War Poets −田園と詩人−

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Rupert Brooke -戦争と詩と伝説

Rupert Brooke

ルパート・ブルック(Rupert Brooke,1887-1914)は確かにカッコいい。ちょっとぬぼーっとした田舎っぽさ(素朴さ)はあるにしても、神話化されるに値するくらいの合格点はあげられる。ブルックは、第一次大戦で失われた青春の象徴のようだと思います。その彼の魅力は外見よりも、むしろ生来の純粋さや人なつっこさにあると思う。彼の世間一般的なイメージはEdward Howard Marsh(1872-1953)が書いた「メモワール」に起因すると思われますが、なかでもDenis Brownのセンチメンタルな手紙が一番の原因でしょう。1914年4月23日、志願して海軍に従軍していたブルックは、26歳の若さで病死します。ブルックの最期に付き添っていたブラウンは、その時の様子をこう記しています。

・・・4時ごろになると彼は弱り、4時46分に息を引き取った。彼の船室は太陽の光に満たされ、ドアや窓を涼しい海風が吹き抜けていた。山々に囲まれ、タイムやセージの香り漂うこの美しい入り江の中で、これ以上の静寂を願える者はいなかっただろう。・・・・私たちはその日の夜、オリーブの茂みに彼を埋葬した。そこは火曜日に彼と私たちがともに座っていた場所だった。灰緑色のオリーブを彼の周りに飾り、ある者はその頭上で涙を流していた。あたりには青く灰色のセージが花をつけ、私が知るどの花よりも豊かな香りを放っていた・・・

回想録がこうした紺碧の海に白い建物、ポピーの花、緑のオリーブという異国情緒あふれるロマンチックな描写で埋め尽くされるのは常で、きれいごとばかりが書かれることもよくあるのですが、ブルックに関しては、その奇麗事をそのまま素直に信じてあげたいという気持ちにさせられます。私の中のブルックはごくごく平凡で、良心的な若者なので、珍しく本性を暴いてやろう(なんかスゴイ言い方ですが・・)という意地悪な気持ちにはなりません。

マーシュはイギリスのチャリング・クロス駅でブルックとその友人を見送ったとき、「新しいユニフォームに身を包んだ彼らは幸せそうで、凛々しく、まるで学校にいく二人の新入生のように、少し恥じらいながらもわくわくしていた」と回想しています。ブルックは彼が最も幸福だったというラグビー校時代から、ケンブリッジ時代まで常に友達に賞賛され、愛された若者でした。ラグビー校での彼の印象は「手にボール、ポケットに本」というもので、図書館で本に読みふける彼の文学趣味を周囲は風変わりに思いながらも受け入れて愛していました。ケンブリッジのキングス・コレッジに入ってからも、ラグビー時代を懐かしむ時はあったものの、次第に周囲に注目され、使徒会でも人気者になっていきます。静かなグランチェスターの下宿にはケンブリッジから多くの友人が彼を求めて訪問しています。ブルックは初対面の人にはシャイなところがあったようですが、彼に会った人々は彼を愛さずにはいられないようでした。ブルックがニュージーランドからタヒチに向かう航路で出会ったHarold Ashworthという人は、彼の思い出をブルックの母親にこう語っています。

・・・・あの金色の髪と親切な笑顔を二度と見れないと知ったとき、涙がでる思いでした。爽やかな風が彼の髪を揺らし、私が語る見知らぬ人々や土地の話に彼が子供っぽい瞳を喜びに輝かせるとき、私は心のなかで”若きアポロ”と彼を呼んでいました。・・・あなたの息子さんは、ただ単に天分に恵まれた者というよりも、おそらくもっと重要なことは、言葉どおりの太陽のような魅力をもっていたということでしょう。・・・彼の思い出は私のように彼に出会うことの出来た多くの幸運な者たちによって祝福されているのです・・・。

ブルックは第一次大戦に従軍していますが、彼が生きていた戦争初期の頃は、アントワープでブルック自身が述べるように、「からっぽの青空、平和な村、田園の風景、時折遠くで爆音が静かに響くほかは戦争らしきものは何も見えない・・・」というまだ激戦を迎える前でした。彼は実際に戦火をくぐるという体験をしないまま、ギリシャの船上で敗血病で病死していますから、彼の書いた詩に戦争の色が薄いのは当然のことなのかもしれません。ブルックは戦争詩人として記憶されていますが、彼の詩の主題は戦争そのものではなく、祖国イングランドへの愛情です。

もし僕が死んだら、僕について
このことだけを考えてください。外国の どこか片隅に
 永遠にイングランドである場所があることを。
その豊かな大地には、より豊かな塵がかくれているだろう。
その塵は イングランドが生み、形を与え、目覚めさせ、
愛すべき花を与え、彷徨う道を与えたのだ。
それはイングランドで生まれ、イングランドの空気を吸い、
川で洗われ、祖国の太陽に祝福されたものなのだ。

そして、考えてください。すべての邪悪を流しさったこの胸が、
永劫の心の鼓動が、イングランドからもらった思想を
どこかでお返ししていることを。
イングランドの景色や物音、そこで過ごした楽しい夢、
友達から学んだ笑いや 優しさを イングランドの空の下の、
平和な心のどこかで お返ししていることを。

ブルックの作品で最も有名なこの「The Soldier」は当時の人々の心を捉え、愛国心を高揚させることになります。これが戦争の理想化へとつながったとしても、それはブルックの責任ではないでしょう。ブルックはその死後に、彼を愛した友人たちの記録によりあまりにも理想化され、それが神話の域にまで達してしまったので、反動としてちょっと冷たくあしらわれる面もあります。ブルックの詩作を応援していたマーシュの手によって編集された「ジョージ王朝詩集」も、戦後世代からはあまり受けなくなっていきます。G・オーウェルはブルックのもう一つの有名な詩、ベルリンで作られた「The Old Vicarage, Granchester」を「土地の名前を詰めすぎた胃袋からこらえきれずに吐き出したへどとでもいうしかないものだ」と辛辣に批判していますが、同時に「当時ものを考えていた中産階級の若者たちの感情の記録としては、きわめて貴重な作品である」(「鯨の腹の中で」岩波文庫より)と認めています。

ちょうど今、僕のちいさな部屋の前には 
ライラックが花開いているだろう。
そして花壇には カーネーションや
ピンクのナデシコが 微笑んでいるだろう。
そうだ そして 歩道の縁には
ポピーやパンジーが揺れている・・・
夏の間じゅう、川辺には 栗の木が
緑の陰鬱なトンネルを作っている・・・・
・・・・・そして僕は知っている。
五月の大地がどんなに輝いて見えるかを、
そして 若く甘いその一日に
水浴びに急ぐ裸足を 燦然と輝かせることを。

ハウスマンの「シュロプシャー州の若者」を好んで読んでいた若者たちにとって、こうしたブルックの詩は共感をもって迎えられたと思います。そして、おそらく、これを最期にイギリスの詩の主流はより難解な現代詩へと変わっていきます。そう思うとブルックは、戦前の幸福でシンプルな時代の最期の輝きでだったのだと思わざるをえません。


写真提供:「Rupert Brooke by Sherrill Schell。ナショナル・ポートレイト・ギャラリー所蔵。