「そんなの無理に決まってるじゃないですか!」
 地理的に第四王政服属都市『リオネ』の中心にあり、尚且つシンボルとなっている巨大な噴水がある。天を仰ぐ人を象った石像が四体で掲げ上げる巨大な魔石からは、絶えず水が流れ出し、噴水を通じて町に張り巡らされた水路に流れ込むという仕掛けになっており、町に住む人々の生活に欠かすことの出来ないものとなっていた。繊細な意匠の施されたレリーフが美しく、その精巧な彫像技術は他国から見物客が来るほどのものであり、噴水は町だけでなく国全体のシンボルと言っても過言ではないかもしれない。
 そんな豪奢極まりない噴水から距離にして徒歩数歩ほど、噴水を有する広場全体を見守るような形で王立救命所は建っていた。人の命を預かる施設として日夜多くの怪我人を救助する立場にあり迅速が命のここでは普段から伝達のために叫び声や怒鳴り声が耐えないのだが、そのなかにあってさらに大きな声で、所長であるラルイン・ヴェンバークは講義の声を荒げていた。
「無理、と言われましても、私はただ得た情報を所長に報告しているだけですから。文句なら件の大賢者様にどうぞ」
 珍しく大きな声を出すラルインと裏腹に、彼と向かい合っているはずのフェイリン・キアエンヴィは、憮然とした表情を崩さずに答えた。
 大賢者の住む小屋から出たユオは、小屋の目の前に広がる広場の一角で転移の魔術を行使しようとしているフェイリンに急いで駆け寄り腕を掴むことで、何とかここ「リオネ」にまで帰ってきた。その際、フェイリンの舌打ちを聞いたような気がするのだが、恐らく気のせいだろう。
 そして、リオネに着いたと思ったらフェイリンは休もうともせずに所長室に向かうと、大賢者から聞いたことを所長に伝えたのだ。ちなみにユオは難しい話をするのが嫌なので、フェイリンの後ろに立っているだけで先ほどから一言も発していない。
「それにしても、何故ユーフィアでもレムレスでもなくアルテカなんですか! 彼我の間に不可侵条約を結んでいるのは知っているでしょう!」
 湖の大賢者であるコルフォナ・ツァインレーメンスは、隣のアルテカ王国にいる。それが、今朝に森に住む大賢者からユオたちが聞いた情報だった。何でも相当な美人らしく、「わしがあと80歳若かったら(以下略)」だそうだ。それはどうでもいいが、問題は、彼女がアルテカ王国にいるということだった。
「そこをなんとかするのが所長の役割でしょう。いつもヘラヘラ笑ってるだけなんですから、たまには役に立ってください」
 とても上司に向けて発せられた言葉とは思えなかった。いつもならば、この辛辣な言葉で心に傷を負ったラルインが、必要でもある以上渋々ながらも手を貸す、という結果になるだろう。だが、今回ばかりは気の弱いラルインといえども断固として首を縦に振らなかった。
 それもそのはず、隣国アルテカとここベルフェス王領は、今現在、休戦協定を結んでいるに過ぎないからだ。そんな状態で、一般市民を凌駕する戦闘能力を持つ魔術師の入国など出来よう筈もない。国家間の問題に、ラルインのような管理職が首を突っ込めるわけが無かった。
 フェイリンもそれが初めから分かっているのだろう。それ以上ラルインに要求するでも糾弾するでもなく、特に何も期待していなかったかのような無表情でラルインに背を向けた。
「お、おい、どこ行くんだよ」
 ユオが尋ねるも、フェイリンは振り向きもせず豪奢な両開きの扉を押し開けた。仕方なく、ユオも後に続いて部屋を出る。
 廊下を歩く間にも会話は特に無く、ユオにしても過去の経験からだんまりを決め込んだフェイリンを刺激しない方がいいと口をつぐんだ。
 黙々と、早足に近い速度で歩くフェイリンの後をユオは追う。フェイリンの後姿を眺めながら、ユオは微かな違和感を感じていた。
 ラルインの前での態度は、ある意味いつもどおりと言えるだろう。およそ上司と部下の立場とは思えないような慇懃無礼の嵐。前からここに世話になっているユオにとっては、それは幾分見慣れた光景だった。だが、おかしなのはその後だ。さすがのフェイリンも上司の前では少しばかり気を遣うのか、自分の要求が通らなかったときは廊下に出た途端、堰が決壊するように不機嫌になるのだが、今回はそれがない。至って無表情だ。ユオにはそれが、何故か気になった。
「……なあ」
 ユオは気付けば、前を歩くフェイリンの背中に声をかけていた。無視されるかとも思ったが、意外にもフェイリンは足を止めて振り向いた。
「何」
 たったの一言。それは疑問系ですらない。無表情の中に浮かぶ二つの瞳が、鋭くユオを射抜いていた。
 何と話そうか。
 頭の中にいくつもの言葉が浮かんでは消えるが、ユオの貧困な語彙では満足な言葉など出てきそうに無い。
「その……なんかお前おかしくないか? いつもと様子が違うぞ」
 結局、出てきた言葉は直球そのものだった。
 そしてそれを聞いたフェイリンの目がすっと細くなったかと思うと、ゆっくりとユオに近づく。そして――
「アンタ、何様のつもり?」
 フェイリンの細い腕がユオの胸倉を掴むと、信じられないくらいの力でユオを引き寄せた。ユオの目のすぐ近くで、フェイリンの氷のような目が鋭くユオを睨みつけた。
「ちょっと一緒にいたからって、仲良くなれてると思った? 聞けば何でも教えてもらえると?」
 その声に、怒りは無い。ただ鋭い言葉が真っ直ぐに、痛みを感じないほど細く鋭い針のようにユオを貫いていく。
 今まで、憤りを内に溜め込み続けてきたのだろう。何のことはない小さなきっかけで、それが溢れるように口をついて出たことは明らかだった。噛み合わない応答が、フェイリンの苛立ちを如実に表している。
「私はね、アンタのことが嫌いで、憎らしいのよ。アンタを見てると虫唾が走る。ヘラヘラ笑って、頭も悪くて何も知らないくせに、私がどんなに頑張っても手に入らないような力を簡単に振るう」
 そして、唐突にかけられた言葉は、昨日、森の中で聞いた言葉だった。あのときユオは何も答えることが出来なかった。そして、それは時間が経っても変わらない。
「……俺だって、こんなもの欲しかったわけじゃない」
 ユオはフェイリンから発せられる威圧感に呑まれそうになるのをこらえ、なんとかそう言った。
「欲しかったわけじゃない……? だったら、捨てればいいじゃない。でも、そうしなかったのは、本当は欲していたからでしょ。……偶然のように手に入れたもので、私をバカにするな。私の今までは、そんなに安くも軽くもない!」
 怒っていた。
 瞳の奥に炎を燃やし、その炎がユオを焼き尽くせばいいと思っている目だった。
 だが、ユオには何も言うことは出来ない。ユオは確かに、落ちていた剣を拾っただけのようなものだ。確かにその剣を使いこなすことの出来るように努力はした。少しばかり旅もした。だがその程度、フェイリンのそれに比べれば大したことは無いだろう。目を見て、何となくそれが分かった。
 だから受け入れる。不満ならば、これから行動で示せばいい。認めてもらえるように。
 ユオには、今のフェイリンの気持ちが痛いほどに良く分かった。どんなに求めても手に入らないもの。孤児院の友人たちが次々と魔術を覚えていく中で告げられた、幼い自分の心を切り刻んだ言葉が思い浮かぶ。

 ――君は、魔術を使えない。

 そんなことがあるものか。魔術を使えない人間はいないと、授業で教えてくれたじゃないか。
 人間は、自分と違うものを嫌い、恐れ、時に蔑む。そんな感情は、子供においては特に顕著だった。
 友人は皆、自分をバカにした。大人たちは大丈夫だと言葉では言ってくれていたが、それが嘘だと本能的に分かってしまった。親がいないから孤児院にいるのに、そこでも一人になってしまった人間はどこにいけばいいのか。ともすれば絶望的な感情に押し流されてしまいそうだったユオを救ってくれていたのが、唯一手元に残った剣だった。
 剣は何も言わないが、それでも傍にはいてくれる。
 他人にあって自分に無いものはたくさんあったが、その逆も少しだけあったから、ユオはここまで生きてこられた。
 だから、ユオにはフェイリンの気持ちが良く分かる。見方を変えればそんな気持ちを吹き飛ばしてくれるものはたくさんあるのに、一方向にこだわってそれが見えなくなっている。同じ理論を用いればユオから見た自分も同じなのだと、気付かない。
 ユオは何も言わずにフェイリンの目を見た。
 フェイリンは我に返ったように目を僅かに見開くと、後悔するような表情を一瞬見せてユオから手を離した。
「……私はね、急がなければいけないのよ」
 ユオに背を向けて最後にそう言うと、フェイリンはまた歩き出す。ユオはまた何も言えず、フェイリンの後を追った。


前へ  戻る  次へ