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    永倉新八ながくらしんぱち

    1839〜1915

    永倉栄治。栄吉。英治。永倉新八載之。杉村義衛。長倉新八。

    天保10年4月、松前藩江戸定府取次役・長倉勘次の次男として、江戸・下谷三味線掘の松前藩長屋に生れたという。

    8歳のときに、本所亀沢町(現在の神田猿楽町)にあった岡田十松の撃剣館に入門し神道無念流を修行し、15歳で切紙、18歳で本目録を得た。

    19歳のころに松前藩を脱藩し永倉と姓を改める。
    百合元昇三に神道無念流をまなび、22歳で免許皆伝を許された。
    また坪内主馬の元で心形刀流の剣も学んだ。その道場で島田魁と出会う。

    23歳のころ、近藤勇と出会い試衛館の食客となり、文久3(1863)年2月、近藤らと共に浪士組上洛に参加する。

      副長助勤を勤め。文久4(1864)年6月の池田屋騒動では、近藤・沖田総司・藤堂平助と斬り込み、沖田が病に倒れ、藤堂が額を割られて離脱した後も、刀を折り、指を削がれながら奮闘した。
    事件後、20両の報奨金を賜っている。

    同年8月には、同士を家臣扱いするようになった、近藤に不満を抱き、原田左之助・斎藤一らと共に松平容保に近藤批判上書を提出し、その後謹慎処分となったようで、同時期の編成から外れている。

    その後は、二番隊組長、撃剣師範を務め、三条制札事件などに活躍、油小路の変でも剣をふっるった。

    伊東甲子太郎とともに新選組に入隊した阿部十郎の後日談に「沖田よりはちと稽古が進んでおりました」と残されており、その剣技は、沖田をも凌ぐものであったことがわかる。

    鳥羽・伏見の戦いを経て、甲州勝沼の敗戦を最後に近藤・土方との溝を埋められず新撰組を離脱する。
    自ら靖共隊を組織し副長となり会津を目指し、小山、宇都宮など各地を転戦した。

       戦後は、単身江戸(当時は既に東京と改められていた)に潜伏後、松前藩に帰参する。
    その後、鈴木三樹三郎と偶然再会する。
    三樹三郎は永倉を兄・伊東甲子太郎の仇のように思っており、身の危険を感じた永倉は、元松前藩医・杉村松柏の養子となり北海道福山に移る。
    後家督を継ぎ、杉村義衛を名乗る。

    明治9年、松本良順の協力で板橋・近藤勇の処刑場跡に近藤・土方の墓碑を作り、隊士百余名の名を刻む。

    晩年は小樽に帰郷し、札幌で剣術指南をしながら、悠々自適に暮らす。

    大正4(1915)年1月5日、虫歯の悪化による骨膜炎、敗血症のため病没。享年76歳。

    彼の手記『浪士文久報国記事』は、幕末を幕府側から見た、貴重な資料となっている。

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