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世界の歴史教科書における太平洋戦争の記述

各国の代表的な歴史教科書における記述の抜粋

中国】【台湾】【韓国】【フィリピン】【シンガポール】【インドネシア


【中国】

 ●日本帝国主義はなぜ一歩一歩中国に侵入できたのか

 1929年、資本主義世界に深刻な経済危機が発生し、日本帝国主義は経済危機を脱するために、中国への侵略のステップを速めた。東北に駐屯する関東軍は、31年9月18日夜、南満州鉄道柳条湖の1区間の線路を爆破し、逆に中国の軍隊が破壊した、と事実無根のことを言った。彼らはこれを口実に、東北軍の駐屯地を砲撃し、瀋陽の町を占領した。これが「918事変」である。

 ●蘆溝橋事変とは何か

 37年7月7日夜、日本侵略軍は北平西南の蘆溝橋に向かって侵攻し、かねて謀っていた全面的中国侵略戦争を開始した。中国の軍隊は奮起し抵抗し、全国的な抗日戦争がここから勃発した。「蘆溝橋事変」、またの呼び名は「77事変」である。

 ●南京大虐殺

 日本軍は南京を占領した後、南京の人民に対し、血なまぐさい大虐殺を行い、大きな罪を犯した。ある者は射撃練習の的にされ、ある者は試し切りの対象にされ、ある者は生き埋めにされた。戦後の極東国際軍事法廷の統計によると、南京占領後6週間のうちに殺戮された無抵抗な中国住民と武器を捨てた兵士は、30万人以上に達した。

(初等中学校教科書「中国歴史 第4巻」=人民教育出版社)

【台湾】

 ●日本の権力支配

 1895年の台湾総督府成立後、日本政府は台湾に対し不平等待遇政策をとり、また総督が行政、立法、司法、軍事大権を総攬する総督専制の体制を作った。

 ●皇民化運動

 1937年中日戦争が勃発し、台湾は日本の南進政策の基地となった
兵力の供給源問題を解決するため、日本は「皇民化運動」を実施した。台湾人が日本式の生活習慣を身につけることを奨励し、日本語を話し、日本姓に改め、日本の神々をまつるなどの方式で台湾人の同化に拍車をかけ、日本国民の愛国心と犠牲的精神を持たせた
 太平洋戦争勃発後「皇民奉公会」が成立して、台湾人民を戦時体制に組み入れ、その後さらに台湾において徴兵制を実施し、日本軍の侵略性と暴力文化が存分に現れ出た

(国民中学3年下期「社会3の下」=仁林文化社)

【韓国】

 ●民族の受難

 国権を強奪された後、我が民族は日帝が設置した朝鮮総督府の強圧的な武断政治を受けなければならなかった。朝鮮総督は立法権、司法権、行政権、軍事権を掌握し、憲兵警察を動員して我が民族の自由と権利を踏みにじり、土地と資源に対する収奪を行った。
 3・1運動以後、日帝はいわゆる文化統治を掲げたが、それは偽装された民族分裂政策に過ぎなかった。日帝は大陸侵略を本格化して以降、民族抹殺政策を推進しながら、物的・人的資源を過酷に収奪した。
 しかし、我が民族は日帝の過酷な支配に屈せずたゆみなく独立運動を展開した。

 ●民族抹殺政策

 太平洋戦争を遂行するため「日帝は戦時動員体制を発動し、我が民族を戦場に動員していった。また、韓国語の使用を禁止し、日本語だけを使うようにし、わが歴史教育も禁じた。私たちの名前までも日本式の姓名に変えた。このような日帝の蛮行は世界史に前例のないことだった。
 日帝は韓国人を強制徴用で連れて行き、鉱山や工場で大変な労働を強要し、志願兵制度や学徒兵制度、徴兵制を実施、多くの青年たちを戦場に連れて行った。
 日帝は多くの数の女性たちを強制的に動員し、日本軍が駐屯していたアジア各地域に送り、従軍慰安婦にして非人間的な生活をさせた。

(「中学校 国史」=国史編幕委員会)

【フィリピン】

 ●日本によるフィリピン占領

 (共和国としての独立を前提とした)準備期間の連邦制10年間は、過剰な人口や工業製品を受け入れる領土を求める日本が太平洋で戦争を始めた時点で、荒々しく中断されてしまった。
 日本海軍の爆撃機は1941年12月、ハワイの真珠湾を攻撃した。米国は対日宣戦を布告し、ここに太平洋戦争の火ぶたが正式に切って落とされた。この戦争によってフィリピンは日本に占領された。
 フィリピン国民は3年間にわたって戦争の辛酸をなめさせられた。国民の自由は敵によって抑圧され、経済は日本の戦争需要に対応させられ、教育もフィリピン人の考え方を日本人に合わせるよう改変させられ、そして日本が後ろ盾になった共和国だけが政治を行った。その間に何千何万ものフィリピン人が処刑・投獄されたが、反抗の精神は占領終結まで日本当局を苦しめ続けた。

(「フィリピン人民の歴史 第8版」=ガロテック出版社)

【シンガポール】

 ●なぜ日本は東南アジアを攻撃したのか?

 日本軍は、中国駐留軍に石油や鉄などの重要な原材料を供給するため、資源が豊富な東南アジアに侵攻することに決めた。また、原材料を支障なく日本軍に送るため、この地域の重要な海路を確保したかったのだ。

 ●粛清

 英国軍が降伏して3日後、日本軍は18歳から50歳までの中国系男性すべてに、検問所に出頭するよう命じた。兵士は家から家を回り、銃剣を突きつけて中国系居住者を追い出した。女性や子ども、老人を捕らえることもあった。
 不運な人々の大半は、まとめて縄で縛られ、船で沖に連れ出され海に投げ込まれるか、海岸に連行され、機銃掃射で処刑された

 ●日本軍占領時代

 捕虜の多くは、泰緬鉄道建設に送り込まれた。建設地の生活環境はひどく、建設地に送られた捕虜のうち、約3分の2が亡くなったと言われている。

(「私たちの歴史のページ」=SNPパンパシフイック出版社)

【インドネシア】

 ●労働者の搾取

 主に田舎の住民である「労務者」は、日本に強制的に働かされた。特に軍の施設や防衛のための防壁や、列車の線路などをつくった。多くの「労務者」は現場で死んだ。その悲しい状況は結局、口からロヘ伝えられ、村の人々全員の知るところとなった。

 ●インドネシアが独立した背景

 抗日運動は、インドネシアの独立の実現につながっていった。対日闘争を実施するのに、インドネシアのリーダーたちは非常に慎重だった。日本の占領がとても冷酷だと知られていたからだ。もし、はっきり抵抗すれば、日本占領政府はすぐに誰でも殺すだろう。このため闘争の方法は、その時々の状況に合わせていた。

(「中学校2年生歴史教科書」=エルランガ出版社)


 ●日本による植民地支配

 日本がはじめ、インドネシアの民衆にたいして親切でやさしい態度をとっていたのは確かである。しかし、時がたつにつれ、日本のインドネシア民衆に対する態度は、変わっていった。日本の行動は残酷なものになっていった。

 一般に植民者の態度はどこも同じである。つまり、残虐で、搾取的で、非情である。私たち民族の運命は、トラの口からのがれ、ワニの口に入るということわざにたとえることができる。これは、どういう意味だろうか。それが意味するところは、日本がやってきたことにより、オランダ植民地時代に受けた犠牲はなくなるどころか、むしろ、事態は悪化したということである。

 ●インドネシア民衆の犠牲

 日一日とインドネシア民衆の犠牲は、悲惨なものになっていった。民衆が命令に従わないと、日本は重い刑を下した。当時、私たち民族の運命は、実に苦しいものであった。食べ物は、すべて枯渇していた。飢えた腹を満たすために、民衆はおよそ人間が食べる物とはいえないような、タピオカの皮やバナナの皮などを口にせざるをえなくなった。

(「社会科・インドネシア国史2・小学校5年生用」)


参考:
朝日新聞2005年6月18日「戦後60年 歴史教科書 戦争の記述は」
「世界の歴史教科書」(明石書店)
しんぶん赤旗

リンク:アジア各国教科書の記述 (日の出講芸>アンチ「ゴー宣」内)
    (「アジアの教科書に書かれた日本の戦争」(越田稜 梨の木社)より抜粋された、フィリピン、インドネシア、タイ、ベトナム、シンガポール、マレーシア、ミャンマーの教科書の記述)