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     その26:カステラはポルトガル語か


日本語の外来語には多くのポルトガル語が見られます。
カルタ、メリヤス、ボタン、コップ、パン、カッパ、キャラメル、テンプラ、ビロード、タバコ、
金平糖と身近にある言葉でもこんなにたくさん挙げることができます。

この中には、語源から離れてほとんど日本語として一人歩きし定着したものもあります。
例えばメリヤスがそうです。
メリヤスはmeiasが語源でmeia=靴下の複数です。
恐らく当時の靴下の布地がそのままメリヤスという生地名になったのでしょう。

テンプラは日本では揚げ物を意味しますが、ポルトガル語のtemperarは、肉をやいたり、
魚を料理したりするときに、塩、胡椒、レモンなどで「下味をする」という意味です。

少し面白いところですと、京都の花街「先斗町=ぽんとちょう」はどうでしょう。
この名の由来の説は、オランダ語、ポルトガル語、英語が語源だと別れて
いますが、ポルトガル語のponto(=地点、終わり)が有力説です。

厚かましくわたしの説を述べますと、もしかしてポルトガル語の「ponte」(=橋)」
は関係ないか?です。
先斗町のすぐ横を高瀬川が流れており、三条大橋、四条大橋の大きな橋を
始め小さな橋がたくさんかかっています。
橋がたくさんある花街、という意味も考えられるのではないでしょうか。

さて、カステラですが、これがポルトガルのお菓子だと信じている人は多いのではないでしょうか。
ところが、ポルトガル語にcastelo(=城)という言葉はあってもcastelaはないのです。
ですからカステラというお菓子は当然ない。

ポルトガル語のcastelaは強いて言えば、統一されてスペイン国となる以前、イベリア半島
北部にあったカスティーリャ王国castella(スペイン語ではカスティーリャと発音)を
ポルトガル語式ではcastelaと書く)を指します。

15年ほども前になるでしょうか、まだ子どもたちが小さい頃、家族旅行で、トレド、
マドリッドを経てアルタミラ洞窟画を見るために、スペイン北部にあるカンタブリア海に面した
サンタンデールへ行くときにカスティーリャ地方を通ったことがあります。
一泊した小さな町の名前はもう覚えていないのですが、そのとき路地で見かけた
ケーキが、
色は少し濃いものの、形も長崎のカステラそっくりでした。

カステラがポルトガル語にはない、とその頃わたしは既に知っていましたから、その地方の
名前からして、もしかしたら、これが日本でいうカステラの出所ではないか?と思ったものです。
言うなれば、これはpão de castela、カステーリャ地方のパンです。

では、カステラは全くポルトガルとは縁もゆかりもないか?
実は、わたしの住むポルトガル北部にはpão de ló という大きなbolo(ボーロ=ケーキの意味)
がありあます。
下の写真からわかるように、日本で言うカステラとは形が違います。
         

   
              ポルトガル北部のパォン・デ・ロ
  
   
パォン・デ・ロはポルトガル国内でも地方によって形が少し違ったりします。
   北部ではドーナツのように真ん中に穴があきます。
   特に復活祭やクリスマスの時期に、店頭にたくさん並ぶ伝統的なケーキです。
   写真右は、昨年クリスマスに我が家でいただきたものをデジカメにおさめたのですが、
   かなり大きく、普通直径40cmはあり、ご覧のようにカサもかなりあります。
   まさに、復活祭やクリスマスで一家勢ぞろいする祭り時の、大人数用の大きさですね。

   カステラの語源説はいくつかあるようです。
   
   @ló
と言う言葉は中国の生地「絽=ろ」という意味もあり、「ふわふわして柔らかい
     絽のようなボーロ」と言う説。

   Aポルトガル人がパン・デ・ロの作り方を日本人に教えた時に、卵白を十分に泡立て、
    「お城(castelo)のように高くツノが立つくらいに卵白を十分に泡立てて」とのアドバ
    イスの「カステロ」がいつの間にか「カステラ」になったと言う説。

   Bもうひとつは、カスティリャ王国のお菓子がポルトガルに渡り、パォン・デ・カステラと
   ポルトガルで呼ばれていたものが、日本に渡った。
   その間に、ポルトガルではパォン・デ・カステラの原型をポルトガル式に工夫し、名前も
   パォン・デ・ロとなった。

   Bはわたしの上記で述べているように、カスティーリャ地方で似たようなお菓子を見た
     こともあるわたしの推測でもあります。
   
   歴史を紐解けば、かつてはイベリア半島の南半分はイスラム教徒に支配されており、
   スペインがまだスペイン国となっておらず、また現在のポルトガルも北部のギマラインス
   やポルトを中心とする「portucalense=ポルトカレンス」と呼ばれる伯爵領土にすぎない
   時代があったのです。

   ポルトカレンスの貴族たちが、側にある大国、レオン王国やカスティーリャ王国の姫君
   たちと政略結婚しないはずはありません。
   カスティーリャ王国のお姫様がポルトカレンスに嫁いで来たときに、きっとお菓子も一緒
   に持ち込んだことでしょう。
   カスティーリャのパン。 この貴族のデザートがやがて庶民の間の浸透し、形を変えて
   「パン・デ・ロ」のポルトガルのお菓子になり、定着した。

   とまぁ、これはわたしのロマンチックな推測です。
   たかがお菓子、されどお菓子。
   日本とポルトガル両国の交流の源泉を、こんな風に訪ねて見ると、普段あまり興味を
   持たないような歴史を小さな窓から少し覗いた気がして、わたしなどは中々面白いと
   感じるのですが、みなさまはいかに。


 

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