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    斎藤一さいとうはじめ

    1844〜1915

    山口一。山口次郎。山口二郎。一戸伝八。一瀬傳八。藤田五郎。斉藤一。

    斎藤一 弘化元年正月1日(2日とも)、明石藩足軽・山口祐助の次男として江戸に生れる。
    母はますという。

    19歳の時に、旗本を殺してしまい、京へ上り、父の知人の吉田某の道場で代稽古を勤めていたといわれている。

    文久3(1863)3月、浪士組上洛直後に、京都で入隊し副長助勤となる。

    9月25日には長州藩の間者であった御倉伊勢武を殺害した。

    元治元(1864)年6月5日の池田屋事件では、土方の組におり、到着後、戦闘に参加、報奨金17両を賜っている。

    元治元年(1864)8月頃には、近藤勇増長に不満を抱き、永倉新八、原田左之助らと共に会津藩に上書を提出している。

    伊東甲子太郎入隊後の再編成では三番隊組長、剣撃師範に就任する。

    武田観柳斎を殺害したのは斎藤であるというのは後世の作り話の可能性が高い。

    伊東らが、新撰組を離脱すると、斎藤も同調し高台寺党に参加した。
    これは、近藤の密命を受け、間者として潜り込んだものであるらしく、近藤暗殺計画があることを伝えた。その後帰隊する。
    そして、油小路の変で伊東らの暗殺へと繋がっていく。

    鳥羽・伏見の戦いでは、永倉と共に殿軍を務め、甲州、会津と転戦。白河では、負傷した土方に代わり新撰組隊長を務めた。
    この間に山口二郎と改名する。

    榎本艦隊に乗っての蝦夷行きに反対し、離脱する。
    その後、山口に同調した20数名と共に会津藩の一員として戦い続けた。
    敗戦後は塩川村にて謹慎、その後越後高田城下に送られる。

    会津藩が斗南3万石として再興を許されると、山口は斗南藩士として下北半島に移住した。
    また、同時に一戸伝八(一瀬傳八)を名乗る。

    明治5(1872)年、警視局に入り、後に警部補に任ぜられる。
    この間、本仲人・松平容保、下仲人・山川浩、佐川官兵衛により、高木時尾と結婚している。
    その際に、容保から藤田五郎の名を与えられた。
    二人は、勉、剛、龍雄の三人の男児に恵まれた。

    元会津藩士として、西南戦争にも出陣した。

    その後は、博物館、学校などに奉職した。

    大正4年9月28日、床の間に座ったまま往生した。
    享年72歳。

      死因は胃潰瘍であったといわれている。


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