< 「 霊 友 会 」 と は ?>

 

< 「 立正佼成会 」 と は ?>

< マインドコントロールシステム >

< 妙智會のMC実例 >

 


 


 「れいゆうかい」とは「先祖供養」を勧める、仏教を名乗る新興宗教です。

 

有名なところでは立正佼成会をはじめ、戦前から戦後にかけて孝道教団、仏所護念会や妙智会など
 
幹部が次々と脱会し新教団を設立することで、教勢は一時期かなり落ち込んだようですが、
 
なんとかもちこたえ現在に至っているようです。

 分裂に至った理由はいろいろあるようですが、

開祖の小谷喜美が法華経を軽んじたために(※1)、その指導に反発した幹部が多数いたことや、
 
戦後おきた「脱税事件・麻薬事件・募金横領事件」など数々の失態が大きく影響している と思われます。
 
その後教団は世間の批判からの反省をこめて「社会福祉事業」に力を入れ、「数々の寄進活動など」を行っています。

 
真実の、唯一の仏教団体を自称する「霊友会」が、
 
このような「数々の失態を繰り返している」にも関わらず、「いまだ立派に存続している」という事実は、私たちから観れば、「とても奇妙」です。
 
しかし、それが似非宗教というものです。
 
信者たちは、「それらの不祥事は、上層部の汚濁であるから、清らかな私たち修行者には関係の無いこと・・・」などと煙に巻かれ、
 
おめでたく納得しています。
 
「マインドコントロール」とは、「奇妙な理屈を納得させる為の物」ともいえます。

 
教団は世間の批判からの反省をこめて「社会福祉事業」に力を入れているのですが、
 
世間に批判されて、改正せざるを得ない状況にまで陥る・・・ そんな「精神レベルの低い教団」のどこが「真実の、唯一の仏教団体」なのでしょうか?

 
この教団のトップは、いまだに財産の摂り合いをしています。
 
しかしながら、この真実の、唯一の仏教団体は、いまだ「立派に存続している」のです。

 

 

 カルトとしてのマインドコントロールの手法は 創価学会とさほど変わらない。

 カルトとは「熱狂的信奉集団」であり「マインドコントロールを用い人の精神を搾取する組織」を指すとされ、

その手口はまず

 先祖供養しないから不幸なのですよ・・・供養すれば救われますよ・・・

などと

 美辞麗句で誘い、詳細を知らせず入信させ、実践させていくことで精神を変えてしまう、

 というものです。

 

 霊友会系組織の主な集金方法は「架空会費」で、

 本人に内緒で会員にしてしまい、組織内での自分の地位を上げ、その分の会費を肩代わりさせる制度である。

  支部によっては 「借金してでも払いなさい。辞めた会員の分も払い続けなさい」

という状況があると言われ

本部は「それを知りつつ放置」することで、収益を上げているようです。

 

 

 ちなみにゴータマは「先祖供養は無効」と言い切っています。

 

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 彼はそのとき、ナーランダ近郊のとある林の中にいた。 そこに村長がやって来て、彼に問いかけた。

 「バラモンたちが言っているところによると、彼らが儀式を執り行えば、死者はたちまち天上界に再生するそうだ。
 どうだ、お前も同じことができるか?」

 彼に対する村長の態度は、いささか傲慢不遜であった。
 しかし彼は、そんな不躾な質問に慣れていた。 別段顔色も変えずに、彼はこんなふうに応えた。

 「その問いに答える前に、村長、私からひとつ質問したい。
 湖があって、仮にその湖に大きな石を投げ込んだとしよう。 当然に、石は底に沈むだろう。
 そしてその後で、人々が集まって、湖の周りで『石よ浮かべ、石よ浮かべ』と祈願するのだ。
 すると、石は浮き上がってくるだろうか?」

「いいや、そんなことはない」

 「村長よ、それと同じなんだよ。
 生前、さんざんに悪を積み重ねた者が、死後地獄に堕ちても、いくら祈願をしようが、彼が天上界に生まれることはない・・・。」

 「それからね、村長。
 今度は、ビンに油を入れて湖に投じたとしよう。 そして、ビンが割れたとする。
 すると油が浮き上がってくる。 人々がそこで、『油よ沈め、油よ沈め』と祈願するのだ。
 すると、油は沈むだろうか?」

 「いいえ、そんなことはありません。 油は浮くに決まっています」

 「それと同じことなんだよ。
 生前に善行を積み重ねた者は、死後天上界に生まれ、地獄に堕ちることはない。
 村長よ、これがあなたに対する解答である。」

 彼はそう言い終えて、村長に向かってにっこりと微笑んだ。

 

 

(『南伝大蔵経』第16巻上、10〜13ページ)
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日本の仏教は 政治的理由で輸入されましたが 中国でこれまた政治的マインドコントロールのために「先祖供養」

 という要素が付け加えられました。(格義仏教)

 

 そもそも法華経は特に先祖供養を勧めていませんが 法華経自体が 釈迦とは無縁のお経です。

※1 創作経典法華経 : http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/bud120.html 

 

 

日本の皆様には

 

 信じない、祈らない、供養しない、思惟してありのままをみる のが 仏教の本質だと知って欲しいです。

 そしてゴータマは お経という名の呪文を唱えることも 勧めてはいません。

 

 日本人は「宗教音痴」といわれます。宗教を知らないのです。 だから日本は、「詐欺カルト」がはびこるのです。

 

 

 

<  「 立正佼成会 」 と は ?>

 

 「りっしょうこうせいかい」は、

霊友会の会員だった庭野日敬(にわのにっきょう)さんと長沼妙佼(ながぬまみょうこう)さんが 同会から離脱して創立した 新興宗教です。

 

母体の霊友会そのものは 現世利益を謳い「コカイン事件」など不祥事も多い新興宗教ですが

ここで奉られる「小谷恩師」という方も 何故か真夏に布団を被りお経を唱えるという

 意味不明な修行をされた方であり そこに入会されたのが 上記二方です。

 

そして昭和17年、東京杉並に新本部道場を作り、庭野の「姓名判断や易学」それと長沼の「霊感」による病気治し

を売り物にして布教を展開されたようですが

 これも 仏教を名乗るならば不可解であり、 仏の名を借りた新興宗教ということでしょうか。

皆様もご存知のように、本来仏教には、占いや病気治しや供養などは、存在しないのです。

 

 霊友会系: には他にも 思親会、佛所護念会教団、妙智会教団、妙道会教団、大慧会教団、正義会教団、希心会などがあるようです。

 

先祖崇拝の落とし穴: http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/otosiana.html

 を参照してみてください。 あなたがこれらの組織に毒されているかどうかが分かります。

 

※ 立正佼成会  http://homepage3.nifty.com/y-maki/db/kouseikai.html

 

 

 

 

 

 

E N D

 

 


刈人宗教解析倶楽部




***


自らを灯火として生きる事の出来ない人たちは、

灯火を求めて集まってくる虫達のように群がり、似たもの同士の集団に埋没する事で安心を得る。

 しかし、その代償として灯火によって自らの羽を焼き、もはや自分の意志で自由に飛ぶ事は出来ない・・


自らを灯火とする人をたとえるならば太陽のようなものだ。

どんな暗闇の中にいてもけして彼は、光を失う事がない。

自らを灯火として生きる事の出来ない人をたとえるならば月のようなものだ。


光っているように見えてもそれはただ太陽の光を反射しているだけで

 けして自ら輝く事はない・・

 光るものを見つけては、ただその周りをぐるぐると回りつづけるよりほかすべがない・・


***

  

 

 

 

 


 

 


 

< マインドコントロールシステム >

 

 

この論文はとある識者がとある掲示板で発表したものです。 

この論文は創価学会用に書かれたものですが、○○○でも充分応用が効くと思います。 

カルト教団とマインド・コントロール(更にアダルト・チルドレンも絡めた)に関するものです。

  

カルトのマインドコントロール手法というのはどこも大差ありません。


目的は「組織(教祖)依存」信者を、いかにつくるか。
そのために教団は、まず自我の確立を徹底的に抑制します。

自分の頭で考えることを否定し、また自己への自信をなくさせ、

かわりに教団への自信を植え付けるような指導をするわけですね(教団=自分となることを目指すわけです)。

信者が最初に奪われるのは、「論理的思考能力」「理性的批判能力」「客観性」です。

教団内では、個々人の論理的思考や教団批判は徹底的に糾弾されます。

「頭でなく心で受け止めなさい」とか「教えの素晴らしさは理屈ではない」

「あなた(の批判)は教えの深さがまだ分かっていないだけ」「素直に聞きなさい」などと言われてね。

  

そしてここで働くのが、人間の持つ適応能力(マイナスの作用)。

 

こういう環境に放り込まれると、(新しい環境への順応が必要ならば、人間はいかようにも適応しようとする本能があるため)

その環境で生き延びるために害となる 「頭を使う」ことを簡単に放棄してしまうのです。

そして教団は、それにかわって徹底的に信者の「感情」に訴えはじめます。

感情を煽る過激な言葉(征服、闘争、勝利、克服etc)を連発し、また「わざと敵をつくって」

怒りと憎しみを煽り、外部を「悪魔・卑しき者の世界」などと規定して教団が悪から迫害されているかのように装って

(当然情報操作が行われます=外部の情報はすべて信じるに値しないもので、真実の情報は教団内にしかない

と教えるわけです。あとは勝手に信者が自分に都合の良い情報のみを取捨選択してくれます)

信者の団結心と教団への依存心を高めようとします。

これらはいずれも理性(論理的思考・批判能力・客観性など)を奪うと同時に、

論理よりも強力に人を動かす力を持つ「感情」に直接訴え、

教団のメッセージを信者に理性ではなく感情の部分で受け入れさせ、心深くまで浸透させる効果を持っています。

ちなみに「体験でしか分からない」というセリフは、教えを無批判に(理性=大脳新皮質を使わず)、

感情(動物的感情=大脳辺縁系を使って)のみで受け止めなさいという意味と考えてよいでしょう。

こうなると信者は教団のメッセージを、そのままに受け入れ信じるほかに道はありません。

・・・もはや批判精神も客観性も働きません。 それを働かせることは「悪」なのですから。

もちろん教団の教えを、咀嚼することも自分なりに解釈することも「悪」です。

信者は教えられたとおりの言葉を、素直にそのまま頭の引き出しに収めなくてはなりません。

しかも教団の教えは、世の中や信者の日常に起こるあらゆる事に対しての、教団なりの答えを用意しています。

一旦それを受け入れたなら、

信者はカルトの体系の中で物を考え、世界を見るようになり、「すべてをカルト的枠組みで解釈」するようになります。

彼の行動はこの新しい現実感とは矛盾しないものとなり、

すべての言動を理性的・自発的に行っていると意識(錯覚)するようになってしまうのです。

 

こうなると彼はすべてカルトの枠組みでしか考えられなくなり、また教団は 信者を完全にコントロールできるようになります。

一方、感情の部分では扇動的な言葉で心は「高揚」させられ、

信者同士がお互いに依存し合う関係によって情緒的な安心感が得られます

(健全な人間関係ではありません。あくまでも依存・共依存による人間関係で、

自他の区別がない〜自分がないのですから当然です〜のはそのためです)。

また常にノルマや修行という名の、過大すぎるほどの勤労・労働が教団から課せられ、

忙しさと疲れ、活動による充足感(空想の世界の満足感)によって 理性を使う暇も与えられません。

こうして信者は教団(教祖)なくしては生きてゆけないかのような錯覚にとらわれ、

その恐怖心が潜在意識で働いて、教団への献身と活動への没我を無意識に求めるようになる わけです。


――ということで、カルト信者の「一丁あがり!」というわけですな。


こういうカルト信者の特徴は、論理的思考能力と咀嚼能力の著しい低下にみられます。

また外部と自分の世界とのずれにまったく気づかず、奇妙な言動で人を驚かせもします。

本人は、教団の教えや難しい言葉を無批判・無条件に覚え込んでいることに気づかず、

あたかも自分の言葉のように錯覚していて (「難しい言葉を使うこと=論理的説明」だと勘違いしていますし)、

それを覚えている(本人的には「理解している」)自分が優れた人間であるとさえ思っています。

教団の教えを無条件に「究極・絶対・完全・崇高」なものと信じ込んでいるので、

それを引用することが自分たちの優秀さを示す素晴らしい行為だと思い、

また批判が返ってくることさえ予測していません

(批判があるとすれば、それは中傷・偏見・無理解・悪意でしかないのです。なぜなら自分たちに非があるはずがないのですから)。


こういった「カルト眼鏡」をかけて生きている人たちは、

自分たちが歪んでいるにもかかわらず、外界の方が歪んで見えるものですし、

また世界のすべてが自分たちの「カルト色」に染まって見えるのだと考えてよいでしょう。

ですから外部の発言はすべて彼らの頭の中で、「カルト言語」に変換され、

彼らの世界観の中で「都合よく」解釈されてしまうわけです。

もっとも彼らの多くが、外部の批判にいとも簡単に「切れてしまう」のは、

自分が実は経験による根拠も論理的根拠も持ち合わせていないという弱点を本能的に知っているため、

怒ってカルトのレトリックを使って「感情を高ぶらせながら一方的にしゃべりまくる」ほか手がないからです。

本気でこちらを心配してくれているのなら、怒りの対象ではなく、哀れみの対象になる はずなのです。


だから彼らが意図的に論点のすり替えをしているのではなく、彼らがその言葉しか 頭の引き出しに持ち合わせてなく、

かつ論理的思考能力が低下していて(使い慣れていないため)自分で応用できないためなのです。

もちろん教団から「応用=悪」とも教えられていますしね。

こうなるとあとは 自分可愛いの自己正当化(実は負け犬の遠吠え)して、

すべてを外部のせいにして逃げるほかなくなります。もちろんその屈辱感を打ち消す理屈も、教団には用意されています。

 

実際彼らの心の中は不安定です。自我の確立を阻害されているため

「自分がない」という不安感を常に心の奥底に持ったまま生きてゆかざるを得ないからです。 でも、逃げられません。

なぜなら彼らは心の奥底まで、「やめたら不幸になる」「裏切ったら地獄」などという恐怖心を刷り込まれ、

そして教団への疑問や否定的感情を一寸でも抱くことが、教団に依存しなくては生きてゆけない

(と錯覚させられている)自分にとって自己崩壊をもたらすと本能的に考えているためです。

つまり彼らは恐怖心によって心をがんじがらめに縛られているわけで、

「自分は幸せ!」と叫びながらも、実は彼ら自身は「心の牢獄」につながれているのです。

(「幸せ!」は、そうやって自己肯定化することが唯一の生きる道だからにほかなりません)

もちろんそんなカルトの世界を、「夢の世界」と捉える人がいてもよいでしょうね。

その夢の世界にいる限りは、自分は安全で、素晴らしく、自信が持て、責任感も必要なく、

そしてあらゆることが自己正当化できるわけですから、逃げたいとも思わないんじゃあないでしょうか??

それを「夢の世界の住人」ととるのも「心の牢獄につながれた囚人」ととるのも、人それぞれ。

 

ま、以上のことを十分に分かった上でなら、いずれを選ぶも自己責任ということで・・・。(^^)


ちなみにカルト・マインドコントロールの最初の段階である「自我の確立の抑制」は、

1世では「過去の自我の否定&破壊」と考えられます(2世の場合は、子供の頃からの自我の抑制)。

自我の破壊は、自己と他人(社会)との境界線を破壊します(自我がない=境界線の引きようがない)。

こういう人は、精神医学の世界では「境界性人格障害」「自己愛人格障害」に分類されます

つまりカルトは、意図的に「自我を破壊し(あるいは自我の確立を抑制し)人格障害者をつくる」

ことを目的としてマインドコントロール手法を使うのです。

こういう症状の人は、個の自立ができないため、

他者(もの・教団・教えなど)によって自己の存在を確認しようとすることで「依存&共依存症」の症状を引き起こします

(カルトの狙い=組織依存 は、まさにここにあります)。

 

ですからもともと強固な自我を確立している者(それに論理的思考能力・批判精神・情報分析能力をもちあわせていれば、

言うことはありません)は、カルト・マインドコントロールにはかかりにくく、

一方で幼少時のトラウマや家庭環境などが原因でもともとアダルト・チルドレン&依存・共依存症

(自我の確立ができず、自分への自信がないため、生きにくさを感じている人。愛情に飢えて、心に空洞や傷を持っている人)

の兆候を持っている人はかかりやすいということになります。

(つまり2世などはアダルトチルドレン→依存・共依存症の方が多くなる可能性があるということです)

 

実際重度の症状の人は、やはり進んで・喜んでカルトを受け入れさえすることも多いようですし・・・。

そういう方ほどカルトに入って自我の確立をしたような気になり、心の病も治ったかのように思うものですが、

しかし実体は違います。

 

彼は望んで「カルト人格」を植え付けられ、それをそのまま借りて自分の心の空洞に詰めたのですが、

それは本来自分の力で癒し、自分の力で埋めるべき「心の傷・空洞」をカルトへの依存行為で詰め物し、

借り物の自我を身につけただけのことです。

だから一時はそれで症状も改善したように見えますが、心の傷や空洞が本当に埋まったわけではなく

(借り物を詰めて穴をとりあえず見えなくしただけ=その借り物をとったら穴は以前と同じ状態)、

カルト=借り物の自我 に依存しているだけなのです。それは本当の自我でも自信でもありません。

ですから教団を否定することは、自分の心の傷を直接抉られるような強烈な痛みをもたらしますし

(だから批判にあうと簡単に切れる=これこそ自己愛性人格障害&境界性人格障害者の特徴的症状)、

まして自分で教団を否定することなどできません。 「心の詰め物」をとられたら自己崩壊するのです。

依存対象あってこそ、生きてゆけるという状態なのです。

しかも本能的には自分の傷が埋まっていない ことを分かっていますからね。

自分が脆く弱いということを自覚することから逃れるために、教団へより一層のめり込むという図式になるわけです

 

・・・いや、実に上手く仕組まれているのですよ。


例しに、下に紹介するHPをあなたのよく知っている誰かさん(あるいはご自分)と比較して検証してみて下さいませ。

きっと何かの心当たりがあると思いますよ。

境界性人格障害:
http://homepage1.nifty.com/eggs/borderline.html
自己愛性人格障害:
http://homepage1.nifty.com/eggs/narcis.html
 

論理的思考は大脳新皮質が司っています。

一方で前に書いたとおり、カルトの教えは主に大脳辺縁系

(古皮質&旧皮質の総称。動物が人間まで進化する以前の部分。感情を主に司る)に訴えかけるようにしむけられています

(記憶の部分だけ、大脳新皮質に「並立情報」として収められます。

相互に情報が絡み合って新しい情報を生み出す=応用・相転移などという作業は行わないようにブロックされてね)。

脳は使えば使うほど、その部分が発達(成長)するものですが、

しかしだからといって2倍にも3倍にも大きくなるわけではありません。

まったく使わないとしてもフルに使っている者との脳の違いは、

少なくとも日常生活上で支障をきたすほどの差が出てくるまでにはならないでしょう。

しかし「使い方」「慣れ」という面で、日常的に論理的思考をしている者と、まったく使わない生活

(どんな方のことかはあえて言いませんが・・・笑)をしている者とで、実際に差が出てくるだろうことは、

ご自身の経験上でも納得ゆく話ではないかと思います。

で、理系などの仕事や勉強で普段論理的思考を使っている者はどうなのかというわけですが、

これは心理的プロセスとして説明されます

(もっともアメリカでは実際にカルト信者に脳障害が多く見られるという研究もあるようですが、カルトMCとの因果関係はまだ解明されていません)。 

つまりこと教団関係の情報に対しては大脳新皮質で処理しないように、条件反射的にスイッチが切られてしまう(ブロックされる)ということです。

 

原因としては、

1:論理的思考を禁じられることの繰り返しによって条件反射になってしまうということ。

2:論理的思考・批判精神を持つと組織への疑問を持ちかねないことを本能的に感じてその情報が

  大脳新皮質に行くスイッチを切って、大脳辺縁系に送ってしまう(疑問を持つ事への恐怖心が

  深層心理で働いたことによって、あらかじめ危険性を察知したところで切ってしまう)。

3:大脳新皮質で論理的に考え、疑問を持った瞬間に恐怖心によって心理学でいう「否認」あるいは

  「解離(記憶そのものを解離して消し去ってしまう)」が働いて、表層意識では「見て見ぬふり」をしてしまう。


などといったことが考えられます。

脱MCされた方の意見もこの点様々ですが、僕の経験では「3」の方が多いように思います。

(「今まで自分自身に嘘をついてきたことに気づいた」「おかしいと思ったことはあったけど、

それ以上考えることをやめて、忘れるようにしてきたように思う」などという経験談)

ただこれは母数として「3」が多いのか、

「3」まで行っている人だから脱MCできた(論理的思考を使うところまで行っているような人だったから、という意味です)のか、いずれかは判断できません。

ちなみに僕の感覚で言えば、カルトMCにかかっている人は、教団関係以外の場面でも往々にして

理性的な批判能力や客観性に欠ける(脳の問題ではなく「慣れ」だと思いますが)方が多いようで、

簡単に人を信じて騙されたり、マルチビジネスにはまってしまう人を沢山見かけるのですが

・・・これって偏見?(それを純粋でお人好し、世間知らずだと片付ける方が適切でしょうが・・・笑)

 

>カルトの信者が目覚めることは出来るのでしょうか?目覚めた後、数年は人格破壊が起こる気がするのですが。

不可能ではないですが、非常に大変なことは間違いないでしょうね。

まして恋人は思い入れが強いためすぐに喧嘩になって(正面攻撃は御法度なのに)逆効果になることが多いようです。

ただ問題は、カルトMCにかかっている人は、

それ以前に精神医学的な問題点(アダルトチルドレンや共依存症、鬱症など)を持っていることが多いことでしょう。

まして2世となると幼い頃から自我の確立がまったくできていないことが多い(1世と違って「戻るべき人格」がない)

と思われます。

しかし1世でもカルトMCと精神医学上の症状が絡み合っていて、その相乗効果が「バリバリ化」をもたらしているとすれば

厄介であることには変わりありません(おそらくほとんどが大なり小なりそういう傾向をもつと思います)。

仮にカルトMCが解けたとしても(これだけでも大変ですが)自我の確立ができていないと

心の空洞を埋めるため他の対象への依存症(カルト・サーファーといってカルトを渡り歩く人も多数います)

や鬱病などでやはり苦しむことにもなりかねませんからね。

ただしプロのカウンセラーは、基本的に脱MCは受け付けてくれませんし、例えば学会員だと心の病の方から直そうと思っても、そもそも病気を認めないか(学会員たる者、心の病にかかるはずがないとか頑張っちゃってね)、

「カウンセラーなんか駄目。題目で直す!

(本当は 心の病に題目は逆効果なんですが=題目・勤行・活動で分泌される「脳内麻薬」がかえって病を進行させることが多い

ですから)」なんて叫び出すのがオチですから、現実問題としてはどうしても最初にMCから解く必要があると思いますが。

いずれにせよ脱MCをしたところで(恐怖心やら人間不信などを克服し健常な生活を送れるまでの)

リハビリには入会していた年数と同じだけの時間がかかるというのが専門家の経験則ですし、

その上(同時に)心の病まで抱えているとすれば、なお治療に時間がかかることにもなりかねません。
そういう意味で、実に厄介な問題なのです。

脱MCを目指すなら、彼女さんの今後の人生をすべて背負い込む覚悟で臨む必要があると思いますよ。


参考のために以下の本などを読まれることをお勧めします。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4765230716/ref=sr_aps_d_1_1/250-2963402-2333063
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4314007133/qid=1015003896/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/250-2963402-2333063
あやつられる心―破壊的カルトのマインド・コントロール戦略

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4571250177/qid%3D1015003930/250-2963402-2333063
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4313720650/qid=1015003994/sr=1-2/ref=sr_1_0_2/250-2963402-2333063
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4313720480/qid=1015004039/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/250-2963402-2333063

 

カルト信者でも内部批判を一見論理的思考で行う人もいます。もともとは「不満」から端を発してのものが多いのですが・・・。

そういう人のために、教団が用意しているのは「幹部が悪い」「一部の信者が分かっていない」などといって

「スケープゴート」をあらかじめつくっておくこと(統一教会などは意図的にそうやって不満を解消させているようです)。

でも「幹部」「一部の〜」というのは、実は顔がない。具体的に誰々とはなっていないわけ。

 

そんな抽象的な批判でその人が納得してしまうところが、カルトMCたるゆえんでしょうか。

ま、そうやってガス抜きをさせ、逆に「そういった人たちを改善させ、教団をもっと素晴らしいものにする!」

というのを修行だと思わせることで、不満を教団への献身に転化させてしまうわけです。

しかし・・・ある意味そういう不満を持っている人ほど厄介だとも言えますね。というのも、

当人は批判精神を持っているということで「俺は他の(盲信してる)連中とは違う」という優越感や、

「俺だけが教祖を理解してる」という自己陶酔、「組織を改善するのは俺の使命」という使命感、

「俺は教団を客観視できる人間だ」という自負心を、ただの盲信者よりも強烈に抱いているわけですから。

でもそういう人も、

「教団そのものは正しい(ちょっと問題があるだけ)」「教祖は正しい(周囲が無能で教祖の意志を理解していない)」などと、

やはり問題を本当の意味で直視・客観視できていない。

にもかかわらず、「俺こそ客観視できている」「俺は理性的に判断してる」「俺は教祖と直接つながっている・教祖を理解しているのは俺だけ(組織無視)」なんて

、かえって凝り固まった信心をして、それで満足している・・・。

この種の人のプライドは、盲信者よりもずっと高いだけに、脱MCはよけいに大変です

(当人が「客観視してる」「外部の感覚と同じ」と錯覚しているだけにね)。

論理的思考を使う職業(学生)の方や、自称インテリなどの信者はこういうパターンにはまることが多いようにも思えます。

 

要するに批判精神・論理的思考が中途半端なところで終わってしまい、「教団(教祖)そのもの」の直前で

論理的思考のスイッチが切れて(切って)しまうわけです。

結局この人も、「正しいと信じている=まず最初に正しいありき」(カルト信者の思考法)からは一歩も出ていないわけです

(本当に論理的思考ができるなら「正しい」から「信じている」になるはずですがね)。

結局、とりあえず分かって頂きたいことは、カルト信者の心を縛っているのは「二つの恐怖心」であるということです。

 

すなわち、

1:カルト・マインドコントロール特有の恐怖心で、「やめると不幸になる」「裏切ると地獄墜ち」など、

  様々な会合や信者同士のうわさ話などで 刷り込まれた恐怖心。

2:精神医学で依存症患者などに見られる「自己崩壊・自己喪失の恐怖心」。 つまり自らの存在を確認する

  対象(依存対象)を失うことで、自分の存在そのものがなくなってしまうような強迫観念。

  心の空洞を埋めていた「詰め物(借り物)」がなくなる事への恐怖といってもよいでしょう。

 

両方とも当人にあまり自覚はなく、むしろ潜在意識下の恐怖心となっていることが多いから厄介です。

「1」は明らかに後天的に教団から刷り込まれたもの。

「2」は誰もがある程度持っている人間の心の病巣に直接作用するもので、教団の教えではなくそもそもその人の持っている心の問題に起因するもの(もっとも意図的に教団によって自我が破壊され、そういう心の病をもたらされたという場合は教団の責任といってもよいでしょうが)。

しかし「2」の傾向を多く有するものほど、「1」のような超自然やオカルト的情報の影響が大きいと言われていますから、そういう意味で両者は密接に絡み合っていると考えることもできるでしょう。

 

また、カルト信者のモチベーションとして

(恐怖心ほどの拘束力はないですが)「使命感」というのも大きな力を発揮します。

「俺は神(教祖・宗祖)に選ばれた人間だ」「世の中を変える使命を持って生まれてきたのだ

(それに気づかせてくれた教団に感謝)」といった使命感・義務感です。

これは特に自我の確立されていない人(自分に自信がないですから)にとっては大きな意味を持ちます。

「自分はこの世に存在してて良いんだ!」「このために俺は生まれてきたんだ!」という自覚は、

心を高揚させ、自己存在を確認させてくれるわけです。 だからこそ「教団なくして生きられない」のです。


ですから脱MCには「二つの恐怖感」を克服させるためにも、「使命感」に替わる新たな人生の価値を自覚するためにも、

カルトの価値観に替わる新たな価値観(人生観、社会観)を呈示し、生きる目標を見つける手伝いをしなければ、

最終的にその人をいたずらに混乱させるだけでしょう。

そういう意味で、精神医学的な「心の病」の治療とリハビリなくして本当の脱MCにはならないと思います。

さて自我の確立について、もう一つ考えなくてはならないのが、教団の「共同体意識」「同志」です。

一般に自我が不鮮明で、自分に自信のない者ほど、他者によって自分の存在(価値)を確認しようとします。

また元々そういう人は人間関係を築くのが苦手だったりします。

そういう意味で教団のもたらす人間関係は心地のよいものなのです。

 

同じ使命を持ち、同じ方向を見て 共に手を取り合って生きてゆく仲間(同志)であり、皆、自我が不鮮明なものですから

依存・共依存的な密接な付き合いでお互いがお互いの存在を確認し合っているというわけです

(境界線がない者同士なので、健全な自立した大人同士の付き合いではありません)。

しかし外部から見ると、その付き合いは実は極めて脆くはかないものに見えます。

なにしろ教団を辞めた途端に「敵・裏切り者」になってしまうのですから・・・つまり「条件付きの友人関係」というわけです。

しかしそういう自己の確立できない人ほど、そんな「分かりやすい関係

(教団にいる限り同志でいられる点、煩わしさがなく、簡潔明瞭)」を求めるもので、

また逆にそういう関係だと無意識に分かっているからこそ教団を辞めることができないわけです。


彼らの関係は、お互いの心を見つめあう関係ではなく、皆が教祖(トップ)を見ているという関係です。

しかも依存・共依存関係では、所詮他人は自己確認のための存在にすぎません。

だから同志の面倒を見るのもそれで感謝されたり誉められたり、「あの人のためになっている」「あの人は私がいなきゃ」

と思えることで自分自身の存在の大きさを確認しようとしているわけで・・・これも条件付きの親切ですね。

ですから相手の心の中まで平気で土足で上がって、親切(慈悲・・・涙)の押し売りをすることもよくあります。

元々他人との境界線がないですからね・・・。で、たまに相手も土足で踏み込んでくることをかえって喜んだりして

(相手も境界線がないので、むしろあちらはあちらで自分の存在確認となるわけ)。

学会で言えば、折伏の強要や深夜のアポなし家庭訪問など、明らかに社会マナー・ルールに反する行為でも、

教団によってそれを「正当化」してくれるので、よけいに「親切の押し売り」がまかり通ってしまうわけで、

まったく弱ったものです・・・それが「社会で通用する」と勘違いしてしまうだけにね。

 

そういう意味でも、「そういう人間関係が健全なものではない」ことを頭と身体(体験)で教えることが必要ですし、

根本の原因である「自我の確立」を図らなければ、自己の喪失感ばかりが募ることにもなりかねません。

ですから「無条件の友情・愛」を身をもって示し、自信を持たせることが大切です。

・・・ま、「無条件の愛」は外部にとっても「言うは易し」ですけどね。。。(汗)

 

いずれにせよここのあたりの対応も、精神医学や心理学の手法が参考になると思います。

  

 

 

 


 

 

< 妙智會のMC実例 >

 

私は、元、妙智會(ミョウチカイ)信者で、支部長の母親を持っている者です。

この宗教(というよりすべてのカルト教団)の手口をお話します。 現信者さんが一日でも早く目を覚ましてくれるよう心から願っております。

 

妙智會の支部長は「先祖因縁」が見える。さらに徳を積むと「霊界の声が聞くことができる」といいます。

しかし、支部長(法座主)になるには結局は○○人以上導き(勧誘)できた人間でありいたって普通の人間が支部長をしています。

毎月法座を開き、信者さんに導きをさせ新しい信者獲得をめざします。 その際、連れてくる人のバックグラウンドを導いてきた人にある程度聞いておき、

相談の際「兄弟に自殺者がいるでしょ?」や「先祖はガンで亡くなってるでしょ」などとあたかも霊界から教えがあったように伝えます。

 

もともと悩みがある人が藁をもすがって来るので、暗示に掛けるにはもってこいの方法でしょうね。

そして、初めはお経巻を少し読んでみよう!!と誘い次来たときに「どう?」と聞きます。

相談者が「気持ちが楽になった、良いことがあった」と言えば「お経巻を少し読んだだけでこの効果。頑張ってご供養してみましょうよ!!」といい

相談者が「まだ調子が悪い」と言えば「先祖が苦しんでるの。しっかりご供養しないとずっと解決しないまま!!」と

 

どうあっても先祖供養に結びつけていきます。

 

また妙智會は宗戒名という妙智會だけの戒名を先祖一人一人につけますが、それは支部長がやります。

支部長である母はその資格がある!!と喜んでいましたが、要は妙智會本部が全国の信者の先祖の一人一人に戒名なんてつけるヒマがないので

支部長という手足を使っているにすぎません。

繰り返しますが母はいたって普通の人間であり宗戒名もある程度マニュアルに従い付けています。

 

ここであるガンで亡くなっていった信者さんの話をします。

 

その人は余命半年といわれていました。藁をもつかむ思いで導かれて来ました。 妙智會ではガンの因縁や病気にも戒名をつけ因縁を断とうとします。

ここがポイントで、余命宣告を受けているようなガンなどは「20家」導きをして先祖に守ってもらわないといけないといいます。

昨日今日きた人に20家(20人)の勧誘をさせるわけです。

本気で治したかったら親戚でも恋人にでも真剣に頼めばできる!!と発破をかけます。 あたかもその先に「光」があるかのように‥。

その人も体がきつい中18家の導きをしました。

そして支部長の言うとおり朝夕のお勤め(読経)と陀羅尼経、三部経と毎日上げていました。 そして、努力の甲斐もなく9ヶ月後息を引き取りました。

 

母は言いました。 「あと2家きちんと導けていたら‥」「でも彼女は妙智の守護のおかげで余命半年よりもはるかに長生きできた!!」と。

その瞬間私はぞっとしました。本当にそんなことであの人は助かっていたと思っているのでしょうか?

あの人はきつい体に鞭を打って毎日毎日お経を上げていたんです。助かりたい一心で。

 

でも本当は残された貴重な時間をもっと違う事に使いたかったのではないのでしょうか?

真相はその人にしかわかりませんけど‥。

 

この事から私は妙智會を始めすべてのカルトに対し嫌悪感を抱くようになりました。

 

ある日、母に「本当に20家集めていればあの人は助かっていたと思う??」と聞いたところ

「無理だったでしょうね。20家といっても真剣に心からお経を上げる人が20家だから。 だからこそ、常日頃から導きをしないといけないのよ」

とあっさり言いきったのです。 なら、ガンで困って頼ってきた人間なんて絶対に助かりようがないじゃないですか!!

 

カルト教団はこういう風に必ず逃げ場を作るのです。

導きが足りなかった、ご修行が足りなかった、因縁が強かった‥ なんとでも言えるんですよ。

 

最終的には「私にもっと力があれば‥」と涙を見せるのが母の手口です。

 

長くなりましたが、こんなものは手口の一つにすぎません。 もっともっと巧妙な方法で悩める人間に対し洗脳していきます。

そういう方法を支部長会で相談しあっているのですから。 ある意味支部長って人たちも被害者なんです。

 

先祖供養のために今の時間を無駄にしないでください。 先祖供養はいつも先祖を悔やみ、たまの墓参りなどで手を合わせるので十分です。

 

カルト教団はいい事、奇跡的な事は教団のおかげ。悪いことは因縁のせいにします。 けれど人生なんていい事も悪い事もあたりまえの確率でおこるんです。

わざわざカルト教団に足を踏み入れ、自分から窮屈な人生にしないでください。 いい事も悪い事もすべて自分の人生です。

 

 

 

 

E N D

 

 刈人宗教解析倶楽部