江戸時代の気候

中緯度の平均気温 18世紀の後半は異常気象
図1は史実に基づいて,過去1400年間の中緯度の平均気温の変動をグラフにしたも
のです。西暦1400年ぐらいから1850年前後は,世界的に寒冷化が進み,気温は現在に
比べ1〜2℃低く,この期間を小氷期と呼ばれている。
小氷期の時期と気温低下の規模は,地域によって多少の違いがあるものと思われま す。
例えば,中国は16世紀ごろから乾燥化が進行していくが,北アメリカ西部は乾燥化と
多雨化を繰り返してきた。
日本では小氷期の時期は,18世紀前後だと考えられます。

もちろん気温が低かったと言っても,毎日が今より1〜2℃低いと言うことではない
わけです。
気温1〜2℃の偏差は,天候不順の頻度が大きくなる可能性もたらし,降水量や降水分布
が時期的にも地域的にも大きく変動して,異常気象が頻発する可能性が増大する。

図1をみると,この小氷期の間に2回ほど特に寒冷な時期があり,そのひとつは15世紀
ぐらいに,もうひとつは18世紀ぐらいにあったことが分かります。
図1から過去100年の気候変動は約0.6℃の温度上昇をもたらしたことが分かります
が,小氷期の気温変動は,これよりは長い数百年以上の時間スケールをもつ変動要因
によって起こったものと考えられる。

18世紀前後の日本の天候はどんな様子だったでしょうか。
   まず宝永4年(1707)に富士山大噴火が起きました。
   つづいて,安永4年(1775)に三原山の噴火が起き,
   さらに安永8年(1779)に櫻島の大噴火が,そして
   天明3年(1783)に浅間山の大噴火が起きました。
これらは天候不順や異常気象を引き起こす要因になったことは十分考えられます。しかし,
火山噴火による気候への影響はせいぜい数年ですが,火山の爆発によって吹き上げられた
火山灰は日射を遮ることや成層圏に達した微粒子(エーロゾル)などが日射を散乱すること
より気温の低下が予想されます。
天候不順や異常気象は農産物の収穫に多大の影響をもたらしたであろうし,また沿岸での漁獲
にも影響を与えたと思われます。

天明3年(1783年)は全国的に凶作になりました。(天明の大凶作)
江戸時代新聞(別冊歴史読本 新人物往来社刊)に次のような記事が載っている。
   「天明3年は年明けから全国的に暖冬であった。豪雪地帯でもほとんど雪が
   見られない。逆に5月の田植えが終わったころから急激に寒くなり、・・・。
   秋は早冷となり、稲は青立ちのまま実を結ばず、麦も腐り・・・。」
また,天保の飢饉(1833〜1836年)でも異常気象が原因だったと思われます。 上記の本によると,
   「天保7年は江戸でも,4月というのに寒気きびしく綿入れ
   を着,5月は長雨続き,7月には台風が襲来した。・・・。」
江戸の冬は雪?
雪景色1 1822年と1824年には淀川が氷結したことや1822年2月22日江戸品川で
2メートルの積雪があったことなどが記録に残されているようです。
18世紀後半,冬季南岸低気圧が太平洋側を通過すると,江戸(本州太平洋側)では
雪になる場合が多かったことが十分考えられるわけです。
おそらくこの当時の江戸では,冬に雪が降ることは珍しいことではなく,たびたび
降ったと思われる。

今日は,小氷期における江戸時代の気候,すなわち冬の一こまを描きだしてみよう
というのです。
今の東京地方の冬とだいぶ趣が違っているのではないかと思うのです。
庶民の生活文化・娯楽のなかに江戸の雪景色はどんなかたちで描き出されているか
調べてみました。

「江戸庶民の四季」(西山松之助著 岩波書店)よると,
   江戸時代特に中期以降庶民は風流を嗜むようになり,
   季節に応じて花見,月見,虫聞き,雪見,菊見などが
   あったようです。
図2は,深川の二軒茶屋で雪見をしているところを描いたものです。部屋のなかに
火をがんがんおこし,その火の周りで温かい食事をして,雪見酒を飲みながら
深川の海の近くの松の木などに積もっている雪の美しい風景を楽しんでいます。
ちょっと庶民の遊びと無縁な感じがしないでもありません。

図3は,広重の雪見の絵「江都名所隅田川雪見之図」です。隅田川を望む高台から
雪景色を見ている様子が描かれています。
図2,3から江戸時代の人は風流を嗜んでいた,というより娯楽が少なかった時代
ですからこういうもので冬の娯楽を求めたという感じがします。
一方,図4の広重の「江戸近郊八景之内 飛鳥山暮雪」には庶民の生活感が
あふれている。
雪景色2
落語の世界でも雪が降り積もる江戸の深川を題材したものがつくられています。
ご存知のとおり,落語は庶民の娯楽であり,庶民の文化であります。
落語家は庶民がうなずけるようなものを話しのねたにして,それにいろをつけて
おもしろ,おかしく喋った。

興津要編の古典落語(講談社文庫)を読むと,古典落語の原典が江戸時代に多く
つくられていることが分かる。そのなかに[夢金](原話は,1773年刊の笑話本
「出頬題」所収の「七福神」)という落語あります。
冬の夜の大川(今の隅田川)の情景がみごとに描かれ,そこに登場する船宿の
主人,船頭および町娘を連れた浪人侍の姿が目に浮かんでくる話であります。
その話の一節に
浪人「ゆるせよ。いや,雪は、豊年の貢(みつぎ)とは申しながら、
こうふられてはこまるな。」
主人「さようでございます。すこしなら、きれいでよろしいんでございますが、こう
ふりましては、しまつにこまります。・・・」

雪は、豊年の貢としゃべった浪人の言葉のなかに当時の江戸の冬がみごとに表現
されているのではないかと思います。
やがて浪人は屋根船を仕立ててもらいます。そして,
・・・山谷堀から大川へでましたが,雪は,ますます大雪。綿をちぎってぶつけるようで,寒いのなんのって・・・
船頭「ああ寒い、寒い。おっそろしい大雪になりました。旦那、お寒いじゃあ
ございませんか。」
浪人「寒いのう。このあんばいでは、あすもふりつづくかな?」

綿をちぎってぶつけるようでというくだりで湿った雪であることが分かる。
また,地上気温は0℃前後ぐらいで,高くても2,3℃であったと推定されます。
雪景色2
現在の気候環境では東京地方は,南岸低気圧が八丈島よりかなり北側を通過する
ときは,地上付近は温かく,降水があっても雪にならず,だいたい雨になります。
雪になるのは,多くの場合南側近くを通過するときであることが分かっている。
しかし,低気圧の通過があまり南側すぎると,水分が少なく降水に至らない。
ですから,東京地方が雪になるのは,ひと冬で滅多にないわけです。
以上述べてきた事柄は,
   小氷期の気候環境は現在と多少違っていた。そして,江戸では
   冬季地上気温が低くなることが多く,降水は雨ではなく
   雪となることが比較的多かった
と推定できる。
このように直接の気象史資料からでなくても,生活文化のなかに当時の気候が
うつしだされている。そこのところが実におもしろいと思うわけです。

参考図書
   「江戸時代新聞」新人物往来社
   「江戸庶民の四季」岩波セミナーブックス
   「古典落語」講談社文庫
   「浮世絵を読む・5」朝日新聞社

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