主に老人が一名だけ盛り上がった酒宴から一夜明け、小鳥のさえずりに急かされるようにユオは目を覚ました。客人用にと、老人に一部屋だけ貸与された部屋はフェイリンに奪われたので、ユオが寝ていたのは廊下の一角だ。ユオとしても、女性に部屋を明け渡すことに異論は無いのだが、知らないうちに鍵を掛けられていたのではいまいち納得がいかない。が、そう思ったところで、フェイリンが素直に文句を聞き入れるとも思えないのが悲しいところだが。





 ユオとフェイリンが並んで座り、机を挟んで老人が座る。背の低い老人は、座ってしまうと顔の上半分しか机の上に出ない。
「なあ……なんで小さい机にしなかったんだ?」
「決まっておる。寸法を間違えたのじゃ」
 そういって老人は朗らかに笑う。そこで和やかな空気になりかけたが、それを遮るようにフェイリンが口を開いた。
「昨日は結局、聞きそびれてしまいましたが……あなたが、大賢者様のお一人ですね?」
「ふぅむ、そう呼ばれることもあるのう」
 やっぱり、とフェイリンが呟く。
 ガジアとディオンを追い払った魔術の大きさをみれば、確かに大賢者にしか使えそうに無いほどの術だった。
 魔術師が魔力によってできることは、魔力そのもので火や雷、風といった形の無いものを作り出すこと。そして、魔力を宿らせて空気中を無限に漂う水を集め操ること。また、水の応用で土を操ること。無論、このほかにもできることはあるが、これらが基本だろう。
 そして、これらを操る難度で言えば、基本的に形の無いものほど、量の多いものほど容易いといえる。ならば、樹木を操る魔術はどうなのか。答えは簡単、最高レベルだ。
 ちょっとやそっとじゃ形は変わらないし、死ぬ気になれば数え切れてしまうほど数も無い。そんなものを扱えるのは、大賢者くらいのものだろう。
 ちなみに、ユオは全くその可能性に気付いていなかったが、恥ずかしいので真顔で頷いておいた。
「あなたに、聴きたいことがあります。……昨日の二人組みが、どこの国の人間か教えていただきたい」
「おい、竜のこと聞くんじゃ……」
「黙ってて」
 聞かなければ無いらない理由があると、フェイリンの声は訴えていた。ユオは口を閉じる。
「黒いコートに、見たこともない黒い魔術。悠久を生きると言われる大賢者様にあられましては、何かご存知なのではないですか?」
 今までに見たことのないほど感情をあらわにし、フェイリンは鋭い眼光を老人に浴びせる。まるで恋人を殺した犯人に詰め寄るような、そんな切迫した語気に、ユオは知らず冷や汗をたらした。
 野ウサギ程度なら射殺せてしまいそうな強い視線。その真っ只中に置かれながら、老人は足元まで伸びるひげを撫でつつ微笑とも取れる穏やかな目をフェイリンに返す。
「お主らも知っていよう通り、わしは森に仕掛けを施し、世俗とは縁を切っておった。以前に客が訪れたのは、おおよそ二十年も前じゃったかの。ゆえに、わしは世事に疎い。世の流れがどうなっているか、今のわしには分かりゃせん。悪いが、お嬢ちゃんの知りたいことに答えてはやれぬ」
 ゆっくりと、慈しむような柔らかな語調で、諭すように老人は言う。
「じゃが、知っていそうな人物に心当たりがある」
 その言葉に、フェイリンの目が大きく見開かれる。
「それは一体誰ですっ!?」
 老人はフェイリンを落ち着かせるよう一拍おいて、
「――コルフォナ・ツァインレーメンス」
 一つの名前を口にした。
 いつもどおりと言うべきか、ユオには聞き覚えの無い名前だったが、フェイリンにはあったらしい。
「湖の大賢者……」
 些か驚いた表情で小さく呟いた。
「その通りじゃ。そして、彼女は若きわしの師匠でもある。わしがこれまで生きてこられたのも、彼女のおかげじゃよ。えっらい美人でのぅ、年上好きのわしとしては修行中も雑念が追い払えずに大変じゃった」
 最後の情報はどうでも良かった。
「彼女なら、神龍のこともわしよりは知っていよう」
「なっ――っ?」
 ユオは言葉を失った。何せ、神龍のことなど一言も老人に喋っていないからだ。やはりこの老人は大賢者と呼ばれる人物だと、ユオは認識を改めた。心を読んだのか、遠くの出来事を知ることが出来るのか、全く見当がつかない。だが、この老人は確実に何かを知っている。知っていて、僅かな情報しか二人に寄越さないのだ。
「ほっほ、まだまだ若いもんには負けんわい」
 意味が分からなかったが、老人は、聞いている者の心が和む声でしばらく笑った後、湖の大賢者の居場所を二人に告げる。笑みを浮かべる老人は、もうそれ以上の情報を二人に教える気はないようだ。昨晩と同じ酒をロープの中から取り出すと、同じくローブから取り出したグラスに注いで飲み始めた。
 フェイリンもこれ以上ここにいても無意味だと悟ったのか、一度老人に目を向けると、視線をはずして立ち上がった。
「訪問時の礼儀もわきまえず、無作法に訪れた私たちを手厚く歓迎していただいてありがとうございました」
 常日頃、目上の人間に対しても慇懃無礼に接するフェイリンにしては折り目正しい謝礼を述べる。
「よい、久しぶりに若人と言葉が交わせて楽しかったよ。またいつでも来るといい。森の結界は解かぬがな、そっちの坊主がいれば問題なかろう」
 そう言って、老人はユオを見ると朗らかに笑い声を上げた。
 フェイリンは老人を黙殺し、一言行くわよとユオに告げると、ユオが立ち上がるのも待たずに外へと続く扉を開け放った。
「おいもう行くのか?」
 立ち止まり振り向いたフェイリンは、苛立ちを隠さない刺々しい目でユオを睨むと、
「留まりたければ、好きに留まるといいわ。足手纏いがいなくなって、好都合よ」
 それだけ言ってさっさと外に出てしまった。仕方なしに、ユオも腰を上げる。追いかけなければ、フェイリンは本当に先に行ってしまうだろう。
「ほっほ、気丈なお嬢さんじゃのう。苦労するの、若いのや」
「……楽しそうに言うなよ。なんなら、変わってやろうか?」
 まるで友達と話しているかのようなユオの言葉にも機嫌を損ねた様子も見せず、老人はカラカラと笑った。
 ひとしきり笑った後、老人は唐突に顔から笑みを消し、目を覆う眉の裏から鋭い眼差しでユオを見た。
「背中の剣、いまだ鞘に入っておるようじゃな」
「え?」
 ユオは何のことか分からず、首をかしげた。ユオの背負う大剣は、いつも抜き身で皮のベルトに固定してあるのだ。鞘は無い。
 老人の目にも、剣が鞘に入っていないことは分かっているだろう。だが、老人は自分の発言を取り消したりせず、また顔に笑みを浮かべると目の前のグラスへと興味を失ったかのように視線を戻した。そしてちびちびと酒を飲み始める。
 その様子から、もう話は終わったという意思が感じられ、ユオは気にしないことにして扉へと向かった。


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