朝木明代議員とは?

朝木明代議員は95年9月1日、東村山駅前ビルから落とされ殺害されました。
 《 謀殺された朝木明代議員とはこんなひと 》

 
1 朝木明代議員のプロフィール

1944年 東京都生まれ。

      ▼ 市立東村山中、都立武蔵高卒。
      ▼ 銀行勤務、結婚、3児の母。
      ▼ 子育て期から、「都市型公民館」づくり、地 
       域子供文庫、子供会活動など、社会教育や
       高齢者との食事会、高齢者向け「ミニコミ紙」
       (「まつかさ」)編集、障害者団体のボランテ
        ィアなど社会福祉の分野で、市民運動。
      ▼ 団体推薦で社会教育委員(行政委員)に。

1986年   中山千夏さんの参院選挙(東京都選挙区)   
        を応援(東村山市の責任者)。
1987年   東村山市民新聞を復刊。
1987年4月 東村山市議会議員選挙に立候補(無所 
        属)。当選(28名中、最下位)。
1991年4月 東村山市議会議員選挙、トップ当選。
1992年   「下水道対策会議」問題で、
        創価・公明批判を開始(東村山市民新聞35号)
1995年4月 東村山市議会議員選挙、トップ当選。
1995年9月 東村山駅そばビルから落とされ、
        何者かに謀殺される。午後10時ころ。
  
2  朝木明代議員の活動と理念

(1)はじめに

 朝木明代議員は、1987年4月の東村山市議選での初当選以来、連続3回当選し、うち最近の2回は、2位以下を大きく引き離して、連続トップ当選し、有権者から大きな支持と信任を得ていました。
 2期目で、トップ当選した91年ころからは、東村山市だけでなく、地方議員でありながら、全国から、その活動について、講演依頼や取材申し込みが数多くありました。
 また、女性の地位向上や政治参加を目的とした「市川房枝記念会」の会員(維持員)として、記念会主催のシンポジウムで、報告を行うなどの活動を行っていました。 

(2)活動の理念

 最近は、市民の活動として、情報公開条例を駆使した行政や議会に対する監視の活動が行われていて、珍しいことではありませんが、朝木明代議員が、市議会議員に初当選した1987年当時は、全国的にもこのような活動は、行われていませんでした。
  しかし、情報公開条例はありませんでしたが、にもかかわらず、朝木明代議員たちは、東村山市という地域で、行政・議会に対する監視の活動を実際に行っていったのです。

 もちろん、東村山市では情報公開条例は制定されませんでしたし(東村山市は都内23区、27市のうちで、一番最後の昨年7月施行です)、
  朝木明代議員たちが、「ムラ議会」と呼んだ遅れた議会、つまり、「群れて、法令すら無視し、恣意的で身勝手ご都合主義の運営がまかり通る議会」の「ムラ議員」たち(この中には、もちろん、公明議員も入ります)が、大手を振って歩いてましたから、朝木明代議員たちの活動が、どのくらい困難なたたかいであったかは、おしてしるべしです。
 しかし、朝木明代議員のような自分の住む足下の地域で、これを地域の人たちと一緒に変えていく活動(草の根民主主義)こそ、国政を変えていく基礎であり、大切な活動であることは、6月25日投票の衆院選挙の東京20区の開票結果が、わたし達にしっかりと教えてくれていると思います。
 
 朝木明代議員そして朝木議員を支えた矢野穂積議員(当時は「東村山市民新聞」編集長)は、議会の中では、朝木明代議員が、議会の外では、矢野編集長が東村山市民新聞で、両輪の活動を行いましたが、その活動の理念の柱は、おおよそ、つぎのようなものです。

@政治倫理を自他ともに厳しく実行する。
A行政や議会の情報公開と運営の透明化
B税金の使途の監視
C特権(議員などの)、利権の排除
D非暴力絶対平和を目標とする。

そして、これらの柱に基づいて、次のような政策の実現や、活動を行ったのです。

A 任期中の議員報酬の「お手盛り値上げ」に反対し
 値上げ分は返上する。(朝木明代議員以来、現在の
 矢野穂積議員、朝木直子議員もこれを受け継いでい 
 ます)
B お茶菓子程度も含めて、金品はいっさい受け取らな
 い。接待は一切お断り、コーヒー(喫茶店などの)を含 
 めて、飲食したものは自費で支払いをする。逆に、お
 ごることもしない。  
C 議員の「公費視察」、「研修旅行」の廃止を求め、参
 加しない。
D 各「交際費」の使途公開と、不正・不当支出の是正
E 議会の会議の完全公開
F 職員給与の違法支給の追及、是正
G 各種補助金等の違法・不当支出の是正
H 税金・負担金の恣意的免除の追及、是正

 この問題では、当時の市長などの雑木林が、開発の規制もないまま、固定資産税が免除されている問題などとあわせて、朝木明代議員は、創価が日蓮正宗から破門されていて、都知事(当時)から認証されている創価の「規則」が事実に反する不実記載となっていて、「宗教法人」の実体がないのに、なぜ「東村山創価文化会館」の固定資産税が非課税のままとなっているかということを、厳しく追及していました。

 I 市有地の不正払い下げ、不正使用の是正

  最近の例としては、市民からの通報で、1900円のTシャツを盗まれたと届け
出た、あの「洋品店」の戸塚店主が、駅近くの市有地(駐車一台が月一万円以下では
絶対にない)を不法に占有して、駐車場として3年間も違法使用し、「駐車の権利が
ある」と頑張っていた問題を、追及し、東京地裁は駐車はできないことを、洋品店主
に認めさせました。

J 市職員の不正採用、違法発令の追及
K 違法・不当な「天下り」の是正
L 市嘱託職員自身による市民講座講師兼任、報酬不
  正支給の是正。
M 市立中学でのいじめ事件の被害者が加害者扱い
  された事件の追及
O 小学校教師体罰事件の追及
P ごみ業者と公明党との癒着の追及、ごみ関係事業
  の入札制度実現等、透明化
Q 高齢者向け民間アパート借り上げの制度化
R 学校給食活用の高齢者向け食事サービスの制度 
  化(通所型も含む)
S 「高齢者向け施策」のための果実活用の「高齢者対
  策基金」
T 緑地保存の制度化
U 憲法9条2項の実現(災害救助隊等への自衛隊の
  改組)

(3)基礎理念としての「草の根民主主義」

 朝木明代議員や矢野議員の議員活動および東村山市民新聞の発行の活動は、発生史的には一種の地域の「ボランティア活動」(社会教育、社会福祉)の発展していったものであり、その点からも、草の根に支持された活動だといえます。
 が、その結果、草の根に根ざしてることから、朝木明代議員たちの活動は、自然と、組織や集団に群れて、一人または少数の指導者に盲目的に従い、「単一」の「スローガン」を叫ぶようなこと(「全体主義」)を排し、ひとりひとりの市民が、主権者として、時代に流されることなく発言し、自分自身で判断し、そして行動する「自立した批判精神」をもつ市民として共に育っていくことを目的としたものになっていったということができます。

 朝木明代議員たちは、自分たちの地域での活動のこと、これを「草の根民主主義」と呼び、無所属ですが、議会内で届けた会派の名称を「草の根市民クラブ」としたのも、理由があったのです。

 このことから、東村山の市民の皆さんは、朝木明代議員やこれを支持するひとたちのことを「草の根」と呼んでいるのですが、政党のような後援会の組織はありません。

 その意味では、匿名という点は別として、インターネットで、積極的に発言している皆さんの意識と通じるものがあるように思います。公明党の浜四津議員が、インターネットの「掲示板」について、規制をすべきであるかのような発言を国会でしたのは、全体主義体質の集団は、インターネットの「掲示板」の批判精神が許せないからだということをはっきりと証明しています。あの危険な「盗聴法」を推進する理由が彼らには、あるのです。

 朝木明代議員の活動の基本理念は、「草の根民主主義」であるということを紹介し
ましたが、朝木明代議員は、その議員としての活動の中では、思想信条を越えて、権利侵害を受けた被害者や弱者を支援しました。
 支援をしてもらった市民の中には、日照権侵害の被害者を始めとして、多くの創価信者が含まれていることを、指摘しておかなければなりません。創価信者で、朝木明代議員はもちろん、矢野穂積議員そして朝木直子議員のことを悪く言う前に、この事実を調べてからに、してほしいものです。

 朝木明代議員の「草の根民主主義」は、朝木明代議員が議員として議会内で活動し、他方、東村山市民新聞が「コミュニティペーパー」として、主に改革すべきネガティブな側面での切り口が多いのですが、一般市民に行政・議会の情報を伝達し、また、市民からの情報を、掲載することによって議会・行政をガラス張りにしていこうとしました。
 
 しかし、改革を拒もうとする「ムラ議員」たちは、数の力で、必死に抵抗し、その先頭に立ったのが、問題の「公明党」だったのです。朝木明代議員を放っておくと、創価文化会館の固定資産税非課税問題は、また、追及され、3社とも創価系のごみ業者の利権化している問題も、早く、市が競争入札制度を実施するよう追及されかねないからです。

  とはいえ、朝木明代議員たちは、これらの改革を拒む動きが強く議会内では解決できないような場合は、地方自治法(242条)に基づいて、住民監査請求や「住民訴訟」も積極的に活用し、裁判所で、違法認定判決や、勝訴判決を得ているほか、住民監査請求についてはこれまで、約30件提起して、そのうちの約3割が認容されるという全国でも例がないほどの高い認容率を上げています。
 そして、監査請求したとたんに、行政側が自発的に、問題を是正した例なども多くありますので、実質的に、実現した改革は約7割近くに上り、市に取り戻した公金は7千万円をこえる金額となっています。これも、全国には例の少ないもので、「草の根」の追及の迫力のインパクトは、不正や違法を働く側からすれば、たいへんな脅威だったことは、間違いないでしょう。
    朝木明代議員の
   議員報酬お手盛り引き上げ分
      返上合計額は                               
         ¥ 8,275,740
 朝木明代議員は、1987年4月最下位で初当選し、1991年、1995年と連続トップ当選しましたが、1995年9月1日、西武新宿線東村山駅前のビル上層階から何者かに落とされて殺害されるまでの1987〜1995年までの返上額です。
  95年9月までに、朝木明代議員は、議員報酬値上げやボーナス2割お手盛り上乗せに反対し、議員報酬お手盛り値上げ分やボーナス上乗せ2割分全額を返上しました。
 1987年5月〜1995年9月までの返上合計額は、
  ¥ 8,275,740です。 
矢野議員と朝木直子議員も
朝木明代議員を受継いでいます。

  矢野議員と朝木直子議員の報酬返上額


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