【覚りの経緯】

 私が覚りの境地に至ったのは、西暦2001年12月19日の真夜中、午前1時5分のことであった。そしてこのことについての真実の意味での始まりは、その3ヶ月ほど前に遡る。なぜならば、それこそが私の発心であったからである。

 私が、覚りの境地に至る3ヶ月ほど前、ある切っ掛けがあって、青年の頃からそれまで独学で細々と手がけてきた仏教の勉強についてもう一度真剣に取り組んでみようと思い立った。そして、その再度の取り組みの手始めとして、この数年来、順不同に取り組んで来て、自分では既に解いたと考えていた(世間でよく知られている)禅の公案群を再吟味することにしたのである。そして、その再吟味の過程の中で、私はそれまで知らなかった「基本的公案」に出会った。この基本的公案は、(故)久松真一氏(日本人)によって提唱された公案であり、同氏によれば1700則以上あるといわれる様々な禅の公案の最終的な一関として位置づけられているものである。それを、FAS協会という臨済宗系統の京都大学派のホームページにアクセスすることで知ったのが、2001年11月始め頃のことであったと記憶している。そして、この基本的公案もそれから約1ヶ月半経過した2001年12月17日に解くに至った。しかし、それだけで覚りの境地に至ることはなく、このため、その時点では「禅の公案というものは、詰まるところある種の哲学的見解の帰結である」というそれまで私が抱いていた見解を何ら変えるものではなかった。つまり、基本的公案も、世間的に様々に知られたその他の公案とさして変わらないものに過ぎず、総じて、それらはいわば頭の体操のようなものであるのだという結論に相変わらず落ち着いていたのである。

 ところが、その翌日のこと、すなわち12月18日の夜から19日の夜中にかけて、六祖慧能の著作とされる六祖壇教の「法達の参門」の箇所を読んでいたところ、不意に無分別智を生じ、覚りの境地に至ることを得たのである。ここで無分別智を生じたというのは、”あれこそが善知識の言葉(=法の句)であるのだ”ということにまごうことなく思い至ったということである。それは、具体的には、たとえば法華経いうところの諸仏が世に現れ出た瞬間なのだとはっきりと理解したということである。そして、その言葉(私が得た善知識の言葉)とは、覚りの境地に至る数週間ほど前に、わずか6歳の子供が彼の友達に向けてぽつりと言った一言であった。

 私はそのとき、自分がそれまで勉強してきたつもりの何某かの仏教的見解などは、善知識が発する善知識(法の句)の足下にも及ばないのだとはっきりと理解した。すなわち、人が作為するところのあらゆる分別智は、人が作為せざるところから世に出現する無分別智にまったくかなわないのだと心の底から思い知ったのである。なぜならば、この世における決定的なことについての対応は、わずか6歳の子供にさえかなわないことがあるのだとはっきりと知ったからである。私は、自分が40年以上この世を生きてきて、少しは物事が分かった気になっていたが、本当は何も分かっていないのだと心の底から気づいた。私は、自分が何か根本的な勘違いをしているに違いないと(説明できなかったが確かに)思い至った。そしてそのとき、私の解脱は確かに起こった。

 このとき、解脱の瞬間は、時間にして僅かに2〜3分間の出来事であり、今になって思えば六祖慧能が語った頓悟そのものであった。しかしながら、覚りの境地に至ったその夜は、自分では覚りの境地に至ったとは気づかずにいつも通りに眠りについたのである。しかし、翌朝になって目が覚めたとき、私自身根本的に何かが変わったことに気づいたのである。それは、それまでの人生で一度も感じたことの無い、生まれて初めての味わう感じであった。そして私は、台所で朝食の用意をしている嫁さんに向かって「覚ったかも知れない」と言ったことを憶えている。さらに、朝食を終え、自家用車で通勤していると、前日までとはうって変わって、

 ● まったくいらいらしない
 ● まったく恐怖しない

 ── 自分に気づいたのである。もちろん、通勤時にそのようなやすらかな気持ちに落ち着いていることは初めてのことであった。ここに至り、私は本当に覚ったのだということをはっきりと理解した。それは、まさに円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)と言うにふさわしい境地であった。それは、まさしく争いと苦悩が消滅した境地であった。それは、虚妄ならざるものであった。

 さて、私が辿った覚りのプロセスを要約すれば、基本的公案を解くことで顕わになった発菩提心に加えて、(例えば)法華経-方便品第二に述べられている「諸佛世尊唯以一大事因縁故出現於世」などが正法であると正しく理解・認識して、法(ダルマ)の実在を信じ切ることで達成されたと言えるであろう。言い換えれば、それはこころの最奥からときとして突きあがろうとする諸仏の智慧を、一大事因縁によって真実に呼び覚ますことに他ならない。

 また、私が覚った瞬間に知ったこころの最奥から突きあがった「其の心」は、六祖慧能がそれを知って覚ったと伝えられている「其の心」と同じであり、それはすなわち金剛般若経にいう「応無所住而生其心」の「其心:そのこころ」のことであったのだと理解されるものである。この「其の心」(=諸仏の智慧)は、文字や言葉で表すことはできないが、そのニュアンスを敢えて述べるとするならば、それは『覚りに向けた観を行う人が生まれて初めて用いた真実のこころ』のことであると言えよう。

 私は、このようにしてすべてを理解した。釈尊の覚りは本当のことであり、経典に言うニルヴァーナ(涅槃)は本当に実在する虚妄ならざる境地であるということをである。また、漢文にして約7万文字で綴られた法華経の中に書かれた僅か16文字の正法の記述箇所を、「この部分が正法である」とずばり指摘した六祖慧能も、釈尊と同じく本当に覚った人(ブッダ)であったのだということをである。




【事後調査】

 私は覚った後、世に知られる諸の経典について事後調査を行った。その結果、釈尊の「原始仏典」は勿論のこと、「法華経」だけでなく「金剛般若経」「維摩経」「勝鬘経」「般若心経」「摂大乗論」などの大乗経典(および論典)もそれぞれにまさしく正法を正しく伝え、あるいは覚りの境地について正しく伝えていることを知った。各経典は、言葉尻としての表現方法こそ違いがあるが、覚りを生じる源泉とその顕れ方についての記述はまったく同一のものであると考えられるものである。なぜなら、すべての経典は、覚りの最終プロセス、すなわち仏の智慧の門を開くこと(如来蔵の開門)は、発菩提心(基本的公案を正しく解くこと)とその完成によってその鍵を得、正法の正しい理解とその存在に対する信によって扉が完全に開くのだと正しく述べているからである。

 なお、最初の覚りの瞬間から覚りの完成に至るまでにはその後も幾ばくかの道のりがあるが、その道程においては如何なる追加の修行も追加の観も必要とせず、それはいわば自動的に進行するものである。その過程をやや詳しく言えば、覚りを得てから完成するまでのプロセスは、例えば摂大乗論における十地のように順次進行し、人によって違いはあるであろうが、1〜2年間で最終段階まで到達すると考えられる。

  注記) 摂大乗論: 玄奘三蔵が、その難解な内容を正しく理解したいと願ってインド行きを決心したとされる論典


【身体変化】

 余談であるが、敢えて語るならば、覚りに至った後、約10ヶ月過ぎてから身体には次のような特徴が現れた。

  声が響く声に変化した(梵声)
  頭頂に幾つかの盛り上がりが出来た(肉髻)
  瞳が透き通ってくる
  眉間に凹みが出来る


【現在に至るまで】

 覚りの境地は、覚りの境地に至った瞬間から現在(2009年1月時点)に至るまで(7年間以上)一瞬たりとも途切れることなく続いている。そして、今後もこの境地から離れることは無いと確信される。なぜならば、覚りの境地に至って以来、私は特別な修行や観を行っていないにもかかわらず、この境地にずっと安住して来たからである。つまり、覚りの境地は一旦達すれば後戻りすることのない境地であり、それを維持するための継続的努力は一切不要であると言ってよいのである。


【このサイトを立ち上げた理由】

 私には、師はいない。私は、文字の形で得た仏教の知識を観という特殊な言語作用に還元し、それを通して自ら覚りの境地に至ったからである。そして、私が覚りの境地に至る機縁となった正法も、種々の公案も、仏教に関する雑多な知識も、書籍やインターネットを通じて得た文字情報であった。この経緯を踏まえて、私は、私自身が覚りの境地についてのサイトを作り、私自身が綴った文章(理法)を文字情報として世間に向けて発信し、縁有る人々に伝えることに意味があると考えたのである。

 私は、このサイトを閲覧することを切っ掛けにして、覚りの境地に至る人が出て来るであろうことを願っているし、そして実際にそのようになるであろうと確信している。ただし、覚りの境地を目指す人は、自ら正しい発心を起こし、法(ダルマ)を聞こうと熱望し、徳行に篤く、精励して、自ら善知識を見いださなければならない。それらについては、私は何ら手伝うことは出来ない。それらについては、覚りの境地に至ることを目指す人自身が独力で為さねばならないことであるからである。なぜならば、覚りの境地に至る道とは、次のようなものだからである。

 ● 覚りの境地に至る道とは、自分にのみ依拠し、自ら気をつけて行い、自ら知って、自ら決心し、自ら至る道に他ならない。




【追記】

2011年5月28日に、弟子の一人が心解脱した。 私が提示していた「一円の公案」を通過したのである。 その経緯については感興句099[心解脱者]に書いたので興味ある人は参照ください。