歴史の里・いわむら散策

いわむら城下町は国指定/重伝建町並み保存地区です

岩村駅から町並みを通って太鼓櫓へ

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いわむら偉人銅像めぐり

場所・岩高から岩村城址への登城坂入り口 周辺 ・・銅像・四基の案内・・・太鼓櫓が起点です

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太鼓櫓から城址へ 登城坂に歌子碑 下田歌子顕彰碑 歌子勉学所春月碑 歌子女史銅像
三好 学博士像 佐藤一斎翁座像 三学戎碑 銅像山案内板 浅見与一右衛門 銅像


下田歌子女史の銅像 日本の女子教育の先駆者
岩村藩代々の学者であった平尾家に生まれ、幼名を「せき」といい、幼いときより、学問に富み、和歌・漢詩を詠んだ。                          明治四年十八歳で上京。翌五年には宮中に出仕する、時の皇后様に文才が認められ「歌子」の名を賜った。その後歌子は女子教育の道に進み、実践女子学園などを創設して.校長となるなど、まさに明治大正における女子教育の第一人者である。                                            平成十五年の秋に梶原県知事の揮毫入りで建立された。
佐藤一斎翁座像 江戸末期の大儒学者・・(小泉首相の揮毫入り)
岩村藩家老職の次男として生まれ、幼少より読書を好み、武芸・礼法を身につける。五十五歳のとき岩村藩主の老臣となり藩政に尽力、七十歳で幕府の学問所の儒臣となった。佐藤一斎の教えは、幕末から明治維新にかけ日本を創った指導者に多大な影響を与えた。                               国会での教育論から小泉首相の揮毫が台座に入って、平成十四年秋多数の関係者によって建立された。 
浅見与一右衛門銅像 明治に岩村から恵那へ電車を敷設・日本で七番目の着工
浅見家は、幕末三代にわたっての大庄屋をつとめ、藩の財政援助に尽力をした。先祖は、群馬伊勢崎より殿様の御用商人として岩村に来て四百年となる。                                          九代與一右衛門は明治維新後、街が寂れていくのを憂えて、岩村から恵那(大ヰ)までを難工事のうえ電車を開通、かっての岩村の繁栄を取り戻した。     開通は、時に明治三十九年で全国十三番目、貨物輸送の電車は全国で初めてである。  

 三好 学 博士 像

日本の植物学の礎を築き、天然記念物の保護活動に多大の功績
岩村藩の江戸屋敷で生まれ(文久元1861)維新後、岩村へ移るが父の急逝で母方の親戚に当たる福井県三国町の西光寺に預けられる石川県の師範学校を卒業。新赴任地は土岐小学校(瑞浪市)で校長を兼務、 授業日誌を始めとする研鑽のあとを刻んだ。その後東大へ進み、ドイツへ留学、帝国大学教授理学博士となる。博士の業績は、天然記念物保護に尽力した日本の第一人者で、桜と花ショウブの研究は有名、昭和14年(1939)78才で逝去。、勲二等が追綬された。
銅像は博士発祥の地に建つ     三好 学博士 銅像 城址公園内・隕石岩村城弁財天社
三好博士の銅像は2004年7月4日町内・伊藤博之氏の善意で建てられた。この場所は、博士の著書「桜」の序文に幼少の頃城山の麓・熊洞の我が家から土橋を渡って山中に入ると「やまざくら」が生え、花時にはよく遊びに行った。桜の最初の印象を得たのは此の頃であった」と記されている。  まさに日本の植物学者三好博士の最適の場所に銅像が建った。
とんぼ玉