HOME BOTTOM





衛藤 公雄  〜 経  歴 〜 


− 前 編 −




 
  
1924(大正13)年 大分県にて生誕。
幼少期に失明。
  
1933(昭和8)年
     ≪9歳≫
楯城護師に入門。(5月)
  
1934(昭和9)年
    ≪10歳≫
宮城道雄師に転門。
  
1938(昭和13)年
     ≪14歳≫
教授免状を許される。(3月)
  
1941(昭和16)年
     ≪17歳≫
(財)日本文化中央連盟、文部省、情報局、三曲協会共同主催による
芸術祭三曲新作発表会一位入選。文部大臣賞、情報局総裁賞、
日本文化中央聡盟賞、大日本三曲協会賞を受賞。(11月)
楽曲「箏尺八二重奏」。※ 二位:中田博之
  
1943(昭和18)年
     ≪19歳≫
同じ主催による第二回三曲新作発表会二位入選。
楽曲「希望の曲」。
※ 一位:米川敏子「御羽車」
  
1944(昭和19)年
     ≪20歳≫
同じ主催による第三回三曲新作発表会一位入選。楽曲「建設のひびき」
歌曲部門では「村の秋」が三位入選。
※ 「箏尺八二重奏」「希望の曲」は富士音盤(キングレコード)より
  文部省推薦レコードとして発売され、富士音盤(キングレコード)は
  文部大臣賞を受賞。
  
1945(昭和20)年
     ≪21歳≫
長唄松永派の依頼により、長唄名曲の編曲を行う。
大映映画音楽箏曲部を担当。「火の鳥」「長崎の歌は忘れじ」他。
  
1952(昭和27)年
     ≪28歳≫
皇居内宮内庁楽部楽友会員として推薦される。
  
1953(昭和28)年
     ≪29歳≫
宮内庁楽部事務長、山崎忠義氏に薦められ、山崎氏の推薦状を
携えて渡米。ハワイ大学、ロサンゼルスの大学などで演奏会。
そのままアメリカに移住することとなる。当初ロサンゼルス(ハリウッド)、
後、ニューヨークに住み、永住権を取得する。
  
1956(昭和31)年
     ≪32歳≫
吾妻歌舞伎アメリカ公演に賛助出演。
  
1959(昭和34)年
     ≪35歳≫
アメリカにて一枚目のレコードを作り、指揮者レオポルド・
ストコフスキーの推薦を受ける。その後、アメリカにて計四枚の
レコードを製作。サンフランシスコ・オペラ劇場にて吾妻徳穂氏
とともに日米通商交易百年祭の祝賀として、コンサートに出演。
ロサンゼルスのビバリーヒルズ・イーベル劇場において、第一回
リサイタルを開催。
  
1957(昭和32)年
     ≪33歳≫
カーネギー・コンサートホールでヴァイオリンの江藤俊哉氏に続き、
日本人として二人目のリサイタルを開催。
  
1959(昭和34)年
     ≪35歳≫
ロサンゼルスのビバリーヒルズ・イーベル劇場において、
第一回リサイタルを開催。(10月)
  
1961(昭和36)年
     ≪37歳≫
カーネギー・コンサートホールにて、2回目のリサイタルを開催。
タウンホールにてアンコール・コンサートとして、リサイタルを
開催。
  
1962(昭和37)年
     ≪38歳≫
リンカーンセンター・フィルハーモニックホールにて、東洋人として
初のリサイタルを開く。
また、同ホールにて、レオポルド・ストコフスキー指揮の
フィラデルフィア管弦楽団と競演。
  
1963(昭和38)年
     ≪39歳≫
アジア・日米両協会の依頼で、アメリカ四十州にわたる大学演奏
ツアーを行う。その間ゲストとして、カーネギーホール、リンカーン
センターに数十回出演。ASCAPに、同協会会長推薦により特別
入会する。
  
1964(昭和39)年
     ≪40歳≫
日本・スイス百年祭に国賓として招かれ、リサイタルを行う。
ストコフスキー指揮、フィラデルフィア・オーケストラと
フィラデルフィア・アカデミー・オブ・ミュージック(ホール)にて共演。
ヘンリー・カウウェル作曲:箏コンチェルト演奏(世界初演)
  




 後編はこちらからどうぞ  





TOP HOME

 壁紙・アイコンは「万華鏡」さんから頂きました。
arigatougozaimasita!