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    河合耆三郎かわいきさぶろう

    1838〜1866

    河合耆三郎義輝。吉輝。儀三郎。

    播磨国高砂の蔵元(米問屋)・河合儀平の長男として生まれた。

    文久3(1863)年、上洛し、浪士組に入隊した。

    商家の出身ということで、経理の才があり、新選組の勘定係を任されていた。
    8月18日の政変、翌元治元(1864)年の池田屋事変にも参加しており、池田屋の功で15両の褒賞金を賜っている。

    禁門の変にも出動し、長州藩撤退後の残務処理に奔走した。

    慶応2(1866)年2月12日、隊の会計の不正の責任を負って、切腹させられた。
    享年27。


    河合耆三郎の死のエピソード
    2月2日、河合は隊の軍資金が50両不足していることに気付く。
    長州出張中の近藤の留守を預かる土方にばれてはただでは済まぬと、密かに実家に飛脚を立て送金を頼んだ。
    しかし、間の悪いことに土方はまとまった金がいると言い出した。
    近藤の深雪太夫身請けのための用立てだったともいう。
    そのため、隊費不足が露見し謹慎となる。
    本来なら、直ちに切腹となるところだが、河合の懇願で実家からの飛脚の到着を10日待つことになった。
    本来ならば3日もあれば届くはずであったが、実家では河合の父が外出中で、飛脚の持ってきた文がそのままにされていたのだ。
    そして12日、河合の刑が決まる。
    介錯を行ったのは沼尻小文吾。彼は一の太刀、二の太刀と首を斬りそこなったという。
    河合は死の直前まで、飛脚の到着はまだかと尋ねたという。
    飛脚は、河合の死から3日後に到着した。

    河合の死を知った遺族は屯所に来て騒ぎ立てたり、屯所の前を練り歩いたりと、新選組への嫌がらせを繰り返したという。

    この逸話の真偽は未だに明らかになっていない。

    西村兼文の『新選組始末記』では切腹、永倉新八の『同志連名記』では斬首刑と記されている。

    河合の亡骸は壬生村の墓に葬られたが、のちに親類により「河合喜三郎義輝」と刻まれた立派な墓碑が建てられた。


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