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    篠原泰之進しのはらたいのしん

    1828〜1911

    篠原泰輔。篠塚友平。泰河内。泰林親。

    文政11年、筑後国生葉郡高見村の石工業・篠原元助の長男として生まれる。

    幼い頃から武術に熱心で、久留米藩の宝蔵院流槍術師範であった森兵右衛門に入門し槍と剣を学び、18歳の時に良移心流柔術師範の下坂五郎兵衛に柔術を学んだ。

    嘉永5(1852)年に久留米藩士に仕え、その後、家老・有馬右近に奉公する。

    安政5(1858)年5月、有馬の江戸入りに従い藩邸に入る。
    しかし、程なく起きた桜田門外の変に衝撃を受け、尊皇攘夷を志し、水戸、大坂、上総、下総、越後を歩き、尊攘志士と交流を持った。

    文久3(1863)年には神奈川奉行所に雇われ、横浜の外国人居住地の警備を勤め、そこで服部武雄、加納鷲尾、佐野七五三之助らと交友を深めた。
    その後、江戸に行き、加納に伊東大蔵(後の伊東甲子太郎)を紹介される。

    元治元(1864)年10月、新選組入隊を決めた伊東、三木三郎らと共に上洛する。
    しかし、篠原が正式に新選組に入隊したのは数ヶ月後のことである。

    慶応元(1865)年初夏の再編成では諸士取扱兼監察、柔術師範に就任する。

    新選組を尊攘派に替えようとするが、近藤の意を翻すことは出来ないのを悟り、離脱を画策する。
    御陵衛士を拝命して離脱するというのは、篠原の尽力によるところが大きい。
    果たして篠原は、慶応3(1867)年、同士と共に離脱し、伊東を盟主として高台寺党と呼ばれるようになる。
    このとき泰河内と改名する。

    しかし、11月18日、伊東が油小路で謀殺される。
    通報を受け、伊東の遺体を引き取りに行った篠原らは、潜伏していた新選組と戦闘になる。
    藤堂平助、服部らは惨殺されたが、篠原・三木、加納、富山弥兵衛の4人は脱出に成功し、その後薩摩藩の庇護を受けた。

    新選組への復讐を画策していた篠原ら高台寺残党は、12月18日、伏見街道沿いの民家に潜伏し、馬に乗り二条城から屯所に戻る近藤勇を狙撃した。
    銃弾は近藤の右肩に命中し、重傷を与えた。

    慶応4(1868)年1月の鳥羽・伏見の戦いでは、薩摩軍に加わり戦った。
    続く戊辰戦争では赤報隊に加わり、偽官軍事件の巻き沿いを食い投獄される。
    しかし、まもなく嫌疑が晴れ、陸軍軍曹として戦功を挙げた。

    維新後は秦林親と改名し、永世士族の許しを得た。
    警察庁、大蔵省などに奉職し、明治6(1873)年4月に辞職した。

    その後は、様々な事業に手を出したが、日の目を見ることはなかった。
    晩年はクリスチャンとなり、若い妻と2人の男子と共に過ごし、 明治44年6月13日、天寿を全うする。
    享年84。


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