<谷 三山   1862〜1867>   日本

幕末の儒者。若くして聴覚を失い、年老いてから視覚を失うが、学問に優れ、
尊皇の思想家としての名声を残した人物である。

1802年(享和2年)大和国の裕福な造り酒屋、重之の次男として生まれる。11歳の時、
目と耳をわずらい、目は治まったが聴覚はついに失われ、14歳にして全くの聾者となった。
当時一流の儒学者である、京都の猪飼敬所に敬服し、その門下生となった。三山の学識
は、敬所の認めるところとなり、その名声を慕って、多くの人々が三山の門をたたいた。

三山はこれらの門人をあつめて、家塾”興譲館”を興し、ここを拠点として、吉田松陰、頼山陽
らと交際を結んだ。

48歳にして眼病の再発により失明した。読書も会話も不可能となった三山は、いつも机に寄り
かかって座り、門人を待った。門人が来て、その机をたたくと、三山が手のひらを差し出す。三山
はその手のひらの上に、詩文や、経典を書いて講義や、質疑応答をした。
数百語に及ぶ経典でも、よく暗記していて、一々添削すべき箇所をしめしたという。

1867年(慶応3年)12月11日、66歳で没した。著書は数十巻に及ぶが、そのなかでも
”松居礼記” ”淡画庫随筆” ”竜聴漫筆” などが知られている。ちなみに、”竜聴”とは、聴
覚障害者(聾)を意味している。




参考文献:”近代社会以前の障害者” 津曲祐次