

![]()
| 1786年 | 兄、田島要吉、生まれる。幼にして失明。 | ||
| 1787年 |
大前田村、小笠原六五郎の知行所となる。 |
||
| 1793年 | 栄五郎、大前田村に田島久五郎の次男として生まれる。 | 1歳 | |
| 1797年 | 妹なを、生まれる。 | 5歳 | |
| 1801年 | 父久五郎(50)死す。要吉(16)が跡を継ぐ。 | 9歳 | |
| 1805年 | 中村の角田常八(23)に浅山一伝流剣術を習う。 | 13歳 | |
| 1807年 | 春 | 月田の栄次郎と共に縄張り荒らしをした仁手の清五郎の三下を斬る。 | 15歳 |
| 越後に国越え、1、2年で帰国。 | |||
| 1816年 | 栄五郎、無宿者となる。 | 24歳 | |
| 1817年 | 7月12日 | 月田栄次郎、武井和太郎と共に東上州の大親分、久宮丈八(36)を斬り、栄五郎は美濃、栄次郎は甲州、和太郎は日光へ国越え。上州無宿の勝五郎と名乗る。 | 25歳 |
| 1818年 | 美濃の五六の敬次郎、のち合渡の政五郎に寄食。 | 26歳 | |
| 12月 | 地代官三原幸作とその妻を斬り、雪の木曽路を越後へ遁走、凍傷で足の指を失う。 | ||
| 1819年 | 出雲崎の観音寺久左衛門の世話になる。 | 27歳 | |
| 1820年 | 合渡の政五郎の喧嘩の助っ人のため再び、美濃へ行く。尾張の保下田の久六に寄食。 | 28歳 | |
| 1821年 | 名古屋に住み、城の防火、藩金の盗難などに手柄を立て、家老の信任を得る。 | 29歳 | |
| 母きよ(58)死す。葬式に帰郷したが一晩で旅へ出る。 | |||
| 妹なを(25)に婿、苗ケ島村の長岡万蔵(23)を取り、田島家を継がせる。 | |||
| 1824年 | 江戸で捕らえられて入牢、牢内で観音寺久左衛門と再会。久左衛門は間もなく牢死。 | 32歳 | |
| 佐渡へ水替え人足に送られる。 | |||
| 1825年 | 姪なか、生まれる。 | 33歳 | |
| 8月 | 佐渡を脱島、帰国して河越に潜む。 | ||
| 1826年 | 国定忠次郎、人を斬って栄五郎を頼る。 | 34歳 | |
| 《無宿有宿を問わず長脇差を持つ者は死罪に処すの達し》 | |||
| 1827年 | 国定忠次郎、栄五郎の添書に寄り百々村の門次の子分になる。 | 35歳 | |
| 1833年 | 福田屋栄次郎の仲介で久宮丈八の跡目豊吉と手打ち成立。 | 41歳 | |
| 以後、郷里に居住する事多くなる。 | |||
| 妹なをの婿、万蔵(35)死亡。 | |||
| 1834年 | 長脇差を捨て、木刀を差し始める。 | 42歳 | |
| 浜松で江戸屋虎五郎(21)と会う。 | |||
|
国定忠次郎(25)、島村の伊三郎を殺し、国越えする。 |
|||
| 1835年 | 江戸屋虎五郎、都鳥源八を斬り館林に来る。 | 43歳 | |
| 国定忠次郎、信州より帰り、玉村の京蔵、主馬に殴り込みを掛ける。 | |||
| 1838年 | 虎五郎(25)、江戸屋に婿入りする。 | 46歳 | |
| 1840年 | 子分、高崎の小久源太郎(43)、新島へ流罪。 | 48歳 | |
| 1841年 | 4月吉日 | 栄五郎、赤城神社に灯籠を寄進する。 | 49歳 |
| 7月吉日 |
田島要吉、村山玉五郎、岡田武平、石原熊吉、渡辺栄次郎、鹿沼房五郎、倉橋藤作ら、赤城神社に灯籠を寄進する。 |
||
| 1842年 | 笹川繁蔵の花会に出席。 | 50歳 | |
|
国定忠次郎、板割の浅次郎に三室の勘助を斬らせる。 |
|||
| 1843年 | 五町田嘉四郎と大久保一家との紛争を仲裁する。 | 51歳 | |
| 1844年 | 飯岡一家、笹川繁蔵へ斬り込む。平手造酒死亡。 | 52歳 | |
| 1846年 | 赤城山に忠次郎を訪ねる。 | 54歳 | |
| 白銀屋銀次郎、栄五郎を御用弁にする。京屋元蔵、銀次郎を斬り、栄五郎釈放となる。 | |||
| 1848年 | 笹川繁蔵、飯岡一家の者に暗殺される。 | 56歳 | |
| 1850年 | 国定忠次郎に中風発病に自決を勧める手紙を与える。 | 58歳 | |
| 12月21日 | 忠次郎、捕縛され、大戸で磔になる。 | ||
| 1852年 | 大胡の向屋敷に定住する。妾おりめに菓子屋を営ませる。 | 60歳 | |
| 1855年 | 保下田の久六、次郎長に斬殺される。 | 63歳 | |
| 1859年 | 妹なを(63)死す。 | 67歳 | |
| 1861年 | 大胡の団兵衛、三宅島に流罪となる。 | 69歳 | |
| 1864年 | 天狗党の軍師と会い、進路を変更させて縄張りを守る。 | 72歳 | |
| 高萩の万次郎(57)死す。 | |||
| 1867年 | 兄要吉(82)死す。 | 75歳 | |
| 1874年 | 2月27日 | 大胡の自宅で病死する。 | 82歳 |
|
『博奕打ちは普段の行いをよくしていなけりゃ大きくなれねえ。旦那方にはこっちから頭を下げろ。堅気衆に可愛がられなけりゃ出世はできねえ。女房は早く持っちゃならねえ。子が出来ると切った張ったの切っ先が鈍るもんだ。女が欲しけりゃ一遍こっきりの女郎を買え。むやみに喧嘩しちゃならねえ。割に合わねえ喧嘩なら我慢するんだ。下の者には出来るだけ目を掛けてやれ。上の者とは五分に付き合え。こうしていれば自然と世間から重く見られるようになる』 |
|||
