灼熱に包まれ 大地を照らす太陽。雲一つ、鳥一羽、竜一体もいない青空。見える限り続く黄色い砂。風はなく、水もない。
 そんな地獄のような広大な砂漠を、一人の青年が歩いていた。
「暑い……暑い……水……」
 短目の茶髪を持ったその青年は、すっかりくたびれた服装から世界を旅していることが容易に予想できる。疲れきっているのか、手はだらりと垂れ下がり、背筋は猫のように丸まり、足は酔っているかのようにふらふらと安定しない。そのせいで、標準以上の体格は見る影もなかった。
 砂漠を徒歩で渡ろうとする人間は珍しいかもしれないが、青年のような旅人は特に珍しいものではない。世界には数え切れないほどの旅人が存在しているのだ。
 ただ一つ異質なのは、その青年が身の丈ほどもある青い大剣を背負っていることだ。使い込まれているのか、その柄に巻かれた布はボロボロで、しかし深く鮮やかな青い刀身は鏡のように澄み渡っている。
 だが、今この世界に、剣を用いて戦うものなど存在するだろうか。魔術の発展によって、一般庶民の服でさえもどんな刃物も通さないほどに防御能力は上がっている。世界中に分布する竜を倒すにも、強い魔力を有した鱗の前では剣など何の意味もない。
 まだあまり魔術の発展していなかった戦争の時代ならば、人を斬るための剣士という職業もあった。だが、剣よりも遥かに容易に己の身を守ることが出来る魔術を子供に教える学習機関が完成してすでに百年余り。今の時代に剣を使っているのは、サーカスの道化師くらいだろう。
 だが、世界の過去に何があろうとも、今この青年は剣を背負って歩いている。
「くそっ、剣重てぇ……」
 その大剣の重みは、青年から体力を奪い、水分を奪っていく。明らかに大剣は青年の足を引っ張っていた。
「砂漠越えなんて、すんじゃなかった……水があんなに高くなけりゃこんなことには……」
 唐突に砂丘が鳴動し、、青年の呟きは轟音に掻き消された。
 青年の目の前の砂が山のように盛り上がり、砂が流れて黄色い鱗が現れる。砂の中から出てきたのは、青年の背丈の3倍はある巨大な口を開けた、二足歩行タイプの竜だった。
 暑さにやられているのか、青年は目の前に竜が現れたにもかかわらず何の反応も示さずにボーっとしている。
 妙に口だけが大きく他の体のパーツが小さいその竜は、短い足で器用に大きな口を支えて飛び上がる。そして、そのまま巨大な口を下にして青年に向けて落下してきた。
「……んあ?」
 青年はやっと、急に周りを覆った影に反応して緩慢に上を向く。
 それからその顔が驚愕に歪んでいく様は、あたかも雲が形を変えるように自然に、そしてゆっくりと。
「うおわあああぁぁぁっ!!」
 ようやく青年の行動が状況にマッチした。
 青年の頭上に迫る巨大な赤い口腔。時間が引き延ばされたかのように、それはゆっくりと青年の周囲を覆って今まさに青年を飲み込まんとしていた。
「はぁっ!」
 しかし、青年が飲み込まれる直前、一瞬の閃光と鋭い声と同時に竜の半分くらいの大きさの火の玉が竜の横っ面に叩きつけられ、竜は潰れたカエルのような声を出して吹き飛んだ。
 青年が驚いて火の玉の飛んできた方向をを見るとそこには、青いロングコートに身を包んだ一人の魔術師が、黒いグローブに包まれた右手を竜に向けて突き出したまま凛と立っていた。
 青年を助けたのは、オレンジの髪を持った女性の魔術師。女になりかけの少女、そんな年齢だろうか。肩辺りまでの短い髪と吊り目気味の鋭い目が、その少女にきつい印象を持たせる。
 少女の目は、依然竜を見据えたまま。油断なくその挙動を見張っている。竜はといえば、バタバタと短い手足でもがきながら、必死で起き上がろうとしていた。
 そして、射抜くような視線で竜をにらむ少女の竜に向けられた右手が紫電を帯びた。電気は蛇のように右腕に纏わりつき、大気に触れてバチバチと音を立てる。
 紫電はどんどんその光を増し、少女は限界まで光が強まったところを見計らい、
「……はっ!!」
 竜に向けて解き放った。
 瞬間、落雷のような大きな音と、目の眩むような閃光が辺りを包み、すぐに消えた。竜は、少女の視線の先で真っ黒になって横たわっていた。
 青年の知識では分からないが、今のは本来竜を倒せるような魔術ではない。とはいえ、魔術の威力は本人の才能と努力次第という部分がある。少女の力はかなりのものなのだろう。
 少女は無表情だったが、一仕事やり終えたといった満足感が雰囲気からにじみ出ている。電気で跳ねてしまった肩で切り揃えられた暁色の髪を手櫛で直し、両手から黒いグローブを外す。それから心底呆れきった目で青年を睨んだ。
「今回で通算57回目の救命措置。そしてそのどれもが中から上位種以上の希少竜種からの捕食行動。全く、どれだけ無駄な才能なんですか……」
「お〜う、久しぶり〜……」
 少女の皮肉が聞こえなかったのか気にしてないのか、恐らくは気付かなかったのだろうが、青年は元いた場所から動かずに首だけ回して少女に手を振った。
 その様子を見た少女は嘆息すると、青年に歩み寄ってその肩に手を置き、竜をにらんだ目と同じ目で青年をにらむ。
「とにかく、リオネの救命施設に連れて行きますが、いいですね?」
 その言葉は疑問系にも拘らず、響きは強制のそれだった。心なしか青年の肩に少女の指が食い込んでいるようにも見える。
「あ、ああ、わかった。それでいい」
 軽く死の危険を感じた青年は、冷や汗を流しつつ半ば反射的にうなづいた。
 それを見た少女は目を閉じ、静かに集中する。
「獣の足、鳥の羽、竜の翼。風の営み、地の鳴動。此処より、我望みし場所へ」
 少女と青年の周りを円形に緑の光が包む。その光が収束し、刹那の閃光を伴い消滅。
 光が収まった後には、広大な砂漠のどこにも少女と青年は存在していなかった。


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