撲  滅  !  中  国  共  産  党

 

 

 

 

 

F R E E T I B E T

 

 


 

 

 


 

 

チベットは、元代に中国の支配を受け、その後、清になるまで支配を受け、ダライラマとパンチェンラマは清朝の皇帝が任命した。

清の滅亡後、インドを支配していた英国はチベットへの侵攻を図ったが果たせず国民党政権の支配下におかれた。

その当時までは農奴制の社会であり、少数の農園主が支配しており、多くの民は奴隷同然であった。

寺院は農園主からの寄進で成り立っており、ダライラマはその頂点にある存在であった。

 1950年に英国の進入を継起に中国人民解放軍はチベットを侵略した。チベットは軍事制圧された。

その際中国人民解放軍は、夥しいチベット文化の破壊・略奪とともに、チベット族の大量虐殺がおこなわれ、その後チベット自治区が設置された。

現在も中国共産党による「民族浄化」が行われており、その総数は120万人以上といわれ、ナチスの行なった民族浄化と同規模とされている。

 

現在のチベットは鉄道も開通し、高速道路も建設され、中国政府は観光客の誘致を図り、チベット文化の破壊が継続されている。

日本からの観光客も多い。チベット亡命政府は 中国共産党、および人民解放軍は未だにチベット族の虐殺を繰り返していると主張し、人権尊重を訴えているが

中国共産党は虐殺や民族浄化を継続している。

 

 


 

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1959年の3月チベットの首都のラサで、中共は「民主改革」という名の新たな大虐殺を開始し、
チベットの民衆を幾つかの階層に分け、「富裕階級」は撲滅すべき階級で、「下層階級」でも処刑に反対すれば同罪とした。

一般民衆の犠牲者は120万人に及ぶ。

中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術によって奪う事)」や「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ事)」

等の「民族浄化」に力を入れた。

 

「密告制度」と「人民裁判」が導入され、人の罪を密告しなければ自分が密告されるという相互不信の状態を作り出し、
家族に於いては子供は両親の、両親は子供の罪を糾弾せねばならなくなり、民衆の新しいリーダーとされた乞食達は、「富裕階級」を次々と摘発した。

そうして連行された人々は特別人民集会に呼び出され、前もって中国側が作成した「罪状」に基づき、「犯罪者」として告発された。
集会に参加した人々は、その告発通りに非難し、殴り、唾を吐きかけ、髪を引っ張り、数々の辱めを行なわなければならない。

その模様を中国人担当者が詳細にメモし、最も激しく非難した者は「進歩分子」と評価され、非難が甘い者は批判される。
同情を寄せたり、弁護した者は「犯罪者」と同じ運命を辿った。

その「犯罪者」達は公開処刑、或いは飢餓状態に置かれ、苦役の末に死亡、又は自殺に追い込まれた。
「犯罪者」とされた人々の多くは、チベット仏教を放棄しなかったという理由が「罪状」だった。

 

 


生き残った証言者によると、「親の死体の上で子供に泣きながらダンスをさせ、人民解放軍はそれを笑いながら銃殺」した。

 

 

ある者は目に釘を打ち込まれて殺された。
ある者は後頭部を打ち抜かれ、脳味噌が飛び散り、飛び散った血と肉塊を見た中国人達は「花が咲いた様だ。」と言った。

ある者は首を残して生き埋めにされ、泥の圧力で顔から眼球が飛び出し、中国人はその眼球を切り取って眺めた。
多くのチベット人が投獄され、

この様な残酷な扱いに耐えかね、自殺者は9000人に上り、生き残った投獄者も強制労働収容所に入れられ、「反乱反対」の学習を強制された。

そこに住み、民衆の尊敬を受ける僧侶達は、糞を食べたり、小便を飲む様に強制され、人々はその光景を見る様に強要された。
反抗した僧侶達は次々と虐殺され、絞首刑の際には首を絞める重りに仏像が使われ、

「仏がいるなら助けてもらえ」と言われて、高所から蹴落とされた。
尼僧は、警棒の形をした5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ、彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。


「ジュネーブ法律家国際委員会」が受理した供述書によると
「何万というわが国民が殺された。軍事行動においてばかりでなく、個人的に、また故意に殺されたのである。(略)

彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、生きながら焼かれた。

溺死させられたり、生きたままで解剖されたり、餓死させられた者もあった。

絞め殺されたり、首を吊って殺されたり、熱湯による火傷で殺された。

又、ある者は生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたり、首を切られたりして殺された。

 

 

 

こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。

犠牲者の友人、隣人、同じ村の人々は、それを見物する様に強制され、犠牲者は自分の家族や知人が見ているその目の前で、殺されたのである。


 

 

以上の様な徹底的な弾圧により、4500あった寺院の99%が破壊され、現在残っているものは中国の発表でも45しかなく、
15万人いた僧侶も、中国の発表でも1400人程度となっている。

 

 


 

 


更に、中国政府はチベット移住を奨励した。

中国人の囚人もチベットに移住するなら釈放され、

今ではチベット人の人口をはるかに上回る中国人750万人が移住し、人口が逆転している。

この様な中で、チベット人の子供にはチベット語の名前を命名する事も許されず、
学校ではチベット語の授業は制限され、チベットの文化的・民俗的価値観は教えられず、

共産主義イデオロギー教育が行なわれている。

中国人により、もたらされた虐殺・餓死などによるチベット人の死者は、約128万人と言われ、
「民族浄化」は着実にその成果を上げている。

ちなみに侵略や粛清、失政による飢餓など、歴史上その数において世界最大の虐殺者は、まぎれも無く中国で、

 

犠牲者は自国民、他国民含め4000〜6000万人と言われる。

 

 

 

* 北京オリンピックと人権と 

 

* チベット動乱〜北京五輪出場への条件〜 

 

* チベットにおける大虐殺事件 現在も続く悲劇と中国共産党の罪 

 

* 天 安 門 大 屠 殺 画 像 

 

* チベットではこんなことが起きている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知り合いの中国人から聞いたんだけど、チベット人にしてきた虐殺行為を中国政府はチベット人が中国人にやってきた行為だと教えているそうで、

ダライラマは独を貫きたいだけの変人みたいに教わったって。

まあそいつはすぐ洗脳から解いてやったけど 可哀相だけど中国人には単なるテロにしか見えないように放送されていと言ってたっけな。

ちなみに中国人の殆どは政府が嫌いらしいけど、まさか歴史で嘘を教える程とは思ってなかったと言ってた。

 

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95年にダライ・ラマ14世は、ゲンドゥン・チューキ・ニマというという当時6歳の少年を、

ダライ・ラマに次ぐ地位である高位のパンチェン・ラマ11世と認定しましたが、

その直後に少年とその家族全員が中国政府にとって拉致され、消息はいまだ不明です。 文藝春秋2008年9月特別号 P102

 

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四川大地震。 親の1人が人権運動家に救いを求めた。「校舎の倒壊は建設業者の手抜きではないか」

運動家は、親の言い分をネットに載せた。

数日後の夜、二人の私服公安部員が運動家の家の戸を叩いた。「ちょっと来てくれ」・・ 諸君!2008年9月号 P16

 

 

 

E N D

 

 

差別 人権侵害 陵辱 虐殺 その是非 

 

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