歴史掘りおこし・かわらばん

明治の予言者/飯野吉三郎顔

 昭和36年発刊の岩村町史、並びに観光パンフ・飯野吉三郎の偉人紹介欄には顔写真が載っていません。昭和十九年の没年78才で、 それ程古くないのに写真が入手出来なかった事に疑問をもち「まちづくりの歴史堀りおこし」として写真探しを行う事となりました。 始めに県、国図書館への問い合わせには反応なく、各所に聞き合わせるうちに飯野翁の孫に当たる方が以前岩村へ見えた事を知り、早速連絡を取ったところ、東京在住の詩人・笠原美津子様で、写真を持って岩村へ行きますとの連絡を頂きました。間もなく、飯野翁の遺筆「ふくさ」も持参され、各所を案内しました。その後貴重な資料を、ふれあいの舘で展示を行いました。                     資料を折角入手しても町村合併後、町史の補刊等に加筆されないとの事で誠に残念に思い、後世に伝える手立てとして、このホームページに公開する事にいたしました

穏田(おんでん)の行者・飯野吉三郎の実像紹介
 飯野翁 竹筆「ふくさ」     
資料提供・笠原美津子様
きちしょ はじめなり ばんぶつの しんこれ

60才ごろ・はかま姿 竹筆による揮毫は珍しい、表は白の羽二重、裏が神統色の金茶染め上げの二重仕立て。 
飯野吉三郎・プロフィール

岩村藩・武具奉行飯野益衛の子として生まれた。彼に対する世評は複雑であるが明治の元老・山県有明をはじめ児玉源太郎など当時の各界名流の信任を得て高名であった。呪術を学び新宗教を興し、隠田の行者とも呼ばれた。天下を予言し、またよく的中したとも言われ、日露戦争の勝利を予言し、祈祷によりそれを導いたことは今も多くの人々に語り継がれている・旧岩村町企画観光課発行『いわむら』より抜粋

飯野吉三郎と日本海海戦100周年記念日
飯野は「満洲軍の幕舎に参じ、勝利を開け」との神託を受け、岩村出身の大島健一教育総監部参謀の紹介状を持って、児玉源太郎の前で戦況を占った。奉天大会戦は(M38・3・10)お告げが大当たり。今度は東郷平八郎が飯野を訪ね、バルチック艦隊を迎え撃つ日時を占ってもらい、明治38 年5月27日に日本海海戦で奇跡的大勝利を納めた。飯野に対する戦功は、月々200円が参謀本部の機密費から支給された。明治40年以降、大正にかけて隠田(渋谷区神宮前)の生き神様として先客万来であった。
岩村町海友会慰霊祭で飯野吉三郎を顕彰
海軍のみで慰霊祭を執行しているところは、県下では他にない(s41から毎年執行) 2005・5・27・・・日本海海戦100周年記念日の岩村町海友会において、郷土出身の飯野吉三郎の資料を配布して顕彰を行った。
笠原美津子様プロフィール
東京都大田区在住、室生犀星に師事、詩人、皮工芸作家、詩誌「こすもす」主宰
詩集「雪にポケット」昭和誌大系詩集、東京都美術館でのモダンアート展に発表、