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    伊東甲子太郎いとうかしたろう

    1835〜1867

    鈴木大蔵。宇田兵衛。伊東摂津。

    伊東甲子太郎 天保6年、常陸国新治郡で志筑藩の郷目付・鈴木忠明の嫡男として生まれる。
    忠明は家老との確執で閉門蟄居となった。
    刑中の父は、家族を捨てて脱藩してしまい、父の残した借金返済のため、母と3人の弟妹を抱え金策に奔走したが、一族も藩から追放され離散状態となった。

    大蔵は水戸へ移った。渡辺崋山の友人・金子健四郎の道場に入門し、神道無念流を学んだ。同時に水戸学に触れ、勤王思想の影響を受ける。

    その後、江戸深川で北辰一刀流を修める。師匠の伊東誠一郎が死去して娘婿となり、伊東姓を名乗る。藤堂平助は伊東の寄り弟子であったともいう。

    元治元(1864)年8月末頃、江戸に戻っていた藤堂の仲介により、近藤勇と面会する。伊東は文武両道、容姿端麗であり、言うまでもなく新選組は佐幕組織である。勤皇派の伊東が何故そう決意したのかは、はっきりとしないが、近藤も「尊皇攘夷」という点は相違なく、伊東は実弟の鈴木三樹三郎や篠原泰之進、加納道之助、服部武雄、佐野七五三之助、内海次郎、中島登の同士7名とともに新選組に参加した。

    その翌年、新選組は再編成を行ない、伊東は近藤・土方に次ぐ参謀の地位に就いた。文武両道、容姿端麗である伊東は隊士の人気を集めた。

      近藤・土方は新選組を幕府直参とすることを目標としていたが、伊東は、これを善しとしなかった。次第に近藤・土方との対立が深まり、慶応2年9月26日、分離を申し出る。
    慶応3年1月には、近藤の諒解をとり、視察の名目で九州に下り、志士たちと交流した。
    京に戻ると、共に上洛した同士や藤堂平助・斎藤一ら14名と共に、伝送から御陵衛士を拝命し、再度分離を申し出る。近藤らは仕方なく了承する。

    6月8日、伊東らは東山高台寺の月真院に本拠を移し、「禁裏御陵衛士頓所」の門札を掲げた。これにより「高台寺党」と呼ばれる。表向きは新選組と友好を保ったまま勤皇活動をした。

    新選組に残されていた同士4人が謀殺されたのを受けて、近藤暗殺を企てる。しかし、近藤の間者として送り込まれていた斎藤により、計画が察知されていた。

    11月18日、近藤に招待された帰り道、油小路の南で待ち伏せされ、暗殺される。


    彼の遺体を引き取りに来た同士も、待ち伏せに遭い、藤堂ら4人が斬殺された。


     
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