ハマー系紳士のトリヴィア部屋

クリストファー・リー氏、ピーター・クッシング氏らに関して伝記本やネットで調べていて突き当たった個人的に興味深かったことなど・・・です。(ということは、スピカだからまた興味の持ち方が偏ってるに決まってる、と思った方は正しいです)

子どもの頃、彼らの出演するハマー映画がTVでかかっていると喜んで見ていたり、高校生のころ名画座で三本立て見たり。近年もDVDをちょこちょこ買ったりしてきたものの、浅〜いファンのままで来てしまったので、到底ディープなファンの足元にも及ばないのは自分でも分かっています。
でも、あまりにも個人的に興味深いことがわかると、つい「これ、面白いですよね〜(ぽわ〜ん)」になっちゃうので・・・
見ていてかたはら痛いとは思いますが、どうかお目こぼし願います。
記事は新しいものが上に来ます。
2005年4月6日


第二回 クッシング氏の幼少と祖父 (2005年12月22日アップ)

前回(遠い目・・・)、クッシング氏の子供時代についても面白い記述があったと書きましたので、おそまきながら(有名な事実ばかりかも・汗)続きを。

リー氏が幼くして実父と離れ離れになってしまったのとは対照的に、クッシング氏は落ち着いた家庭で両親、兄のデイヴィッドに囲まれて育ったようです。

クッシング氏の父親ジョージ・エドワード・クッシングは、前回書いたとおり建築積算士という堅い仕事で、ヴィクトリア朝の価値観を持った、厳格な雰囲気の人だったようです。面白いのは、クッシング氏の父方の祖父は様々な職業を経験したなかで、実は俳優だった事があり、その事実を(その息子である)ジョージは子供たちに伏せていたというのです。(このあたり、リー氏の曽祖父がオーストラリアに亡命してから歌手をしていたのが、曾孫には伝えられていなかった、というのと妙に似ていますね・・・)

その俳優だった祖父は、ヘンリー・ウィリアム・クッシングといい、ヴィクトリア朝の演劇界で有名なサー・ヘンリー・アーヴィングの劇団に参加したこともありました。
奇遇なのが、このアーヴィングのもとで秘書(時には舞台にかかわる仕事も)をしていた人物・・・それこそ、「吸血鬼ドラキュラ」の原作者、ブラム・ストーカーだなんて!不思議な因縁ですね。

クッシング氏の家庭に話を戻すと、このカタいお父さんと結婚してデイヴィッドとピーターを産んだお母さん、ネリー・・・実はとっても女の子がほしかったそうです。でも恵まれたのが男の子の二人兄弟・・・それで、なんとこのお母さんは下の息子のピーターにしばしば女の子のようなカワイイ格好をさせていた時期がある、というのがびっくり。
ふちにレースのついたブラウス、ベルベットのズボン・・・髪はカールになるくらい伸ばして・・・おリボンまで!?
後年のストイックでダンディーな英国紳士姿がきまっていたクッシング氏ですが、そんな幼少時代があったとは・・・本人のコメントでは、「小公子のよう」だったそうです。(残念ながら、参考にした本にはその写真は載っていませんでした。くぅ〜〜!!)

お父さんはヴィクトリア朝的厳格な価値観を持った打ち解けにくいタイプの人。息子ピーターも『生命の神秘』については、随分おくてに育ってしまって・・・女のきょうだいもいなかったし、なんと18歳の時点でまだ男女の性の違いについてよくわかっていなかった、というのです。・・・真実を教えてくれたのはデイヴィッドだったとか。お兄ちゃん、エラいぞ!

以下、「小公子&おくてのピーター」該当箇所の原文です。(In All Sincerity, Peter Cushing より、 pp.20-21)

George and Nellie's first child, David, was born in 1910, and although George was happy to have a son to carry on the family name, Nellie had always yearned for a daughter. On May 26, 1913, George and Nellie had their second and last child, Peter Wilton Cushing,. Nellie's longing for a little girl continued and manifested itself in her treatment of young Peter in a manner befitting a girl. She would often dress Peter in girl's clothes and allowed his hair to grow in long curls that she could set in colorful bows. Cushing described his childhood outfits as ' Little Lord Fauntleroy' clothes, exemplified by velvet trousers and lace-trimmed blouses. One could imagine the distress this must have caused Cushing's conservative father. His parent's Victorian values also contributed to his naivete while growing up, as evidenced in an article he wrote for the Sunday Express Magazine: "I was totally innocent at eighteen or perhaps I should say ignorant. I honestly didn't know there were any differences between the sexes. My dear parents came from an era when those things weren't talked about. I had no sisters and it was my brother who put me right."
第一回  またもや末っ子君たち&リー氏とオーストラリア・その他

1913年5月26日建築積算士(quantity surveyor)の息子として生まれたピーター・ウィルトン・クッシング(Peter Wilton Cushing)氏は二人兄弟で上にデイヴィッドというお兄さんがおり(3歳違い)、子どもの頃二人で家族や友人に人形劇を見せていたことがあるそうです。見物料を徴収したのはデイヴィッドの方だったとか。(ずっと後代の、さるdown underなお子様を思いださせる・・・) (<http://www.hotad.com/monstermania/cushing/)

Christopher Gullo氏による伝記 In All Sincerity...Peter Cushing →以下 IASPCと略 (その中では「劇」を演じて見せたと書いてありましたが)によると、そうして集めたお金は、ふたりの趣味だった鉛製のsoldier models・・・兵隊の、今でいうフィギュア集めなどの趣味に使われたそうです。このmodel soldiers の収集は、クッシング氏が成長して大人になってからもずっと続けられ、相当なコレクションの持ち主に。「兵隊」といってもIASPC 24ページの写真(雑誌の表紙で、フィギュアを前にうれしそうに笑っているクッシング氏)で見ると、中世の騎士のフィギュアなどもあるようです。

クッシング氏の子供時代については、他にもとても面白い記述があったので、次回に。



一方、1922年5月27日生れのクリストファー・フランク・カランディーニ・リー(Christopher Frank Carandini Lee)氏は上に一人お姉さん(5歳違い)Xandraがいるということで、人数は少ないものの二人とも末っ子だったのですね。(ふっふっ・・・)
直接関係無いけれどRichard Roxburghがマーガレット・スロスビーインタビューで言っていた、「統計学的に俳優は末っ子が多い」というのは本当にあたっている気がします・・・

クリストファー・リーの母方がイタリア貴族のカランディーニ家の血筋であり、一世紀(!!)にまで遡る旧家というのはよく知られていると思います。
またいくつかのサイトのバイオグラフィーでは、曽祖父母がオーストラリアで最も初期の歌劇団を創設したと書かれており、「リー様とオーストラリア?」と私みたいに驚かれた方もいらっしゃると思います。(ちょっとびっくりでしたよね〜!) 
『リー氏とオーストラリア』という意外なつながりというのが興味深く、そのオーストラリアへ渡った祖先の事をちょっと調べてみました。

曽祖父はイタリア国家統一運動(Risorgimento)の争乱のためイタリア国外へ亡命を余儀なくされたGirolamo Carandini (別資料では英語風に名乗ったJerome Carandini とも)。
故国を去りオーストラリアへ渡ると、各地を巡業してオペラを上演する一座に加わりました。オーストラリアで結婚し、妻、また成長すると娘たちも歌手として加わり、随分な僻地へも興行に訪れたようです。また後に夫妻はシドニーで舞踏学校を作ったとのこと。(<リー氏の伝記 Christopher Lee The Authorised Screen Historyより )
やっぱり声のよさは筋金入りの家系なのですね。


その亡命貴族である曽祖父は別の資料によるとオーストラリアのタスマニアに着いたのが1842年との事。さらに妻Marie Carandiniに関する資料から、彼がイギリスからの移住者の娘である彼女(旧姓 Burgess)と結婚したのは、1926年生れのMarieが17才ごろだったとのことなので、1843年あたりと思われます。

亡命して領地を失っても、いきなり『距離暴』の南半球に新天地を求めたり、「芸は身をたすく」で趣味を生かした仕事を見つけたり、お嫁さんもてきぱき(笑)見つけちゃうとは・・・しかもMarie嬢のお父さんは馬車の御者coachmanだったそうです。身分にこだわらない、なかなか精神的にたくましい人だったのかも・・・とは勝手な想像ですが、ともあれ波乱万丈な殿方なことだけは確かですね。もっと詳しく知りたいなあ・・・ジロラモ。

そのGirolamo (Jerome)、後に1870年祖国イタリアから特赦を受け、Modenaに帰りますがその到着直後亡くなってしまいます。(<これも上記妻Marieに関する資料より )残されたMarieはやはり歌手になった娘たちとその後も歌の世界で活躍したそうです。

リー氏の大叔母さんたちの肖像写真です。→ http://nla.gov.au/nla.pic-an24649635 ちょっと面影があるように思うのですが・・・
このなかのFanny Carandiniは、その名がヴィクトリア州のFanny Bayの由来になったともいわれています。

さらにしつこく脱線しますが、明治時代(1880年代)カランディーニ オペラ・バラード団という一団が来日していたそうですが・・・(http://www32.ocn.ne.jp/~tsuzu/asakusaopera-zenshi.html)残念ながら構成員の名前がわかりませんでした。 リー氏の大叔母さんたちが明治の日本に来ていたかも?なので確認したかったのに〜!

ところで、不思議な事に曾孫のリー氏、曾祖父がオーストラリアでオペラ歌手だったというのは、大人になるまで知らなかったようです。下のサイトによれば、第二次大戦後、親戚のNiccolo Carandini (大戦後最初のイタリアから英王室への大使)とのランチの席で始めて聞いて驚いたとか。http://www.tiscali.co.uk/entertainment/film/biographies/christopher_lee_biog/3

また、曽祖父が亡命前いたのはModenaという町らしいのですが、カランディーニ家の城Sarzano城があるCasina市から、リー氏は2004年 名誉市民権を与えられ、感謝のスピーチはイタリア語で行ったと言う事です。
On July 21st 2004 he was given the honorary citizenship of the Italian city of Casina (Province of Reggio Emilia) where Sarzano, the castle of his ancestors is situated. He gave his speech of thanks in Italian.
(<http://www.lotruk.com/atthemovies/cast/christopherlee.php)



リー氏の家系に話を戻すと――曽祖父母 GirolamoとMarieの二人の間には、上記の娘たちの上に息子がおり、彼 Francesco Giacomo Carandini がリー氏の祖父。
歌手ではなく軍人(騎兵士官 cavalry officer) になったそうです。記述が無いのでオーストラリアで軍隊に入ったのか、イギリスに渡ったのかは不明です。
さらにそのFrancescoの娘がリー氏のお母さんEstelle Marie Carandini(・・・Contessaの称号を受け継いでいたようです)――美術品のモデルにもなった大変な美人で、彼女はハンサムで勇敢な軍人と結婚し、ロンドンで二人の間にクリストファーが生れました。

このリー氏のお父さん Geoffrey Trollope Lee 氏、大変素敵でスポーツ(この場合は乗馬や狩猟のことだと思います)を愛する人で、ボーア戦争と第一次世界大戦で勲章をもらったほどの職業軍人だったらしいのですが、惜しむらくはギャンブル好きで結婚生活は結局うまくゆかず、リー氏が4歳のころ両親は別れてしまったそうです。

そのお父さんにまつわる、リー氏の一番古い記憶・・・(上記の伝記より)
やはり4歳のころ、(ということは、お父さんが家を去る少し前の時期だったのでしょう)アメ(ロリポップ)を口に入れていてそれが喉につまってしまった!そのときお父さんはクリストファーの踵の所をつかんで逆さまにし、上下に振ってくれたので喉からアメがとれて、ベージュ色のカーペットに置いた皿に、からんとそのアメが落ちた・・・という記憶が残っているとか。
(しかしロリポップって普通棒がついてると思うんですが、どんな食べ方してたんだ、クリストファー坊や?とか、こういう非常時にアメを受ける皿を下に置く余裕があるというお父さんがスゴイと思ってしまいました・・・)

――ということで、サルマンの最期をDVDで見ていたら、『リー様、逆さま、玉が落ちる』、というので最後にこれが書きたくなってしまった第一回でした・・・



2005年4月6日

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