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    中島登なかじまのぼり

    1838〜1887

    峯吉。登市郎。登一郎。能保利。

    天保9年、武蔵国多摩郡八王子在寺方村の千人同心・中島又吉の長男として生まれる。

    安政4(1857)年、安藤ますと結婚した。

    幼少の頃より、武芸を志し、八王子千人同心の間で盛んに行われていた天然理心流を山本満次郎に学んだ。
    山本は天然理心流二代目の近藤三助に剣術・柔術・棍(棒)術を学んだ。
    中島は山本より中極位目録を得ている。

    天然理心流の繋がりにより、元治元(1864)年、近藤勇が江戸に下向し隊士募集を行ったのに応じた。
    しかし、近藤は門人等が入隊する際、長男や妻帯者を認めておらず、正式には入隊を許されていない。
    近藤に密命をを受け、関東で諜報活動を行っていたともいわれている。

    中島登の名が新選組の記録に登場するのは慶応3(1867)年のことで、局長附として二条城に登場する近藤勇の警護を勤めた。

    「色が抜けるほど白く、目が細く、その下に大きなほくろが目立つ、いかにも疳の強そうな人」という目撃談が残されている。

    鳥羽・伏見の戦いに参戦し敗れると、江戸にくだり甲陽鎮撫隊に参加して転戦する。
    甲州戦争にも破れ、近藤が新政府軍に捕縛されると、中島は土方の命を受けて近藤救出の動きを起こす。
    大工に変装し、官軍を追跡したが失敗に終わった。

    その後は局長附小頭助役として土方歳三に従って戦った。
    函館戦争で土方が戦死を遂げると、新選組は五稜郭を出て、弁天台場に籠城したが降伏した。

    捕虜となった中島は、その間『戦友姿絵』して新選組隊士や戊辰戦争でともに戦った者たちの肖像を描いていった。

    明治3(1870)年、駿河藩にお預けになった後、釈放され帰郷する途中、日野に立ち寄った。
    このとき土方家で書き写した中島の日記が『中島登覚書』として後世に伝えられている。

    その後は、開拓のため静岡に戻り、浜松に定住する。
    沢木よねと再婚した中島は、当時流行していた趣味の蘭作りに精を出した。
    この葉蘭が「金玉簾」として評判となり、かなりの財産を得た。

    それを元手に、鉄砲店の免許を得、鉄砲商として成功を収めた。

    明治20年、永眠する。
    享年50。


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