、12日付けの御文。
大乗院経覚死す。
9月 11日、中旬、下旬など多くの御文。
藤島超勝寺に赴き、住持巧遵を廃す。
超勝寺にて、下間蓮崇書写の御文1帖に裏書。山中温泉に湯治。
10月 3日 付けの御文(吉崎に留まる事を決意)。
多屋衆、決戦を決議し、要害を囲む。
11月 十一ケ条の掟を定む。
21日 付けの御文。
12月 8、12、、中旬、19、23日付けの御文。加賀福田の教念死す。
東国布教の旅に出るが、越中井波で引き返す。
1474 正月 11日 付け三ケ条の掟を定め、不信心者の参集を禁止。 60
2月 15、16、17日付けの御文(王法為本、信心内心を説く)。
3月 3、中旬、17日付けの御文。
吉崎寺内町焼亡す。
4月 8日 付けの御文。
5月 13、19、20日付けの御文。
6月 10日 美濃の斎藤妙椿、朝倉と甲斐を和解させる。25日付けの御文。
26日 本願寺門徒、武器を取る。
7月 5、9、14日付けの御文。
26日 本願寺門徒、富樫幸千代と決戦。
8月 5、6、10、18日付けの御文。美濃国の慶祐に本尊を下付す。
近江国長沢の福田寺頓乗に蓮如寿像を下付す。
10月 14日 蓮台寺城落城。守護代小杉切腹。本願寺の勝利。
10月 20日 付けの御文。
11月 興福寺、加賀一揆により、定使慶徳代を越前に下し、本願寺に書状を与える。
11月 25日 付けの御文。
1475 2月 23、25日付けの御文。 61
3月 親鸞影像を福田寺頓乗に下付す。
加賀門徒、富樫政親と戦い敗れて越中(瑞泉寺、土山坊)に逃げる。
洲崎藤右衛門、湯涌次郎左衛門、越中より吉崎に来る。
4月 28日 付けの御文。幸子坊に御文を与える。
5月 7日 付けの十ケ条の掟。20、27、28日付けの御文。
6月 下間蓮崇の企てにより、再び土一揆おこり、加賀の寺社炎上。
7月 15日 付けの六ケ条の掟を定め、違背する者を破門とする。
加賀二股本泉寺、越中井波瑞泉寺に下向する。
8月 下間蓮崇に親鸞影像及び絵伝四幅を下付す。
21日 吉崎を去る(蓮綱、蓮誓を連れ)。
9月 下間蓮崇、破門。親鸞影像を河内の法円に下付す。
11月 21日 付けの御文。
河内国茨田郡出口村に草坊(枚方市光善寺)を建立す。
1476 正月 27日 付けの御文。 62
2月 近江三宅の慶乗(蓮生寺)に連座御影を下付す。
摂津堺北荘の道顕の請により道祐真影に裏書。
6月 2日 付けの御文。若狭小浜妙光寺了悟に親鸞影像を下付す。
7月 18、27日付けの御文。
8月 加賀の円慶に連座像を下付す。
9月 本願寺門徒、西軍に近付き、富樫幸千代、加賀半国を賜る。
10月 紀伊冷水の了賢に連座御影を本尊として下付す。
この頃、摂津三島郡富田坊及び和泉堺の坊舎を開く。
11月 本願寺門徒、西郡四郎の語らいを得て、幕府評定衆摂津政親の所領倉月庄内南新保西方を侵略横領する。幕府、奉書を出す。
この頃、仏光寺経豪、門下を率いて本願寺に志しを通ず。
1477 正月 8日 付け、日未詳の御文。『浄典目録』を書写す。 63
閏正月、2月 朝廷、中院家領加賀国額田庄、加納八田庄への守護使押妨に本願寺門徒の同意するを禁じ、違乱を退くべき事を、重ねて蓮如に命ずる。
2月 近江の慶乗に連座影像を下付す。
3月 日未詳の御文。
加賀土一揆、能登に攻め入り、在所少々を切り取る。
6月 山城の土民、守護と戦う。
7月 加賀守護代槻橋兵庫允、上村入道秀慶の買得せる加賀上土室を横領。
8月 『教行信証』の『信巻』を書写す。
9月 初めて『信証院』の署名を御文に使う。
9月 17、27日付けの御文。
10月 17日 日未詳の御文。『教行信証大意』を書写す。
11月 応仁の乱終わる。初旬の御文。大和の馬借一揆。
12月 2、23、29日付けの御文。
第18子妙勝(生母如勝)生まれる。
10 1478 正月 29日 山科に本願寺寺地を選定し、信証院の建物をここに移す。 64
2月 5日 五ケ条の掟の御文。
7月 うら盆会の御文。
8月 17日 如勝死す(31)。
9月 17日 付けの御文。
12月 近松坊に越年。
蓮乗を補佐するため、蓮誓を土山道場に派遣し、蓮綱を松岡寺に戻す。
11 1479 正月 山科本願寺庭園の工事進む。 65
4月 28日 寝殿立柱(8月完成)。
5月 三朝浄土大師真影を信濃長沼浄興寺に下付す。
9月 17日 付けの御文。
11月 20日 付け、日未詳の御文。
12月 堅田法住死す(83)。御影堂建築用の材50本集まる。
12 1480 2月 3日 山科本願寺御影堂の工事始まる。大和の盲人一揆。 66
3月 栃川尼公死す。
6月 18日 三河門徒浄光、真慶、良全に御文を与え、秘事法門を批判。
8月 23日 付けの御文。朝廷増築につき奉加。
9月 山城の土一揆。
10月 日野富子、本願寺を訪れる。
15日 安城御影を修復、模本二種を作る。
11月 18日 大津顕証寺より親鸞影像を山科に移す。
21日 より報恩講を山科にて勤める。
幕府、朝倉孝景に命じて、興福寺領河口、坪江庄を還付させる。
東大寺領越中国高瀬庄の地下人、一向衆に同心して年貢無沙汰。
12月 徳政令発布。
13 1481 正月 本願寺寝殿大門を立柱。 67
2月 阿弥陀堂工事始まる。近江福田寺王宗俊死す。
3月 蓮如、加賀小坂庄の争論の事につき、大乗院に書状を送る。
越中国砺波郡に土一揆起こる。
6月 仏光寺経豪、蓮如に帰参し、名を蓮教と改める。
阿弥陀堂で存如25回忌を営む。河内法円に宗祖木像と寿像を下付す。
7月 朝倉孝景死す(54)。
8月 高瀬庄地頭方百姓、土一揆の張本として少々誅せられ、数多逐電。
福光城主石黒光義と医王山惣海寺滅亡し、土山坊、瑞泉寺を領主とする本願寺領国が山田川の東と西に成立。
9月 興福寺衆徒、大和辰市の一向宗徒を襲う。
10月 常楽寺蓮覚死す。
3日 延暦寺衆徒、仏光寺弾圧の牒状を発し、畠山政長に請う。
11月 14、24日付けの御文。蓮悟、本泉寺に赴く。
幕府、祇園社領加賀軽賀野保百姓の年貢未進を停止すべき事を本覚寺、大坊主中に命ずる。
12月 将軍家より『慕帰絵詞』を取り戻す。
14 1482 正月 本願寺大門立柱。 68
3月 天然、蓮如に対面し、浄祐の法名を受ける。
7月 山城土一揆。
8月 山門の徒、本願寺に帰参した経豪以下の仏光寺宗徒の処罰を妙法院に請う。
9月 幕府、軽賀野保の成敗を富樫政親、槻橋近江守に催促し、また木越光徳寺に承引なくば罪科に処すと厳命。
11月 21日 付けの御文。『慕帰絵詞』の第一、第七両巻の欠を補う。
12月 親鸞御影を佐々木上宮寺妙光尼に下付す。
毫摂寺善鎮、蓮如に帰参し正闡坊と号し、加賀額田に居住。
第19子供蓮周(生母宗如)生まれる。後、超勝寺蓮超の室となる。
15 1483 5月 29日 長男順如死す(42)。 69
8月 28日 付けの御文。
9月 17日 付けの御文。
29日 有馬に湯治。法然影像を浄興寺巧観に下付す。
10〜11月 大和土一揆。
11月 22日 付けの御文。
12月 25日 付けの御文。
仏光寺経毫、興正寺蓮教と改める。
16 1484 10月 高倉永継、越前細呂宜郷の事につき、実如に沙汰す。 70
10月 山城の土一揆、京都に乱入。
11月 越前河口庄で、朝倉氏景と甲斐党が対陣し、加賀一揆、越前に入国せんとする。
11月 21日 六ケ条の掟の御文。
第20子蓮芸(生母宗如)生まれる。
17 1485 4月 覚如の十字名号本尊を修復。 71
7月 覚如筆『経釈要文』を修復。大和の惣百姓徳政を求める。
飛騨白川の一向一揆。
8月 大和、山城、河内の土一揆。
9月 幕府、摂津氏領加賀倉月庄内の地を富樫政親の押領するを禁じ、松岡寺蓮綱に摂津氏に合力すべき事を命ずる。
10月 加賀一向衆洲崎慶覚坊、臨川寺領宮腰に強入部。
11月 23日 八ケ条の御文。
12月 山城の国一揆。
18 1486 正月 4日 能美郡四講中へ御文を与え、門徒の質的向上を計る。 72
3月 出口、堺を経て紀州に遊化。
3月 18日 付けの御文。
7月 富樫政親、本折、槻橋等を伴い上洛。
8月〜9月 山城の土一揆。
9月 尾張国善性に本尊を下付す。
11月 幕府、林光院領加賀横北庄の年貢不納につき、代官立町伊豆守、松岡寺蓮綱、米郡一揆中、当所名主百姓中の参洛を命ずる。
11月 22日 三河の如慶尼(上宮寺)に『親鸞伝絵』を下付す。
26日 8ケ条の御文。
蓮誓、越中にて中田坊を開き、この年、山田光教寺に戻る。
長享 1487 3月 越中守護畠山政長の請により、青蓮院尊応、本願寺蓮如に、加賀越中の門徒に制止を加えさせる。 73
8月 山城の土一揆。
9月 横北庄より立町伊豆守退出。
閏11月 加賀守護代山川三河守、粟津保に兵糧米二百石、人夫百人を課し、蔭涼軒集証の請により、これを十五貫二百文に減らす。
12月 富樫政親、加賀一国の守護に補任され、一向宗徒に備えて帰国。
高尾の富樫城の修築にかかる。
第21子妙祐生まれる。・蓮悟、本泉寺を若松に移す。
1488 4月 鹿苑院瑞智、蔭涼軒集証に、加賀横北庄の一向衆番頭十人の年貢押領を訴える。斎藤御園筑前守、横北庄の代官職を望んで違乱、ついで、槻橋に契約し、槻橋また傍輩に申しつける。 74
5月 加賀土一揆起こり、富樫政親の城を包囲。幕府、越前の朝倉、越中の畠山に命じて富樫を援護させる。
6月 加賀国一揆衆に、能登、越中、越前の門徒が加わり、数万人が富樫城を囲み、落城させ、富樫政親以下自害。一揆衆、富樫康高を守護に取り立てる。
7月 細川政元の斡旋により、義尚の怒りを和らげ、加賀門徒を破門するのをやめ、専光寺、光徳寺らに『お叱りの御書』を下す。
8月 蓮如、隠居し、実如、本願寺を相続。
知恩院御影堂上葺のめ三千疋を献ずる。
25日 堅田善従(道西)死す(90)。
飛騨照蓮寺、内ケ島氏に攻められる。
9月 親鸞、存如連座影を金森惣道場に下付す。




創作ノートの目次に戻る