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    武田観柳斎たけだかんりゅうさい

    18??〜1867

    武田観柳斎徳裕。福田広。福田廣。観柳。観柳才。観格斎。

    出雲国母里藩に福田某の子として生まれる。
    若い頃は医者を目指していたという。
    脱藩し江戸へ出て甲州流軍学を学び、甲斐の名族武田家に因み武田観柳斎と名乗る。

    近藤勇と何かしらの縁があり、文久3年初冬、新選組に入隊する。
    軍学者の肩書きから近藤に重用され、翌元治元年には副長助勤として幹部職についた。

    池田屋事変に際しては、古高俊太郎の捕縛に出動、近藤隊の一員としてはじめ池田屋の周りを固めた。
    土方隊の到着後は屋内の戦闘に参加し天井が破れて落下してきた土佐浪士・大秋鼎を斬った。
    このときの功で褒賞金20両を賜った。

    その直後の料亭明保野で会津藩士が誤って長州藩士を殺してしまった事件にも指揮官として出動している。
    また永倉新八らが近藤の専横を会津藩に建白した際には両者の仲裁に努めた。

    その後軍事方となり、隊士増員に伴う慶応元年の新編成で五番隊組長に就任、文学師範も兼任した。

    9月の江戸行きで近藤に同行、11月の長州行きにも軍奉行として同行し頭脳として働いた。
    この頃の序列は同じく軍奉行の伊東甲子太郎より上だったともいわれる。

    しかし、新選組が洋式調練を取り入れるようになると、武田の甲州流軍学は時代遅れなものとなり活動の場を失っていく。

    武田は隊内で一派を形成していた伊東に接近しようとするが、伊東に拒まれた。
    さらには薩摩藩にも接触しようとした。
    新選組を除隊し独自に倒幕運動を展開しようとした。

    慶応2年9月28日、武田を送別する宴会の帰り道、同道していた斎藤一、篠原泰之進に斬殺されたといわれる。

    これには諸説あり、近年では武田殺害の刺客は斎藤ではない新選組の誰かというのが有力視されている。


    子母澤寛の『新選組物語』では、「隊中美男五人衆」にあげられる美少年馬越三郎に言い寄り、困った馬越は土方歳三に訴えた。
    ある日、薩摩藩邸から出てくる武田を偶然目撃した馬越は近藤勇に報告し武田は粛清されたという男色にまつわる話がある。
    しかし、馬越は武田暗殺より三年も前に脱退しているので、この話は創作であろうと思われる。

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