パワーハラスメント

 1984年にセガの会長に就任した大川功の理念は、
 「人が全て」
 「人生観=経営観」
 「めぐり合いを大切に」
 「技術の前に人ありき」
 「人生は感動の歴史で綴れ」

等といった、「人が事業の基本である」というものである。しかしながらこれらは、一聞して受けるであろう印象である、「人の意見を聞き、また、人を育てる」という意味を持つのではない。その真意は、「自分の言う事を聞かない者は傍に置かない」という独裁主義を意味するのである。そしてこれこそが、セガの体質の一つである、パワーハラスメントの常態化の元となったのである。

 バブル崩壊後のリストラ推進期である1990年代に、退職金での支出を抑えるため、対象者を自己退職に追い込む事を目的として、対象者を通称「座敷牢」、または、「パソナルーム(自己研修部屋)」と呼ばれる「人事調整室」(「内線電話が1本あるだけ(外線は繋がらない)」、「私物の持ちこみは禁止」、「外出には人事部の許可が要る」、「地下室なので窓がない」という、16畳ほどで長机が2つ並べられている部屋)に入れ、始業から定時までそこで勤務(といっても、事実上仕事は与えられない。つまりは軟禁状態)させるという、パワーハラスメントを行うようになった。
 勿論、その対象者は、能力不足で仕事が出来ないというわけではなく、事実、その部屋へと上司や関係者が仕事上の問い合わせに来る事も有った。
 この「パソナルーム」に関しては、フジテレビ系TVドラマ「彼女たちの時代」(1999年7月7日〜9月22日放送)の中で椎名桔平が勤務していた部屋として再現されている。

 1998年12月にこの勤務を命ぜられ、翌1999年1月に退職を勧告された男性社員(洒井敏之、当時35歳)は、これに対抗するため労働組合に加入したが、セガ側は同3月に解雇した。これに対して、その社員は東京地裁に提訴した。

 こうしたパワーハラスメントは、1999年6月頃から週刊誌などに取り上げられるようになり、世間からの風当たりが徐々に強くなった同8月に、セガはこれらの対象者を他の職場に移して、騒動を収めようとした。

 しかし同10月、裁判は「解雇無効、賃金支払い」という、原告側の全面勝訴判決(セガ側の全面敗訴)で終わる。「セガが雇用関係を維持する努力をしたと評価するのは困難で、解雇権の乱用である」というのが地裁の判断だった。
 この結果、セガは「パソナルーム」の呼び名を「人事部分室」に変えざるを得なくなったが、その後も同様の事は続けられた。また、セガ側はこの判決を不服として上訴し、再び敗訴するという事を繰り返した。

 2000年6月、大川功が社長を兼任する事になると、さらにその独裁は加速する。

 また、「『パソナルーム』を社内に作らなければ良い」と都合の良い解釈をしたセガは、2000年7月に労働組合員の女性職員から、「顧客への電話対応が悪い」という理由で仕事を奪い、8月1日に自宅待機を命じた。勿論、仕事は与えられないが、9時から17時45分までの勤務時間中は、いつ掛かってくるか分からない会社からの連絡のため、外出もできなくなっている。事実上の自宅軟禁なのである。
 その際、セガがその女性職員に送りつけた自宅待機命令書には、「なお、今後のことも検討され退職する場合は次の退職金を支給しますので念のため申し添えます」と退職金の計算を書き添え、露骨に退職を迫っていた
 この女性職員は、同9月に東京法務局人権擁護部に人権侵害の救済を申し立てた。

 また、2000年12月には秋葉原等で「酒井さんを職場に戻す支援共闘会議」なる人達が、
 「セガの洒井敏之さんを座敷ロウと名づけられたパソナルームに閉じ込めた上解雇」
 「千葉の営業用ゲーム機の工場を今年で閉鎖。希望退社しない者を仕事を取り上げ隔離」
 「来年3月末に千数百名を解雇。別会社に転職させる計画。しかしそれには本人の同意が必要な協定を過去に作ったのに今になりその協定を破棄すると労働組合に通告」
 「酒井さんは裁判で2度の解雇無効を勝ち取るもセガは未だ拒否」
等と書かれたビラを配布するという支援活動を展開した。

 世間的な評価が悪化しつつあったセガだが、2001年3月期にドリームキャスト事業撤退で800億円の特別損失を計上するのに対して、大川功個人が850億円の資産を贈与することを決めた事や、同3月16日に死去した事を美談として大々的に宣伝する事によって、その風潮を薄れさせる事に成功した。

 一方、パワーハラスメントは一向に終わる様子は無い。
 セガに籍があったものの、事実上は流通部門の関連会社に出向させられていた12人の社員に対して、会社側は2000年12月に出向先への転籍を通達。当人達は同意しなかったが、移籍期限である2001年3月31日付けで出向を解除され、本社3階の会議室で待機を命じられた。「酒井さんを職場に戻す支援共闘会議」がビラに書いていた通りの展開である。
 出向解除の辞令には「当面業務はありません」と書かれ、その待機させられている会議室には、長机6台、椅子14脚、パソコン1台、内線電話1台があるだけで、まさに「パソナルーム」の再来であった。

 セガは1995年に労働組合と「転籍については本人の同意を得る」という条項を含む協定書に同意していた。また、転籍は判例上も本人同意が必要である。
 会社側は、これらを無視して転籍を強要し、同意しない社員にはパワーハラスメントを行っているというわけである。

 また、本社の部門閉鎖に伴う希望退職に応募しなかった5名の社員も、休業命令を受けて賃金を30%カットされた。これら合わせて17人の社員が、それぞれ300万円の損害賠償と業務命令の無効、被待機命令者は元の仕事への復帰、被休業命令者はカット分の賃金を求めて、2001年4月に東京地裁に提訴を行った。

 以降、同様の労働事件/提訴は起こり続け、こうしたセガの体質は、今現在に至るまで変わっていない。



 かつて「大川興業」と揶揄されていたその体質は、未だに健在という事だ。
 早期退職制度を工夫した方が長期的には良い結果をもたらすなんてのは、多くの企業で既に実証されている事なのに、セガは未だに亡霊に踊らされている。まるで、戦後ソ連の「日本人総陳腐化計画」に踊らされている、日本の教育制度と似たようなものか。
 裁判になる度にセガ広報がノーコメントを通すのも、ユーザの苦情に対してテンプレートしか返さず、状況の開示も行わず、むしろユーザ側に責任転嫁するカスタマサポートと良く似ている。


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