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    吉村貫一郎よしむらかんいちろう

    1840〜1868

    嘉村権太郎。

    貫一郎は陸奥国南部藩士の次男として生まれた。

    武術で身を立てようとした貫一郎は、剣術修行に精を出し、新当流に入門して頭角をあらわす。

    文久3(1863)年には江戸行きがかない、北辰一刀流・玄武館に入門し、千葉周作の跡を継いだ千葉道三郎に剣を習った。
    ここから、北辰一刀流で修行できるだけの経済的背景があったとする説も唱えられている。

    慶応元(1865)年、江戸での新選組隊士募集に応じ、入隊する。
    「誠を貫く」として貫一郎を名乗ったのはこのときのことである。

    同年の秋には山崎烝、尾崎俊太郎と並ぶ諸士取締役兼観察、そして沖田総司や永倉新八、斎藤一と並ぶ剣術師範頭に大抜擢される。
    また、近藤勇の2度の長州出張に同行し、山崎とともに現地に残留し、長期の探索活動を行なった。
    貫一郎が文武両道に精通していたことがうかがわれる。

    慶応3(1867)年の新選組幕臣お取立てに際しては、貫一郎は見廻組並の格式を受け、感激のあまり涙したと言われている。

    新選組監察方として、隠密行動が多かったのか、剣に関する記録はほとんど残されていない。
    副長土方の意を受け、新選組内外での交渉役などに活躍している。

    鳥羽伏見の戦いでは軍艦として出陣し、激戦の中、銃弾に倒れたという。
    享年29歳。


    吉村貫一郎といえば浅田次郎著「壬生義士伝」姿が先行してしまっているが、そのイメージは子母澤寛ら後世の筆者の創作であるようである。


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    吉村貫一郎のイメージ



    南部藩の下級藩士の家に生まれる。
    貧乏な吉村家では貫一郎の食い扶持まではなく、剣術で身を立てようと、修行に邁進する。
    やがて妻子を得るが、扶持米だけでは養えずに、うるし掻きの内職をしていたともいう。

    脱藩し、新選組に入隊後も妻子への仕送りを欠かす事はなかった。
    新選組が幕臣に取り立てられ、吉村自身、見廻組並の格式を得た際は、感激のあまり涙したという。

    鳥羽・伏見の戦いでは、乱戦の中行方知れずとなる。
    数日後、貫一郎は南部藩邸に逃げ込み、匿って欲しいと願い出るが、咎められ、切腹を迫られる。

    妻子を思いためらったが、ついに意を決し、藩邸の中で切腹して果てた。

    その部屋には、2分金が10枚入った紙入れが置いてあり、家への送金を言付けてあったという・・・



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