【見事に説かれた言葉】

およそ世の中において、見事に説かれた言葉は四種ある。 これら四種の言葉は、それぞれの因縁によってときとして世に現れ出て、この世を清浄ならしめんとするのである。

@ 見事に説かれた言葉(法の句)
A 正しい理を語った言葉(理法)
B 耳に好ましい言葉(思いやる言葉)
C 真実を指摘する言葉(虚妄ならざる言葉,真理)


[@ 見事に説かれた言葉]
見事に説かれた言葉とは、(法身たる)諸仏が人の口を借りて世に発した「法の句」。 すなわち、「善知識の言葉(善知識)」である。 人は、この言葉を聞きそれを正しく理解することによって、覚りに至るのである。 これが、四種の中で最上の言葉である。

[A 正しい理を語った言葉]
ブッダ(覚者)が語る正しい理(ことわり)、すなわち理法である。 人は、理法を聞いて覚りの境地の虚妄ならざることを知るのである。 ところで、ブッダは、必ずしも「法の句」を語る人ではない。 ブッダは、かつて「法の句」を聞き、その意味するところを正しく理解した経験を有する人であるが、だからと言って「法の句」を語るとは限らないからである。

例えば、プロポーズの言葉は「愛の告白」であり、それを相手が受け入れてくれるならば結婚して愛を得ることができる。 しかしながら、夫になった男性はもう愛の告白をすることはない。 夫はすでに愛を知っている人であり、愛を体現している人ではあるが、愛する人に向かってふたたび愛の告白をする人ではないからである。 夫が愛を語ることはあるであろうが、「愛の告白」は一生に一度の言葉であり、繰り返し発せられる言葉では無いからである。 そのような意味で、必ずしもブッダは法の句を語る善知識とはならないのである。(例外はある)

[B 耳に好ましい言葉]
人生には多くの悲しみがあることを知って、相手をこころから思いやった結果発せられる言葉である。 相手に言いたいことはいろいろとあるけれども、敢えてそれらの多くを捨て去って、注意深く選んだ耳に好ましい言葉のみを語るのである。

[C 真実を指摘する言葉,真理]
それを言えば相手に嫌われるかも知れないことを承知の上で、敢えて語られる虚妄ならざる言葉である。 相手に対する慈しみの思いから発せられる言葉である。 相手の、悪しき癖を(良かれと思って)指摘する真実の言葉である。 自分のことを棚に上げ、非難を覚悟の上で敢えて発する真実の言葉である。


[補足説明]
たとえば、子供達が大人になるのは大人の説教を聞いたからではない。 子供達が大人になるのは、子供達どうしのやりとりの中においてである。 子供達が大人になるときに本当に必要なのは、信頼できる友達が放つ本気の一言である。 かれはたとえば次のように言うであろう。

 『いつまでもこんな子供じみたことやってられねェよ!』

法の句は、いわばこのようなものとして世に出現する。