まず、両親を亡くした。
 何故死んだのか、まだ幼かった俺は覚えておらず、聞いた話では大規模な事故に見舞われたらしい。それを教えてくれた人は、俺が唯一の生き残りだとも言っていた。
 それから、親戚に捨てられた。
 施設に入り、職員に冷たくされた。他の子供の量が少なくなるからと言って、食事の量は明らかに少なかった。
 学園の小等部に入ったころが、一番楽しかったかもしれない。子供には、人の価値など分からないから。それなりに友達もいたし、普通に遊びまわって笑ったりもした。
 だがそれも、時間が経つごとになくなっていく。
 中等部に入って、俺は完全に孤立した。
 苛められもしたし、よってたかって殴る蹴るの暴行を受けたこともあった。この頃になると、もう何をされても無表情にやり過ごせるようになった。何があっても、心は動かない。さざ波さえも立たなかった。
 甘酸っぱい初恋の思い出とか、友達とバカやって走り回ったこととか、そんなものは何も無かったが、それさえも、俺にとってはどうでもよかった。ただ時間が過ぎてくれれば、それで良かった。
 そんな、面白みの欠片も無い人間になっていった為か、幸いにも、次第に直接的な苛めは無くなっていった。その代わり、他人との関わりも、皆無となった。
 学園は、小等部から一貫性なので、俺は特に何も考えずにそのまま高等部に進んだ。世間の常識が覆らない以上、どこに行こうと同じだったからだ。
 案の定、高等部でも何も変わることは無かった。
 俺は空気か、道端の石。或いは打ち捨てられたペットボトルのような存在で、たまに授業で誰かと接さなければならないときは、誰も彼もが俺を避けた。それでも、俺は無表情でいられた。


 ――何故、俺は生きているのか。


 そんな疑問は、それこそ星の数ほど俺の頭をよぎった。だが答えはいつも同じ。タマがいたからだ。タマだけは、いつも俺の味方だった。タマの前だけでは、俺は普通の人間でいられた。
 感謝してもし切れることはない。
 だが同時に、済まなくも思う。
 どれだけ心配されても、何も変えることができない自分が情けなかった。
 変わろうと思っても、できなかった。俺が変わっても、周りが変わらない以上はどうにもならないと思った。
 確かに、必死で探せば俺の味方になってくれる人間はいただろう。だが俺は、それを探すことをしなかった。ただ目の前に現れることを、夢見ていたのかもしれない。
 そんな風に惰性で過ごして、あるとき、ふと気付いた。


 ――結局俺は、俺の周りの人間以上に、俺という存在を諦めていたのだ。


 人生という長い道のりの中には、必ずターニングポイントというものが存在するらしい。そんなことを、何処かの誰かが言っていた。
 ターニングポイント、すなわち分岐点。転換期とも言えるかも知れない。
 それまでの価値観を一掃し、新たな一歩を踏み出すその地点は、時間的に見ればほんの一瞬に過ぎないだろう。だが、その点は何よりも大きなものだ。
 そんな点の上に、俺はいま立っているんじゃないだろうか。なんてことを、ここ数日で思ったりもしてみた。
 俺は、不意に現れた水賀湊という変わり者に、光を見ていたのかもしれない。いや、事実、俺は光というものがどんなものなのか、思い出してしまっていた。


 ――幼い記憶に残る両親の温かい笑顔。友達と暗くなるまで遊んだ日。
 ――毎日が光に溢れ、不安など欠片も感じていなかった頃のこと。


 水賀湊が話しかけてきてくれたその瞬間に、俺は、普通の生活に戻ることができるんじゃないかと、心のどこかで希望を抱いてしまったのだ。
 そして、その直後に突きつけられた、明確な悪意。


 ――お前はもっとよく、自分の立場を考えるべきだ。


 その言葉は、深く俺の心に突き刺さる。
『その人間の価値は、連れている精霊の強さで決まる』
 それが、この世界の常識。だから、ウィルオウィスプなどという、最弱の精霊を連れた俺に価値など無い。
 嫌なことが直ぐに過ぎ去るようにと、その言葉に頷いたその瞬間、腹の底から、言いようの無い何かが湧きあがってくるのを感じた。







 薄羽重成に呼び出されたその翌朝。俺は教室に入るなり、俺の席ではない場所に向かった。

「水賀」
「え? あ、おはよう、相馬君」

 水賀に声をかけた俺、声をかけた俺にキョトンとしながらも明るく返事をする水賀。そんなものを見せられたクラスメイトは、案の定、ざわざわと騒がしくなっていく。ちらっと見た限りでは、水賀を俺から守ろうと目を光らせている男子生徒もいるくらいだ。
 俺は気を取り直す。大事の前の小事に、かかずらっている場合じゃない。

「水賀、この間の話、手伝わせてくれないか」
「え……」

 呆気に取られたように、水賀は口をポカンと開けたまま、目を大きく開いた。
 思えば、おかしな話だったのだ。
 俺は、世間に蔓延する『強い精霊を持つ人間が優秀な人間』という常識を、全く是としていなかった。ならば何故、俺はそんな常識に従って、馬鹿にされても蔑まれても、暴力を振るわれてまで黙って大人しくしていたのか。


 ――気に入らないなら、反抗すればよかったのだ。


 何もしないなら、何もできない。それは、当たり前のことだった。

「駄目か?」
「う、ううんっ! 駄目じゃない、駄目じゃないよ! むしろ大歓迎だよ!」
「そうか、良かった。それじゃあ早速だが、今日開いてるか?」
「う、うん! 大丈夫!」

 もはや、水賀が何を考えていたとしても関係ない。たとえ、俺を貶めようとしてきたって、返り討ちにしてくれる。
 どうせ、こちとら大した人生を送ってないんだ。学園を退学になろうが、今更知ったことか。
 ざわつくクラスメイトを尻目に、俺は機嫌よく席へと向かう。俺が水賀の元を離れた瞬間、またしても壁を作るように水賀の周りにクラスメイトが殺到した。

「ねえ、あいつに何されたのっ?」
「何かあるなら相談に乗るからね!」
「俺が一生守ってやる!」

 これ見よがしに聞こえてくる、俺への文句と水賀を気遣う声。……最後のやつは馬鹿なのだろうか。
 それにしても、言いたいことがあるなら俺に直接言えばいいというのに。わざわざ水賀のところまで行って、俺に聞こえるような声で糾弾するというのは、なんとも性格の悪いことだと思わんのかね。
 しばらくの間、水賀の周りには人が絶えなかったが、チャイムの音と共に、渋々とクラスメイトは自分の席に戻っていく。その中には、あからさまに俺を睨んでくるやつや、俺の席の横を通る際に聞こえよがしに舌打ちをしてくるやつがいたりと、なんとも険悪な雰囲気だ。
 だがそんなもの、今までに受けてきた仕打ちにを考えれば何のことも無い。
 今の俺を凹ませたければ、それ相応の用意をしてくるんだな。
 ざわつくクラスメイトを注意しながら入ってくる教師を横目に、俺は晴れ晴れとした気持ちで窓の外を見るのだった。

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