通学路を吹き抜ける朝の風が、日を追うごとに熱を帯びていくのを肌で感じる。今日も太陽は絶好調で、何もそこまでしなくてもいいんじゃないかと言いたくなるくらい、ちっぽけな俺たちに光を浴びせていた。
 そんな、詩的な気分に浸りたい今日この頃。水賀湊に屋上まで呼び出されてから、かれこれ十五時間ほど経過している。
 結局、水賀湊の頼みに対する俺の答えは、保留、ということで一時的に落ち着いた。
 頼みごとをされる、なんて俺にとっては稀有で貴重な体験だったのだから、その場の気分的には即座にオーケーと言ってしまいたいという本音もあるにはあった。だがそれでも、いくつかの疑問が俺を留まらせていた。
 なかでも最大の、何故俺なのか、という疑問が残っている以上、そう簡単に答えを出すわけにはいかないだろう。まあ、直接水賀に聞けばいいような気もするが、なんとなく、そうすることは憚られた。
 思えば三日前、水賀湊が俺と模擬戦闘をしたいと言ってから、俺はいろいろと考えっ放しだ。
 過去のいろいろな経験から、負の方向に向かう悩みは悩むだけ無駄だと答えを出している俺だが、そうでない場合はどうすればいいのか。やはり、俺には圧倒的に経験値が足りていなかった。
 もしかして、水賀は俺をこうして悩ませて、苦悩している俺を見て笑っているのではないか。そんな考えまで浮かんできてしまうほど、俺は静かに混乱していた。

「ふっふ、翔よ。何か悩んでおるようじゃのう」

 そんな歩きながらも考え込む俺の周りを、楽しそうにタマが回る。

「うるせえ、人が考え事してんだから黙ってろ」

 シッシ、と手でタマを振り払おうとするが、タマが離れていく気配はない。それどころか、俺が嫌がるのを楽しむかのように尚更まとわり付いてくる。

「何を悩んでおるかは知らぬが、どれ、妾に話してみよ。さすればたちどころに解決して見せようぞ!」
「だから、うるさいっての」

 再び追い払おうとしても、まだついてくるタマ。
 確かに、俺がこうして悩むことは久しぶりだから、その姿が珍しいことは認めよう。だが、だからといって楽しまれてはこちらもたまったものじゃない。
 俺は足を速める。

「ふむ、なあに、そう邪険にするでない。お主はそれほど回転の良い頭をしておらぬのじゃから、無闇に一人で悩むでなく他人に頼ることも覚えるべきと思うがの。別に、それを悪と咎めるものは誰もいまい」

 それはまたしても、母が子を諌めるような言い方で……言い方はどうあれ、タマが俺を案じてくれていることを俺に分からせるには充分だった。
 まあだからといって、意味は多少違えど女のことで悩んでいるなどとこいつに言えるはずがない。言ったが最後、墓に入るまでからかわれ続けるに違いなく、そして、それだけは何が何でも避けなければならない。
 俺は軽い罪悪感を覚えつつ、俺の周りを回り続け、根掘り葉掘り聞き出そうとしてくるタマを適当にあしらいながら、教室へと急ぐのだった。







 結局、俺が昇降口に入るころには、タマは飽きたらしく何処かへ行ってしまっていた。
 タマがいつの間にか何処かへ行ってしまうことは、前から珍しくなかったが、それにしても最近はその頻度が上がっている気がする。ただ単に校内に飽きただけか、それとも何らかの心境の変化か。どちらにせよ、昔からあいつの考えていることが俺に分かったためしがない。
 ということは、考えるだけ無駄だということだ。まあ大方、新しい遊び場を見つけたとか、そんなところだろう。心配するほどのことでもない。
 そんなことを考えていたためか、俺は、俺に接近する人影に気付かなかった。

「おい、相馬」

 脱いだ靴を靴箱に入れようとしたそのとき、背後から聞こえた声に俺は動きを止める。
 その声の主に覚えはない。だが、声色に含まれた明らかな敵意。それは、昔から幾度となく聞いてきた種類のものだった。

「……」

 俺は答えず、何もなかったように靴箱から上履きを出すと、履きやすいよう地面に落とす。
 それだけで、面白いように背後の気配が怒気を帯び、舌打ちの音が聞こえた。
 どうやら随分と単純な奴のようだ。

「おいコラ、呼んでんだろうが」

 俺は、ため息を吐かざるを得なかった。
 相手をするのが酷く面倒だが、いきなりここで殴りかかられても困るのは俺なわけで、仕方なく、俺は背後を振り返る。
 すると案の定、そこにはガラの悪い雰囲気を纏った男子生徒が立っていた。その顔になんとなくだが見覚えがあるから、もしかしたらクラスメイトだったかもしれない。

「……なんか用か」

 これ以上無視するわけにもいかず、とりあえずそう尋ねると、男子生徒は口の端を僅かに吊り上げ見下すように笑う。酷く腹の立つ笑い方だったが、俺は喉元まで競り上がってくる文句や罵倒をなんとか飲み込んで、そいつの口が開くのを待った。

「薄羽(うすば)からの伝言だ。放課後、実習棟の前に来いだってよ」
「薄羽だって……?」

 その名前には、噂に疎い俺であっても聞き覚えがあった。
 隣のクラスに在籍する薄羽重成(しげなり)。確か、大企業のお偉いさんの御曹司だとか聞いた覚えがある。金で他人を束ねるタイプの、嫌な人種だったはずだ。

「俺は伝言頼まれただけだからな、何の用かは知らねえぜ? ただ、行かねえとどうなるかは……分かってんな」

 まるで遊びのルールを説明するようにそう言って、男子生徒はこれ以上俺と関わることを嫌ったのか早足に去っていった。
 俺は、内心舌打ちする。
 一体、何が薄羽重成の逆鱗に触れてしまったかは知らないが、おそらく呼ばれた理由は、想像している通りのものだろう。
 こういう分かりやすい悪意は最近ではあまり見ないものだったが、陰湿なものよりは身体はともかく心にかかってくる負担は少ない。まあ、嫌なことには変わりないわけだが。
 なんにしても、これは水賀の頼み以上に無視するわけにはいかない呼び出しであるだろう。脅しに屈するというのも屈辱的なことこの上ないが、プライドで怪我をしていては元も子もない。
 俺は、気が重く丸くなった背中を何とか支えるようにして、ゆっくりと教室へ向かった。

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