エレミヤの70年


1914年は西暦前607年から七つの時を数えたものであり、前607年が崩れれば崩れてしまいます。

しかし普通の歴史教科書は、新バビロニア王国によるエルサレムの陥落とバビロン捕囚の開始の年を西暦前586年としています。

協会は歴史学の通説にあえて逆らって前607年を主張する理由を、洞察ー2 「年代計算」のp449や、「あなたの王国が来ますように」の「14章の付録」p187で説明していますが、その論拠は唯一エレミヤの70年(エレミヤ25:8−11)にかかっています。

エレミヤ25:8−11は本当に前607年の論拠となるのでしょうか。

何年か前、わたしが以下本項に記す内容にほぼ確信を抱いた頃、
インターネット上で、カール・オロフ・ジョンソン著、村本治抄訳の「異邦人の時再考」に遭遇しました。

わたしの到達した結論と全く同一と言って良い程類似した考察が、既になされており、公開もされていることを知って驚嘆すると共に、
やはり自然な解釈には誰でも独立して到達するものなのだと、納得したりもしたものでした。

その後間もなく「イザヤの預言T」が出て、その253ページに注目すべき見解が発表されました。
この本はほどなくして「書籍研究」で取り上げられ、問題の部分は2002年4月に討議されましたが、
その重要性に気づいた人はごく僅かだったでしょう。

本項は大筋「異邦人の時再考」の二番煎じになるとはいえ、やはり避けて通ることはできないので、なるべく新しい資料を入れながら記述を進めることにします。

エレミヤ 25:11,12

協会が引用する8-11節に12節を加えて書き記すと、

それゆえ、万軍のエホバはこのように言われた。『「あなた方がわたしの言葉に従わなかったので、
いまわたしは[人]をやって、北のすべての家族を連れて来る」と、エホバはお告げになる、「すなわち、わたしの僕、バビロンの王ネブカドレザルのもとに[人をやって]、彼らを来させ、この地とその住民と周囲のこれらすべての諸国民を攻めさせる。わたしは彼らを滅びのためにささげ、彼らを驚きの的、[人々が見て]口笛を吹くもの、定めのない時に至るまで荒れ廃れた所とする。
10そして、わたしは、彼らの中から歓喜の音と歓びの音、花婿の声と花嫁の声、手臼の音とともし火の光を滅ぼす。

11そして、この地はみな必ず荒れ廃れたところ、驚きの的となり、これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない』」。
12「『そして、七十年が満ちたとき、わたしはバビロンの王とその国民に対して言い開きを求めることになる』と、エホバはお告げになる、
『彼らのとがを、カルデア人の地に対してである。わたしはそれを定めのない時に至るまで荒れ果てた所とする』」


「イザヤの預言T」 p253 にはこうあります。

「エホバは、神の怒りのぶどう酒を飲む者として名指しにされる諸国にティルスを含め、エレミヤを通してこう言われます。
「これらの諸国の民は七十年の間
バビロンの王に仕えなければならない」。(エレミヤ25:8−12,22,27)
実際のところ、ティルスの島側の都市は、丸70年の間バビロンに服従するわけではありません。
バビロニア帝国は西暦前539年に倒れるからです。
この70年は、バビロニア王朝が自らの王座を「神の星」の上にまで上げたと誇る、バビロニアの支配の最盛期を表わしているようです。(イザヤ14:13)
その支配下にそれぞれの国が入った時期はまちまちです。
しかしその支配は70年の終わりに崩れ去ります」

これは実に自然な解釈であり、全く同感です。

エレミヤの70年は、バビロニアの支配の最盛期を表わしており、それは西暦前539年に終わるのです。

エレミヤ25:11、12に対して、それ以外の解釈が可能であるとはとても思えません。

各国がその支配下に入った時期はまちまちで、ユダについても丸70年バビロンに服従したとは限りません。
(したのかも知れませんし、しなかったのかも知れません。要するにそこまでの言及が無いのです)

エルサレムの完全な荒廃の期間とエレミヤの70年とは直接の関係は無いのです
(次のエレミヤ29:10を通してのみ関係してきます)。

しかし、協会はこの見方をティルスには適用しても、ユダとエルサレムには適用しようとしません。

バビロンへの流刑とエルサレムの荒廃は、前607年に始まり前537に終わる70年間であるという見解は、同じ「イザヤの預言T」の中でも強調されており(例えばp399)、3年後のものみの塔 03/5/15 p4でも同様です。

これ以上くだくだとは書きませんが、各人ご自身で熟考してくださればと思います。


エレミヤ 29:10

「エホバはこのように言われたからである。
『バビロンで七十年が満ちるにつれて、わたしはあなた方に注意を向けるであろう。
わたしはあなた方をこの場所に連れ戻して、わたしの良い言葉をあなた方に対して立証する』」

エホバはいつ捕囚下のイスラエル国民に注意を向けられるのでしょうか。

新世界訳英文では「バビロンで七十年が満ちるにつれて」の部分は、
In accord with the fulfilling of seventy years at Babylon
となっています。

しかし、協会が昔印刷していたアメリカ標準訳(ASV)では、
After seventy years are accomplished for Babylon
となっています。

違いは「バビロンで、において(at)」か、「バビロンに関する、関して(または対する、対して)(for)」かと、
「満ちるにつれて(in accord with)」か、「満ちた後に(after)」かの二点です。

新世界訳はバビロン流刑の70年間が終わりに近づいた時をイメ−ジさせますが、
アメリカ標準訳はバビロン最盛期の70年が終わった(つまりキュロスによるバビロン陥落の)後(恐らく「ほどなく」)をイメージさせます。

多分文法的にはどちらも可能なのだろうと思いますが、どちらを訳文として採用するかには訳者の持っているイメージが反映されているのでしょう。

ではどちらが文脈に適合しているのでしょうか。

まず70年の開始時点を考えてみます。

エレミヤ29:10はエルサレムの陥落(ネブカドネザルの第19年(列王第二25:8))前に、エレミヤがゼデキヤ王統治下のエルサレムから書き送った手紙の中の一節です(エレミヤ29:1)。
手紙の受取人は既にバビロンに流刑にされていた(主としてネブカドネザルの第8年(列王第二24:12、15)にバビロンに連れ去られた)人々です。

エレミヤが手紙を送った時点で、問題の70年は既に始まっていたのでしょうか、まだ始まっていなかったのでしょうか。

「バビロンで」70年と考えるなら、これら手紙の受取人にとっては自分たちのバビロン捕囚は既に始まっていたので、70年は既に始まっていたことになります。
しかしエルサレムの荒廃はまだ始まっていませんでした。

エルサレムの荒廃とともに70年が始まる、つまりエルサレムの陥落とともに流刑になる人々から見ての「バビロンで」70年だとすると、この手紙受領時点で既に流刑になっていた受取人たちにとっては、辻褄の合わないことになります。

「バビロンに関する」70年と考えるなら、バビロンの最盛期は勿論既に始まっていましたから、誰にとっても意味は明快です。

では70年の終了時点はどうでしょうか。

70年をエルサレムの荒廃期間だと考えるなら、それが終わりに近づいた時エホバが注意を向けられるのですから、それ自体としては素直に文意が通ります。

70年をバビロンの最盛期だと考えるなら、バビロンが倒壊したらその後エホバが注意を向けられる時が来るということになり、これもそれ自体としては素直に文意が通ります。

しかしどちらがエレミヤ25:11、12と調和しているでしょうか。
25章と29章で、違う70年を指していると言うようなことがあり得るでしょうか。

更にこの終了時点の問題は、次のダニエル9:2と密接に絡んできます。

ダニエル 9:2

1-3節を引用すると

メディア人の胤アハシュエロスの子ダリウス、すなわちカルデア人の王国の王とされた者の第一年、
その統治の第一年に、わたしダニエルは、エルサレムの荒廃が満了するまでの年の数をいくつかの書によって知った。
それに関してエホバの言葉が預言者エレミヤに臨んだのであり、[すなわち、]七十年とあった。
それでわたしは自分の顔を[まことの]神エホバに向けた。祈りと懇願により、断食と粗布と灰のうちにあって[神]を求めるためであった」

ここでの問題はダニエルがエレミヤの70年を知った時、エルサレムの荒廃が満了する時点をも察知し得たのだろうかということです。

70年が荒廃期間のことだとするならば、ダニエルは当然荒廃の始まった時を正確に知っていたのですから、その終わりの時点も正確に知っていたことになります。

しかし70年がバビロンの最盛期を示すものだとしたら、ダニエルが3節以下の長い熱烈な祈りを捧げていた時点で、つまりバビロンが陥落することによりその70年が終わって間もなくの時点で、
彼は荒廃の満了が近いということ、つまりいよいよエホバが彼らに注意を向けてくださる時が切迫しているということ(エレミヤ29:10)、
だけしか知らなかったことになります。

ダニエル9:19までの祈りに示されている感情は、前者の知識よりも、後者の知識と調和しているように思われないでしょうか。

日本文では表現や語順が変わっているので、英文新世界訳で9章2節を見てみましょう。

in the first year of his reigning I myself, Daniel, discerned by the books the number of the years concerning which the word of Jehovah had occurred to Jeremiah the prophet, for fulfilling the devastations of Jerusalem, [namely], seventy years.

アメリカ標準訳も参照してみましょう。

in the first year of his reign I, Daniel, understood by the books the number of years whereof the word of Jehovah came to Jeremiah the prophet, for the accomplishing of desolations of Jerusalem, even seventy years.

今回はエレミヤ29:10と違って、両者の間に実質的な見解の相違は全くありません。

修飾語を取り払うと、要は「エルサレムの荒廃の満了に関する年の数を知った、すなわち70年」です。

日本文では「荒廃が満了するまでの年の数」と意訳されているので、ほかの解釈を考える余地がありませんが、
英文では「荒廃の満了に関する年の数が70年」ですから、
70年はエルサレムの荒廃期間を示すとは限らず、
バビロンの最盛期が70年をもって終わった後に、荒廃が満了すると考える余地があります。

なお(荒廃の)「満了に関する」と私訳した英文「for +満了(という名詞)」に対応するヘブライ語は、「満了する」という動詞の不定形のようです。

また「荒廃の満了」の「の」はエレミヤ29:10で問題にした at Babilon か for Babilon かの at、for に対応するヘブライ語と同じもののようです。

そこで無理やり直訳すると「荒廃に関して満たすべき年の数」みたいなことになりそうな雰囲気です。


歴代第二 36:21

36:20−22はこうなっています。

20その上、彼は剣を逃れた残りの者たちをとりこにしてバビロンに連れ去り、こうして彼らは、ペルシャの王族が治めはじめるまで、彼とその子らの僕となった。
21これはエレミヤの口によるエホバの言葉が成就して、やがてこの地が安息を払い終えるためであった。
その荒廃していた期間中ずっと、それは安息を守って、七十年が満了した。

22そしてペルシャの王キュロスの第一年に、エレミヤの口によるエホバの言葉が成し遂げられるため、ペルシャの王キュロスの霊を奮い立たせられたので、彼はその王国中にあまねくお触れを出させ、また文書にしてこう言った」

日本文はかなり意訳になっており、語順も一寸変わっているので、
20、21節を英文新世界訳で見てみましょう(英文はヘブライ語原文の語順とほぼ一致しているようです)。

もともとのヘブライ語原文には句読点が無かった(例えば洞察-U 「ヘブライ語聖書」 p765)ということも頭の隅に入れて置いてください。
(勿論句読点を勝手に変えても良いという意味ではなく、句読点にも訳語の選択と同様、訳者の解釈が入っているという意味です)

20 Furthermore, he carried off those remaining from the sword captive to Babylon,
and they came to be servants to him and his sons
until the royalty of Persia began to reign;
21 to fulfill Jehovah's word by the mouth of Jeremiah,
until the land had paid off its sabbaths.
All the days of lying desolated it kept sabbath,
to fulfill seventy years.

まず20節の終わりはピリオドではなく、セミコロンで21節に繋がっていることが注目に値します。

つまり21節のエレミヤの口によるエホバの言葉とは20節の内容、
「エルサレムの壊滅を生き残った者たちは、ペルシャの王族が治めはじめるまで、すなわち前539年まで、バビロンの王とその子らの僕となる」
ことを意味していると考えるのが自然でしょう。

だとするとこれはエレミヤ25:11、12の文字通りの解釈、つまり「イザヤの預言T」のp253でティルスにだけ適用されていた、エレミヤの70年とはバビロン王朝の最盛期、という解釈とぴったり一致するのではないでしょうか。

そうすると21節の until はどこに掛かるのでしょうか。
もし上の文章に続くのなら、20節の until の言い直しということになり、安息を払い終えるのはバビロンの陥落(前539年)でないと辻褄が合わなくなります。

21節の until 以下の文節の相互参照はレビ記26:34です。
レビ記26:34は「その時、荒廃しているその期間中ずっと、すなわちあなた方が敵の地にいる間に、その地は安息を払い終えるであろう。その時、その地は安息を守る。それは自らの安息を返済するのである」となっており、
「この地がその安息を払い終える」と「荒廃していた期間中ずっとそれは安息を守った」の両方を含んでいます。

つまり内容的には
,until the land had paid off its sabbaths. All the days of lying desolated it kept sabbath,
と until から 2度目の sabbath までが、ひとつながりな感覚です。

アメリカ標準訳では

,until the land had enjoyed its sabbaths: for as long as it lay desolate it kept sabbath,

と真ん中のピリオドがコロンになっていて、次の文節は小文字で始まっているので余計そういう感じが出ています。

このひとつながりがレビ記26:34を引用した挿入句と考えられるでしょう。

そうするとこの挿入部をはさんだ二つの to fulfill で始まる文節は、同じことの言い直しと解釈できます。

「エレミヤの口によるエホバの言葉を満了(成就)するに至った。(すなわち)七十年を満了(成就)するに至った」
あるいは
「エレミヤの口によるエホバの言葉を満了(成就)するために。(すなわち)七十年を満了(成就)するために」

となるでしょう。

22節は「そして」と始まります。
70年が終わったので、エホバは次の段階としてキュロスの霊を奮い立たせて、帰国の勅令を出させるのです。

エレミヤ29:10にぴったりではないでしょうか。

同じ「エレミヤの口によるエホバの言葉」という表現ですが、歴代第二36:21ではエレミヤ25:11、12、
歴代第二36:22ではエレミヤ29:10を指しているということになります。

この二つの記述はエレミヤ記では章を隔てて記載されており、書かれた年代も違いますが、預言としては一連のものと見なされるでしょう。
29:10の70年は25:11、12の70年を指しており、29:10では25:11、12の次のステップを預言しているのですから。

 

結論として、

エレミヤの70年は、バビロニア王朝の最盛期を示しており、それは前539年にキュロスの征服で満了した。
歴代第二36:22のエレミヤの口によるエホバの言葉とは、エレミヤ29:10のことで、
それは、バビロニア王朝最盛期の70年が満了したら、その後引き続いて、エホバが捕囚の民に注意を向けられ、エルサレムに連れ戻すことを行なわれるという約束である。
この認識があったから、ダニエルは70年の満了であるバビロン陥落後すぐに、次の段階としてエホバが捕囚の民に注意を向けてくださるよう熱烈に祈った。

したがって、エレミヤの70年はエルサレム荒廃の起点を算出する根拠にはならない。

という解釈が妥当な線だと思われます。

そうなると、前607年を断固主張する聖書的根拠は無くなって、歴史学の通説はまあそんなものであろうかということになり、七つの時を数えても1914年に到達することはできなくなるのではないでしょうか。

追記

エレミヤの70年がバビロニア王朝の最盛期を示しており、それは前539年にキュロスの征服で満了したとすれば、その始まりは前609年になるはずです。

エルサレムの陥落が通説年代では前586年、協会年代では前607年と21年ずれているわけですから、通説年代前609年は協会年代だと前630年に相当します。

バビロニア軍がニネベを陥落させたのが通説年代前612年、協会年代前632年、カルケミシュでエジプト軍を打ち破ったのが協会年代前625年ですから、協会年代前630年はその中間になります。

洞察Tp74 (アッシリア帝国の没落)では、ニネベ陥落後アシュル・ウバリット2世がファラオ・ネコの助けを得て、アッシリア再興を目指したが、協会年代前629年にその試みは失敗に終わったとしています。
そしてネコの軍事行動を妨げようとしたヨシヤ王が戦死したのはその時であったとされています。

従ってエレミヤの70年の始まりはこの頃、つまりニネベを陥落させた後残存勢力を実質的に一掃した頃を指すのではないかと推定されます。


追記2

難しいことを考えなくとも、エレミヤ25:11は、
この地(ユダとエルサレム)はみな必ず荒れ廃れたところ、驚きの的となる」と
「これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」の2文が「そして」を意味する接続詞で連結された構成になっています。

前者の動詞「なる」の主語は「この地」であり、後者の動詞「仕えなければならない」の主語は「これらの諸国の民」すなわち9節で言う「周囲のこれらすべての諸国民」です。

七十年は後者の文の動詞を修飾しているのですから、エルサレムの荒廃期間とは直接の関係がないことは明らかです。

どう読めばこの文からエルサレムの荒廃期間が70年と言えるのか理解に苦しみます。

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