マイカコンデンサの日本における現代史 目次 (01)はじめに (02)日本での生産の始まり (03)シルバードマイカコンデンサ (04)静電容量の標準としてのシルバードマイカコンデンサ (05)日本電気におけるシルバードマイカコンデンサ (06)富士通におけるシルバードマイカコンデンサ (07)日本無線と松田正治 (08)双信電機におけるシルバードマイカコンデンサ (09)マイカコンデンサの小型化 (10)パラメトロンにシルバードマイカコンデンサが使われた (11)ポリスチロールフィルムコンデンサ(スチコン)の出現 (12)海底中継機用のマイカコンデンサ (13)マイカコンデンサの低コスト化 (14)新しいマイカコンデンサ (15)おわりに (16) 文献 マイカ(雲母)の産出と加工 (01)マイカの産出 (02)マイカの加工
はじめに マイカコンデンサはイタリーのMatteuciによって発明され、1845年に製作されている。1) マイカコンデンサはペーパーコンデンサと並んで古くから使用され、特に1950年代以前のセラミックコンデンサ、電解コンデンサがまだ十分な特性と信頼性が得られなかった時代には電子機器用の2大コンデンサであった。マイカコンデンサは電気的に優れた特性を持つ天然マイカを誘電体としているので、コンデンサとしての優れた特性と過去長年月にわたる使用実績から、高信頼性、高安定度を要求される電子機器、特に測定器、超多重搬送通信装置などに広く用いられてきたた。 1950年代に入ってプラスチック・フィルムがコンデンサに利用されるようになり、この2大コンデンサの内ペーパーコンデンサは誘電体としてのペーパーが低静電容量のものはポリエステル・フィルムに高静電容量のものはポリエチレン・フィルムに置き換わる事に依ってその生産が激減して行った。またマイカコンデンサの用途では超多重搬送通信装置のフィルタにはポリスタイレン・フィルム・コンデンサが使われる様になった。またセラミックコンデンサの性能は向上し電子機器のあらゆる用途に使われる様になった。そしてマイカコンデンサは特にその特性を必要とする所に限定されて使用される様になった。 さて、わが国にをけるマイカコンデンサの歴史のなかで先人達が繰り広げてきた開発の歩を振り返ってみることにする。 コンデンサが最初に使用されたのはコンデンサの放電による電信機の信号電流を作るのに利用されたと思われる、明治2年(1879年)に日本に電信が創業されて、多くのイギリス人が招聘されて来日してきたが、コンデンサの製作技術に関しては得ることはなかったと云われている。しかし明治15年(1882年)二重電信法、また数年後に四重電信法と次第に高等通信になるに従って、コンデンサは不可欠のものとなってきた。 そして国産奨励の線に沿って、逓信省電気試験所が鋭意研究に当たったのがコンデンサ研究の最初であり、明治26年(1893年)電信協誌に中山龍次がコンデンサに関してわが国で最初と思われる論文を発表している。 また明治30年(1987年)頃電気試験所が無線電信の研究を開始して、明治33年(1900年)海上34海里の通信に成功した頃には外国からマイカコンデンサが輸入されていたと考えてよい思う。
日本での生産の始まり
しかしわが国でマイカコンデンサが作られたのはこれより大分おくれ、鬼鞍又二郎「明治19年(1886年)〜大正13年(1924年)」と針谷錦次「明治30年(1897)〜昭和48年(1973年)」が大正2〜3年頃から小石川にあった砲兵工廠において、ドイツのテレフンケンの1KW無線機用のペーパーコンデンサを試作した。その後マイカコンデンサを作り、発振用蓄電器としてのペーパーコンデンサをマイカコンデンサに置き換えたと針谷がかたっている。2) また鬼鞍又二郎は大正6年(1917年)三陽社を設立し、マイカコンデンサを商品化した。その後第一次世界大戦後の不況もあったが、無線通信機も真空管式のものが国産化され、これらに多量のマイカコンデンサが使用されるようになった。一方長野日本無線(株)の昭和30年(1955年)頃のカタログによると、大正の末期に当時の日本無線(株)においてマイカコンデンサが国産化されたと記されている。3) 日本無線のOBである植村盛氏によると「日本無線のマイカコンデンサの研究は最初から高周波電力用コンデンサに主目的がおかれたのは明確で、マイカドン4)製造を商売にしていた三陽社がライバルであった、主目標のKVAコンデンサには日夜研究を重ねた」と云われている。これは昭和初期のはなしである。また日本無線の社史「55年の歩み」によれば門岡速雄が技師長としてコンデンサの開発部門を企画され昭和2年(1927年)に浜田武雄、土屋、植村によって電力用マイカコンデンサの生産がはじめられた。 そして同じ年に、対欧無線電信局依佐美送信所の送信機用マイカコンデンサを完成、大正13年(1924年)には日本無線はテレフンケンと技術提携していたので、送信機用マイカコンデンサの構造はテレフンケンの図面に依ることが多く昭和5年(1930年)にNHKの金沢局に3KWの送信機を納入するにあたって、このマイカコンデンサ一式約50個を製作するにもテレフンケン方式に依ったと云われている。テレフンケン方式といってもテレフンケンとデュビリヤとが技術提携していたので、当然図面もデュビリヤ方式によったものでした。 このデュビリヤ方式のマイカコンデンサはマイカコンデンサの素子を直列ー並列に組み合わせてコンデンサの直流の耐電圧、静電容量、KVA耐量を使用する回路に適合するように設計することが出来る様になっている合理的な構造でした。5) 佐塚昭人は双信電機で1952年頃このデュビリアのコンデンサを見る機会がありましたが、コンデンサケースの中には流動パラフィンが充填されていて高周波電流によるコンデンサ素子の発熱を対流に依って合理的に外部に逃がすことが出来るものでした。これらのコンデンサは放送用の大型送信機や潜水艦や船舶との通信のための長波の送信機にもちいられていた。 また高周波電力用のマイカコンデンサは大型レーダー(富士山レーダー)や線形加速機(高エネルギー物理研究所)のパルスフォーミングネットワーク用に使われましたが、高い周波数で使われる小静電容量のKVAコンデンサはセラミックコンデンサに、周波数あるいは繰り返し周波数の低い大きな静電容量のコンデンサはプラスチックフィルムコンデンサに置き換わって来ている。 さらに針谷は昭和9年(1934年)鬼鞍又二郎の実弟、鬼鞍虎次郎の懇願によって三陽社に入社しているが、針谷によると当時のマイカコンデンサは日本無線さんが先輩で、日本無線さんに指導して頂いたと語られている。6) また高梨正躬により浩々社(後の高梨コンデンサ株式会社)が大正9年(1920年)に創業している。 三陽社は昭和11年住友の系列に入り、日本通信工業(株)となった。日本通信工業(株)で購買を担当していた鬼鞍又二郎の長男の鬼鞍信夫は昭和13年双信電機を創業した。 当時のマイカコンデンサはマイカ板とスズ箔を交互に積み重ね、スズ箔の端部をはんだ付けしたものをシェラックのアルコール溶液に浸漬し、締め金具に挟んで締め付け、乾燥して素子を一体化し、リード又は板状の端子を付けたものをフェノール成形材料によりモールドしたもので、所謂スタック形モールドマイカコンデンサで、これはアメリカのSangamo社のものを参考に作られたものであった。 昭和16年(1941年)3月には安藤好直によって東和研究所(後に東和電気となる)が設立されている。同氏は昭和6年(1931年)4月に安立電気に入社、昭和10年に三陽社に入社している。その間にコンデンサについての優れた数々の研究をした。特にマイカコンデンサについては遺稿となった「蓄電器の設計基準並びに製造に関する二三の考察 第一輯 雲母蓄電器」が亡くなられて5年後の昭和31年(1956年)に東和電気の麻生仁郎、日本通信工業の梶川馨(協同電子、後にニチコン)等に依って出版された。 また第二次世界大戦末期には資材の入手が困難になり、安立電気の西山等により、マイカの代用として富士写真フィルムのアセチルセルローズフィルムを使用したり、成形材料に増量財として牛骨粉などを使用することを試みた。双信電機の西沢吉弥は長野県岩村田の防空壕の中の浅間山の火山灰層から火山灰を採取し、フェノール成形材料に増量材として20%程度添加した。成形性は良好であり、当時の使用からは充分のものであった様である。
シルバードマイカコンデンサ
シルバードマイカコンデンサはアメリカではWestern Electric社によって製造され今より約96年前の1906以前にBell Systemの研究所の測定関係の標準コンデンサとして使用されたことがあるが、これは銀鏡反応によって銀電極をつくるものであった。7) わが国においては昭和10年(1935年)日本無線から酸化銀と硼酸鉛を混合した銀液をマイカに塗付して高温で焼成して銀電極を形成する方法の特許が出願されている。この頃日本無線では上野辰一、真島等が研究している。安立電気の西山毅(第二次世界大戦後、安中電気を創業する)真空蒸着や銀鏡反応等によるシルバードマイカコンデンサの研究を行っていたが、8)9)シルバードマイカコンデンサが本格的に実用化されて使用されたのは昭和27年(1952年)以後である。 大戦後は大変混乱した状況が続いたが、ようやく昭和25〜26年(1950〜1951年)頃よりシルバードマイカコンデンサの開発が再び始められたようである。昭和27年(1952年)頃電々公社の電気通信研究所(現在のNTT武蔵野通研)でコンデンサ用ガイシのメタライズ等を研究していた田悟敏安、渡部志治男から酸化銀と銀粉と硼珪酸鉛にフッ化鉛を熔融した低融点ガラスを混合した銀ペーストを用いたシルバードマイカコンデンサの特許が出されている。その後田悟は三笠電機でシルバードマイカコンデンサの製造を行っている。 同じく通研の部品研究室に居た衣川浩平(後に東和電気)は昭和20年よりペーパーコンデンサの研究を行いクロールナフタリンにアンスラキノンを添加することにより寿命を伸ばすことに成功し、4号電話器用コンデンサC4を開発した。衣川は昭和27年(1952年)頃よりシルバードマイカコンデンサの研究を行った。10) 衣川によって銀電極に半田付けする方法として銀電極上に銅を真空蒸着して半田に銀が溶け込まないようにする特許が出されている。また半田付け部分の銀電極の接着用に使われるガラスの含有量を8%以下にすると半田付け性が良くなるという特許が衣川と佐塚が共同で出願している。11) シルバードマイカコンデンサの素子は高いQ値と安定した静電容量ー温度特性が得られるが成形材料でモールドすることにより、成形材料の特性に影響され本来のシルバードマイカコンデンサの特性が得られない。特に小静電容量のものではこの影響が著しい。衣川はモールド材料として高周波特性の優れたスチレンと天然ゴムとの共重合体のスチレンラバーのシルバードマイカコンデンサへの応用についても同研究所の有機材料研究室の玉田恒夫、田所富男等と昭和31年(1956年)頃行った。12)
静電容量の標準としてのシルバードマイカコンデンサ
また更に衣川は標準コンデンサの開発を行っている。その中で真空封入したシルバードマイカコンデンサについては同じ部品研究室の小林実と研究をし、1×10-5/年の安定度を得ている。13) このコンデンサは同研究所の標準の維持に使用されるとともにコイルのインダクタンスの安定度や変化量を測定するときの標準として同部品研究室の加藤治郎(後に東京電気)等が用いた。高電圧用標準コンデンサについては東和電気の遠藤恒彦(後に北陸電気工業)と研究を行った。 一方遠藤はシルバードマイカコンデンサの静電容量ー温度係数の測定を詳細に行って、14)15)マイカの温度係数として1.2×10-5/℃を得ている。16) 遠藤はまた電気試験所の菅野充等と国際比較標準としてシルバードマイカコンデンサによる標準コンデンサを作り、17) 世界各国との巡回比較を行い好結果をた。18)
日本電気におけるシルバードマイカコンデンサ
日本電気(株)においては『蓄電器」の著者、鈴木良蔵がいた。同書に記されている内容から察すると、マイカコンデンサについても相当外国からの技術が入って来ているように思う。昭和20年(1945年)頃には沢登義文がマイカコンデンサを担当していた、昭和25年(1950年)頃STC社の技術を導入してシルクスクリーン法により銀ペーストをマイカに印刷する方法でシルバードマイカコンデンサの生産を始めている。更に沢登義文、沢登盛親、松永毅、桜庭久蔵、熊谷和夫等により、同じSTC社の技術でゴム凸版を用いたシルバードマイカ自動印刷機、電極焼成装置、シルバードマイカ素板の自動静電容量選別機等の一連の製造装置を昭和29年(1954年)頃に導入し、昭和30年よりこれにより生産を開始している。このSTC-NECのシルバードマイカコンデンサはシルバードされたマイカ素板を積み重ね、重なりあった銀電極を互いに加熱圧着して接着した構造で、電極引き出し用の補助電極を用いないで直接半田付けによってリード線を接続するようになっている。モールド材料としてはエポキシ樹脂(スイス・チバ社のアラルダイト)による注形であり、注形用の型は可塑材の入った塩化ビニール樹脂が用いられていた。 桜庭久蔵は昭和35年(1960年)頃日本通信工業に出向している。後に日本電気のシルバードマイカコンデンサの製造設備の一部が日本通信工業に移設された。 その以前に日本通信工業においては昭和28年頃池田道造がアルミ箔を切り抜いたステンシルを用いローラーにより捺染式の印刷方法によりシルバードマイカコンデンサの素板の製法を開発していた。
富士通におけるシルバードマイカコンデンサ
富士通信機製造(株)(現富士通)では昭和29年頃からシルバードマイカコンデンサを外販したように思う。銀電極の製法としては銀液をマイカにスプレイして焼成したものを使っている。引き出し補助電極を用いリード線を溶接したカシメ金具により素子をカシメ、引出し補助電極とを接続していた。成形材料には当時同社の後藤、柳原等が開発したポリエステル樹脂(エステライト)が使用された。
日本無線と松田正治氏
先にも記したように昭和10年(1935年)日本無線から酸化銀と硼酸鉛を混合した銀液をマイカに塗付して高温で焼成して銀電極を形成する方法の特許が出願されている。この頃日本無線では上野辰一、真島等が研究している。 昭和14年〜20年(1939〜1945年)に日本無線(株)にいた須坂市の松田正治(後に松田工業技術研究所)は昭和22年松田電機を創業し、昭和26年にシルバードマイカコンデンサの製造、販売を行った。松田は鈴木要の興亜電機に一時役員として技術を供与した。また日本特殊マイカ(後に信越日通工となる)との共同事業になる協立コンデンサ(株)を設立し同社にも技術を供与している。その間松田はマイカコンデンサに関する多くの特許を出願し、長野県須坂市にあってマイカコンデンサ業界に少なからず影響を与えた。
双信電機におけるシルバードマイカコンデンサ
双信電機はスタック型のモールドマイカコンデンサや高周波電力用のマイカコンデンサを中心にしていたが、昭和27年頃から他社に遅れて開発が始まったが昭和29年(1954年)末よりIFT用としてMJ 型、MH型の二種類のモールド形シルバードマイカコンデンサが数万個/月生産されるようになった。 日本コロンビア向けに納入され、後に東芝もラジオ用IFTに使った。昭和30年4月からは国際電気および沖電気の通信用フィルタにモールド形シルバードマイカコンデンサが使われるようになった。 昭和33年(1958年)防衛庁において電子部品の認定試験が行われ、多くのマイカコンデンサを生産している製造者が認定試験を受けたが、マイカコンデンサでは日本電気と双信電機が認定に合格し、三笠電機は仮認定となった。
マイカコンデンサの小型化
マイカコンデンサはシルバードマイカコンデンサによって小型化され高安定度が得られるようになり、それ以前の様に頑丈な金具で固定する必要がなくなり、コンデンサの外装を簡単にする事ができるようになった、ディツプマイカコンデンサはその一つで昭和33年(1958年)佐塚によって製造法の特許が出されている。19)これは粘度の低い第一の樹脂にマイカコンデンサ素子を浸漬し、積層されたマイカの間にある空隙を埋めて樹脂を硬化させ、次にチクソトロピックな第二の樹脂にディップして外装をするものである。現在ではこの方法はポリエステルフィルムコンデンサに利用されている。しかしこの方法では充分な耐湿特性が得られないので昭和36年(1961年)更に耐湿特性が改善された現在の方式のものが生産されるようになった。これは硬化収縮が小さく硬化後多孔性になるフェノール樹脂で素子をディツプして硬化し、エポキシ樹脂を真空含浸したものである。これによって-55〜150℃の温度範囲にわたって使用できるマイカコンデンサが得られるようになった。 第二次世界大戦後マイカコンデンサの技術的な向上に刺激を与えたのはアメリカ軍のJAN,MIL等の仕様、自衛隊のSSS,NDS規格によることが大であった。また電々公社の搬送通信システムの大容量化、小型化の要求から箱詰形マイカコンデンサが樹脂モールド形のシルバードマイカコンデンサに変わった。
パラメトロンにシルバードマイカコンデンサが使われた
昭和28年頃東京大学の後藤英一により電子計算機の演算素子としてパラメトロンが発明され、パラメトロン計算機が開発された。そして1957年8月に日立製作所がHIPAC1を完成させ、さらに日本における実用的な最初の商用の電子計算機として日立製作所がHIPAC101を開発した。 その後HIPAC102, 103が開発され科学計算用や国鉄の座席予約システム用の計算機として使われた。この計算機にはパラメトロン素子用に5000pFのシルバードマイカコンデンサが多量に使用された。またパラメトロン駆動用の高周波発振器用としてもマイカコンデンサが使われた。 東京大学高橋研究室のパラメトロン計算機PC1は1958年3月26日動作を開始した。 (参考) 後藤は秋葉原の電気店で手に入れたTDKの環状フェライトコアーと双信電機のマイカコンデンサを使ってパラメトロン素子を作り実験に成功した。 パラメトロン計算機の試作時代は村上幸雄の日本電子測器がパラメトロン素子のアッセンブリーやパラメトロン励振の高周波電源を製作した。 この時期東京大学の大学院にいた山田博は日本電子測器に入社したが、その後富士通に転じた。 日立製作所のパラメトロン計算機用の素子にはTDKのフェライトを使いコンデンサには双信電機マイカコンデンサと組み合わせてTDKがパラメトロン素子アッセンブリーを製作した。 日本電気はNEAC1101(1958年3月)稼動し、その後1201を出した。 富士通はFACOM202, 212を商用機として出した。 また電々公社、電機通信研究所はMUSASINO・1を稼動させた。 NEC, 富士通、通研のパラメトロン素子にはマイカコンデンサではなく、当時富士通がドイツ国ジーメンス社から技術導入したスチコンがコンデンサに使われた。当時電子機器の配線の絶縁には塩化ビニールのチューブが使われる事が多かった。しかし、塩化ビニールには可塑剤が添加されいる為、機器の匡体の中に可塑剤の蒸気が充満する事があり、このためスチコンに不具合が生じる事があった。
ポリスチロールフィルムコンデンサ(スチコン)の出現
ポリスチロールフィルムコンデンサは富士通信機製造(株)現富士通(株)が昭和28年頃ドイツのジーメンス社からスチコンの技術を導入し国産化を始めることになり、パラメトロン用のマイカコンデンサはスチコンに置き換えられ、搬送通信用のチャンネルフィルターには高価なマイカコンデンサは此処でもスチコンに置き換えられ、シルバードマイカコンデンサの使用分野はグループフィルター以上の信号が多く重畳され高い信頼度が必要なフィルターや水晶発信器の補正用とかに使用され、その使用個数は減少した。 また一方では搬送通信装置のディジタル化の始まりとして当時電々公社でPCM24が開発され、この装置には富士通と沖電気工業がハーメチックシールしたシルバードマイカコンデンサをその安定性を活かしてタイミング同調回路に使用した。日本電気はポリスチロールフィルムコンデンサをハーメチックシールして使用した。しかしこれもその後にセラミックの共振器に置き換えられている。
海底中継機用のマイカコンデンサ
昭和32〜33年(1957〜1958年)頃国際電々と電々公社で日米間の太平洋横断海底ケーブルの計画があり、電気通信研究所でも各種の部品の調査研究が準備され、海底中継器用シルバードマイカコンデンサについても部品研究室長の武藤時雄(後に静岡大学、電機大学)、柴沼有(後東洋通信機)衣川、小林等によって実験が進められ、双信電機の吉沢新一、中村克治、宮崎富男、佐塚昭人等が協力したが、この海底中継器の計画は中止となつた。しかし高安定性のシルバードマイカコンデンサの実験研究は進められ多くの成果が得られた。20) その後あらためて海底中継器の開発が行われ、電気通信研究所の近藤茂男、篠崎薫によりマイカ板上に真空蒸着により金電極を形成した高精度のマイカコンデンサが昭和45年(1970年)に開発された。21)このコンデンサは日本電気および富士通で生産されCS-36M海底中継装置用マイカコンデンサとして中継器一台当たり60個、海洋区間等化装置に一台当たり36個が使用されるようになった。22)またこれらの海底中継器の技術は海底地震計にも使われている。 この金の蒸着電極を使った金マイカコンデンサは金箔でマイカ板上の金電極を接続し積層し、金メッキされた金具でこの積層された素子をカシメたもので、この上に外装は施されていない単純な構造のものである。 また誘電体としてのマイカも最高級のクリアーマイカを用い、マイカの壁開についても水を用いて時間をかけマイカ表面に断層が出来ないようにし、電極も金であるため安定であった。 マイカコンデンサの誘電体であるマイカはその壁開面がKイオン層になっているため海底中継器の様に密封され湿度環境が良い所で使用する場合は問題がないが、高湿度に於いては僅かではあるが電流が流れ劣化する事がある。
マイカコンデンサの低コスト化
マイカコンデンサは他のコンデンサに較べて高価ではあるが、高精度のものがつくれると云う特長を活かし、通信機用、産業機器用を主体として、その需要は限られていたが、昭和36年6月(1961年)に双信電機の高須信昌によって一枚のシルバードマイカ板を使用し、銀電極に直接リード線を半田付けして樹脂をディツプし外装を施して補強した所謂シングルフィルムシルバードマイカコンデンサが開発されラジオ、TV等の民生用電子機器用に販売された。マイカは一枚のみ使用して積層しないため静電容量は200pF程度が実用的であった。また後にリード線の半田付け部分を電極が対向していない静電容量を持たない部分にする事によって歪みの少ない安定したコンデンサが出来さらに、後に開発されたSEコンデンサの技術を応用して電極面にガラスをコーティングしたものは更に高性能になり高級オーディオ機器に使われた。
新しいマイカコンデンサ
その後しばらくの間はマイカコンデンサでは新しいものは開発されなかったが、沖電気工業の村越等によりマイカコンデンサとセラミックコンデンサを並列に接続して任意の静電容量温度係数のコンデンサが作られ、LCフィルタのコイルに使用されるフェライトコアの温度係数を相殺しフィルタの温度特性を改善した。また安定性の改善ではハーメチックシールし、シリコンオイルを充填し信頼性を向上した電子交換機用のものが日本電気及び富士通で作られた。 昭和45年には双信電機がシルバードマイカ板の表面に低融点ガラスペーストを印刷し焼成し表面にガラス層を設け、このシルバードマイカ板を積層し、加熱融着して一体化したチップ形のマイカコンデンサの基本的な製法を開発した。双信電機と日本電気は協力してこのチップ形マイカコンデンサをベースにエポキシ樹脂によりトランスファーモールドした超小型シルバードマイカコンデンサ(商品名:SEコンデンサ)が開発され、電々公社のCー60M同軸中継器用、端局装置用に商品化した。また前述の金電極マイカコンデンサは非常に高価であり、日本の海底同軸ケーブルのコスト高の一因でもあったので海底中継器のコストダウンの要請から、このSEコンデンサは金マイカコンデンサに匹敵する安定性と非直線が小さいので、その後C-60M同軸装置での使用実績から信頼性の高さが認められ海底中継器に使用されるようになった。 この様な超多重化中継装置の増幅器では高周波、高感度、高利得化が進み、従来問題としてきた特性以外に、わずかに存在する非直線性の大きさも問題とされるようになった。この様な高利得の中継器回路に使われているコンデンサに非直線性があると、その中継器のところで発生した高調波が逆の方向に返って来ると云う不都合が生じる。この事に関して富士通の松崎寿夫、岡江真雄、吉田雄三等が、マイカコンデンサの非直線性について詳細に報告している。23) またマイカコンデンサのコロナ特性と寿命について、大阪府立工業奨励館(現大阪府立工業技術研究所)の田中恒久(後に大阪電気通信大学)、黒田寧、双信電機の井上勝夫、中村克治、佐塚昭人等によって研究された。24) 25) これまで一般の電子回路でマイカコンデンサを使う回路では、モールドまたはデップマイカコンデンサが一般には使われて来た。ディツプマイカコンデンサのリード線端子はNL線と云われる鋼芯銅線を使用している為とエポキシ樹脂を外装に含侵して積層したマイカコンデンサ素子の空隙にエポキシ樹脂が侵入して静電容量の一部を形成する為にいるため、非線形特性が必ずしも良くないわけである。従ってこれらの特性の改善と云うのはマイカコンデンサにたずさわる技術者の常に考えている事であったが、これらの高信頼度マイカコンデンサの研究の副産物としてその後に高級オーディオのアンプ、段間結合、イコライザー用のコンデンサとして人気を博した。26)27)
おわりに
マイカコンデンサの歴史の中でラジオ放送が始まった頃から第二次大戦中と戦後の一時期まではその全盛であった様であるが、その後はマイカに代わる安価な材料であるプラスチックや酸化チタン系の材料がコンデンサに応用されると同時にその信頼性や特性が改善され、これらのコンデンサが台頭したことによって、マイカコンデンサは特殊な用途に限られて使用されるようになり、あらゆるものが合成される時代にあって電子部品では唯一と云ってよい天然物をそのまま使用するものとなった。 しかしマイカコンデンサは高Q、高精度を得ることが出来るので、これからも高Q低損失を必要とする高周波回路には使用される。
[文献] 1)鈴木良蔵:蓄電器 修教社書院、昭和15年(1934年) 2)コンデンサ研究会10周年記念座談会、 コンデンサ評論Vol.10 No.9,10合併号P21(1957年) 3)長野日本無線(株)マイカコンデンサ カタログ No. 155 4)注:樹脂モールド形のマイカコンデンサを俗称としてマイカドンと云うようになった。 5)滝沢一雄:コンデンサ研究会創立30周年記念号P96 (1978年) 6)コンデンサ研究会10周年記念座談会、コンデンサ評論Vol.10 No.9,10合併号(1957年) 7)A.J.Christopher & J.A. Kater : Mica Capacitors for Carrier Telephone Systems, Electrical Engineering Oct. 1946 8)9)コンデンサ研究会 10周年記念座談会、コンデンサ評論 Vol.10 No.9,10 合併号(1957年) 10)衣川浩平:シルバードマイカ蓄電器の製作法、測定法の改良並に成形材料の検討、電々公社通研所内資料 成果855、1955年 11)衣川浩平、佐塚昭人:銀焼付雲母蓄電器の製造法 特許公告 昭34-5327 12)衣川浩平:ゴムスチレン系注型樹脂のマイカコンデンサへの応用 コンデンサ評論Vol.9 No.3 P4 (1956年) 13)小林実:真空封入形シルバードマイカコンデンサ 昭37 信学全大 P118、1962年 14)遠藤恒彦:シルバードマイカコンデンサの容量温度係数の測定(氈jコンデンサ評論 Vol.8 No.2 P53 (1955年) 15)遠藤恒彦:シルバードマイカコンデンサの容量温度係数の測定()コンデンサ評論 Vol.8 No.3 P114 (1955年) 16)遠藤恒彦:Silverd Mica Capacitor のQuality Factor (Q)に就いて コンデンサ評論Vol.9 No.2 P1 1956年 17)遠藤恒彦:シルバードマイカ標準蓄電器の製作について、電通学誌 Vol.44 No.4 P534 (1961年) 18)第10回国際度量衡委員会の電気諮問委員会資料(1963年5月) 19)佐塚昭人:雲母蓄電器の製造法 特許公報 公告 昭35-8031 20)衣川浩平:ゴムスチレン系注型樹脂のマイカコンデンサへの応用 コンデンサ評論Vol.9 No.3 P4 (1956年) 21)近藤、篠崎:高精度マイカコンデンサの製造法について、電気通信学会 全国大会 予講集 P247 (1970年) 22)近藤、篠崎、白井、谷口:CS-36M海底中継装置用マイカコンデンサ、通研実報 Vol.23 No.8 P1481 (1974年) 23)松崎、岡江、吉田:マイカコンデンサの非直線性についての一考察 電子通信学会電子部品研究会 資料番号CPM74-39 (1974年9月) 24)井上、中村、田中:コンデンサのコロナ特性と寿命(第一報)信頼性研究会資料R72-18(1972年10月) 25)田中、黒田、井上、佐塚:コンデンサのコロナ特性と寿命(第二報)信頼性研究会資料R74-18(1974年10月) 26)佐塚昭人:最新オーディオ用コンデンサの現状を探る、 無線と実験 Vol. 65 No.1 P212 (1978年) 27)金田明彦:SEコンデンサの特性とDCアンプにおける音の特徴、無線と実験 Vol.65 No.1 P152 (1978年)
その他
マイカを基板上に印刷でコンデンサとコイルを形成したプリントフィルタフィルタ、マイカペーパーを誘電体とした高電圧用コンデンサ等マイカを応用した電子製品がある。
また昭和20年代頃からの双信電機とそれに係るコンデンサ業界についての記録として、「記録・双信電機での50年」B5版441頁を佐塚昌人が2000年5月5日付けで自費出版している。