Space TAKI; Opening Exhibition;「それぞれの拠展・念底の装い」
The Clothing of Inspiration: Respective One-Person Exhibitions of 9 Artists' Works



創造性という魅力

Hideaki SHIMADAの「AGENCEMENT」シリーズを聴いたことのある方はきわめて少ないと思われるので、例として出すのは適当ではないが、それゆえかえって私の趣意に沿うので敢えてとりあげる。「violin, magnetic tape and electronics」とCDジャケットにあるように、音源にバイオリンの”ノイズ”を基軸にした「ノイズ」と呼ばれるジャンルに属した現代音楽といっていい。ただ、ノイズの主軸が極めて古典的な楽器だから、いわゆる”ノイズ”に比べはるかに音楽的に聞こえ、古典的な「現代音楽」に近い味わいがある。私は彼の演奏を直に聴いたことが2回あるが、バイオリンは軽く擦れることがある以外、一度も弾かれた事は無く、弦は弓によって叩かれつづけられ、かなりしつこく続く印象だった。「美術手帳」に「彫刻音楽」と題して紹介された時、なるほどそんな風に聞こえるかも知れないと面白く思った。



彼の音楽はマイナーで、知る人ぞ知る音楽家として世界的にファンがいるときく。でなくても、彼の音楽的美意識に酔いしれるひとがいていいと納得は出きる。単純だが延々とつづく民族音楽の世界に似て、恍惚的空間へ入り込ませる部類の曲構成である。評価のポイントは独自なことである。他に類を見ないことは重要だと認識している。彼は叩くバイオリンによって音楽の”場”に参入した。「場」や「音楽とはなにか」についてはここでは言及はしない。



展覧会の会期中こんな経験をした。否定的に見ていた物のどんでん返しというか、新たな価値認識の確認作業をした。コフネコトモ子さんの映像作品を一日中流しているのだが、バックにボンゴかなにかがリズムを奏で、パプアニューギニアの少数民族が歌っているらしい男声でコーラスがはいるが、毎日長時間聞き続ければ飽きがくる。そこで全く関係ない別のCDを組み合わせてみた。ほとんどが合わない。ピアノではDとG音を濁らせてやっと受け入れられる程度の拒否的な単純さである。皆さんも経験があると思うが、自分が持っている音楽CDで、一二度聴いてほったらかしというのがきっと何枚かある。実は前述の島田氏のCDもその部類で、この文を書くにあたって当CDを棚から探し出すのが大変だった。「ERIK SATIE; The Early Piano Works (1989, Philips Classics Productions, Printed in west Germany)」というCDもそれで、ピアノ曲好きの野中洋一氏(展覧会出品者のひとり)が自分が気に入らないのか私に呉れたしろもの。ただ3枚組で外ケースに入ったそれは棚の中ででは一番目につく。そこで出番となった。これがいける。エリック・サティーは違和感無くコフネコワールドにフィットしたばかりか、現地録音らしい素朴な音楽に深みを与え、あまつさえ今回の展覧会テーマ「念底」の響きにさえ私には思えたのだ。サティーの曲は和音が次々と変調していくかのようなスタイルで、それがハマった理由に思えるが、分析は主意ではない。重要な事は、この経験が私の感性の中でエリックを肯定させ、その音楽的な本質、この場合はめまぐるしい転調による魅力だが、に目覚めさせたことである。芸術に接するときの、これはとても大切な精神作用の一つである。いわば、既知の、あるいは既成の価値観や感性を揺さぶり、目覚めさせ、考えさせ、発見させ、喜びとともに唸らせるのだ。「う~ん!」こいつだったか彼が言いたかった事は!ーなのである。私はこれを何遍繰り返した事か。その度に芸術の創造性の魅力の虜になってきた。




「念底の装い」というテーマ

この展覧会のポスターやDM(はがき)に英訳を入れた。The Clothing of Inspiration: Respective One-Person Exhibitions of 9 Artists' Worksとした。もっともケアミスで最後のsが抜けたことをお詫びする。それで、完璧か、というとそうではない。「拠展」が「個展」に化けた。ネイティブで日本文学の研究をしているArthur MITCHELL氏と、長年英語教育に携わって来たここ滝町在住の山崎和恕氏、それに私などがメールなどで遣り取りし、あげく落ち着いたというより、印刷の時間がなくてこうなってしまった。



その間幾つか問題点が明らかになったのだが、日本語と英語の背景にある生活や文化環境もさることなながら「念」という漢語の持つ巾の広さ、そして私がそれに含ませた「念底」という造語のニュワンスにある潜在意識の複層にかかわる深層心理への深化度認識のあるなしが、もろに英訳に出てしまうこととなった。むろん分かっていてもタイトルフレーズとして端的にその意を表現することがこれほど難しい作業かと、いいかげん完訳を諦めたせいもある。この間のいきさつはそのうち刊行予定の当展のカタログがでればそこに譲る事としたい。



すでに触れたように、今回のSpace TAKI のOpening Exhibition、展覧会のテーマは、心の底に潜む何ものかが化粧してアートになるところ、その拠り所になってるのを見てみようじゃないか、という、ずいぶんひねくれた物なわけです。狙いははっきりしていて、小奇麗に描かれた花や風景じゃあ物足りない人に、こんなのどうです?と提案してるんですが、実はそれでも尚アーティストたちはそれぞれの思いを、作品や作風という化粧を身にまとってしか表現出来ないし、本当の意味での個への理解はその裏を覗き込むことでしかできないだろう、と言ってるつもりな訳です。つまり、作品を通して(鏡映として)鑑賞者が自分自身の内面とどのくらい会話ができるでしょうか、と問いかけている。



当然の事ながら、見る人によって見方は違う。ずばり、説明を聞くなり「アーラヤ識ですね」と間髪入れずに反応するひともあれば、興味深げに私の病気時期のタブローと手術後ベッドで描いたスケッチブックに見入る人も居る。出品者のコフネコトモ子さんは「私にぴったりですね」と一言おっしゃった。9人のアーティストすべてが、テーマそのものとはいいがたいけれど、作風の長年に渡る執着という意味では、どのひとも念底に一物あって、そこに彼の拠り所たる源泉を見る事も出来、それはそれで少なくとも主催者にとってはとても意義深い。



  • 粟津 尚子 Takako AWAZU
  • ウメツ タカオ Takao UMETSU
  • クリスチーヌ・ロッシニュー Christine ROSSIGNEUX
  • コフネコ トモ子 Tomoko KOFUNEKO
  • 坂井 孝正 Kousei SAKAI
  • 中田 虫人 Mushind E NAKATA
  • 西田 洋一郎 Yoichiro NISHITA
  • 野中 洋一 Yoichi NONAKA
  • 森本 紀久子 Kikuko MORIMOTO

Special entry artists; Kazuo KADONAGA, Takeshi AOYAMA

特別出品;角永和夫、青山武(故人・Merzbau店主)


そろそろ疲れて来たし、ギャラリーも開展時間なので、続きはまた書きます。読んで下さって有り難うございました。中田虫人 15th,Sep.2011